1 / 1
おひなさまのダイエット
しおりを挟む
キミちゃんが住んでいる家は、築ン十年の、二階建ての一軒家です。その二階の天井裏には、一匹のネズミが住んでいました。夜ごと、壁の裏を伝っては、台所まで出かけ、お米やなんかを、ちょっと失敬しては、暮らしを立てておりました。
天井裏は、ふだん使わない物をしまっておく物置になっていて、いくつもの箱がおいてありました。その箱のいくつかには、キミちゃんのお母さんが嫁入り道具として持ってきた、立派な雛人形が入っています。
(この箱には、何が入っているのだろう)
気になったネズミは、箱の隅っこを齧ってみました。すると中から声がしました。
「こりゃこりゃ。わらわの安眠を邪魔するは、何者ぞ」
びっくりしたネズミは、ピタッ、と齧るのを止めました。しかし、声は続きます。
「おぬし、ネズミであろう。わらわにはお見通しじゃ」
ネズミは、つい、かしこまって答えました。
「ははー。たしかに、わたくしめは、ネズミにござります」
黙って逃げ去ってもよかったのに、そう答えたのは、箱のなかから聞こえた声が、あまりに高く、清らかで、まるで鈴の鳴るように美しかったからでした。こんな声の持主ならば、どんなにか美しい人であろう。どうかしてお近づきになりたいものだ。ネズミはそう思ったのです。
「では、チュー左衛門よ、わらわに、食べ物を持て」
唐突に、そう名付けられたネズミは、疑問を抱く暇もなく、ハハーと、かしこまって、さっそく食べ物を探しに出かけたのです。
雛人形の姫君は、年に一度しか仕事のない暮らしに、退屈しきっておりました。偶然やってきたネズミを利用しない手はありません。そして姫君は、こんな暗闇の中で、楽しみといえば、食べることくらいしか思いつきませんでした。
その日から、ネズミはどんどん食べ物を運び、姫君はどんどん食べました。着物の帯までゆるめて食べ続け、あっという間に、デブデブに太ってしまいました。
そして、三月三日ひな祭りの日が近づきました。姫君は焦りました。こんな体型を、人目に晒すわけには行きません。必死のダイエットが始まりました。
ネズミは、バナナがダイエットによいと言われればバナナを、キウイが効くと言われればキウイを、懸命に集めては姫君に届けました。ですが、運動もせず食べるだけの姫は一向に痩せません。姫は怒りました。
「三月三日も近いと言うに、この体型。もとはと言えば、お前が食べ物を運んできたせいで、この有様じゃ。どうしてくれる。」
ネズミにしてみれば、濡れ衣もいいところですが、姫君に恋焦がれるネズミは、不平一つ言うことなく、知恵をしぼって、ついに妙案を思いつきました。姫君の体型を目立たなくするには、他の人形たちを太らせればいい訳です。
ネズミは、姫君の隣でひっそりと暮らすお内裏さまや、別の箱の中で寝ていた三人官女や、五人囃子に、どんどん食べ物を運び、無理矢理に食べさせました。三月三日までに何が何でも太るべし、これは姫君からの厳命である、と言い添えて。姫君も、最後の数日は、絶食して体型を戻し、ネズミの尽力に報いたのでした。
そして、ひな祭りの数日前になりました。キミちゃんと、両親は、協力して、雛人形を天井裏から運び出し、赤い毛氈を敷いた雛壇のうえに、うやうやしく、大切な人形を並べました。数日食べていない姫君と、ゲップが出るほど食べ続けた他の人形は、なんとか体型のバランスが取れていました。
「雛人形って、こんなにポッチャリしてたっけ?」
そうお父さんが呟くと、呆れたように、お母さんが答えました。
「馬鹿ねえ。人形の体型が変わるわけがないじゃない。やっぱり、ウチの雛人形は美形揃いね。色白で、そして、ふくよかで」
キミちゃんは、なんとなく、去年よりも人形が成長したような気がしましたが、気のせいだと考えて、黙っていました。
雛壇の上に、にぎやかに、堂々と並んだ雛人形たちの姿を、ネズミは、部屋の隅のタンスのかげから、そっと眺めました。姫君の美しさに、ネズミは思わずため息を漏らしました。ああ、やはり、懸命にお仕えしたかいがあった。
まっすぐ前を向いて、ツン、と澄ましていた姫君が、一瞬、ネズミに流し目をくれ、そうして、いたずらっぽく、ウィンクしました。
(終)
天井裏は、ふだん使わない物をしまっておく物置になっていて、いくつもの箱がおいてありました。その箱のいくつかには、キミちゃんのお母さんが嫁入り道具として持ってきた、立派な雛人形が入っています。
(この箱には、何が入っているのだろう)
気になったネズミは、箱の隅っこを齧ってみました。すると中から声がしました。
「こりゃこりゃ。わらわの安眠を邪魔するは、何者ぞ」
びっくりしたネズミは、ピタッ、と齧るのを止めました。しかし、声は続きます。
「おぬし、ネズミであろう。わらわにはお見通しじゃ」
ネズミは、つい、かしこまって答えました。
「ははー。たしかに、わたくしめは、ネズミにござります」
黙って逃げ去ってもよかったのに、そう答えたのは、箱のなかから聞こえた声が、あまりに高く、清らかで、まるで鈴の鳴るように美しかったからでした。こんな声の持主ならば、どんなにか美しい人であろう。どうかしてお近づきになりたいものだ。ネズミはそう思ったのです。
「では、チュー左衛門よ、わらわに、食べ物を持て」
唐突に、そう名付けられたネズミは、疑問を抱く暇もなく、ハハーと、かしこまって、さっそく食べ物を探しに出かけたのです。
雛人形の姫君は、年に一度しか仕事のない暮らしに、退屈しきっておりました。偶然やってきたネズミを利用しない手はありません。そして姫君は、こんな暗闇の中で、楽しみといえば、食べることくらいしか思いつきませんでした。
その日から、ネズミはどんどん食べ物を運び、姫君はどんどん食べました。着物の帯までゆるめて食べ続け、あっという間に、デブデブに太ってしまいました。
そして、三月三日ひな祭りの日が近づきました。姫君は焦りました。こんな体型を、人目に晒すわけには行きません。必死のダイエットが始まりました。
ネズミは、バナナがダイエットによいと言われればバナナを、キウイが効くと言われればキウイを、懸命に集めては姫君に届けました。ですが、運動もせず食べるだけの姫は一向に痩せません。姫は怒りました。
「三月三日も近いと言うに、この体型。もとはと言えば、お前が食べ物を運んできたせいで、この有様じゃ。どうしてくれる。」
ネズミにしてみれば、濡れ衣もいいところですが、姫君に恋焦がれるネズミは、不平一つ言うことなく、知恵をしぼって、ついに妙案を思いつきました。姫君の体型を目立たなくするには、他の人形たちを太らせればいい訳です。
ネズミは、姫君の隣でひっそりと暮らすお内裏さまや、別の箱の中で寝ていた三人官女や、五人囃子に、どんどん食べ物を運び、無理矢理に食べさせました。三月三日までに何が何でも太るべし、これは姫君からの厳命である、と言い添えて。姫君も、最後の数日は、絶食して体型を戻し、ネズミの尽力に報いたのでした。
そして、ひな祭りの数日前になりました。キミちゃんと、両親は、協力して、雛人形を天井裏から運び出し、赤い毛氈を敷いた雛壇のうえに、うやうやしく、大切な人形を並べました。数日食べていない姫君と、ゲップが出るほど食べ続けた他の人形は、なんとか体型のバランスが取れていました。
「雛人形って、こんなにポッチャリしてたっけ?」
そうお父さんが呟くと、呆れたように、お母さんが答えました。
「馬鹿ねえ。人形の体型が変わるわけがないじゃない。やっぱり、ウチの雛人形は美形揃いね。色白で、そして、ふくよかで」
キミちゃんは、なんとなく、去年よりも人形が成長したような気がしましたが、気のせいだと考えて、黙っていました。
雛壇の上に、にぎやかに、堂々と並んだ雛人形たちの姿を、ネズミは、部屋の隅のタンスのかげから、そっと眺めました。姫君の美しさに、ネズミは思わずため息を漏らしました。ああ、やはり、懸命にお仕えしたかいがあった。
まっすぐ前を向いて、ツン、と澄ましていた姫君が、一瞬、ネズミに流し目をくれ、そうして、いたずらっぽく、ウィンクしました。
(終)
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
悪女の死んだ国
神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。
悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか.........
2話完結 1/14に2話の内容を増やしました
理想の王妃様
青空一夏
児童書・童話
公爵令嬢イライザはフィリップ第一王子とうまれたときから婚約している。
王子は幼いときから、面倒なことはイザベルにやらせていた。
王になっても、それは変わらず‥‥側妃とわがまま遊び放題!
で、そんな二人がどーなったか?
ざまぁ?ありです。
お気楽にお読みください。
ぴょんぴょん騒動
はまだかよこ
児童書・童話
「ぴょんぴょん」という少女向け漫画雑誌がありました 1988年からわずか5年だけの短い命でした その「ぴょんぴょん」が大好きだった女の子のお話です ちょっと聞いてくださいませ
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
猫の法律
秋長 豊
児童書・童話
雪がしとしと降る夜のこと。1匹の猫が川に流された。10年後、王女様が生んだばかりの娘が一晩で姿を消した。リンゴのように美しいくちびるをした女の子、という意味をこめて紅姫様と呼ばれていた。王女様は変わり果てた王様の姿を発見する。獣のように荒れ狂った王様は「お前たちがしたことを決して忘れはしない。氷の谷に来たらすべて教えてやろう。氷の谷に来なければ娘の命はない」と言う。
王女様は1人で氷の谷に向かうが、飼い猫のサリがこっそりついてきていた。しかし、寒さのあまり遭難し気を失ってしまう。目が覚めると、すべてが猫サイズの部屋の中で横になっていた。人のように歩き話す2匹の白い猫が現れて、「あなたも、娘さんも、お城に帰してあげます」という。片方の猫は一緒に来た飼い猫サリだった。
王女様は猫の国に入り込み、娘を探すために猫の王女様と対峙する――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる