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第三夜 樹木子
第1話 伝承を訪ねて(遭難中)
しおりを挟む民俗学者、源信一郎は心の底から後悔した。
何に後悔しているのかさえ、この猛暑のせいで忘れそうだ。
この猛暑に四国まで足を伸ばしたことか、先輩に勧められてフィールドワークに旅立ったことか、どことも知れない山中で迷ったことか、それとも──。
「それにつけても暑うございやすね」
旅のお供にこの男を選んでしまったことかも知れない。
怪僧──幽谷響。
その若作りな外見は上背の低さもあって少年のような印象さえ受ける。しかし、侮るなかれ。その眼力は剛胆な者さえ震え上がらせる。
いつも通り小汚い僧衣に網代笠、傍らには愛用の錫杖を立てかけていた。
「暑さ寒さも彼岸までと申しやすが、お彼岸にはまだ日がありやすからね」
さしもの幽谷響も、この暑さにうんざりしているようだ。
「しかし、おかしいでやすねぇ。確か、この辺りだと聞いたんでやすが……」
「その台詞……何度目だい……?」
ぼやいている幽谷響に、信一郎は干涸らびた唇を動かした。
信一郎が四国まで来た理由──それは民俗学の調査のためだ。
最近、教授が『本邦における樹霊信仰』という研究を始めたので、信一郎とその先輩である准教授は手伝いを頼まれていた。
資料を漁るだけかと思いきや、先輩がこんなことを勧めてきた。
『お前もたまにはフィールドワークをしてきたらどうだ?』
現場に出向いて調査してこい──というのだ。
教授や先輩は研究と称して、日本どころか世界の果てでも飛んでいく人たちだが、信一郎はあまり遠出をしたことがない。
時期は夏真っ盛り、講義もないので信一郎も暇ではある。
だが──この酷暑に出掛けたいとは思わない。
やんわり断ろうとしたら、先輩のアイアンクローが飛んできた。
『悪いことは言わん、外で経験を積んでこい──な?』
さもなきゃ頭蓋骨を割るぞ、と脅迫されたのだ。
結局、この夏の間にフィールドワークへ行くことを約束させられたのだが、その際に先輩から題材をひとつ授けられていた。
『樹木子について調べて来い』
樹木子──妖怪化した樹木である。
多くの死者を出した戦場跡に生える木が、戦死者の怨念に塗れた血を吸って妖怪になったものとだ言い伝えられている。血の味を知ってしまったので、人間をその枝で捕らえて血を吸うという。
だが──そんな妖怪はどの文献にも載ってない。
資料や民間伝承にも、この妖怪に関するものはひとつもない。
話だけを聞けばいかにもありそうなものだから、創作されたものが独り歩きしてしまったのだろう。それが研究者たちの見解である。
そんな曖昧な話を調べたくない、という反論は封殺された。
『火のない所に煙は立たん。樹木子は創作だと言われているが、雛形とされた伝説がどこかにあるかも知れない。ならば調べるのも一興だろう』
ちなみにアイアンクローは継続中、信一郎はNOと言えない日本人。
こうなると脅迫というより強制執行である。
途方に暮れて家に帰り、居候の幽谷響に愚痴をこぼした。
すると幽谷響は──。
『樹木子? ああ、聞いたことがありやすねえ。そのようなお話を』
あっさり手掛かりが見つかってしまった。
そこから先の展開は成り行きのままである。暇を持て余していた幽谷響に道案内をさせて、こうして四国の山奥までやってきたのだ。
そして現在──山中で道に迷っていた。
幽谷響が『樹木子のような話が伝わっている』という村は、四国のとある山麓にあるそうなのだが、その辺りには過疎化した村が点在していた。
いくつかの村で聞き取り調査をして、ようやくそれと思しき村に当たりを付けたはいいが、行けども行けども草いきれに埋もれた山道ばかり。
山歩きは重労働、それでなくとも暑さが体力を奪っていく。
都会暮らしの信一郎はすぐに根を挙げてしまい、旅慣れている幽谷響ですら疲労の色を隠せず、一休みしようと提案するほどだった。
途中、枝振りがいい山桜があったのも幸いした。
信一郎はその木陰に仰向けに倒れ、幽谷響は根元へと腰を下ろす。
そこから──五分ぐらい経っただろうか。
下草に寝転がっていた信一郎は、ブツブツと呟き始める。
「大体、樹木子の伝説なんてあるわけないよ……」
疲労感をまみれた声は、我ながら譫言のようだった。
「そりゃ樹木に関する話は多いさ。三十三間堂の棟木の由来とされる『木霊女房』のような異類婚姻譚、今昔物語に見られる『大木の秘密』……どれも樹木の神秘性を伝えるものばかりだ。それが怪異に転じることはあっても、人の血を吸う化物に変化するなんて……どう考えても有り得ないよ」
「そういうものでございやすか?」
幽谷響は手ぬぐいで汗を拭きつつ相づちを打ってきた。
「そうだよ……人間は樹木を信仰の対象としてきたんだから……」
遙か太古より──人々は偉大な木を崇拝した。
北欧神話では神々と全ての生命の拠り所とした世界樹『イグドラシル』が伝えられている。中国神話には扶桑という巨木があり、数千年周期で繁栄と落葉を繰り返した。他にも建木と呼ばれる大樹は世界の中心にあり、神々が天と地を行き来するハシゴとして利用していたとされている。
日本にも筑後、大阪、千葉県、そして富士山の麓に巨木が生えていたという伝承や昔話が伝えられている。探せば探すほど出てきそうだ。
「ほう、伝承を手繰れば色々と出てくるものでございやすねえ」
「……でも、それだけじゃない。昔から巨木信仰というものはあったんだ。青森の三内丸山遺跡などの縄文遺跡では、全長二十メートル程の巨木を支柱に立てられていた痕跡が見付かってるんだ」
「そりゃあ権力者の宮殿じゃないんでやすかい?」
その意見がもっともだ。大半の学者がそういう仮説を挙げた。
「うん、他にも太陽の観測台とか物見櫓じゃないかって説がある。だけど、それらの施設にしては大仰すぎるんだよ」
「では……重要な祭祀に関する施設」
「そう考えた方がおかしくないだろうね」
察しの良い幽谷響に、信一郎は仰向けのまま頷いた。
「有名な諏訪大社の御柱祭だって、人力で巨木の柱を運び、それを垂直に立てるために数百人の男たちが命懸けで行う祭りだ。古代の人間をそこまで駆り立てるのは、やはり信仰による力だろう。これも樹木信仰の名残なんだろう。そして、その流れは編纂された日本神話にも窺える」
そのような筋で教授は論文をまとめていた。
「日本で神様を数える時は一柱、二柱と数える。国産みの父母神である伊邪那岐と伊邪那美が神婚を交わしたのは天之御柱。この時代の柱ならば、間違いなく大木のことだろう。それに天地開闢に現れた造化三神の一人であり、天尊降臨に関わった高御産巣日神。この神は高木の神とも呼ばれている……」
神と木にまつわる話は枚挙に暇がない。
「そうやって考えると、つくづく木尽くしでございやすね」
頭上を窺えば、山桜の青葉が日光を遮ってくれる。
穏やかな風に枝葉が揺れて、そよ風が火照った身体を冷やしてくれた。
「そうさ……初めに木があったんだ」
木陰に感謝しつつ、信一郎は深緑を見上げた。
「特に日本人は木を大事にしてきた民族だ。切ろうとすれば祟られる、なんて話は数あれど、化物扱いするような話はあんまりない、細かく探せばなくはないだろうけど……やっぱり樹木子は作り話だよ」
信一郎は寝転がったまま幽谷響へと顔を向ける。
「そもそも、君が耳にしたっていう話はどんなのだったっけ?」
「拙僧も人伝に聞いただけでやすからねえ……」
ある山中に──大きな桜の木が生えている。
この桜の根元には何百人もの死者が眠っており、その養分を吸って成長した桜は凄まじい色の華を咲かせる。そして、桜は今でも血を欲しているのか、人を招いては根元で死ぬように仕向ける……。
──そんな話だとか。
「『桜の下には死体が埋まっているから良い色で華が咲く』ってのは、有名な俗説でやすが、それを顕著に物語っている話も珍しいのでは?」
「まあね……でも、死を呼ぶ桜なんて今時じゃ怪談ネタにもならないな」
「そればっかりは先生が調査して判断すべきことでやしょう」
幽谷響の言葉は信一郎にしてみれば藪蛇である。
「……無事に現地へ辿り着ければね」
幽谷響から顔を背けて、信一郎は不貞寝するみたいに転がった。
一休みできた安堵から忘れていたが、信一郎たちは何処とも知れぬ山中で道に迷っているのだ。いや、これはもう遭難と言うべきかも知れない。
「……ま、もう少し粘ってみましょうや」
「それは無理だね。まだ日が高いようだけど、そろそろ日が暮れるよ」
時計の針はもうすぐ六時を指そうとしていた。
「粘るには時間が足りないし、今から麓の町まで取って返すのも無理っぽい。どうするにせよ、野宿するか遭難するしかないよ……」
「そんな悲観的な二択を選ばずとも……なに、どうとでも道は開けやしょう」
「君こそ楽観的だよ。あぁ、先輩の命令なんか聞いたばっかりに……このまま遭難したら先輩を呪ってやろう……いや、無理だな。先輩は元より教授も祟りや呪いで死ぬようなタマじゃないし……」
「……いったい、どんなお歴々でございやすか?」
あの二人は魔道師でもないのに異常なのだ。尋常な存在ではない。
そこら辺を語ろうとした時、幽谷響の耳が動いた。
「──車の音でやす!」
「ほ、本当かい、幽谷響!?」
救いの手を予感して、信一郎はガバリと跳ね起きた。
幽谷響は山道の登る方面に視線を向ける。
「間違いありやせん。軽トラック一台、運転手は初老の男性、時速四十~五十キロ程度で降りてきやす。ここまで十分もかかりやせんぜ」
遠くで走る車の速度どころか、車種や運転手まで言い当てた。
それは幽谷響が『音』に卓越した魔道師だからだ。
魔道師──六道輪廻の輪から堕ち、我が道を突き進む求道者たち。
魔道師は己の道を極めるため、常軌を逸した能力を開発させる。天候を意のままにする者もいれば、時間に干渉する者までいるという。
この世どころかあの世の音色さえ操れる、と豪語する幽谷響ならば、百キロ先の音であろうとも聞き分けるだろう。
「どうしやす、車を停めて道を訊きやすか? それとも……」
「勿論、麓の町までヒッチハイクを頼む!」
この度の主導権を持つ信一郎は帰る気満々、幽谷響も異は唱えまい。
「では先生が呼び止めてくだせえ。チンクシャの拙僧だとドライバーさんに見つけてもらえないかもしれやせんからね。見目麗しい先生がヒッチハイクすれば、女性と勘違いした運転手が助平心を出して停まってくれそうですしね」
幽谷響の口ずさんだ皮肉に、信一郎はポンと手を打った。
「ああ、その手があったか」
信一郎もまた魔道師だ──『木魂』と呼ばれている。
その異能は、あらゆる生命の操作にあった。
信一郎は、『木魂』の能力を自分の肉体に使った。
元より女性とよく間違えられる顔が、更に女性的に洗練されていく。
──それだけではない。
撫で肩だった肩はより柔らかく、細い腰回りも括れていく。最初から薄い胸板は更に薄くなり、脂肪の層が半球状に迫り上がって豊かな乳房を形成する。
骨盤も広がって尻回りの肉付きが良くなった。
信一郎は──自分の肉体は女性へと変化させたのだ。
「ククク……並みの男なら、このナイスバディを無視して通り過ぎれまい」
「車を停める為にそこまでしやすか……?」
呆れる幽谷響に、信一郎は疲れ切った笑顔で振り向いた。
「こうなれば背に腹は変えられないよ……媚びを売ろうが体を売ろうが、何としてでも停めてやる……そして、東京に帰るんだ……フフフ……」
「……本気でございやすね」
猛暑と疲労により信一郎は追い詰められていた。
──信一郎は女に間違われるのを嫌う。
だから自分を女体化させるこの技は進んで使うものじゃない。だが、早く帰りたいという一念に突き動かされている今の信一郎は、女体化を厭わなかった。
車のエンジン音が信一郎の耳にも届く位置にまで迫る。
女体化した信一郎は木陰から出て、営業スマイルで手を挙げた。
軽トラックは信一郎の姿を認めると速度を緩める。
10メートルくらい手前で停まってくれた。
全開の窓から笑顔で身を乗り出すのは、初老の農夫らしき男性。
てっきり乗せてくれるのかと思いきや、急に化け物でも見たかのように脅えた顔になり、車に引っ込んで全速力で逃げ去ってしまった。
なんとなく、女としての自尊心を傷付けられたような気がした。
一方、幽谷響は明後日の方向を見上げて口笛を吹いている。
「……愛想笑いのつもりだったんでやすがねえ」
きっと、あの農夫の目にはバケモノにでも映ったのだろう。
ギタリ、と禍々しく微笑む幽谷響の笑顔が──。
幽谷響はばつが悪そうに、信一郎に気付かれぬよう小声で呟いた。
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