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第2話:クリスマス電話
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12月24日。
午後9時。
予定通り、一人でスーパーの半額ケーキを食べていた。
閉店間際のスーパ-で勝ち取った戦利品だ。
元値450円のイチゴショートが、半額シールを貼られて225円。
このシールの輝きだけが、私のクリスマスのイルミネーションだ。
「半額」という文字には、哀愁と同時にお得感という小さな幸せが詰まっている。
そう信じ込まないとやってられない。
テレビでは音楽番組の特番が流れている。
毎年恒例のやつだ。
若いアイドルグループが、白い衣装を着て「恋人がサンタクロース」を歌っている。
笑顔が眩しい。
肌がピチピチだ。
「恋人はサンタクロース~♪」
……嘘をつけ。
今の時代、恋人はサンタじゃなくて、ただのATMか、もしくはマッチングアプリの中にいる架空の存在、あるいは推しのアイドルだろ。
画面の中の彼女たちを見ていると、自分が別世界の住人のように思えてくる。
あっちが光の世界なら、こっちは闇の世界。
いや、闇というか、生活感という名の澱みが溜まった沼だ。
フォークでクリームを掬う。
時間が経っているせいか、少しクリームが硬くなっている気がする。
口に入れると、安っぽい油脂の味が広がった。
甘い。
とにかく甘い。
胸焼けしそうな甘さだ。
イチゴも小さいし、酸っぱいし、断面が少し乾いている。
「……まず」
思わず本音が漏れる。
一人で食べるケーキなんて、こんなもんだ。
誰かと「美味しいね」って言い合うから美味しいのであって、一人で無表情で摂取する糖分は、ただのカロリーの塊でしかない。
『ブーブー、ブーブー』
突然、テーブルの上のスマホが震えた。
バイブ音がテーブルに共鳴して、やけに大きな音を立てる。
ビクッとしてフォークを落としそうになった。
なんだ?
またマツキヨのポイント5倍か?
それともユニクロの歳末セールか?
どうせ企業からのダイレクトメールだろうと思って無視しようとしたけど、画面が光り続けている。
着信画面が表示されていた。
『山本』。
……は?
山本?
元同僚で、腐れ縁で、同い年の独身男。
なんでコイツから?
間違い電話か?
画面を見つめたまま、数秒固まる。
出るべきか、出ないべきか。
この聖なる夜に、よりによって山本と話すなんて、私のランクがさらに下がる気がする。
でも、無視するほど嫌いでもないし、正直に言えば、誰かの声を聞きたいという寂しさが、心のシールドを弱くしていた。
「……もしもし」
生クリームが少し口の端についたまま、電話に出た。
声が低くならないように気をつけたつもりだけど、やっぱり不機嫌そうな声になった。
「おう、生きてるか?」
第一声がそれかよ。
相変わらずデリカシーのない男だ。
背後からガヤガヤした音が聞こえる。
食器のぶつかる音、笑い声、店員の声。
どこかの居酒屋だろうか。
「生きてるよ。死んでたら電話出ないでしょ」
「そりゃそうだな。メリークリスマス」
「……何それ。嫌味?」
「いや、俺も今一人だからさ。寂しくて電話した」
嘘をつけ。
後ろの声、どう聞いても大人数で飲んでるじゃん。
「嘘つき。飲んでるんでしょ、どうせ」
「あー……いや、これは職場の忘年会。強制参加のやつ」
「ふーん。リア充じゃん」
「違うわ。見てみろよ今の時間。俺だけ浮いてるからトイレに逃げてきたんだよ」
「トイレ?」
「そう。個室。ここが一番落ち着く」
……想像したら、ちょっと笑ってしまった。
クリスマスイブの夜9時に、居酒屋のトイレの個室に閉じこもって、元同僚の女に電話かけてくる32歳男。
終わってる。
私より終わってるかもしれない。
「惨めだね」
「お互い様な」
山本はサラッと言った。
否定しないところがこいつらしい。
山本とは、会社が一緒だった頃からの付き合いだ。
今は転職して別の会社にいるけど、たまにこうやって連絡が来る。
別に付き合ったこともないし、恋愛感情もない。
ただ、お互いの黒歴史(新入社員時代の失敗とか、泥酔して吐いたこととか)を知り尽くしてるから、妙に楽な相手ではある。
「お前、今何してんの?」
「ケーキ食べてる」
「……一人で?」
「悪い?」
「いや、いいと思う。クリボッチの鑑だな」
「うるさい」
フォークでケーキのスポンジを突っつく。
「俺もさっき、トイレの個室で、支給されたクリスマスケーキ食べたわ」
「え?」
「会社がくれたやつ。一口サイズのショートケーキ。みんな表で食ってたけど、俺は居場所ないから持ってきてさ」
便所飯かよ。
32歳にもなって。
しかもクリスマスケーキを。
「何それ、汚い」
「うるせー。衛生面は気にしてねぇよ。甘かったわー、色んな意味で」
「……バカじゃないの」
こみ上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。
私のアパートの薄暗い部屋と、山本のいる居酒屋のトイレ。
場所は違うけど、やってることは同じだ。
「これでお揃いだな」
「一緒にするな。私はちゃんと部屋で食べてるし」
「質としては大差ねぇよ」
会話が続かない。
でも、切る理由もない。
沈黙が流れるけど、不思議と苦痛じゃない。
テレビから流れるアイドルの歌声よりも、電話の向こうの換気扇の音の方が、今は心地いいと感じてしまう自分がいる。
ふと、電話の向こうから、誰かが遠くで呼ぶ声が聞こえた。
「山本さーん、どこすかー? 生きてますかー?」
若い社員の声だろうか。
「……呼ばれてるよ」
「ああ……聞こえてる。戻りたくねぇ」
「戻りなよ。社会人でしょ」
「行きたくねぇなぁ……このままここに住みてぇ」
「トイレの住人になる気?」
「それもありかもな。ここなら誰にも気を使わなくていいし」
ため息交じりの声。
こいつも疲れてるんだな。
社会の歯車として、気をすり減らして生きてるんだな。
そう思うと、少しだけ優しくなれた気がした。
「ほら、行きなよ。探されるよ」
「……へいへい。分かったよ」
衣擦れの音がして、山本が立ち上がったのが分かった。
「じゃあな。良いお年を」
「うん、そっちも。飲み過ぎないでね」
「おう」
『プツッ』
通話が切れた。
部屋が急に静かになる。
さっきまでの静寂とは違う、少し温度のある静けさ。
テレビの音だけが、空虚に響いている。
「……良いお年を、か」
まだクリスマスも終わってないのに。
でも、その素っ気ない挨拶が、妙に心地よかった。
「メリークリスマス」なんて浮かれた言葉より、よっぽど私たちには似合ってる。
「共犯者」同士の合言葉みたいだ。
残りのケーキを見る。
イチゴが一つ、転がっている。
フォークで刺して、口に放り込む。
やっぱり甘すぎて、酸っぱくて、少し胃がムカムカした。
でもさっきよりは、少しだけ美味しく感じたかもしれない。
気のせいかもしれないけど。
(つづく)
午後9時。
予定通り、一人でスーパーの半額ケーキを食べていた。
閉店間際のスーパ-で勝ち取った戦利品だ。
元値450円のイチゴショートが、半額シールを貼られて225円。
このシールの輝きだけが、私のクリスマスのイルミネーションだ。
「半額」という文字には、哀愁と同時にお得感という小さな幸せが詰まっている。
そう信じ込まないとやってられない。
テレビでは音楽番組の特番が流れている。
毎年恒例のやつだ。
若いアイドルグループが、白い衣装を着て「恋人がサンタクロース」を歌っている。
笑顔が眩しい。
肌がピチピチだ。
「恋人はサンタクロース~♪」
……嘘をつけ。
今の時代、恋人はサンタじゃなくて、ただのATMか、もしくはマッチングアプリの中にいる架空の存在、あるいは推しのアイドルだろ。
画面の中の彼女たちを見ていると、自分が別世界の住人のように思えてくる。
あっちが光の世界なら、こっちは闇の世界。
いや、闇というか、生活感という名の澱みが溜まった沼だ。
フォークでクリームを掬う。
時間が経っているせいか、少しクリームが硬くなっている気がする。
口に入れると、安っぽい油脂の味が広がった。
甘い。
とにかく甘い。
胸焼けしそうな甘さだ。
イチゴも小さいし、酸っぱいし、断面が少し乾いている。
「……まず」
思わず本音が漏れる。
一人で食べるケーキなんて、こんなもんだ。
誰かと「美味しいね」って言い合うから美味しいのであって、一人で無表情で摂取する糖分は、ただのカロリーの塊でしかない。
『ブーブー、ブーブー』
突然、テーブルの上のスマホが震えた。
バイブ音がテーブルに共鳴して、やけに大きな音を立てる。
ビクッとしてフォークを落としそうになった。
なんだ?
またマツキヨのポイント5倍か?
それともユニクロの歳末セールか?
どうせ企業からのダイレクトメールだろうと思って無視しようとしたけど、画面が光り続けている。
着信画面が表示されていた。
『山本』。
……は?
山本?
元同僚で、腐れ縁で、同い年の独身男。
なんでコイツから?
間違い電話か?
画面を見つめたまま、数秒固まる。
出るべきか、出ないべきか。
この聖なる夜に、よりによって山本と話すなんて、私のランクがさらに下がる気がする。
でも、無視するほど嫌いでもないし、正直に言えば、誰かの声を聞きたいという寂しさが、心のシールドを弱くしていた。
「……もしもし」
生クリームが少し口の端についたまま、電話に出た。
声が低くならないように気をつけたつもりだけど、やっぱり不機嫌そうな声になった。
「おう、生きてるか?」
第一声がそれかよ。
相変わらずデリカシーのない男だ。
背後からガヤガヤした音が聞こえる。
食器のぶつかる音、笑い声、店員の声。
どこかの居酒屋だろうか。
「生きてるよ。死んでたら電話出ないでしょ」
「そりゃそうだな。メリークリスマス」
「……何それ。嫌味?」
「いや、俺も今一人だからさ。寂しくて電話した」
嘘をつけ。
後ろの声、どう聞いても大人数で飲んでるじゃん。
「嘘つき。飲んでるんでしょ、どうせ」
「あー……いや、これは職場の忘年会。強制参加のやつ」
「ふーん。リア充じゃん」
「違うわ。見てみろよ今の時間。俺だけ浮いてるからトイレに逃げてきたんだよ」
「トイレ?」
「そう。個室。ここが一番落ち着く」
……想像したら、ちょっと笑ってしまった。
クリスマスイブの夜9時に、居酒屋のトイレの個室に閉じこもって、元同僚の女に電話かけてくる32歳男。
終わってる。
私より終わってるかもしれない。
「惨めだね」
「お互い様な」
山本はサラッと言った。
否定しないところがこいつらしい。
山本とは、会社が一緒だった頃からの付き合いだ。
今は転職して別の会社にいるけど、たまにこうやって連絡が来る。
別に付き合ったこともないし、恋愛感情もない。
ただ、お互いの黒歴史(新入社員時代の失敗とか、泥酔して吐いたこととか)を知り尽くしてるから、妙に楽な相手ではある。
「お前、今何してんの?」
「ケーキ食べてる」
「……一人で?」
「悪い?」
「いや、いいと思う。クリボッチの鑑だな」
「うるさい」
フォークでケーキのスポンジを突っつく。
「俺もさっき、トイレの個室で、支給されたクリスマスケーキ食べたわ」
「え?」
「会社がくれたやつ。一口サイズのショートケーキ。みんな表で食ってたけど、俺は居場所ないから持ってきてさ」
便所飯かよ。
32歳にもなって。
しかもクリスマスケーキを。
「何それ、汚い」
「うるせー。衛生面は気にしてねぇよ。甘かったわー、色んな意味で」
「……バカじゃないの」
こみ上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。
私のアパートの薄暗い部屋と、山本のいる居酒屋のトイレ。
場所は違うけど、やってることは同じだ。
「これでお揃いだな」
「一緒にするな。私はちゃんと部屋で食べてるし」
「質としては大差ねぇよ」
会話が続かない。
でも、切る理由もない。
沈黙が流れるけど、不思議と苦痛じゃない。
テレビから流れるアイドルの歌声よりも、電話の向こうの換気扇の音の方が、今は心地いいと感じてしまう自分がいる。
ふと、電話の向こうから、誰かが遠くで呼ぶ声が聞こえた。
「山本さーん、どこすかー? 生きてますかー?」
若い社員の声だろうか。
「……呼ばれてるよ」
「ああ……聞こえてる。戻りたくねぇ」
「戻りなよ。社会人でしょ」
「行きたくねぇなぁ……このままここに住みてぇ」
「トイレの住人になる気?」
「それもありかもな。ここなら誰にも気を使わなくていいし」
ため息交じりの声。
こいつも疲れてるんだな。
社会の歯車として、気をすり減らして生きてるんだな。
そう思うと、少しだけ優しくなれた気がした。
「ほら、行きなよ。探されるよ」
「……へいへい。分かったよ」
衣擦れの音がして、山本が立ち上がったのが分かった。
「じゃあな。良いお年を」
「うん、そっちも。飲み過ぎないでね」
「おう」
『プツッ』
通話が切れた。
部屋が急に静かになる。
さっきまでの静寂とは違う、少し温度のある静けさ。
テレビの音だけが、空虚に響いている。
「……良いお年を、か」
まだクリスマスも終わってないのに。
でも、その素っ気ない挨拶が、妙に心地よかった。
「メリークリスマス」なんて浮かれた言葉より、よっぽど私たちには似合ってる。
「共犯者」同士の合言葉みたいだ。
残りのケーキを見る。
イチゴが一つ、転がっている。
フォークで刺して、口に放り込む。
やっぱり甘すぎて、酸っぱくて、少し胃がムカムカした。
でもさっきよりは、少しだけ美味しく感じたかもしれない。
気のせいかもしれないけど。
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