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第4話:大晦日カウントダウン
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12月31日。
大晦日。
街全体が浮足立っている。
すれ違う人たちの顔が、何か特別なことが起きるような期待に満ちていて、それが無性に腹立たしい。
私にとっては、ただの休日出勤の延長戦でしかない。
そもそも彼氏もいないのにカウントダウンとか、正気かよって思う。
「ハッピーニューイヤー!」なんて叫ぶ気力は、残業で全部使い果たした。
結局、成り行きで来てしまった。
彼が「いい店知ってるから」って言うからついてきたら、雑居ビルの地下にある薄暗い居酒屋だった。
入り口のドアノブがグラグラしてる時点で嫌な予感はしていた。
中に入ると、床は油でベタベタしていて、歩くたびに『ネチャッ』という不快な音が靴底から伝わってくる。
換気扇が壊れてるのか、煙草の煙が充満していて、入って5秒で目が痛くなった。
「ここ、隠れ家っぽくていいだろ?」
彼が得意げに言うけど、これただのボロ屋だし、隠れ家っていうか本当に世間から隠れてるだけじゃん。
保健所の検査通るのかよこれ。
心の中で盛大にツッコミを入れたけど、口には出さないでおく。
せっかく連れてきてくれたんだし、文句言って雰囲気壊すのも大人げない。
「……おう、飲むか」
彼がメニューを渡してくる。
ラミネート加工されたメニュー表は端っこが剥がれていて、誰かの手垢で少し黒ずんでいる。
指先が少し乾燥してて、ささくれ立ってるのが目に入った。
ハンドクリーム塗ればいいのに。
なんか急に現実に引き戻された気がした。
ビールを頼む。
運ばれてきたジョッキが少し欠けてて、洗ったばかりなのか生温かいのが最高に気持ち悪い。
キンキンに冷えてないビールなんて、炭酸の抜けたコーラと同じで存在価値がない。
周りはカップルだらけかと思いきや、意外にもオヤジのグループとか、職場の集まりみたいな人たちばかりだった。
ジャージ姿の人もいる。
ある意味、私たちの場違い感は薄れてるんだけど、それが逆に「私たちもこっち側の住人なんだな」って突きつけられてるみたいで、妙に居心地が悪い。
キラキラしたレストランでシャンパン飲んでる人たちとは、住む世界が違う。
底辺の連帯感みたいなものが、煙草の煙と一緒に漂っている。
「……でさ、俺の話聞いてる?」
彼が焼き鳥の串を回しながら聞いてくる。
タレが口の周りについてる。
拭けよ。
「聞いてるよ、部長のカツラの話でしょ? 風で飛んだってやつ」
「そうそう! デジャヴかと思ったわ」
聞いてない。
全く聞いてない。
頭の中では、家に帰って録画した『笑ってはいけない』を見ながら、一人でカップ麺をすする幸せな未来のことをずっと考えてた。
あっちの方がよっぽど生産的だよ。
今から帰っても間に合うかな。
『ブブブッ』
テーブルに置いてたスマホが震える。
ミカからのLINEだ。
『家族で温泉来てるよ~! 露天風呂最高♡』
添付された写真には、笑顔のミカと、人の好さそうな旦那さんと、ほっぺの赤い子供。
幸せの暴力だ。
直視できない。
子供が着てる浴衣、旅館の子供用サイズで可愛いなとか、旦那さんの腕にしてる時計ロレックスじゃね? とか、余計な情報が入ってきて脳味噌がショートしそうだ。
私が今いるこの薄暗い、油っぽい居酒屋との対比が残酷すぎる。
こっちは焼き鳥の串入れが一杯になってるっていうのに。
そっとスマホの画面を伏せて、見なかったことにした。
見なかったことにすれば、存在しないのと同じだ。
シュレーディンガーの幸せだ。
「……なぁ」
彼が急に真面目なトーンになるから嫌な予感がした。
案の定、酔っ払った目で私をじっと見てきて、なんか口説き文句でも言うのかと思ったら。
「お前の髪、白髪ね?」
「は?」
時が止まった。
「ここ。一本ある。すげー目立つ」
彼は親切心で言ってるつもりかもしれないけど、今言うことか?
最悪だ。
百年の恋も冷める(恋してないけど)。
32歳だからあってもおかしくないけど、デリカシーなさすぎて引くわ。
というか殺意すら湧くレベルなんだけど。
「……抜いてよ」
「え、いいの?」
「いいから抜いて。見たくない」
彼が不器用な手つきで私の髪をいじる。
「どこだ……あ、これか」
髪を掻き分けられる感触がなんかむず痒くて、でも不思議と嫌じゃなくて、むしろこのどうしようもない感じが今の私たちにはお似合いなのかもしれない。
ロマンチックなキスより、白髪抜きの方がリアルだ。
そう思えてきた自分が憎い。
「痛っ!」
「あ、わり。抜けた抜けた、ほら」
彼が見せてきた白髪は、店内の薄暗い照明の加減でキラキラ光ってて、それが私の輝きを失った青春の墓標みたいに見えた。
太くて、元気で、主張が激しい白髪。
私の体の一部だったものが、異物としてそこにある。
「……あけましておめでと」
いつの間にか年が明けてた。
店内の誰かが「あけおめー」って叫んだ声で気づいた。
カウントダウンもしないで、白髪抜いてる間に新年迎えるとか、どんな大晦日だよ。
悲劇を通り越して喜劇だ。
でも、まあこれも私らしいかって、不思議と諦めがついた。
「おめでと。今年もよろしく」
彼がニカっと笑う。
その歯に青海苔がついてて、指摘しようか迷ったけど、面倒くさいから黙っておくことにした。
お互い様だ。
白髪と青海苔。
これが私たちの「共犯関係」の始まりなのかもしれない。
(つづく)
大晦日。
街全体が浮足立っている。
すれ違う人たちの顔が、何か特別なことが起きるような期待に満ちていて、それが無性に腹立たしい。
私にとっては、ただの休日出勤の延長戦でしかない。
そもそも彼氏もいないのにカウントダウンとか、正気かよって思う。
「ハッピーニューイヤー!」なんて叫ぶ気力は、残業で全部使い果たした。
結局、成り行きで来てしまった。
彼が「いい店知ってるから」って言うからついてきたら、雑居ビルの地下にある薄暗い居酒屋だった。
入り口のドアノブがグラグラしてる時点で嫌な予感はしていた。
中に入ると、床は油でベタベタしていて、歩くたびに『ネチャッ』という不快な音が靴底から伝わってくる。
換気扇が壊れてるのか、煙草の煙が充満していて、入って5秒で目が痛くなった。
「ここ、隠れ家っぽくていいだろ?」
彼が得意げに言うけど、これただのボロ屋だし、隠れ家っていうか本当に世間から隠れてるだけじゃん。
保健所の検査通るのかよこれ。
心の中で盛大にツッコミを入れたけど、口には出さないでおく。
せっかく連れてきてくれたんだし、文句言って雰囲気壊すのも大人げない。
「……おう、飲むか」
彼がメニューを渡してくる。
ラミネート加工されたメニュー表は端っこが剥がれていて、誰かの手垢で少し黒ずんでいる。
指先が少し乾燥してて、ささくれ立ってるのが目に入った。
ハンドクリーム塗ればいいのに。
なんか急に現実に引き戻された気がした。
ビールを頼む。
運ばれてきたジョッキが少し欠けてて、洗ったばかりなのか生温かいのが最高に気持ち悪い。
キンキンに冷えてないビールなんて、炭酸の抜けたコーラと同じで存在価値がない。
周りはカップルだらけかと思いきや、意外にもオヤジのグループとか、職場の集まりみたいな人たちばかりだった。
ジャージ姿の人もいる。
ある意味、私たちの場違い感は薄れてるんだけど、それが逆に「私たちもこっち側の住人なんだな」って突きつけられてるみたいで、妙に居心地が悪い。
キラキラしたレストランでシャンパン飲んでる人たちとは、住む世界が違う。
底辺の連帯感みたいなものが、煙草の煙と一緒に漂っている。
「……でさ、俺の話聞いてる?」
彼が焼き鳥の串を回しながら聞いてくる。
タレが口の周りについてる。
拭けよ。
「聞いてるよ、部長のカツラの話でしょ? 風で飛んだってやつ」
「そうそう! デジャヴかと思ったわ」
聞いてない。
全く聞いてない。
頭の中では、家に帰って録画した『笑ってはいけない』を見ながら、一人でカップ麺をすする幸せな未来のことをずっと考えてた。
あっちの方がよっぽど生産的だよ。
今から帰っても間に合うかな。
『ブブブッ』
テーブルに置いてたスマホが震える。
ミカからのLINEだ。
『家族で温泉来てるよ~! 露天風呂最高♡』
添付された写真には、笑顔のミカと、人の好さそうな旦那さんと、ほっぺの赤い子供。
幸せの暴力だ。
直視できない。
子供が着てる浴衣、旅館の子供用サイズで可愛いなとか、旦那さんの腕にしてる時計ロレックスじゃね? とか、余計な情報が入ってきて脳味噌がショートしそうだ。
私が今いるこの薄暗い、油っぽい居酒屋との対比が残酷すぎる。
こっちは焼き鳥の串入れが一杯になってるっていうのに。
そっとスマホの画面を伏せて、見なかったことにした。
見なかったことにすれば、存在しないのと同じだ。
シュレーディンガーの幸せだ。
「……なぁ」
彼が急に真面目なトーンになるから嫌な予感がした。
案の定、酔っ払った目で私をじっと見てきて、なんか口説き文句でも言うのかと思ったら。
「お前の髪、白髪ね?」
「は?」
時が止まった。
「ここ。一本ある。すげー目立つ」
彼は親切心で言ってるつもりかもしれないけど、今言うことか?
最悪だ。
百年の恋も冷める(恋してないけど)。
32歳だからあってもおかしくないけど、デリカシーなさすぎて引くわ。
というか殺意すら湧くレベルなんだけど。
「……抜いてよ」
「え、いいの?」
「いいから抜いて。見たくない」
彼が不器用な手つきで私の髪をいじる。
「どこだ……あ、これか」
髪を掻き分けられる感触がなんかむず痒くて、でも不思議と嫌じゃなくて、むしろこのどうしようもない感じが今の私たちにはお似合いなのかもしれない。
ロマンチックなキスより、白髪抜きの方がリアルだ。
そう思えてきた自分が憎い。
「痛っ!」
「あ、わり。抜けた抜けた、ほら」
彼が見せてきた白髪は、店内の薄暗い照明の加減でキラキラ光ってて、それが私の輝きを失った青春の墓標みたいに見えた。
太くて、元気で、主張が激しい白髪。
私の体の一部だったものが、異物としてそこにある。
「……あけましておめでと」
いつの間にか年が明けてた。
店内の誰かが「あけおめー」って叫んだ声で気づいた。
カウントダウンもしないで、白髪抜いてる間に新年迎えるとか、どんな大晦日だよ。
悲劇を通り越して喜劇だ。
でも、まあこれも私らしいかって、不思議と諦めがついた。
「おめでと。今年もよろしく」
彼がニカっと笑う。
その歯に青海苔がついてて、指摘しようか迷ったけど、面倒くさいから黙っておくことにした。
お互い様だ。
白髪と青海苔。
これが私たちの「共犯関係」の始まりなのかもしれない。
(つづく)
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