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第二夜 応声虫
第5話 腹の底の本音
しおりを挟む腹の底を燻る異様な熱に、否応もなく目覚めさせられる。
鼻腔をくすぐるシーツからの漂白剤の香り、真っ先に連想した場所は病院だ。意識が鮮明になるにつれて、汗まみれの身体に気持ち悪さを覚える。
重すぎて開かぬ瞼を、強迫観念に駆られて開けようとした。
そして、周囲の異常さを目の当たりにする。
重い闇──光を許さぬ絶対の闇だ。
「──お目覚めでございやすかい、若頭?」
若輩なのに老獪。渋いのに張りがあって奇妙な力の漲りを感じる。
──夜に鳴く不吉な鳥にも似た声だ。
驚いて顔を上げれば声の主は闇の奥にいた。
青白い淡い光源を背負ったように、その姿だけが闇に浮かぶ。
小汚いボロのような僧衣をまとい、大きな笠を被った小男だ。手には自身の背丈を越える錫杖を握り、口元には不貞不貞しい笑みを湛えている。
こちらが口を開くより先に、その小男は手で制した。
「お尋ねしたい御身の心中はお察しいたしやす。ですが、それは問われるのも煩わしい些末事。まずはこちらの用件を済まさせて戴きやしょうか」
「い、いや……ちょっと待て……」
こちらの戸惑いは、打ち鳴らされる錫杖の音に阻まれた。
「拙僧は幽谷響──地獄に悶える亡者の嘆きを余さず聞き届け、その恨みを彼岸と此岸を分かつ深山幽谷を越えて、現世へと伝える化物にございやす」
その声を耳にした途端、背筋を貫く冷たい悪寒に襲われた。
現実主義者でお化けや幽霊なんざ戯言だと信じてきたのに、自分を取り巻く異常な闇の雰囲気と、その魂を抉るような声音に圧倒されてしまう。
「しかし……貴方様も大した肝をお持ちのようでございやす。こんな真似、おいそれとはできやせんぜ。人心ってものがかけらでもありゃあね……」
幽谷響は懐から一枚の書類を取り出した。
その契約書のサインには──自分の名が記されている。
あんな恐ろしい取引契約にサインを交わした覚えはない。
なのに──。
幽谷響は契約書を手に話しかけてくる。
「こいつぁ表向きは医療関係の確認書類を取り繕っておりやすが、裏に回ればとんでもねえ代物に化けやす……人間の臓器、その売買取引の契約書にね」
説明されるまでもない。そんなことは知っている。
「こういう代物は麻薬や銃器なんかと違い、いつでも在庫があるモンじゃあございやせん。だがしかし、欲しがる御方は大枚叩いてでも欲しがるから需要はある。裏の世界じゃそこそこ稼ぎを見込める商品なのは御存知でやしょう?」
関わった覚えはないが、それらに関する知識はある。
「大陸を根城とする巨大組織『陰陽龍』──あちらさんには東南アジア経由で非合法に臓器売買を受け持つ部門があると聞き及んでおりやす。ですが最近、売買ルートでヘマをやらかして、取引先に流すべき受注済みの臓器がどうしても足らなくなっちまったんでそうでございやすよ。そう、人間に換算すればちょうど十三人分の臓器がね……どうしても足らなかったそうでやすね」
十三──不吉な数字だ。
それ以上に記憶を揺さぶる数字でもある。
「先日、貴方様は組の縄張りを荒らした『陰陽龍』の様子を探るため、若い衆と共に調べてたようでございやすが、その『陰陽龍』に裏を掛かれて襲撃を受けた。貴方様は御覧の通り入院。そして、若い衆は行方知れず……」
──その数は十三人。
「妙に符号しやすねえ……足らない臓器と消えた若い衆」
何が言いたい──そう言い返す気力もない。
それよりも、体験した覚えのない記憶ばかりが甦ってくる。頭の中に回想する、思い出すはずもない光景に戦慄してしまう。
「ほう……御自身がなさったことなのに、今更怖じ気づきやしたか?」
見透かしたように幽谷響は言った。
「な、なんのことだ……っ?」
「白を切れる立場じゃございやせんよ──御覧なせえっ!」
幽谷響は懐から紙切れの束を取り出すと闇の中へ舞い散らした。
その一枚一枚に見覚えがある。契約書を交わす際、奴等の健康状態を事前に知らせるためにと『陰陽龍』へ渡した十三人分の報告書。
良い保険があると騙して、連中に健康診断を受けさせたのだ。
口八丁で連中を欺き、猜疑心も抱かせず、首尾良く揃えたものである。
何故、そんなことを知っている?
疑問と恐怖が渦巻く心に幽谷響は遠慮なく踏み込んでくる。
「まだ惚けやすか……ならば単刀直入に言いやしょう」
組の縄張りを荒らし易いように『陰陽龍』を手引きしたのも、『陰陽龍』が損失した臓器売買の穴埋めを組の若い衆で埋め合わせたのも……。
「全部──貴方様の仕業じゃありやせんか」。
幽谷響がその事実を告げた矢先、ドス黒く濁った声が湧いた。
『──そうさ、俺の仕業だよ』
それは声色を変えた自分の声だったが、自分は一言も発していない。
そもそも口は半開きのまま、少しも動いてくれなかった。
幽谷響は両眼をすがめ、ビクリと耳を動かす。
『どこのどいつか知らねえが、よく調べたじゃねえか……そうだよ、俺さ』
声は出所を判然とさせぬまま語る。
『三合会、蛇頭、それに数多の幇、どこにも顔が利いて根深く勢力を張り巡らせる巨大組織『陰陽龍』……そこに取り入るにゃあこれぐらいしなきゃな!!』
大声が張り裂けた瞬間、幽谷響は錫杖を振るった。
「──そこか!」
錫杖から爆発的な音波が放たれ、着ている寝間着が吹き飛ばす。
露わになった上半身には腹を裂くような──人間の口。
厚ぼったい唇は朱に染まり、口角を上げて笑うと並びの良い歯が見える。
腹の口はゲタゲタと笑った──しかし、自分は既に意識がない。
なのにグルリと白目を剥いて背筋を正して、やや猫背で前のめりになる。掌をワキワキと動かして、腹の口と顔の口が同時に喋り出した。
『おうおう、よく見付けやがったなチビ助』
幽谷響はいよいよ険悪な表情になった。
「やはり……とっくの昔に外道になってやがったか」
ベッドの上に仁王立ちになり、腹の口で高笑いをする。
『ハンッ、外道だか何だか知らねえが、これが本当の俺よ! 良い子ちゃん振って、あんなチンケな組で真面目に若頭をやってたのは俺じゃねえっ!』
禍々しい動きのまま、自分の内に潜んでいた本性が暴れ出す。
『俺はあんな組で収まる器じゃねえんだよ! 俺はもっともっと高みへ昇る! まだまだ上を目指すんだ! あのグズ共も使い捨ての鉄砲玉にしないでやっただけありがたく思ってもらいてえモンだぜ! 他人様の役に立って、俺の踏み台になれたんだからよおっ! ヒャッハッハッハッ──ハッ!?』
血潮の騒ぐまま暴言を吐いていた身体に異変が生じた。
幽谷響はそれを承知していたかのように、辛辣な笑みを浮かべる。
「道から堕ちる果てには魔道……」
錫杖が鳴り響く。
「道から外れる果てには外道……」
数珠が擦り鳴る。
「望み求めて欲せども、いずれ道も尽き果てる……残るは虚しい足跡ばかり」
幽谷響の手にした鈴が愚行を嘲るように鳴り響く。
「腹で騒ぐ三戸の蟲を抑えきれず、外道に堕ちたおめぇさんにゃ地獄の獄卒も呆れておりやす。迎えの火車も勿体ないと、代わりを寄越したようですぜ」
腹の底が燃えるように熱い──いや、痛い。
脇腹の肉を突き破り、どす黒い血を撒き散らして何かが飛び出てくる。
『ガッ! な、なんだあああっ!?』
血走る白目が、自分の体内から現れたものと眼が合う。
それは──人の顔をした蟲だった。
百足のように節くれ立った長い胴体。細かい脚を無数に蠢かせた蟲は鎌首をもたげて、見覚えのある顔で恨めしそうにこちらを見つめている。
「兄貴ぃぃぃ……俺の心臓を返してくれよぉ……兄貴ぃぃぃ……」
『て、てめぇ──サブっ!?』
あの『陰陽龍』に売り渡した一人だ。
彼だけではない。胸から、太股から、肩から、背中から──。
十三匹の人面蟲が体内を食い破って出現する。
「返せよぉぉ若頭ぁぁぁぁ……俺の腎臓を返してくれぇぇぇ…………」
「俺は肝臓だぁぁぁぁ……若頭のぉぉぉ返せぇぇぇ……」
「もう何でもいいぃぃぃ……若頭から貰って行こうぜぇぇぇぇぇぇ……」
その言葉を皮切りに、人面蟲は彼の五体を貪り始める。
皮を破り、肉を喰み、骨を舐め、目当ての臓器に潜り込んでいく。
全身を引き千切られていく激痛に悲鳴が上がる。
『ぐぎゃああっ! て、テメエらぁぁ! こ、これは、俺のモンだぞおぉっ!? や、や、止めろぉぉっ!? 止めてくれええええっっっっっ……!」
悲鳴はやがて断末魔の絶叫へと上り詰めていく。
闇の底にわだかまるドス黒い血溜まり。
引き裂かれた五体には蟲が絡みつき、より暗く深い場所へと堕ちていく。
何かに縋ろうと指を伸ばすも、闇の中を虚しくもがくのみ。
虚空の闇──その高みに憐れみの糸を垂らす仏はいない。
そこには凄まじい形相で笑う、あの幽谷響が浮かんでいる。
慈悲はなく──憐憫もない。
蟲たちが血肉を貪る音色を聞いて、幽谷響の嘲り笑うばかりだった。
「因果応報──でございやす」
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