【短編】白髪のイブから、青海苔の初詣まで 〜45歳、底辺同士の生存確認〜

月下花音

文字の大きさ
5 / 5

第5話:元旦の初詣と青海苔

しおりを挟む
 1月1日。
 目が覚めると、知らない天井があった。
 一瞬パニックになったけど、漂ってくるカビ臭さと男の整髪料の匂いで、田中の家だと理解した。
 横を見ると、田中が口を開けていびきをかいている。
 何もなかった。
 本当になーんにもなかった。
 ただこたつで酒飲んで、そのまま雑魚寝しただけ。
 若い頃なら「私に魅力がないのか」って悩んだかもしれないけど、今は「腰痛くならなくてよかった」という安堵の方が大きい。
 色気より健康。
 これぞ中年の真理だ。

「……おーい、朝だぞ」
 田中の脇腹を足でつつく。
「んぐ……あ? 今何時?」
「10時。初詣行くんでしょ」
「うわ、頭痛ぇ……飲みすぎた」
 田中がよろよろと起き上がる。
 加齢臭が少しするけど、不思議と不快じゃない。
 慣れって怖い。

 二人で近所の神社へ向かう。
 快晴だ。
 空が青すぎて目が痛い。
 参道は家族連れやカップルで溢れかえっている。
 私たちは、どこからどう見ても「長年連れ添った倦怠期の夫婦」にしか見えないだろう。
 実際は「別居中の人妻」と「バツイチ独身男」という、説明するのが面倒くさい関係なんだけど。 
 屋台からのいい匂いがする。
「たこ焼き食おうぜ」
 田中が子供みたいに言ってきた。
「朝から?」
「迎え酒ならぬ迎え粉もんだよ」
 意味が分からないけど、私も少しお腹が空いていたので付き合った。
 熱々のたこ焼きをハフハフしながら食べる。
 青海苔たっぷりだ。

「あ、真紀ちゃん?」
 突然、声をかけられた。
 ビクッとして振り返る。
「……え、サトミ?」
 高校時代の同級生だ。
 隣には旦那さんと、ベビーカーに乗った小さな男の子。
 孫だ。
「久しぶりー! ご主人?」
 サトミが田中を見てニッコリ笑う。
 誤解だ。
 全力で否定したいけど、ここで「いえ、大学の同級生で昨日は家に泊まって……」なんて説明したら余計に怪しまれる。
「あ、うん……まあ」
 曖昧に濁してしまった。
「いいわねぇ、仲良くて。うちはもう孫のお守りで大変よ~」
 幸せマウントだ。
「孫疲れ」を装った「孫自慢」だ。
 高度なテクニックに、私は愛想笑いで返すしかない。
「じゃあまたねー!」
 サトミ一家が去っていく。
 その後ろ姿が、後光が差しているように眩しかった。

「……疲れた」
 私が呟くと、田中が横でニヤニヤしていた。
「ご主人、だってよ」
「うるさい。名誉毀損で訴えるわよ」
「ひどい言い草だな」
 二人で顔を見合わせて笑った。
 その時、田中の視線が私の口元に釘付けになった。
「……真紀」
「何?」
「青海苔」
「え?」
「前歯。びっしりついてる」
「嘘!?」
 慌ててスマホをインカメラにする。
 画面の中の自分を見て絶句した。
 前歯に、まるで最初からそういうデザインだったかのように、鮮やかな青海苔が張り付いていた。
 さっきサトミと話してる時も、ずっとこれだったの?
「……死にたい」
「安心しろ。俺もだ」
 田中がニカッと笑う。
 こいつの歯にも、青海苔がついていた。
 しかも私よりデカいのが。
「……あんたねぇ」
「お揃いだなんて、仲良い夫婦じゃん」
「バカじゃないの!」

 お互い指で青海苔を取りながら、ゲラゲラ笑った。
 周りの人が「何あのおじさんとおばさん」って目で見てるけど、どうでもよかった。
 キラキラした家族連れにはなれない。
 孫を抱く幸せな老後も、多分来ない。
 でも、青海苔ついた歯を見せ合って笑える相手がいるなら、まあ地獄の一歩手前で踏みとどまれるかもしれない。

 おみくじを引いた。
 二人とも「末吉」。
『待ち人:遅れて来る』
『健康:養生せよ』
 地味だ。
 内容も渋い。
「まあ、凶じゃないだけマシか」
 田中が言った。
「そうね。大吉出てもプレッシャーだしね」
 おみくじを結んで、神社を出る。
「じゃあな。また連絡する」
 駅前で田中と別れた。
「うん。今年もよろしく」
「生存確認程度にな」
 田中が手を振って雑踏に消えていく。
 その背中はやっぱり少し猫背で、哀愁が漂っていたけど、昨日よりは少し頼もしく見えた。

 家に帰る。
 静かなリビング。
 夫も娘もまだいない。
 洗面所で手を洗って、ふと鏡を見る。
 新しい白髪が一本、また元気よく立っていた。
「……またか」
 ピンセットを手に取る。
 でも、鏡の中の自分と目が合って、手が止まった。
 白髪があっても、シワがあっても、青海苔がついてても、まあいっか。
 そんな自分も、意外と悪くないかもしれない。
 ピンセットを置いた。
「……来年染めればいいや」
 独り言をつぶやいて、私はリビングの窓を開けた。
 冷たい冬の風が入ってくる。
 どこかで微かに、たこ焼きのソースの匂いがした気がした。
 私の46年目の冬が、静かに、でも確実に始まった。

(おわり)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【短編】冷めたチキンの味

月下花音
恋愛
28歳、激務のOL。クリスマスイブもコンビニ弁当の私に、同僚の佐藤が声をかけてきた。 「乾杯します? 残業組同士で」 コンビニ前のベンチで分け合う冷めたファミチキ。これが私たちのクリスマスディナー。 高級レストランでもホームパーティーでもない、でも確かに心が温まる。そんなリアルな大人の恋愛を描いた現代小説です。 「コンビニクリスマスでしか幸せ感じない自分」の物語。

【短編】訂正しないグラス

月下花音
恋愛
「乾杯。孤独に」 37歳、独身のキャリアウーマン。クリスマスイブも一人でバーに通う私の隣に、いつも座る男性がいる。 名前も知らない。既婚かもしれない。でも、氷の音と沈黙を分け合う関係が心地いい。 バーテンダーが2つのグラスを置いても、「一人です」と訂正しない私。 大人だからこそ選べる、不完全で美しい恋の物語。文学的な筆致で描く現代女性の心境。

幼馴染の許嫁

山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓
恋愛
―――出会って、結婚して5年。一度も口を聞いたことがない。 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。 その二人が5年の月日を経て邂逅するとき

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

処理中です...