【短編】クリスマスに元妻とバッタリ

月下花音

文字の大きさ
1 / 5

第1話:光の暴力と再会

しおりを挟む
 眼球の奥が、ズキズキする。

「綺麗だね」

 隣で彼が言った。田中タカシ、四十七歳、独身、製造業の課長補佐。
 防寒対策で着込んできたユニクロのダウンジャケットが、歩くたびにビニールが擦れるような、安っぽい音をシュルシュルと立てる。その音が、私の神経を地味に逆撫でする。

「……そうね、すごく綺麗」

 嘘だ。
 眩しいだけだ。

 LEDの青白い光が、乱視気味でドライアイの私の網膜を容赦なく攻撃してくる。
 六本木のど真ん中。けやき坂。
 カップルだらけの光の洪水。
 その光の一つ一つが、「お前のようなおばさんが来る場所じゃない」と嘲笑っているように見えるのは、私の被害妄想だろうか。

 私たちの周りは、二十代のキラキラした恋人たちで溢れている。
 彼女たちは、膝上二十センチのスカートを履き、生足を晒し、彼氏のポケットに手を突っ込んでいる。
 対して、私たちときたら。

 私の服装は、機能性重視のパンツスタイルに、お尻まで隠れる厚手のコート。
 中にはヒートテック(極暖)を仕込み、さらに背中と腰に「貼るカイロ」を装備している。
 彼もまた、ダウンの下にフリースを着込み、もこもこと着膨れしている。

 どう見ても「保護者同伴」か「地方から出てきた熟年夫婦の散歩」にしか見えない。
 まだ付き合って三ヶ月だというのに、この枯れ具合はどうだ。

「あつこさん、寒くない?」

 彼が心配そうに覗き込んでくる。
 その鼻の頭が、寒さで赤くなっているのが、なんだか妙に哀れを誘う。

「大丈夫。カイロ貼ってきたから。……田中さんは?」

「あ、俺も。腰とお腹に貼ってきた。あと、靴用カイロも入ってる」

「完全防備ね」

「うん。風邪引いたら、年末の進行に響くからさ……」

 二人して、色気のない防寒自慢をする。
 笑えばいいのか、泣けばいいのか分からない。
 これが四十五歳のデートだ。
 クリスマスというだけで、何かしなきゃいけないという強迫観念に駆られ、わざわざ人混みの中に突撃してくる。
 これはもはや、自殺行為に近い。

「あそこ、写真スポットだって。並ぼうか」

 彼が指さした先には、真っ赤なハート型の巨大なオブジェがあった。
 その前には、長蛇の列ができている。
 並んでいるのは、もちろん二十代のカップルばかり。
 これ見よがしにキスをしたり、変なポーズを取ったりして、自撮りに興じている。

 正気か?
 あの中に、私たちが並ぶのか?
 公開処刑じゃないか。

「……いや、並ぶのはちょっと。足、冷えるし。トイレも近くなるから」

 私は現実的な理由をつけて断った。
 実際、寒さで既に膀胱が主張を始めている。

「あ、そうだね。ごめんごめん。あつこさんの身体が一番大事だもんね」

 彼は素直に引いた。
 その優しさが、逆に痛い。
 無理して「彼氏」を演じようとしているのが、丸わかりだからだ。

 彼だって、本当はこんな場所に来たくないはずだ。
 家で炬燵に入って、缶ビールでも飲みながら、YouTubeで昔のアイドルの動画でも見ていたい世代だ。
 あるいは、溜まった洗濯物を畳んだり、明日のゴミ出しの準備をしたりしたいはずだ。
 なのに、私のために「クリスマスデート」という名の苦行に挑んでいる。

 その健気さと、痛々しさと、微かに漂う加齢臭が混ざった独特の空気。
 それが私たちの「恋」の正体だ。
 甘くもないし、とろけるようでもない。
 ただ、少し酸っぱくて、渋くて、埃っぽい。

 コンクリートの硬さが、ヒールの薄い靴底を通して伝わってくる。
 外反母趾が悲鳴を上げている。
「もう帰ろうよ」「お風呂入ろうよ」と、足の指たちが訴えている。

「あつこさん、手、繋いでいい?」

 彼がおずおずと聞いてきた。
 まるで、初めてのデートの中学生みたいだ。
 でも、中学生と決定的に違うのは、彼の手が乾燥してカサカサで、所々あかぎれができていることだ。

「……うん」

 差し出された手を握る。
 冷たい。
 そして、直前に塗ったであろうハンドクリームの、ヌルッとした感触が掌に広がる。
 さらに、彼の手汗も混ざっている気がする。

「あ、ごめん。直前に塗ったから……ベタベタする?」

「ううん。……私もさっき塗ったところだから、お互い様よ」

 ヌルヌルした手と手をつなぎ、光の洪水の中を歩く。
 滑りそうで、うまく握れない。
 ロマンチック?
 いいえ、これは介護に近い。
 転ばないように、互いに支え合って、よちよちと歩いているだけだ。

 ふと、前から歩いてくる男女のペアに目が留まった。
 人混みの中でも、ひと際目を引く二人連れだった。

 女性は、カシミヤの白いコートを颯爽と着こなし、豊かな巻き髪を揺らしている。
 肌は陶器のように白く艶やかで、皺一つない(ように見える)。
 隣の男性は、長身で、イタリア製のスーツが似合うダンディな雰囲気。
 まるで、ファッション誌の表紙から抜け出してきたような、「成功者」のオーラを放っている。

 どこかのモデルかと思った。
 あるいは、芸能人か。
 住む世界が違う人たちだ。

 そう思って、すれ違おうとした時だった。

 彼の手が、急にピクリと強張った。
 それは、恐怖に怯える小動物のような反応だった。

「……え?」

 彼が立ち止まる。
 その視線が、真っ直ぐにその白いコートの女性に向いている。
 強張ったまま、動かない。
 まるで、メデューサに見つめられた石像のように。

 女性も、こちらに気づいた。
 長い睫毛に縁取られた目が、ゆっくりと見開かれる。
 そして、その完璧な形の唇が、三日月のように歪んだ。

「あら」

 その声を聞いた瞬間、隣にいる彼の体温が、一気に氷点下まで下がった気がした。
 私の更年期のホットフラッシュとは対照的に、彼は急速冷凍されていく。

「……久しぶりね、タカシさん」

 女性が微笑む。
 余裕たっぷりの、勝者の笑み。
 その笑顔には、慈悲も、懐かしさもなかった。
 あるのは、圧倒的な「格差」を見せつける、残酷な優越感だけ。

 私は直感した。
 ああ、こいつか。

 彼が酔うと必ず愚痴る、「俺の人生を滅茶苦茶にした」という元妻は。
 そして、隣にいる長身の男は、間違いなく今の夫。
 略奪したのか、離婚後に捕まえたのかは知らないが、「当たり」を引いた勝ち組の男だ。

 私の中で、警報が鳴り響く。
 この出会いは、事故だ。
 交通事故よりもタチが悪い、人生の追突事故だ。

 私の手の中で、彼のカサカサの手が、惨めに震え始めた。
 その震えが、私の腕を伝って、心臓まで伝播する。

 最悪だ。
 イルミネーションよりも鮮烈な、最悪のクリスマスプレゼントが、目の前にラッピングされて立っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

侯爵様の懺悔

宇野 肇
恋愛
 女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。  そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。  侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。  その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。  おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。  ――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

おしどり夫婦の茶番

Rj
恋愛
夫がまた口紅をつけて帰ってきた。お互い初恋の相手でおしどり夫婦として知られるナタリアとブライアン。 おしどり夫婦にも人にはいえない事情がある。 一話完結。『一番でなくとも』に登場したナタリアの話です。未読でも問題なく読んでいただけます。

政略結婚の鑑

Rj
恋愛
政略結婚をしたスコットとティナは周囲から注目を浴びるカップルだ。ティナはいろいろな男性と噂されるが、スコットの周りでは政略結婚の鑑とよばれている。我が道をいく夫婦の話です。 全三話。『一番でなくとも』に登場したスコットの話しです。未読でも問題なく読んでいただけます。

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

『さよなら、彼に依存していた私―30日間の失恋回復ストーリー』

月下花音
恋愛
別れた日から30日。毎日、少しずつ「本当の私」に出会っていく 「嫌いになりたくないから、別れよう」 2年間付き合った彼氏・優也にそう告げられた日、私の世界は色を失った。 コーヒーは苦く、鏡に映る自分は知らない女で、スマホの通知音に心臓が跳ねる。 彼の好きだったチョコミントを避け、彼の痕跡が残る部屋で、ただ泣いていた。 でも、私は決めた。30日間で、私を取り戻す。 Day 1、苦いコーヒーを飲み干した。 Day 5、スマホを遠ざけた。 Day 7、彼のSNSを削除した。 Day 9、部屋の模様替えをした。 Day 13、彼のための香りを捨て、私の香りを選んだ。 Day 17、自分のために、花を買った。 Day 22、長い髪を切り、新しいスマホに変えた。 Day 29、新しい出会いを、恐れずに楽しめた。 Day 30、ストロベリーアイスを食べながら、心から笑っていた。 小さな「さよなら」を積み重ねるたび、私は変わっていく。 「彼に依存していた私」から、「私自身でいられる私」へ。 これは、失恋から立ち直る物語ではありません。 誰かのために生きていた女性が、自分のために生きることを選ぶ物語です。 【全31話完結】こころの30日間を追体験してください。

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

利害一致の結婚

詩織
恋愛
私達は仲のいい夫婦。 けど、お互い条件が一致しての結婚。辛いから私は少しでも早く離れたかった。

処理中です...