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最終話:コンビニ袋の重みと、ぬるい幸せ
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店を出ると、日付が変わる直前だった。
酔いは程よく回り、体の痛みもアルコールで少し麻痺している。
アルコールは合法の麻酔薬だ。
ただし副作用として、翌日の頭痛と自己嫌悪がセットでついてくる。
まあ、今の私には頭痛も自己嫌悪もデフォルト装備だから関係ないか。
「あつこさん、駅まで送りますよ」
「ありがとうございます。でも、その前にちょっとコンビニ寄ってもいいですか?」
「ああ、僕も寄りたいと思ってたとこです」
煌々と光るコンビニの看板。
深夜の街に浮かぶ、蛍光灯の白さが目に刺さる。
蛾が集まるみたいに吸い寄せられる私たち。
二十四時間営業の光だけが、独身中年の孤独を照らしてくれる灯台なのだ。
店内に入ると、店員さんの「いらっしゃいませー」という気の抜けた声が迎えてくれた。
私たちは示し合わせたように、別々の棚へと向かった。
私は日用品コーナーへ。
まだ生理は続きそうだ。夜用のナプキンの予備を買っておかないと不安だ。
血が足りない。鉄分も足りない。愛情も足りない。
足りないものだらけの人生だ。
棚から「超熟睡ガード」と書かれた分厚いパッケージを手に取る。
「熟睡」という言葉の甘美な響き。
恋人の腕枕より、この高吸収ポリマーの方が、今の私には信頼できるパートナーだ。
昔は生理用品を買う時、少し恥ずかしくてササッとカゴに入れたものだけど、今はもう堂々としたものだ。
これは私の生存に必要な装備品なのだから。
ゾンビ映画の主人公がショットガンを買うのと同じ心理だ。
生き残るためには、なりふり構っていられない。
ふと見ると、少し離れた棚で田所さんが何かを吟味している。
彼の手にあるのは……尿漏れパッド? いや、あれはカイロか?
いや、よく見ると「ノコギリヤシ配合」と書かれたサプリメントの袋だった。
頻尿対策か。
真剣な顔で成分表を読んでいる横顔を見て、なんだかおかしくて、少し切なくなった。
その真剣な眼差しを、もっと別のことに使えないのか。
いや、彼にとっては切実な問題なんだろう。
夜中に三回起きる辛さは、拷問に近いって聞くし。
レジで合流する。
私のカゴにはナプキンと水。
彼のカゴにはノコギリヤシのサプリと、明日の朝食らしきおにぎり。
店員さんが淡々とバーコードを読み取る。
「袋、一緒でいいですか?」
「あ、別々でお願いします」
そこはまだ、一緒にする勇気がなかった。
ナプキンと頻尿サプリが同じ袋に入っている図は、あまりにも枯れすぎている気がして。
ビニール袋の中で、高分子吸収体同士が「お互い大変だね」と慰め合っている姿を想像してしまう。
そんな擬人化いらない。
コンビニを出て、駅までの道を並んで歩く。
白い息が混じり合う。
冷たい空気が、酔った頭を少し冷やしてくれる。
でも、足元の冷えは深刻だ。
毛糸のパンツを履いていても、アスファルトからの冷気が骨まで染みてくる。
「今日は、すみませんでした。あんな素敵なホテル予約してもらったのに」
私が言うと、彼は首を振った。
「いいえ。僕こそ、かっこいいとこ見せられなくて。……でも、楽しかったです」
「ええ、私も」
嘘じゃない。楽しかった。
お腹は痛いし、下着は無駄になったし、ムードもへったくれもなかったけど、楽しかった。
背伸びしなくていい関係が、こんなに楽だなんて知らなかった。
ハイヒールを脱いで、スリッパに履き替えたような解放感。
改札の前で立ち止まる。
「じゃあ、また連絡します」
「はい、待ってます」
彼は少し躊躇してから、不器用に私の手を握った。
彼の手はカサカサしてて、少し冷たかった。
私の手も多分、クリームを塗り忘れてガサガサだ。
乾いた肌同士が触れ合う音まで聞こえそうだ。
ヤスリとヤスリを擦り合わせているような、ザラついた感触。
でも、そのザラつきが、今の私には妙に愛おしい。
「来年」
彼が言った。
「はい、来年」
「……元気で会いましょう」
「長生きしましょうね」
なんだその挨拶は。
老人会の別れ際か。
私たちは吹き出して、手を離した。
改札を抜けて、ホームへ向かうエスカレーターに乗る。
振り返ると、彼はまだ改札の向こうで手を振っていた。
その背中が、来た時よりも少し丸まって見えたのは、寒さのせいだけじゃないだろう。
私たち、おじさんとおばさんだな。
どうしようもなく、中年だな。
重力に負けて、社会に揉まれて、体中の水分が抜けていく。
ドライフルーツみたいに、甘みが凝縮されていればいいんだけど。
家に帰ったら、あの一万九千八百円のボルドーのパンツを洗濯しよう。
手洗いしなきゃいけない。面倒くさい。
洗面器にぬるま湯を張って、おしゃれ着洗剤で優しく押し洗い。
私の人生も、誰か優しく押し洗いしてくれないかな。汚れだけ落として、縮まないように。
でも、乾かして、箪笥の奥にしまっておこう。
いつか、この生理が終わって、彼の前立腺の調子が良くなる奇跡のタイミングが来たら。
その時こそ、日の目を見せてやるのだ。
「……あるのかな、そんな日」
独り言が、夜のホームに吸い込まれた。
コンビニ袋の中のナプキンが、ガサリと音を立てた。
まあ、なくてもいいか。
あのおでんの味も、悪くなかったし。
それに、あの人、私のすっぴん見ても逃げなさそうだし。
私は小さくあくびをして、電車を待った。
腹部の鈍痛は、まだ私の中に居座っている。
「あーあ」
生きるって、面倒くさい。
排泄して、食べて、寝て、また排泄して。
その繰り返しの隙間に、たまに恋みたいなゴミが挟まる。
でも、一人じゃないだけ、マシかもしれない。
ゴミでも、二人で眺めれば思い出になるかもしれない。
電車のヘッドライトが、眩しくて目を細めた。
ドライアイだ。
目薬ささなきゃ。
酔いは程よく回り、体の痛みもアルコールで少し麻痺している。
アルコールは合法の麻酔薬だ。
ただし副作用として、翌日の頭痛と自己嫌悪がセットでついてくる。
まあ、今の私には頭痛も自己嫌悪もデフォルト装備だから関係ないか。
「あつこさん、駅まで送りますよ」
「ありがとうございます。でも、その前にちょっとコンビニ寄ってもいいですか?」
「ああ、僕も寄りたいと思ってたとこです」
煌々と光るコンビニの看板。
深夜の街に浮かぶ、蛍光灯の白さが目に刺さる。
蛾が集まるみたいに吸い寄せられる私たち。
二十四時間営業の光だけが、独身中年の孤独を照らしてくれる灯台なのだ。
店内に入ると、店員さんの「いらっしゃいませー」という気の抜けた声が迎えてくれた。
私たちは示し合わせたように、別々の棚へと向かった。
私は日用品コーナーへ。
まだ生理は続きそうだ。夜用のナプキンの予備を買っておかないと不安だ。
血が足りない。鉄分も足りない。愛情も足りない。
足りないものだらけの人生だ。
棚から「超熟睡ガード」と書かれた分厚いパッケージを手に取る。
「熟睡」という言葉の甘美な響き。
恋人の腕枕より、この高吸収ポリマーの方が、今の私には信頼できるパートナーだ。
昔は生理用品を買う時、少し恥ずかしくてササッとカゴに入れたものだけど、今はもう堂々としたものだ。
これは私の生存に必要な装備品なのだから。
ゾンビ映画の主人公がショットガンを買うのと同じ心理だ。
生き残るためには、なりふり構っていられない。
ふと見ると、少し離れた棚で田所さんが何かを吟味している。
彼の手にあるのは……尿漏れパッド? いや、あれはカイロか?
いや、よく見ると「ノコギリヤシ配合」と書かれたサプリメントの袋だった。
頻尿対策か。
真剣な顔で成分表を読んでいる横顔を見て、なんだかおかしくて、少し切なくなった。
その真剣な眼差しを、もっと別のことに使えないのか。
いや、彼にとっては切実な問題なんだろう。
夜中に三回起きる辛さは、拷問に近いって聞くし。
レジで合流する。
私のカゴにはナプキンと水。
彼のカゴにはノコギリヤシのサプリと、明日の朝食らしきおにぎり。
店員さんが淡々とバーコードを読み取る。
「袋、一緒でいいですか?」
「あ、別々でお願いします」
そこはまだ、一緒にする勇気がなかった。
ナプキンと頻尿サプリが同じ袋に入っている図は、あまりにも枯れすぎている気がして。
ビニール袋の中で、高分子吸収体同士が「お互い大変だね」と慰め合っている姿を想像してしまう。
そんな擬人化いらない。
コンビニを出て、駅までの道を並んで歩く。
白い息が混じり合う。
冷たい空気が、酔った頭を少し冷やしてくれる。
でも、足元の冷えは深刻だ。
毛糸のパンツを履いていても、アスファルトからの冷気が骨まで染みてくる。
「今日は、すみませんでした。あんな素敵なホテル予約してもらったのに」
私が言うと、彼は首を振った。
「いいえ。僕こそ、かっこいいとこ見せられなくて。……でも、楽しかったです」
「ええ、私も」
嘘じゃない。楽しかった。
お腹は痛いし、下着は無駄になったし、ムードもへったくれもなかったけど、楽しかった。
背伸びしなくていい関係が、こんなに楽だなんて知らなかった。
ハイヒールを脱いで、スリッパに履き替えたような解放感。
改札の前で立ち止まる。
「じゃあ、また連絡します」
「はい、待ってます」
彼は少し躊躇してから、不器用に私の手を握った。
彼の手はカサカサしてて、少し冷たかった。
私の手も多分、クリームを塗り忘れてガサガサだ。
乾いた肌同士が触れ合う音まで聞こえそうだ。
ヤスリとヤスリを擦り合わせているような、ザラついた感触。
でも、そのザラつきが、今の私には妙に愛おしい。
「来年」
彼が言った。
「はい、来年」
「……元気で会いましょう」
「長生きしましょうね」
なんだその挨拶は。
老人会の別れ際か。
私たちは吹き出して、手を離した。
改札を抜けて、ホームへ向かうエスカレーターに乗る。
振り返ると、彼はまだ改札の向こうで手を振っていた。
その背中が、来た時よりも少し丸まって見えたのは、寒さのせいだけじゃないだろう。
私たち、おじさんとおばさんだな。
どうしようもなく、中年だな。
重力に負けて、社会に揉まれて、体中の水分が抜けていく。
ドライフルーツみたいに、甘みが凝縮されていればいいんだけど。
家に帰ったら、あの一万九千八百円のボルドーのパンツを洗濯しよう。
手洗いしなきゃいけない。面倒くさい。
洗面器にぬるま湯を張って、おしゃれ着洗剤で優しく押し洗い。
私の人生も、誰か優しく押し洗いしてくれないかな。汚れだけ落として、縮まないように。
でも、乾かして、箪笥の奥にしまっておこう。
いつか、この生理が終わって、彼の前立腺の調子が良くなる奇跡のタイミングが来たら。
その時こそ、日の目を見せてやるのだ。
「……あるのかな、そんな日」
独り言が、夜のホームに吸い込まれた。
コンビニ袋の中のナプキンが、ガサリと音を立てた。
まあ、なくてもいいか。
あのおでんの味も、悪くなかったし。
それに、あの人、私のすっぴん見ても逃げなさそうだし。
私は小さくあくびをして、電車を待った。
腹部の鈍痛は、まだ私の中に居座っている。
「あーあ」
生きるって、面倒くさい。
排泄して、食べて、寝て、また排泄して。
その繰り返しの隙間に、たまに恋みたいなゴミが挟まる。
でも、一人じゃないだけ、マシかもしれない。
ゴミでも、二人で眺めれば思い出になるかもしれない。
電車のヘッドライトが、眩しくて目を細めた。
ドライアイだ。
目薬ささなきゃ。
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