竜国の王子 邂逅克服編

優戸

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第一章

それぞれの物語3

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「ぷあーっ、食った食った」
 己の膨れた下腹を撫で回しながら、満ち足りた顔で、ジェントゥルは崩れるようにベットへと倒れこむ。そんな姿に呆れつつ、扉を閉めながらルゥはボソリとぼやいた。
「オヤジ臭い」
「おい、世界中のオヤジに謝れ今すぐ」
 放たれた不本意な評価に、ジェントゥルは割と声を下げて威圧しているようなのだが、うつ伏せているためにその声がほとんどシーツに吸収されてしまっている。残念ながら、あまり迫力はない。
(まったく、どれだけ自由なんだこの大人は)
 それがまた、少年にとっては好ましくもあるのだが。
 宣言通り、屋台を巡って食べ物ばかり買っていたジェントゥル。聞けば一日の内に何度も食事を取っているらしい。合わせたら結構な量を食べていることになるのだが、食べ物がこうまで美味い国はそうあるものではないと、今の内に食い溜めているのだそうだ。
 それよりもルゥにとって不思議なのは、食べ物や生活用品を買い込んだにも関わらず、相変わらずジェントゥルの懐具合は充分に潤っているらしいということだ。ここの宿代とて、二人分に増えているだろうのに。
 不思議な人だと思いながら、持っている荷物をベット脇に置いた。外はもうすっかり暗くなっている。
(……星が綺麗だなぁ……)
 濃紺の空に瞬いている、色水を散らしたような色彩が美しい。
 しかしよくよく考えてみれば、ルゥに軽い疑問が浮かぶ。そういえば、彼は一体いくつになるのだろうか。見た目だけで判断しても差支えないならば、ジェントゥルは二十代半ばそこそこ、という風体であった。少しばかり気になって、他意もなく尋ねてみる。
「ねえ。そういえばセルっていくつなの? 実年齢より若く見えるけど」
 その問い掛けに、ぐるりと首を回して、ジェントゥルは少年を射竦めた。
「待て、なにやら引っかかったぞ。『実年齢より』とか言うな、知りもせずに」
「、だって……オヤジ呼ばわりしたら怒った」
 彼から漂うどこかただならぬ空気に、ルゥは言葉に詰まりながらもなんとかそれだけ絞り出すと、視線を素早く斜め下方へ逸らした。そして悟る。
(年齢のことって、セルにとっては禁句なのかもしれない……)
 けれど、沸き起こる少年の気持ちは、もっとずっと真剣なものだった。
 知っておきたいと思った、彼のことをもっと。出会って間もなく、しかもこんな減らず口ばかり叩いている。だがルゥは相手が思う以上に、ジェントゥルに心を開いていた。
 抱き寄せられた時に全身に感じたぬくもりだったり、温かいスープを差し出してくれた意外とささくれ立った手だったり、人懐っこい笑みだったり。他愛のないことなのに、ひどく心地良いと思えてしまう。それはきっと、彼自身がもともと内包した、他人に対する無条件の愛情によるものなのだろう。
 人間というものを、愛して止まないのだ。その綺麗さ、汚さをすべてひっくるめて。
 憧憬のようなものを覚える。
「……三十二」
 不意に、彼の落とすようなくぐもった声が、少年の耳に飛び込んできた。決して大きくはない、むしろ聞き取りにくいはずの声だったのにも関わらず、紡がれた言葉がやけに衝撃をともなって脳内を反響する。
 思わず顔を上げた。ジェントゥルは相変わらず、ベットに顔を沈めている。
「え、あ……さんじゅう、に?」
 顔や喉がついついひくついてしまう。ルゥの胸に、色々複雑な思いが沸き起こってきた。
 どう考えても、三十路を超しているようには見えなかった。ルゥが知っている三十路を過ぎた大人というものは、こういったものではない。もっと無骨で、滲み出るのは油を塗った刃のようにギラギラとした、権威への欲求だ。眼の前の男に、当てはまるものなどひとつもなかった。
(これを一言でいうなら、そう、……若い)
 ジェントゥルの面立ちも滲み出る雰囲気も、まだまだ瑞々しさが残っている。あまりのことに少年が固まってしまっていると、ジェントゥルはルゥへと向けた顔を、悪戯好きな子どものように破顔させてみせた。
「こう見えて、俺も色々経験してきてるんだよ。振り返りたくもない過去もある。けど三十二にもなると、案外簡単に、いろんなことを達観視できるようになるもんだ」
 だから、お前も頑張れ。そう言って、そのささくれ立った手でルゥの頭を撫でた。
(……ああ……、またあったかい)
 少年は思う。この手が、この声が、陽だまりのようにあたたかい。こんな、すべてを受け入れてくれるのではないかと思わせてしまう、穏和な彼が好きだった。
 しかし続けて、ジェントゥルはほんの少し沈んだ調子で続ける。
「でもやっぱり、頑張っても頑張っても、どうにもならないこともあるよ。世の中は常に不条理で、幸せな生活をいとも容易く崩される。それを変えたいと願っても、力が足りなければ叶わない。俺は、そんな人達を厭というほど見てきた。それもまた、世界の本質だ。汚いようだけどな」
 そう自分に語りかけるように呟き、瞑想するように、ジェントゥルは眼を閉じた。
 それを眺めて、ルゥは改めて思った。やはり彼は、どちらも知っているのだ。世界の美しさも醜さも。それらが合わさって、「魅力」なのだということも。でなければ、旅になど出られるはずもない。世界のありのままの姿を、まざまざと見せ付けられるのだから。
 彼がどういった経緯で旅を始めたのかは知らないが、けれど、それを決意した何かが過去にあったのだろう。
(僕はまだそんなふうに思えないけど、いつかは……)
 少年は胸を掻いた。自分も、この身に巣食い、胸に煮凝る憎しみから解き放たれる日が来るのだろうか。なにもかもが幸せで、不安に押し潰されそうになることなどない。そんな夢のような日が本当に。
 自分に限っては、不可能なことのように思われた。
「到底……赦せることじゃないんだから」
「なにがだ?」
 返ってくるはずのない声に、ルゥは驚いてジェントゥルを見遣った。訝しそうな、同時に心配そうな瞳が、じっと少年を見詰めていた。思わず口走ってしまっていたことに、やっと気付いた。
「あ、ご、ゴメン。なんでもないんだよ」
 慌てて少年が弁解するも、ジェントゥルはその視線を外そうとしない。彼の瞳は真摯で、透明で、それでいて深い。ルゥはその瞳に、内側を暴かれるのではないかと錯覚しそうになった。だがそれもまた、良いかもしれないと思わせる不思議な力もあった。
 きっと、曝け出してしまえば楽になれるのだろうと思う。すべてを晒して、己の醜悪な部分を突き付けて、これでもかと八つ当たりのごとく罵倒しても、彼は絶対に見捨てないのだろう。そうして、黒い部分をきれいに洗って、楽にしてくれるだろう。そんなある種の信頼感を、根拠もないのに感じ得る。
 本当に、不思議な人だと思った。自分は誰にも縋ってはいけないのに、何故こんなにも、求めさせるのか。
「……年の功って、やつなのかな」
「突然なんだよ。嫌味か、このっ」
 近所のお兄さんよろしく、ジェントゥルはすかさずベッドの上にルゥを引きずり込んで、その首に腕を回して絞め始めた。一瞬面食らったものの、すぐに少年は、声を上げてはしゃぎ出す。しばらくそんなことをしてじゃれ付いていたら、彼が急に穏やかな声で、息の上がった少年へ落とすように言った。
「なぁルゥよ。『求めよ、さらば与えられん』って言葉……知ってるか?」
 何を言い出すのだろうとルゥが彼の顔を見上げると、眩しいくらいに優しい顔をして、じっと少年の顔を見詰めていた。
 外はもう陽が傾いている。雲が引き伸ばされた綿のように散在し、影を伴って流れてゆく。その合間を鳥が縫う。薄ぼんやりと照らされる窓硝子が橙色の空の光を集め、白く線を伸ばして輝いている。喧騒は最早聴こえず、人々が途に着く気配をまばらに感じるだけだった。傷心の隙間にじんわりと沁みていくような光景だ。
「欲しいものは、なんでも手に入るって意味じゃない。そいつに必要な分は、神様はちゃんと与えてくださるって意味だ」
 足りない足りないと飢えを叫んでも、神様はちゃんと必要なときに、必要な分をしっかり与えてくださっている。その飢えすらも、またそうなのだ。
「お前が何を悩んでいるのか、俺は知らない。もしかしたら想像もつかないほど重いものを背負っているのかも知れない。けどな」
 言葉自体を繋いでいるように、視線を落としてルゥを見る。
「等身大でいればいい、無理に大人になろうとするな。お前の飢えは、いつかきっと満たされる……俺が保障する」
 そう、いたずら好きな子どものように歯を見せて、ジェントゥルは笑った。
 息が詰まった。言葉も出せずにルゥが彼を凝視していると、唐突に階下から大声で名を呼ばれる。
「なんだろうな。ウェルド小父?」
 ルゥをベッドに下ろして扉の前まで近寄ると、開け放って半身を階下に向ける。二言、三言会話を交わすと、ジェントゥルは機嫌を良くしたらしく、嬉々としてベッドの上の少年に話しかけた。
「おいルゥ、みんな今から宴会を始めるらしいぞ。お前も一緒に来いだってさ」
 少年は思わず戸惑う。
「え、だって僕、お酒なんか……」
「当たり前だよ、誰が呑ますか。お前はジュースだよ、ジュース」
 待ってるから早く来いよと言い残して、気分を弾ませながら彼は階段を下りていった。途端に下から歓声が上がる。どうやら、二人の歓迎会かなにかなのだろう。この国の人々は、皆揃ってお祭り好きなのだ。
 そんな喧騒を遠くで聞きながら、ルゥはその場に座り込んだまま、黙して深くこうべを垂れた。白銀の髪が、その表情を覆い隠す。
 穏やかな、しかし芯の通ったあの黒真珠の瞳から、目を逸らすことが出来なかった。
 確信に触れられた気がした。今はまだ何ひとつ、打ち明かしてなどいないのに。
「……本当に……なんて不思議な人だろう……」
 そう呟き首を振って髪を払い除けると、涙の溜まった琥珀色の瞳を真っ直ぐ天井へと向けた。大きな瞳から、次々と筋が伝い落ちる。
 涙腺を刺激した切なさにも似た感情を、振り払うように、ルゥは息を吐き出した。


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