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マメ

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「そういえばあの二人、何してるのかしら……」

 手洗いの方を見ながら奥さんが呟く。
いつまで神影さん達は出てこないのだろう。あれからしばらく経っているはずだけど。
 手洗いの方を見ると、まだ出てくる気配はなかった。何やら物音がするが、何をしているんだろうか。
「……」
 石蕗君は誤解を解いてくれたようだが、藤倉君はまだだ。あんな事を言われて顔を合わせるのははっきり言って気まずい。早く帰りたいけど阿知波はまだ来なかった。
「……」
 ポケットに入れていたスマホを取り出し、縋るように眺めていると、タイミングを図ったように携帯が鳴り始めた。
「あ……」
 液晶画面に表示された名前は、やはり阿知波だった。
「お迎えが来たの?」
「あ……たぶん……ちょっとすみません」
 電話に出ると、阿知波の弾んだ声が聞こえてきた。
『あ、蒼ちゃん? 喫茶店てどこ?』
「Mっていう喫茶店……病院から右にまっすぐ行った先の……」
『茶色い看板?』
「そう……今、出るから店の前まで来てもらえるか?」
『分かった、すぐ行くから』
 スマホを閉じると、奥さんがすかさず聞いてきた。
「着いたって?」
「はい……店の前まで来てくれるみたいなんで……俺、もう行きますね。ご迷惑かけてすみませんでした。神影さん達によろしく言ってください」
「いいのよ~気にしないで? 迷惑かけたのはあの子達の方だし」
 奥さんはケラケラと笑って済まそうとしてくれた。この優しさにいつも癒やされる。
「石蕗君も……じゃあ、また……」
「待ってください!」
 立ち上がって石蕗君にも挨拶をしたら、なぜか腕を掴まれ椅子に戻されてしまった。
「石蕗君?」
「二人が出てくるまで待っててもらえませんか? きっと影さんが藤倉先輩に説明してると思うんです。だから……」
「いや、でも友達を待たせてるから……」
「アオ君はしばらくここには来ないつもりでしょう? 俺がアオ君の立場ならそうします」
 石蕗君のまっすぐな瞳が蒼を射抜いてくる。やはり見抜かれたか。
 また顔を合わせれば同じ思いをするかもしれない。逃げるようで罪悪感を覚えるが、しばらくここには来ないつもりだった。
「藤倉先輩は放って……完全に無視して構いません。でも、影さんには一言挨拶してあげてください」
「……」
「お願いします……」
 石蕗君は頭を下げて頼み込んでくる。
石蕗君の気持ちは分からなくも無いが、神影さんが戻ってくるという事は藤倉君も一緒という事だ。誤解は解けるかもしれないが、今は会いたくなかった。考えただけでめまいがしてくる。
「でも、俺、は……」
「ちょっと俊君、これ以上アオ君を困らせてどうするの。やめなさい」
 すると、奥さんが止めに入ってくれた。顔色の悪くなった蒼を見かねたらしい。
「でも、このままじゃ影さんが……」
「アオ君は体調が悪いの。見れば分かるでしょう? いい加減にしなさい!」
「……はい。すみませんでした」
 奥さんが責めると、石蕗君は黙ってしまった。なぜか奥さんには逆らえないらしかった。
「さ、アオ君。支えてあげるからここから出ようね」
 大人しくなった石蕗君に頷くと、奥さんは蒼を立ち上がらせようと手を伸ばす。するとその時、入口のドアが開く音がした。






 奥さんの身体が前にあるのでよく見えないが、ドアのそばには誰かが立っていた。新しい客だろうか。それを見た奥さんが慌てて対応する。
「いらっしゃいませ~お一人様ですか?」
「いや……友人がここにいるって連絡が来たんですけど……」
「あら……じゃあアオ君のお友達?」
「アオ君?」
「あ……」
 そこにいたのは、ずっと待っていた阿知波だった。なかなか出てこない蒼を探しに来たらしい。これでようやく帰る理由が出来た。
 そしてなぜか、その顔を見たら酷く安心して、胸が熱くなってしまった。みるみるうちに涙が溢れ、さっきと同じように止まらなくなってしまう。
「う……」
「アオ君!? 大丈夫ですか……?」
 それに気づいた石蕗君が背中をさすってくれるが、涙の意味が分からない。もう落ち着いたと思ったのに、どうして。
 止まらない涙に戸惑っていると、いきなり頭上から声がした。
「てめえ……何、蒼ちゃんを泣かせてんだ」
 何事かと思ったら、阿知波が石蕗君の腕を掴んでいた。その顔は険しく、すくみ上がるほど怖い。
 石蕗君はいきなり現れた阿知波に戸惑っているようで、蒼と阿知波を交互に見つめている。
「……アオ君の友達?」
「んな事どうでもいいだろ。なんでこいつが泣いてる?」
 睨んだまま阿知波が問うと、石蕗君はゴクリと息を飲み込んだ。
「おい、何とか言えよ。なんでこいつが泣いてんだ」
「……」
 石蕗君は突然現れた阿知波の迫力に何も言えないようだった。奥さんもおろおろと見守るだけになっている。蒼の友人だと思って口が出せないのかもしれない。早く止めなくては。
「阿知波、待っ……」
「おい、何とか言えっつってんだろうが!」
「う゛……」
 阿知波は石蕗君の胸倉を掴むとギリギリと締め上げてしまった。石蕗君は苦しそうに顔を歪め、ますます何も言えなくなってしまう。
「違うんだ! この人は悪くない!」
 慌てて阿知波の腰にしがみつくと、気づいた阿知波が力を緩めた。
「蒼ちゃん……」
「違うんだ……石蕗君のせいじゃない……大丈夫だから……」
「でも……蒼ちゃん泣いてるじゃん。そんなに目ぇ真っ赤にして……ずっと泣いてたんじゃねえの?」
「……」
「蒼ちゃん普段は全然泣かねえし、泣くのは心が相当弱ってる時だけだ。そこまで追い詰められるような事……なんかあったんだろ?」
「あ……」
 やはり阿知波はごまかせないらしい。何度も見ているせいか、あっさりと泣いた理由を当てられてしまった。
 どう言ったらいいんだろう。下手に煽れば石蕗君に暴力を振るうかもしれない。神影さんや藤倉君にも被害が及ぶ可能性もある。
 阿知波の行動は蒼の為だと分かってはいるが、これ以上店に迷惑はかけたくなかった。ここでは言わない方がいい。
「帰ったら話すから……」
「本当に? こいつのせいじゃないんだな?」
「うん……」
 しっかりと頷いた蒼を見た阿知波は、石蕗君から手を離してくれた。それを見た奥さんも安心したのか胸をなで下ろしている。蒼もほっと息を吐き、今度こそ立ち上がろうと力を入れた時だった。
「すみません……俺の友人が酷い事をアオ君に言ったんです」
 よせばいいのに、石蕗君が余計な事を言ってしまった。
「酷い事?」
 阿知波も意味が分からず聞き返している。もう止めてくれればいいのになんでわざわざ言うんだ。
 さっきの事を聞けば、阿知波は絶対に逆上するに違いない。それだけは避けたかった。
「石蕗君、今は言わなくていい。俺から説明するから……」
「でも……」
「そうだよ蒼ちゃん。こいつが言いたいなら言わせなよ」
 石蕗君が戸惑い、阿知波が煽ってくる。本人がもういいと言っているのに、どうしてみんな話を聞いてくれないのか。
「おい、お前……詳しく話せ」
「あ……実は……」
「阿知波! いいから!」
 蒼を無視して聞き出そうとする阿知波の腰に抱きつき、慌てて止めた。こうでもしないとまた修羅場になりそうだ。
「蒼ちゃん……」
「早く、帰りたいんだ……頼むから……」
 ぎゅうっ……と力を入れて抱きついていると、阿知波の手が蒼の腕に触れた。
 それに気づいて力を緩めたら、少しかがんで顔を覗き込まれた。
「本当にいいの?」
「うん……帰ったらちゃんと話すから……」
 念を押すように聞かれたが、気持ちは変わらない。早くここから出なければ。
「……分かった。俺がもっと早く迎えに来れば良かったんだよな。ごめんね蒼ちゃん」
 意思を確認した阿知波は蒼を抱きしめ、ポンポンと頭を軽く叩くように撫でた。
 子ども扱いをされているようでちょっと悔しい。とっさに阿知波の頭をはたくと、それを見ていた奥さんが楽しそうに微笑んでいた。
「あらあら、ずいぶん仲がいいのねえ……きっとアオ君はお友達が来たから安心して泣いちゃったのね。気を張ってたんでしょう?」
「え?」
「いきなり初めて会った人にあんな事言われても気を使うし、言い返せないわよね。本当にごめんなさいね……」
 奥さんは何度も謝り、悲しそうな表情を浮かべた。
 この人は全然悪くないのに。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「げ……」
 阿知波を見ると、何か言いたそうな顔をしていたが我慢しているらしい。蒼の腕を掴む手に力が入っていた。
「……」
 頼むからこのまま大人しくしていてくれ。そう祈りながら視線をずらすと石蕗君が阿知波を見つめていた。
「阿知波……?」
「ん?」
「あの、あなたは阿知波って名前なんですか?」
 しばらく黙っていた石蕗君が突然阿知波に話しかけた。何か名前で気になる事でもあるんだろうか。
「そうだけど、何か?」
 阿知波が素直に答えると、石蕗君は少し顎に手を当てて考え始めた。そして、ゆっくりと確かめるように言葉を発した。
「もしかして、東高の阿知波さん……ですか? BLACKの総長の……」
 驚く事に、石蕗君の口からも「BLACK」という言葉が出てきた。しかも阿知波が総長という事まで知っている。
 阿知波と石蕗君は初対面のはずだ。もしかして石蕗君も神影さんの言っていた人物と知り合いなんだろうか。
「そうだけど……なんでお前が知ってんだ。他のチームの奴か?」
「そんなまさか……BLACKの総長が誰かを迎えに来るなんて……聞いてたのと違う……」
 阿知波がさらりと認めて質問を返すが、石蕗君はぶつぶつと何かを呟いている。
「石蕗君?」
「あ……いえ、すみません。友人がチームに入っていて、BLACKの噂も聞くものですから……聞いてたのと違うなって」
「へえ……どんな噂だ?」
 阿知波が興味を持ったようで問いかけるが、石蕗君は肩をすくめて困った顔をした。
「いえ、アオ君に聞かせるのは可哀想なので……詳しい事はここではちょっと……少なくとも誰かの為に動いたり怒ったりするような人物ではないと聞いています」
「はっ……まあ当たってるけど……アオ君て蒼ちゃんの事だよな? 蒼ちゃんが可哀想ってどういう意味だ?」
 阿知波は不思議そうに首を捻っている。蒼は阿知波の噂や性格、今までしてきた事を全て知っているのにどうしてという意味だろう。
「だってアオ君はチームに関係無いし、不良ってわけでも無いでしょう? 巻き込むのは可哀想というか……」
 それを受けて石蕗君が返事をした。やはり不良だとも思われていないらしい。 確かに神影さんに言った事は無かったが、蒼の事をどんな風に語っていたんだろう。
「え……蒼ちゃん言ってないの?」
 驚いたように阿知波が蒼を見つめてくる。とっくの昔から石蕗君と知り合いだと思っているのかもしれない。
「……言ってない。石蕗君とは今日初めて会ったし、共通の知り合いとはそういう話にならなかった……チームに知り合いがいるってのも今日知ったし……」
 自分が総長だなんて無理やり話すような事ではないし、そういう話題にもならなかった。神影さんがそういう話を振ってきた事もない。自分だって、神影さんの友人がチームに入っているというのは今日初めて聞いたのだ。まさかという思いの方が強かった。
「……そっか。まあ……別に無理やり話すような事でもないしな」
 阿知波は蒼の言葉に納得したようだ。それ以上聞いては来なかった。
 そして、石蕗君をじっくり見た後質問をぶつけた。
「その制服……夕禅学園か? って事は……お前の友人てまさか……あのチームか」
「……はい、たぶんあなたが思っているチームです」
 阿知波が聞くと、石蕗君が素直に頷いた。
 一体何の事を話しているんだろう。聞き逃してはいないはずだがよく分からなかった。夕禅学園にあるチームの話だろうか。
「おい……なんか話が見えないんだけど」
 思わず呟いてしまったが、阿知波は真面目な顔つきだった。
「ふーん……じゃあよろしく言っといて。たぶん明日会うから」
「明日ですか?」
「ああ。うちの奴らがそのチームの幹部と揉めたらしくてな。俺が行かなきゃ終わらねえらしい」
「ああ、あの話ですか……」
「知ってんのか?」
「はい。聞きました」
 二人は何やら話しているが、こっちはさっぱり理解できない。揉めたとか聞こえたが、もしかしてさっき阿知波が言っていた「メンバーがやらかした」に関係してるんだろうか。
「ったく、あいつらも余計な事しやがって……舞の件も片付いてねえのに最悪……他のチームと揉めてる余裕なんかねえっつーの」
 石蕗君がそのチームを知っていると分かると、阿知波が頭を掻きながらぼやき始めた。度重なるトラブルにイライラしてるんだろう。
「……舞?」
「ああ、何でもねえ。こっちの話」
「今、何て言いました?」
「いや、お前には関係ねえから気にすんな。そのチームの奴に言うなよ? これ以上、余計ないざこざはごめんだからな」
「……」
 阿知波の呟きに、なぜか石蕗君が反応していた。何か気になる事があったらしいが、阿知波は石蕗君を巻き込むつもりは無いらしく、何でもないと繰り返している。
 それにしても気になる。夕禅学園のチームって一体何なんだ。
「阿知波、夕禅学園のチームって何? さっき揉めてるって言ってたとこか?」
「え? ああ……」
「アオ君は気にしないでください。大丈夫ですから」
 阿知波に尋ねようとすると、すかさず石蕗君が遮ってしまう。どうしても蒼に聞かせたくないらしい。一体自分はどんな人間だと思われているのか。
「石蕗君は誤解してる。俺は……」
 そんなできた人間じゃないのに。
 そう言おうとしたら、奥さんののんびりとした声が聞こえた。
「あの子達まだ出てこないのかしら……」
「「あ」」
「ちょっと見てきた方がいいかな?」
 奥さんは手洗いの方を何度も見て確認している。
 そういえば、まだ二人が出てきていなかった。本当に何をしているんだろう。
「あの子達って……蒼ちゃんを泣かせたヤツ?」
 さっきまで静かに話していた阿知波の声が低くなった。せっかく忘れてくれていたのにこれはまずい。
「阿知波、いいから早く帰ろう」
「でも……」
「いいから! 言う事を聞かない奴は嫌いだからな」
「う……分かった」
 阿知波の腕を引っ張ると、その強い気迫に圧されたのか渋々と頷いてくれた。蒼の機嫌を損ねるのは避けたいらしい。
「……本当に仲がいいですね……影さんがいなくて良かったかも」
「ん? 何か言ったか?」
「あ、いえ……何でもないです」
 二人を見ていた石蕗君が神影さんの名前を呟いたが、阿知波が気づく前に黙ってしまった。やはり石蕗君も修羅場にはしたくないようだ。
「二人は友人なんですよね? どうやって知り合ったんですか? 共通点が見えないのですが……」
 石蕗君は二人の関係が不思議で仕方ないらしい。蒼を不良だと思っていないなら当たり前の反応かもしれない。
「んー……俺が死ぬほど苦しかった時に蒼ちゃんに助けてもらった。それからかな。詳しい事は秘密だ」
「そうですか……」
「蒼ちゃん、俺達超仲いいよね?」
「へ?」
「何度も蒼ちゃんちに泊まりに行ってるもんね」
「ああ、まあ……そうだな」
 こいつは一体何を言い始めたんだ。考えてる事が分からない。戸惑いながら返事をしていると、石蕗君が感心したように頷いていた。
「泊まりに行くほど仲がいい……ですか」
「ああ……しかもこいつ寝起きが凶悪でな、寝ぼけてキスとかしてきて超可愛いの」
「は……キス? アオ君が?」
「おまっ……余計な事を言うなバカ!!」
 慌てて阿知波の頭を殴って止めたが、反省はしていないらしくニヤニヤしている。
「アオ君もお友達の前だと素直なのねえ」
 奥さんも止める事はせずに微笑ましく見守っていた。もう勘弁してくれ。
 呆れている蒼を気にせず、阿知波が言う。
「って事で、今回は見逃すけど……またこいつを泣かせたら今度は容赦しねえから。お前の友人に言っとけ」
「え……」
 石蕗君が戸惑いがちに反応すると、阿知波が念を押すようにもう一度言った。
「蒼ちゃんがいいって言うから今回はやめとく。でも次にまた泣かせたら……意味、分かるよな?」
 その顔はさっきと打って変わって酷く恐怖を感じさせるものだった。メンバーを制裁していた時に見せたものと近い。
「俺、こいつの事すっげー大事にしてんの。俺の性格分かってて逃げずに受け入れてくれたしな。だから……こいつに手ぇ出したら……分かるよな?」
「……はい」
 石蕗君は阿知波の迫力に息を飲み、ゆっくりと頷いた。
「……ん?」
「逃げずに受け入れた」というよりは「逃げようとしたのを無理やり止められた」ような気がするんだけど。
ちょっと違うだろと思ったがここは大人しくしておく事にした。
「……本当に、BLACKの総長さんですよね? 信じられない」
 石蕗君はいまだに呆然と蒼達を見つめている。どれだけ酷い噂を立てられてるんだ阿知波は。
 だが、当の本人はさほど気にしていないらしく、石蕗君を見ても少し笑っただけだった。
「信じなくても構わねえけどよ……もうこいつに構うんじゃねえ。いいな?」
「……分かりました」
 
 ガタンッ。

 石蕗君が返事をしたら、遠くから何か物音がした。あれは手洗いの方からだ。神影さん達だろうか。
「なんだ?」 
 阿知波が意識をそちらに向けるが扉が開く気配はない。
「……まずい」
「石蕗君?」
 それを見た石蕗君が、いきなり焦ったように立ち上がった。声を掛けたがそれを無視して手洗いの方へ向かってしまう。
「今は早くここを出てください。阿知波さんと影さん達を会わせない方がいい」
「あ……」
「これ以上修羅場にしたくないでしょう? 俺がここでドアを押さえてますから、早く」
 石蕗君は手洗いへと続く扉に手をかけ、中から開かないように押さえ込んでしまった。
 確か、あの扉は外に向かって開くタイプのはずだ。外から圧力がかかれば出られない。
「石蕗君……」
「そこにいるのか? そんなに俺と会わせたくねえの? 逆に気になるじゃねえか」
 阿知波は眉を寄せて石蕗君を見たが、石蕗君の顔は強張っていた。
「今はやめた方がいいです。アオ君を泣かせたくないでしょう?」
「……何か事情がありそうだな。ま、いいや。蒼ちゃん帰ろ?」
「ああ……石蕗君、ありがとう」
「いえ……」
 お礼を言うと、石蕗君は頭を下げた。早くここから出なくては。
「蒼ちゃん大丈夫?」
 立ち上がると阿知波がすぐに支えてくれた。それを見た奥さんが二人に言う。
「車で来てるの? 気をつけてね」
「はい……本当にすみませんでした。あの、これジュースとアイス代です」
 財布から千円札を出してテーブルに置くと、奥さんが首を振って戻そうとしてきた。
「いいのよ~迷惑かけたのはこっちなんだし……」
「いえ、また何か言われたら嫌なんで……」
 次にもし会う機会があれば、また何か言われるかもしれない。今回の事まで責められるのは辛すぎる。
「……ほんとにごめんなさいね……また来てね? アオ君来ないと寂しいから……」
「はあ……」
 正直に言うと、しばらく来るつもりはなかった。親身になって心配してくれる人を悲しませたくはないが、こればかりは仕方がない。自分の安全の為だ。
「時間があったら……また、来ます……」
安心してもらえるように、曖昧な受け答えをすると、奥さんは蒼の気持ちに気づいたのか微かに笑い、本当に遠慮しないでね? と言ってくれた。
 気持ちが落ち着いたらまた来よう。そう決心して店を出る事にした。






 車は店の前に停められていた。助手席に近づくと阿知波がドアを開けてくれる。
「サンキュ……」
「蒼ちゃん、ごめん……」
「ん?」
 車に乗るため松葉杖を阿知波に渡すと、途端に目を伏せて謝ってきた。
「怪我もだけど……この店で何か酷い目にあったんだろ……? 俺がもっと早く来てたら……」
 そう零す阿知波は本当に申し訳なさそうにしている。確かに散々な目にあった事はあったが、すでに蒼は攻撃された後なのだ。今反省されてももう遅い。
「いいよ。いくら謝られてももう起こっちまった後だしな。お前だって忙しいんだろ? 仕方ないさ」
「蒼ちゃん……」
「帰ったらちゃんと話すから。ここではやめような?」
 少し笑って早く帰ろうと促すと、急に抱きしめられ、首筋に顔を埋められた。
「ほんと……ごめん……俺、全然蒼ちゃんを守れてない……。今度はちゃんと守るから……」
「阿知波……」
「泣くほど追い詰められたんだろ? そばに居られなくてごめん……」
 阿知波の声からは、後悔の念が感じられる。蒼が辛い時、そばに居られなかった事がよほど悔しいらしい。
「……今回の事は誰にも予測できなかった。偶然が重なったんだ。お前は悪くねえよ」
 あれほどの憎しみを持っているのだ。阿知波がいても藤倉君は蒼を責めたかもしれないし、こればかりはもうしょうがないと諦めるしかない。阿知波から身体を離してそう言うと、男はなぜか泣きそうな表情を浮かべていた。
「阿知波? どうした?」
「……俺、本当に蒼ちゃんを好きになって良かった」
「は?」
「蒼ちゃんありがとう……愛してる」
 阿知波はいきなり愛を囁いたかと思うと、蒼の頬を両手で挟み、キスを仕掛けてきた。
「ちょっ……何、ん……!」
 そして、そのまま逃げられずに唇を貪られてしまう。どうしたんだ一体。
「ん……帰ろうか」
 チュッと音を立てて唇を離した阿知波は、もう一度蒼を抱きしめた後、満足げにそう囁いてきた。
 こいつの中で一体何が起こったんだろう。帰路につく車の中でも終始無言で、それを聞く事はできなかった。
 
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