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第四部 婚礼
第48話 イルマ、子どもになる!③
しおりを挟む騎士が短刀で近くの木から長い串を作り、魚の内臓を抜いたものに打ち込んだ。器用に何本も打ち込んでいく様に感心する。ちょうどよい熾火が出来て、地中に串を刺し、石で固定して魚をかざした。魚をじっくり焼くには時間がかかる。
イルマがいない、と姿を探すと、靴も絹の靴下もぽいぽいと脱いで、池に手を伸ばしている。ぱしゃぱしゃと水に触れる姿は可愛いが、いつ落ちるかと気が気ではない。
「⋯⋯イルマ」
そっと声を掛ければ、くるりと振り向いた途端に小さな体がするりと滑る。
「イルマッ!」
ばしゃん! と一際大きな水音が立つ。
「シェン、シェン、ごめんね」
私は火の側で、ずぶ濡れになった体を上半身裸になって乾かしていた。咄嗟に差し出した手でイルマが落ちるのを止め、代わりに自分が均衡を失って池に落ちたのだ。
金色の瞳から今にも涙がこぼれそうだ。おいでおいで、と呼べばすぐに近くに来る。
「大丈夫だから、心配しなくていい」
ふわふわの毛が、すっかりしおしおになっている。よしよしと頭を撫でれば、ごしごしと目をこする。
「私が間違って落ちただけだ」
「ぼく、ひとりで、おみずのちかくにいっちゃだめっていわれてたの⋯⋯」
ああ、そうだろうな。こんなにくるくると興味が移る子は、心臓が幾つあっても足りない。⋯⋯しかし、面白い。こんな大人もダメかもしれない。
「イルマ様、シェンバー殿下、魚が焼けましたよー!」
「ほら、折角釣った魚が焼けたんだ。一緒に食べよう」
イルマは、セツに程好く冷ましてもらった魚を受け取ると、とことこと私のところに来た。
「⋯⋯いっしょに、たべよ」
私は幼子と並んで魚にかじりついた。塩を振った焼き魚は大層香ばしかった。こんな食事は久しぶりだ。イルマの睫毛には、涙が付いている。手際よく騎士が焼けた魚を運んでくれる。私は皆も食べるように言った。
「イルマも、皆で一緒に食べたいだろう?」
イルマが魚を口いっぱいに頬張りながら、こくんと頷く。騎士と侍従たちは、その様子を見ながら頬が緩みっぱなしだ。私はこの生き物が今日まで攫われもせずに無事でいたことを、女神に感謝した。
小さな島で、輪になって焼きたての魚を頬張る日が来るとは、全く思いもしなかった。ついでに自分がずぶ濡れになるとも思わなかった⋯⋯。
離宮に戻ってくると、イルマは、ふああとあくびをしている。帰る道すがら、ずっと私の手を握っていた。どうやら池に落ちた私を彼なりに心配してくれていたようだ。ひそかに、濡れ鼠になった甲斐があったなと思う。
離宮の自室の前で、イルマは目をこすりながら言った。
「サフィー、ありがと。セツと、レイも」
「イルマ様。お休みなさい」
「うん。⋯⋯また、あしたね」
「はい、お休みなさい」
騎士とレイが微笑んで、幼いイルマに挨拶をする。誰もが幼子を柔らかな瞳で見ていた。
私が寝衣に着替えると、部屋にいたセツは、イルマを着替えさせたところだった。目をこすりながらイルマが言う。
「えっとね、さっきのベッドでねる」
私はイルマを抱き上げた。潤んだ瞳のセツが部屋を出て行く。
幼子と二人でベッドに寝転がった。小さな手が、私の頬に触れる。
「シェンのめのいろは、とってもきれい。よるになる、すこしまえのおそらみたい」
「そうか。イルマの瞳は、輝く太陽の光の色だ」
「⋯⋯ぼくたち、おそらのいろなんだねえ」
幼子は嬉しそうに笑う。ふわりとあくびをしたかと思うと、あっという間に眠りについた。
愛らしくて、素直で、自由で。
落ち着きがなくて、気儘で、優しくて。
⋯⋯何だか、泣きたくなった。
女神の愛し子は、ずっと愛されてきたのだろう。
イルマが元に戻らないのは困る。でも、もう少しだけ見ていたい気もする。
子どもになった私を見た時のイルマの気持ちも、同じようなものだったのだろうか。
丸い頬にそっと口づけをした。くすぐったかったのか、くふふ、と笑って反対側を向かれてしまった。私は後ろから幼子を抱きしめて目を閉じた。
翌日になると、隣に幼子はいなかった。飛び起きた私は、イルマを探した。
どこかに隠れているだろうか? それとも、部屋を抜け出して離宮探検を始めたのだろうか?
部屋の扉が開く。私の愛する伴侶が、微笑んでおはようと言う。
「⋯⋯イルマ」
体中から、力が抜けていく。呆然としてイルマを見つめた。
「どうしたの、シェン?」
「⋯⋯どこへ行っていたのかと、思って」
「女神に祈りを捧げてきたんだ。今日は何時もより長く祈ってきた。願いごとが叶ったみたいだから」
「願い事?」
「うん。書庫の本に、遥か東方の国の風習が載っていた。特別に天に願い事をする日の話があったんだ。ちょうど今頃だったから、ぼくもやってみようと思って。願い事を紙に書いて木に結ぶんだよ」
イルマは私をじっと見た。黄金の瞳の輝きは幼子と変わらない。
「⋯⋯聞いてもいいだろうか。願い事は、何を?」
「大好きな人に、とびきり楽しいことがありますように」
私は、イルマを強く強く抱きしめた。
ふわりと柔らかい髪は、あの子の面影を宿している。
「⋯⋯シェン? 今朝起きたら、とても幸せそうに眠っていたから、いいことがあったかと思ったんだけど」
「あった。とても⋯⋯楽しかった」
「それなら、よかった。ぼくもね、不思議な夢を見たんだよ。もうずいぶん遠い昔のことを思い出した」
「⋯⋯釣りをした?」
「どうして、わかったの? 幼くて切れ切れにしか覚えてないんだけど⋯⋯。すごく楽しかった」
イルマが幸せそうに微笑む。
何と言ったらいいのだろう。この気持ちをどう伝えたらいいのだろう。
⋯⋯もう、立ち直れないかもしれない。
私はそれから珍しく、ここ何年も出したことのない熱を出した。典医に風邪だと言われて、イルマが付きっ切りで看病してくれる。
池でずぶ濡れになったことは皆、黙っていてくれた。額に冷たい布を置くイルマの手の感触は優しい。少しだけ小さな柔らかい手を思い出して、目の奥が熱くなる。私はそっと、目の上まで布を引き寄せた。
【イルマ、子どもになる! 了】
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朝倉真琴様
他サイトからこちらへのご感想、どちらもありがとうございます!!!
何しろ長いので、全部読んでいただいて本当に嬉しいです( ;∀;)💕💕
仰る通り、シェンバー王子にはいいイメージないですよね。応援の気持ちに…のくだりにやったー!と思いました。サフィード推しの皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、生涯主従ってすごいロマンだと思うんですよ。恋愛とはまた違った深い絆がありますので…!
朝倉さんのご感想のおかげで、私も本作を書いた当時のことを色々思い出しました。
小説を書き始めて半年目に初めて書いた長編で、本当に毎日イルマたちのことばかり考えていました。祝福のキャラたちは皆元気で、必死で彼らの行動を書きとめていたような、そんな記憶があります。彼らの幸せを願ってくださってありがとうございます!女神様も幸せになってほしいですね。
たくさんの温かいお気持ちを、本当にありがとうございました!!いただいたご感想を励みに、また頑張っていきたいと思います。
夜曲様
ご感想ありがとうございます!
長い物語をお読みいただいた上にお気持ちを伝えていただいて、とても嬉しいです。
今更なんてことは全然ありませんので、ご安心ください^^。
夢中になって読んで頂けたら、本当に書いた甲斐があるというものです。
この話は私が小説を書き始めて半年目に、初めて書いた長編です。
ルチアは苦労した分だけたくさんのことを見て来た女性です。イルマの芯を育てたのはルチアですね。
夜曲様の優しいお言葉に、祝福を書いていた当時のことを思い出してとても温かな気持ちになりました。
いただいたお言葉を励みに、これからも頑張って書いていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
きゃあ(ノ*>∀<)ノ♡
今度はイルマがー!
くー!
可愛い"(∩>ω<∩)"
くまち。様
更新のたびにご感想を頂戴し、大変嬉しいです。本当にありがとうございます(^▽^)/
リクエストをいただいたこともあり、シェンバー編より短いですがイルマ編をお届けします。
ちびっこイルマにあたふたするシェンやサフィードたちを楽しんでいただけたら嬉しいです💕