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Ep.05
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二月十四日。
バレンタインデー当日。
学校は朝から、甘ったるい喧騒に包まれていた。
「えー、これ手作り? すげー!」
「義理だよ義理!」
「本命は? いつ渡すの?」
無邪気な声が飛び交う。
私は自分の席で、教科書を広げていた。
視線の先には、同じクラスの「一軍女子」たちがいる。
彼女たちは、綺麗にラッピングされた箱を抱え、自信満々に笑っている。
その箱の中には、相手のために選んだ、あるいは作った、特別なチョコレートが入っている。
そしてそれは、間違いなく「相手」の手元に届き、大切に扱われる予定のものだ。
放課後。
私は部活には行かず、昇降口の近くで立ち止まっていた。
神谷先輩が降りてくるのを待っていたわけじゃない。
ただ、確認したかったのだ。
私の物語が、本当に終わっているのかどうかを。
しばらくすると、階段から先輩が降りてきた。
隣には、サッカー部のマネージャー仲間である、三年のミサキ先輩がいる。
美人で、気が利いて、誰からも好かれている人だ。
「神谷、これ」
ミサキ先輩が、小さな紙袋を差し出した。
派手なラッピングじゃない。
シンプルで、センスのいい袋だ。
「お、マジ? サンキュー」
先輩が受け取る。
その時の反応は、昨日の私への反応とは違っていた。
「せっかちだなー」とか「早すぎだろ」とか、茶化すようなことは言わなかった。
ただ静かに、少し照れくさそうに、「ありがとう」と言った。
そして。
先輩は、その袋をカバンに仕舞った。
大事そうに。
一番上に来るように、教科書をずらしてスペースを作ってから、丁寧に。
「……あ」
声にならない声が漏れた。
昨日の私のクッキーは、カバンの横に置かれたまま、タカシの手に渡った。
でも、ミサキ先輩のチョコは、カバンの中に入った。
「食べる」ためじゃなく、「受け取る」ために。
その差は、決定的だった。
物理的な距離にして数センチ。
でも、心理的な距離には、無限の断絶があった。
タカシが横から入ってくる。
「お、ミサキ先輩! 俺のは?」
「あるよー、ブラックサンダー」
「えー、格差!」
爆笑が起きる。
平和で、幸せな、バレンタインの風景。
その完璧な絵の中に、私の居場所はどこにもなかった。
昨日は「部室」という特等席にいたはずなのに。
今日はもう、ただの「通りすがりの下級生」だ。
先輩たちが昇降口を出ていく。
私は柱の影から、その背中を見送った。
夕陽が彼らの影を長く伸ばしている。
私の影だけが、独りぼっちで足元にうずくまっている。
涙は出なかった。
ただ、胸の奥に、冷たくて重い石が落ちたような感覚があった。
私は、勘違いをしていた。
先輩を好きだと言いながら、本当は「先輩と恋をする自分」が好きだっただけだ。
少女漫画の主人公みたいに、特別なイベントを起こして、ドラマチックな展開になって、みんなから「すごいね」って言われたかっただけだ。
だから、「前日に渡す」なんていう奇策に走った。
注目を集めること、インパクトを残すこと。
そればかり考えて、肝心の「相手の気持ち」なんて、これっぽっちも考えていなかった。
先輩が今、甘いものを欲しがっているか。
先輩にとって、私がどういう存在か。
そんな当たり前のことすら見えなくなっていた。
「……バカみたい」
私は呟いた。
誰もいない昇降口に、私の声だけが虚しく響く。
初恋は、人を好きになることじゃない。
自分が誰でもなかったと知ることだ。
私は今日、失恋したんじゃない。
「主役オーディション」に落ちただけだ。
そして、そのオーディションなんてそもそも開催されていなくて、最初から配役は決まっていたのだと知っただけだ。
私は観客席に戻ろう。
ここからなら、彼らの幸せな物語がよく見える。
スポットライトを浴びる彼らを見ながら、私は暗がりの中で、昨日自分が演じた滑稽な一人芝居を思い出して、少しだけ泣いた。
それは悲しいからじゃなく、自分のあまりの幼稚さが、どうしようもなく惨めだったからだ。
(おわり)
バレンタインデー当日。
学校は朝から、甘ったるい喧騒に包まれていた。
「えー、これ手作り? すげー!」
「義理だよ義理!」
「本命は? いつ渡すの?」
無邪気な声が飛び交う。
私は自分の席で、教科書を広げていた。
視線の先には、同じクラスの「一軍女子」たちがいる。
彼女たちは、綺麗にラッピングされた箱を抱え、自信満々に笑っている。
その箱の中には、相手のために選んだ、あるいは作った、特別なチョコレートが入っている。
そしてそれは、間違いなく「相手」の手元に届き、大切に扱われる予定のものだ。
放課後。
私は部活には行かず、昇降口の近くで立ち止まっていた。
神谷先輩が降りてくるのを待っていたわけじゃない。
ただ、確認したかったのだ。
私の物語が、本当に終わっているのかどうかを。
しばらくすると、階段から先輩が降りてきた。
隣には、サッカー部のマネージャー仲間である、三年のミサキ先輩がいる。
美人で、気が利いて、誰からも好かれている人だ。
「神谷、これ」
ミサキ先輩が、小さな紙袋を差し出した。
派手なラッピングじゃない。
シンプルで、センスのいい袋だ。
「お、マジ? サンキュー」
先輩が受け取る。
その時の反応は、昨日の私への反応とは違っていた。
「せっかちだなー」とか「早すぎだろ」とか、茶化すようなことは言わなかった。
ただ静かに、少し照れくさそうに、「ありがとう」と言った。
そして。
先輩は、その袋をカバンに仕舞った。
大事そうに。
一番上に来るように、教科書をずらしてスペースを作ってから、丁寧に。
「……あ」
声にならない声が漏れた。
昨日の私のクッキーは、カバンの横に置かれたまま、タカシの手に渡った。
でも、ミサキ先輩のチョコは、カバンの中に入った。
「食べる」ためじゃなく、「受け取る」ために。
その差は、決定的だった。
物理的な距離にして数センチ。
でも、心理的な距離には、無限の断絶があった。
タカシが横から入ってくる。
「お、ミサキ先輩! 俺のは?」
「あるよー、ブラックサンダー」
「えー、格差!」
爆笑が起きる。
平和で、幸せな、バレンタインの風景。
その完璧な絵の中に、私の居場所はどこにもなかった。
昨日は「部室」という特等席にいたはずなのに。
今日はもう、ただの「通りすがりの下級生」だ。
先輩たちが昇降口を出ていく。
私は柱の影から、その背中を見送った。
夕陽が彼らの影を長く伸ばしている。
私の影だけが、独りぼっちで足元にうずくまっている。
涙は出なかった。
ただ、胸の奥に、冷たくて重い石が落ちたような感覚があった。
私は、勘違いをしていた。
先輩を好きだと言いながら、本当は「先輩と恋をする自分」が好きだっただけだ。
少女漫画の主人公みたいに、特別なイベントを起こして、ドラマチックな展開になって、みんなから「すごいね」って言われたかっただけだ。
だから、「前日に渡す」なんていう奇策に走った。
注目を集めること、インパクトを残すこと。
そればかり考えて、肝心の「相手の気持ち」なんて、これっぽっちも考えていなかった。
先輩が今、甘いものを欲しがっているか。
先輩にとって、私がどういう存在か。
そんな当たり前のことすら見えなくなっていた。
「……バカみたい」
私は呟いた。
誰もいない昇降口に、私の声だけが虚しく響く。
初恋は、人を好きになることじゃない。
自分が誰でもなかったと知ることだ。
私は今日、失恋したんじゃない。
「主役オーディション」に落ちただけだ。
そして、そのオーディションなんてそもそも開催されていなくて、最初から配役は決まっていたのだと知っただけだ。
私は観客席に戻ろう。
ここからなら、彼らの幸せな物語がよく見える。
スポットライトを浴びる彼らを見ながら、私は暗がりの中で、昨日自分が演じた滑稽な一人芝居を思い出して、少しだけ泣いた。
それは悲しいからじゃなく、自分のあまりの幼稚さが、どうしようもなく惨めだったからだ。
(おわり)
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