【短編】暮れの共犯者

月下花音

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第1話:通知ゼロのイブ前

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 12月23日。
 午後11時半。
 スマホの画面を見る。
 通知ゼロ。

 まあ、想定内だ。
 分かってたことだけど、改めて突きつけられると、ボディブローのようにじわじわ効いてくる。
 明日はクリスマスイブ。
 世間一般では「恋人たちの聖なる夜」とか言われてるけど、私には関係ない。
 32歳、独身、彼氏なし。
 この三連コンボが決まりすぎてて、もはや清々しさすら感じるレベルだ。
 最後に彼氏がいたのっていつだっけ?
 思い出すのも面倒くさいけど、確か3年前か4年前。
 いや、もっと前かもしれない。
 五輪周期並みっていうか、もはやワールドカップの方に近い。
 カタール大会の時はまだ希望があった気がするけど、次の北米大会までには結婚できてるんだろうか。
 いや、無理だな。
 今のままだと、スタメン落ちどころか予選敗退確実だ。

 ベッドに寝転がって、天井のシミを見つめる。
 このアパートに住んでもう5年。
 最初は「結婚資金貯めるまでの仮住まい」のつもりだったのに、気づけば更新料を2回も払ってる。
 更新のたびに不動産屋の担当者が微妙に気まずそうな顔をするのが腹立つ。
「まだいたんですか」みたいな顔しやがって。
 こっちだって好きで住んでるわけじゃない。
 出て行く理由がないから住んでるだけだ。
 家賃は安いけど、壁が薄いし、上の階の足音がうるさいし、夏は灼熱で冬は極寒。
 まさに独身の墓場みたいな部屋だ。

 ため息をつきながら、SNSのアイコンをタップする。
 これが毎晩の日課。
「他人の不幸は蜜の味」なんて言うけど、今の私には「他人の幸せは猛毒」だ。
 地獄への入り口だと分かっているのに、指が勝手に動いてしまう。
 中毒かよ。

 一番上に出てきたのは、ミカの投稿。
『旦那さんと早めのクリスマスディナー♡』
 写真には、どう見ても高そうなフレンチのコース料理。
 キャビアとかフォアグラとか、そういう「痛風セット」みたいな食材が並んでる。
 キャプションには『結婚して初めてのクリスマス! 幸せすぎて怖い(笑)』とか書いてあって、ハッシュタグがまたウザい。
 #クリスマス #フレンチ #旦那大好き #幸せ #感謝
 ……感謝って誰にしてんの?
 神様? それともフォアグラになったガチョウ?
 羨ましいとか通り越して、もはや「胃もたれしそう」としか思えない私は、確実に心が枯れてる。
 いや、正確には羨ましいんだと思う。
 悔しいから認めないだけで。

 スクロールする指が止まる。
 次はサヤカの投稿。
『サンタさん来るかな? 欲しいものリスト作っちゃった(笑)』
 匂わせだ。
 完全に匂わせ投稿だ。
 背景に見切れてるブランドの紙袋とか、意味深な指輪の絵文字とか、もう「彼氏いますアピール」が露骨すぎて吐き気がする。
 来るわけないだろ、サンタなんて。
 来るのはAmazonの配送員と、あとせいぜいNHKの集金くらいだ。
 現実を見ろ、現実を。
 ……って心の中で毒づいてる自分が一番現実逃避してることに気づいて、スマホを投げ捨てたくなった。

『ピロン』

 その時、通知音が鳴った。
 心臓が少し跳ねる。
 え、嘘。
 まさか、誰かからのお誘い?
 このタイミングで?
 もしかして、あの合コンで知り合った商社マン?
 それとも、先週なんとなく連絡先交換した取引先の人?
 一瞬でいろんな妄想が駆け巡る。
「いやいや、期待しちゃダメだ」って自分を戒めつつ、期待に震える指で画面を確認する。

『マツモトキヨシ:今週末はポイント10倍!』

 ……死ね。
 マツキヨ、お前だけは許さない。
 いや、マツキヨは悪くない。
 悪いのは、その通知音に過剰な期待を抱いた私の脳みそだ。
 10倍だろうが5倍だろうが、今の私が必要なのは洗剤と柔軟剤と、あとトイレットペーパーのストックだけだ。
 生活感ありすぎて泣けてくる。
 クリスマスにポイント10倍セールやってるドラッグストアに吸い寄せられる独身女の群れが見えるようだ。
 私もその一員か。
 悲しい連帯感。

「……はぁ」
 深いため息をつくと、部屋の空気が余計に冷たく感じた。
 暖房つけてるのに寒い。
 このエアコン、効きが悪すぎるんだよな。
 フィルター掃除してないからかもしれないけど、やる気起きないし。
 そういえば換気扇もカタカタ鳴ってる。
 入居した時から調子悪いんだけど、修理頼まなきゃいけないのに放置してる。
 業者が部屋に入るのが嫌だからだ。
 散らかってるし、下着とか干したままだし、なんとなく「男の生活感がない部屋」を見られるのが恥ずかしいっていう謎の自意識が働いてしまう。
 誰も来ない部屋なのに。
 片付けるモチベーションも上がらないから、埃は溜まる一方だし、観葉植物は枯れかけてるし、まさに私の心象風景そのものだ。

 ふと、ホーム画面の端っこに追いやられたマッチングアプリのアイコンが目に入った。
 3ヶ月前に入れたやつ。
『運命の相手と出会おう』みたいなキャッチコピーに釣られて、3000円くらい課金したっけ。
 でも、一度もマッチングしてない。
 いや、「いいね!」は来る。
 来るには来るんだけど、そのラインナップが地獄だ。
 プロフ写真がゴルフ場のサングラスおじさんとか、筋肉自慢で乳首浮いてるタンクトップ姿の若者とか、あと車のハンドル握ってる自撮り(しかもキメ顔)とか。
 そんなのばっかり。
 私のこと、なんだと思ってるんだろ。
「このレベルならイケる」って思われてるのが透けて見えるのが一番ムカつく。
 私は「都合のいい女」にもなれない「需要のない女」なのか。
 市場価値の暴落っぷりにめまいがする。

 指先が冷たくなってきた。
 布団の中に手を引っ込める。
 毛布の感触だけが優しい。
 明日は土曜日。
 クリスマスイブ。
 世間は休みで、街はカップルで溢れかえって、ケンタッキーの前には行列ができて、ケーキ屋は戦場になる日。
 私の予定は……ない。
 いや、ある。
 大事な予定がある。
「一人で半額になったケーキを食べて、明石家サンタを見て他人の不幸を笑う」という、32歳の正しいクリスマスの過ごし方が。
 これは負け惜しみじゃない。
 伝統芸能だ。
 一種の儀式みたいなもんだ。
 そう自分に言い聞かせないと、心が折れてしまいそうになる。

 スマホを充電器に繋ぐ。
 画面が消えて、真っ暗なディスプレイに自分の顔が反射して映る。
 疲れてる。
 目の下のクマがひどい。
 コンシーラーで隠しきれないレベルになってきてる。
 目尻のシワも増えた気がするし、ほうれい線も深くなってる。
 アンチエイジングのクリーム塗らなきゃって思うけど、塗ったところで見せる相手もいないしなって思うと、手が止まる。
 悪循環だ。

 明日はゆっくり寝よう。
 昼まで、いや夕方まで寝てよう。
 誰にも邪魔されず、誰にも期待せず、ただ泥のように眠る。
 それが一番幸せなことなんだって、無理やり納得させる。
 目覚まし時計のアラームを解除する。
 OFFの表示が、今の私の人生みたいで少し寂しい。

 目を閉じる。
 換気扇のカタカタいう音が、不規則なリズムで耳障りだ。
 マツキヨのポイント10倍か……。
 明日はトイレットペーパー買いに行こうかな。
 そんな生活感丸出しの予定を立てながら、私は眠りに落ちようとしていた。
 明日の朝、枕元に素敵なプレゼントが置いてある奇跡なんて起きないって、サンタクロースの正体が親だと知ったあの日から、ずっと知ってるから。

(つづく)
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