16 / 63
第16話「君の過去はどこにある?」
しおりを挟む午後2時の古本屋。
透は歴史書の棚を整理していた。
ヘロドトス、司馬遷、トインビー。
過去を記録した歴史家たちの言葉が、静かに並んでいる。
「過去は、今を作る」
透は小さくつぶやく。
でも、過去は、どこにあるのか。
◆
五路交差点発、哲学者のほろにがログ。第16話。
店主の老人が、カウンターで古い写真を眺めている。
「透くん、過去って不思議だよね」
「どうしてですか?」
「もう存在しないのに、心の中にはある」
透は少し考える。
「過去は、記憶の中にあります。でも、記憶は、時に嘘をつきます」
老人は小さく笑った。
「そうだね。だから、過去は曖昧なんだ」
夕方、透は公園のベンチに座っていた。
サンドイッチを頬張りながら、人々を眺める。
若い女性が、スマホで古い写真を見ている。
時々、涙を拭いている。
「過去に囚われてるのか」
透は小さく笑う。
過去は、時に重荷になる。
◆
午後11時の相談所。
透は机に向かい、新しい手紙を開いた。
便箋には、丁寧な文字でこう書かれていた。
『恋人の過去が気になります。
彼には、元カノがいました。
その人のことを、まだ好きなのかもしれません。
私は、彼の過去と戦っています。
君の過去は、どこにあるのですか?
心の中? それとも、今も続いているのですか?
26歳・女性』
透はペンを取り、ノートに書き込む。
「過去の影響度をP、現在の関係をC、不安の強度をAとする。
だが、この式には本質が欠けている。
過去は、今を作るが、今を支配しない」
透の手が止まる。
窓の外、星空が見える。
星の光は、過去のもの。
でも、今、輝いている。
「君の過去はどこにある、か」
透は便箋に、丁寧な文字で書き始めた。
『あなたの悩みは、恋人の過去が気になることではありません。
あなたの悩みは、「過去と戦っている」と思っていることです。
でも、それは違います。
過去は、敵ではありません。
過去は、彼を作ったものです。
元カノがいた。
それは、事実です。
でも、その過去があるから、今の彼がいます。
過去を否定することは、彼を否定することです。
君の過去は、どこにあるのか?
それは、彼の心の中にあります。
でも、それは今も続いているわけではありません。
過去は、記憶です。
記憶は、時に美化されます。
でも、記憶は、現実ではありません。
彼が元カノのことを、まだ好きかもしれない。
その不安は、正常です。
でも、確かめる方法は一つだけです。
聞くことです。
「私のこと、どう思ってる?」
その一言が、すべてを変えます。
過去と戦わないでください。
過去を受け入れてください。
彼の過去も、あなたの過去も、今を作っています。
過去は、どこにあるのか?
それは、心の中にあります。
でも、今を生きることで過去は薄れていきます。
藤原透』
透は手紙を封筒に入れ、棚に置いた。
棚には、少しずつ手紙が増えている。
過去に悩む人たちの、切ない想いが並んでいる。
透は机の引き出しを見つめる。
古い星座図が、そこにある。
八年、触れられなかった。
「君の過去はどこにある、か」
透は小さくつぶやく。
過去は、心の中にある。
でも、記憶は、時に嘘をつく。
あの日の雪の声は、本当に助けを求めていたのか。
それとも、ただの挨拶だったのか。
透は引き出しを開けた。
星座図に、指を伸ばす。
指先が震える。
触れる。
埃が、舞う。
雪の字が、指先に触れる。
でも、ページは開かない。
まだ、開けない。
透は星座図を閉じ、引き出しに戻した。
過去は、どこにある?
記憶の中?
それとも、あの交差点に、まだ残っているのか。
透は相談所を出て、交差点に立つ。
五つの道。
風が、冷たく頰を撫でる。
星空を見上げる。
星の光は、何億年も前のもの。
でも、今、輝いている。
過去も、そうかもしれない。
透は一歩を踏み出す。
過去を抱えたまま。
それでも、前に進む。
過去は、今を作る。
でも、今を支配しない。
(第16話完 次話へ続く)
次回、透は「目をそらす理由」について考える。
そして、誰かの瞳が——君の想像する「理由」が、揺らぎ始める——。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。
王様の恥かきっ娘
青の雀
恋愛
恥かきっ子とは、親が年老いてから子供ができること。
本当は、元気でおめでたいことだけど、照れ隠しで、その年齢まで夫婦の営みがあったことを物語り世間様に向けての恥をいう。
孫と同い年の王女殿下が生まれたことで巻き起こる騒動を書きます
物語は、卒業記念パーティで婚約者から婚約破棄されたところから始まります
これもショートショートで書く予定です。
婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢
alunam
恋愛
婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。
既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……
愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……
そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……
これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。
※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定
それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
後の祭り
ねこまんまときみどりのことり
ライト文芸
母親を馬車の事故で亡くしたナズナは、馬車に乗っていた貴族の男性に、義理の娘として引き取られた。引き取られた先の子爵邸では、義母や義妹に傷付けられて泣いて過ごすこともあったが、懸命に生きていく。引き取られた裏には、別の理由もあったようで。
小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる