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第四夜 びしゃがつく
第2話 夜道の怪
しおりを挟む後塚恭子は夕暮れ時の帰り道を歩いていた。
高校時代は部活で遅くなっても暗い道を平気で帰っていたはずだ。
なのに何故、大学生になってから怖がる必要があるのだろう?
自分でも不思議でしょうがない。
彼女は大学に通う傍ら花屋のバイトをしているのだが、そのバイトで遅いシフトを割り当てられた日は、どうしても帰りが遅くなってしまう。
家に帰るまでの我慢──そう心に言い聞かせ、急ぎ歩きで進む。
振り返っても誰もいないのに、黒い影がついてきているような気がする。
くだらない妄想なのに、その妄想を打ち払えなかった。
いつしか前に進む足が立ち止まっている。
そして、恐る恐ると振り返る。
当然、誰もいない──いるわけがない。
ほんの少しの安堵、それに反比例する大きな溜息をついた。
気を取り直して歩き出した瞬間、恭子はその場から動けなくなった。
──ビシャ。
そう、確かに聞こえたのだ。
自分の歩いているのは乾いたアスファルトの道路。
水溜まりに踏み込んだような足音が響くなんてあるはずがない。
悪夢が具現化した瞬間、恭子は動けなくなってしまった。
またあの足音が響いたら──ありえない恐怖を想像してしまう。
前へも後へも踏み出せない。右へも左でも行けない。
得体の知れない恐怖に脅える精神では現状に太刀打ちできない。ただ混乱と錯乱する思いに身も心も震えるだけだ。
──その時、澄んだ鈴の音が響いた。
夏の微風に鳴る風鈴よりも気高く、涼秋を偲ばせる鐘の音よりも重い。
「往くも適わず、退くも適わず……で、ございやすな」
奇妙な男の声が響いた。
若輩のようでありながら年配、年齢を掴ませない異質な声だ。
シャリン、と複数の金属の輪が鳴る音に恭子は顔を上げた。
目の前にある電柱に取り付けられた街灯、その光をスポットライトのように浴びる一人の男が佇んでいた。
笠を被って錫杖を携え、墨染め衣みたいなたお坊さんの格好をしているが、子供ぐらいの上背しかない小男だ。
「道は長く、どこまでも続くもの──しかし、果てはございやす」
数珠を擦り鳴らす音がする。
「無上の悦楽を味わえる天上の道すらも無常の果てがあり、終わりなき責め苦を強いる地獄の道にすら出獄の果てがございやす。増してそれらの道の寸分にも値しない人間の道など果てはいつでも目前にありやしょう。保って百年……そんなものでございやすかね」
粘り着く泥濘のような声、それを恭子は正面から浴びせられた。
「なればこそ、人は道を往くことを怠ってはいけやせん」
背筋と身体の芯、その両方に凍み入るような寒気が這い上がってくる。
──この人の声は怖い。
このまま言葉を浴び続ければ、自分が根底から崩されそうで恐ろしかった。
直感的にそう感じた恭子は、身体を捻って背後に振り返った。
「道を退くのも宜しいでしょう。しかし、逃げるならば果てまで逃げるお覚悟を」
恭子は凍り付いた。
背後の街灯の下──そこにも小男が立っていたのだ。
「道を進むのも宜しいでしょう。ですが、往くならば恐怖を踏み越えるお覚悟を」
前方へと顔を戻せば、やはり小男はそこにいる。
恐怖に翻弄されていた恭子に、この現象を受け入れるだけの冷静さはない。
戸惑いのあまり足下がすくむ恭子に、小男は微笑んだ。
地獄の鬼でも死神でも、ここまでおぞましい笑みは浮かべまい。
「往くも適わず、退くも適わず……いつまでもそこに立ち止まるおつもりのようでございやすな。ならば貴女様の道はそこで潰える運命なのでございやしょう」
即ち──ここが道の果て。
「引導を渡して差し上げるのが、道の先達たる拙僧の情けでございやす」
小男は禍々しくもおどろおどろしく呟いた。
アスファルトを抉る錫杖、夜の帳を掻き乱す数珠の擦り合う音色、心臓の高鳴りを加速させる鈴の音。
音の波紋が何重にも重なっていく。
恭子は不可思議な音の波に蝕まれていった。
ほとんどの感情が失せ、自分の中身が恐怖だけで塗り潰されていく。
その寸前──救いが差し伸べられた。
「あの、大丈夫かい?」
耳に届いた穏やかな声。肩に乗せられた柔らかい掌。
二つの刺激が恭子に我を取り戻させると、嘘のように恐怖が消えていた。
気付けば、あの怪しい小男も消え失せている。
幻覚──惑わされていたのだろうか?
しかし、恭子の精神が何らかの重圧から解放されたのは事実だ。
強張っていた手足から力が抜け、恭子はその場に足許から崩れていった。
「道の真ん中で立ち尽くしてたからさ……どこか調子でも悪いの?」
放心する恭子を心配して、その人物は声を掛けてくれた。
夜目にも美人──それが彼女に相応しい言葉だった。
中性的で凛々しい顔立ち、スラリと線は細いが痩せているわけではない。
タイトな黒いスーツは豊かなバストを包み込めず、谷間がはみ出していた。
しなやかで細いウェスト、形もサイズも素晴らしいヒップを際立たせ、メリハリのある肢体をしっかりと強調している。
身体に合わない男物のスーツを無理やり着込んでいるような……どこか奇妙な着こなしだ。腰まで届く黒髪も、その艶やかさに夜でも輝きを帯びている。
「もし立てないようなら救急車を呼んだ方がいいかな?」
そこまで気遣ってくれる黒服の美女に、恭子は慌てて手を振った。
「い、いえ、大丈夫です。ちょっと眩暈がして……あっ」
立ち上がろうとしたが足腰に力が入らず、恭子は膝から砕けてしまった。
「……大丈夫そうじゃないね」
男性みたいな口調、美女はそう言って嘆息した。
仕方ない、と美女は小声で呟いた。
彼女は恭子の横にしゃがむと背中に手を回し、一息で恭子を抱き上げる。
俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
この黒服の女性──意外に力持ちらしい。
「家はこの近く? なら送っていくよ」
突然の出来事に狼狽える恭子だが、つい頷いて小さく「はい」と答えていた。
恭子に道案内を頼んだ彼女は、スタスタと歩き始める。
男前な彼女に抱き上げられ、恭子はそのまま送ってもらうことになった。
二人が立ち去った後、路地裏の奥の闇に浮かんだ怪しい輝き。
「ちと不自然でやすが……ま、いいでしょう」
闇の彼方、大きな口がニイッと歯を剥いて笑った。
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