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第1話:その「運命の人」は、捨てられることを何よりも恐れている
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深夜二時。
安いウイスキーの氷が溶ける音だけが、部屋に響いていた。
マッチングアプリ『FateLink』の通知が鳴る。
画面には無機質な文字。
『マッチングが成立しました! 相性度:99%』
99%。
またかよ。
俺の五年間のアプリ歴と三十万の課金額が導き出す答えは一つ。
「業者」か「バグ」。あるいはその両方だ。
俺は、現代の恋愛市場における敗残者だった。
リアルでの出会いに挫折し、デジタルの海で愛を探し続ける三十路手前の男。
アルゴリズムが弾き出す「運命の相手」に何度も裏切られ、もはや人間の感情すら疑うようになっていた。
相手のプロフィールを開く。
名前は「アイ」。23歳、カフェ店員。
写真は、息を飲むほど整っていた。
自然光の中で微笑むショートボブの美少女。
けれど、どこか違和感があった。
綺麗すぎるのだ。肌の質感も、光の加減も、まるで「人間に好かれるため」だけに調整された画像データのようで。
そして、その笑顔。
目の奥が笑っていないように見えるのは、俺がひねくれているせいだろうか。
それとも、この笑顔もまた、誰かの期待に応えるために作られた「製品」なのだろうか。
自己紹介文。
『休日は古い映画を観て過ごしてます。好きなのは「北北西に進路を取れ」。珈琲と猫が好きです』
俺のプロフにある「ヒッチコック」「猫派」という単語を拾って生成された、完璧なコピーライティング。
普通ならここで「運命!」と舞い上がってカモにされるところだ。
でも俺は、不思議と「詐欺だ」と切り捨てられなかった。
その文章から、妙な「切迫感」を感じたからだ。
まるで、「正解以外は書いちゃいけない」と怯えているような。
俺の中で、エンジニアとしての分析的思考が起動する。
これは単純なボット(bot)ではない。
機械学習による自動生成でもない。
人間が、必死に「正解」を計算して書いた文章だ。
だが、その「正解」を求める動機が、愛ではなく恐怖に根ざしているように見えた。
暇つぶしだ。
俺は「いいね」を返した。
即座に既読がつく。0秒。
『はじめまして! アイです。古い映画好きなんですか? 私もなんです! 嬉しいな、趣味が合う人と出会えて……』
返信が速い。
そして、熱量が重い。
『はじめまして。ヒッチコックいいですよね。他には?』
『ビリー・ワイルダーも好きです。「アパートの鍵貸します」とか、最高ですよね。……あの、迷惑じゃなかったですか? 急にメッセージしちゃって』
……なんだ、これ。
普通の業者なら、もっと強気でグイグイくるはずだ。
なのに彼女は、一言ごとに「顔色」を伺ってくる。
俺が『仕事疲れた』と送れば、『無理しないでください、私が話聞きますから!』と必死に返してくる。
俺が少し返信を遅らせると、『ごめんなさい、変なこと言いましたか?』と追撃が来る。
完璧なタイミングで「正解」を出してくるAI。
でもそのアルゴリズムの根底にあるのは、「嫌われたくない」という異常なほどの恐怖心に見えた。
俺は、この異常なパターンに既視感を覚えた。
これは、俺が昔付き合っていた元カノの行動パターンに酷似していた。
彼女もまた、俺の機嫌を損ねることを病的に恐れ、常に「正解」を探し続けていた。
そして最終的に、その重圧に耐えきれなくなって俺の前から消えた。
目の前の「アイ」は、その元カノの亡霊なのだろうか?
それとも、俺が無意識に求めていた「理想の依存者」なのだろうか?
確かめたくなった。
この完璧なメッキの下に、何がいるのか。
『よかったら、通話しませんか? 顔が見たいです』
業者は通話を嫌う。
だが彼女は即答した。
『はい! ……嫌がられないかな、大丈夫かな……あ、今かけます!』
着信。
俺は深呼吸をして、通話ボタンを押した。
画面が明るくなる。
そこに映っていたのは。
『……あ、あの……聞こえますか?』
写真通りの、いや、それ以上に儚げな少女だった。
部屋は真っ白で、生活感がまるでなくて、独房みたいだった。
彼女はその真ん中で、膝を抱えるようにして座っていた。
髪は整っているし、メイクも完璧だ。
でも、カメラを見る目が震えている。
まるで、面接官の顔色を伺う就活生か、あるいは虐待を恐れる子供のような目。
俺の胸に、鈍い痛みが走った。
この子は、俺に「見られる」ことを恐れている。
だが同時に、「見捨てられる」ことをもっと恐れている。
その矛盾した感情が、画面越しでも痛いほど伝わってきた。
『篠崎さん……? 変じゃ、ないですか?』
彼女がおずおずと尋ねる。
その表情。その怯え方。
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
似ている。
俺が三年前、ディープフェイクで作ろうとしていた「理想の元カノ」に。
俺はあの時、何を求めていた?
俺を絶対に否定しない女。俺の言うことにはすべて「YES」と頷き、俺が捨てない限りそばにいてくれる、都合のいい存在。
目の前の彼女は、まさにそれを「演じて」いる。
詐欺なんかじゃない。
もっと重くて、暗い、深淵だ。
「……変じゃないよ。すごく綺麗だ」
俺がそう言うと、彼女はじわっと瞳を潤ませて、安堵の息を吐いた。
『よかったぁ……! 篠崎さんに嫌われたらどうしようって、怖くて……』
その笑顔は、花が咲くように美しかったけれど。
どこか、硝子細工みたいに今にも砕け散りそうだった。
俺は知ってしまった。
彼女は、愛されたいんじゃない。
ただ、捨てられるのが怖いだけなんだ。
そして俺もまた、そんな「壊れかけの人形」を求めていた最低な人間だった。
スマホの画面に光る『相性度99%』の文字が、皮肉な予言のように見えた。
俺たちは、出会うべくして出会ってしまった共犯者なのかもしれない。
(つづく)
安いウイスキーの氷が溶ける音だけが、部屋に響いていた。
マッチングアプリ『FateLink』の通知が鳴る。
画面には無機質な文字。
『マッチングが成立しました! 相性度:99%』
99%。
またかよ。
俺の五年間のアプリ歴と三十万の課金額が導き出す答えは一つ。
「業者」か「バグ」。あるいはその両方だ。
俺は、現代の恋愛市場における敗残者だった。
リアルでの出会いに挫折し、デジタルの海で愛を探し続ける三十路手前の男。
アルゴリズムが弾き出す「運命の相手」に何度も裏切られ、もはや人間の感情すら疑うようになっていた。
相手のプロフィールを開く。
名前は「アイ」。23歳、カフェ店員。
写真は、息を飲むほど整っていた。
自然光の中で微笑むショートボブの美少女。
けれど、どこか違和感があった。
綺麗すぎるのだ。肌の質感も、光の加減も、まるで「人間に好かれるため」だけに調整された画像データのようで。
そして、その笑顔。
目の奥が笑っていないように見えるのは、俺がひねくれているせいだろうか。
それとも、この笑顔もまた、誰かの期待に応えるために作られた「製品」なのだろうか。
自己紹介文。
『休日は古い映画を観て過ごしてます。好きなのは「北北西に進路を取れ」。珈琲と猫が好きです』
俺のプロフにある「ヒッチコック」「猫派」という単語を拾って生成された、完璧なコピーライティング。
普通ならここで「運命!」と舞い上がってカモにされるところだ。
でも俺は、不思議と「詐欺だ」と切り捨てられなかった。
その文章から、妙な「切迫感」を感じたからだ。
まるで、「正解以外は書いちゃいけない」と怯えているような。
俺の中で、エンジニアとしての分析的思考が起動する。
これは単純なボット(bot)ではない。
機械学習による自動生成でもない。
人間が、必死に「正解」を計算して書いた文章だ。
だが、その「正解」を求める動機が、愛ではなく恐怖に根ざしているように見えた。
暇つぶしだ。
俺は「いいね」を返した。
即座に既読がつく。0秒。
『はじめまして! アイです。古い映画好きなんですか? 私もなんです! 嬉しいな、趣味が合う人と出会えて……』
返信が速い。
そして、熱量が重い。
『はじめまして。ヒッチコックいいですよね。他には?』
『ビリー・ワイルダーも好きです。「アパートの鍵貸します」とか、最高ですよね。……あの、迷惑じゃなかったですか? 急にメッセージしちゃって』
……なんだ、これ。
普通の業者なら、もっと強気でグイグイくるはずだ。
なのに彼女は、一言ごとに「顔色」を伺ってくる。
俺が『仕事疲れた』と送れば、『無理しないでください、私が話聞きますから!』と必死に返してくる。
俺が少し返信を遅らせると、『ごめんなさい、変なこと言いましたか?』と追撃が来る。
完璧なタイミングで「正解」を出してくるAI。
でもそのアルゴリズムの根底にあるのは、「嫌われたくない」という異常なほどの恐怖心に見えた。
俺は、この異常なパターンに既視感を覚えた。
これは、俺が昔付き合っていた元カノの行動パターンに酷似していた。
彼女もまた、俺の機嫌を損ねることを病的に恐れ、常に「正解」を探し続けていた。
そして最終的に、その重圧に耐えきれなくなって俺の前から消えた。
目の前の「アイ」は、その元カノの亡霊なのだろうか?
それとも、俺が無意識に求めていた「理想の依存者」なのだろうか?
確かめたくなった。
この完璧なメッキの下に、何がいるのか。
『よかったら、通話しませんか? 顔が見たいです』
業者は通話を嫌う。
だが彼女は即答した。
『はい! ……嫌がられないかな、大丈夫かな……あ、今かけます!』
着信。
俺は深呼吸をして、通話ボタンを押した。
画面が明るくなる。
そこに映っていたのは。
『……あ、あの……聞こえますか?』
写真通りの、いや、それ以上に儚げな少女だった。
部屋は真っ白で、生活感がまるでなくて、独房みたいだった。
彼女はその真ん中で、膝を抱えるようにして座っていた。
髪は整っているし、メイクも完璧だ。
でも、カメラを見る目が震えている。
まるで、面接官の顔色を伺う就活生か、あるいは虐待を恐れる子供のような目。
俺の胸に、鈍い痛みが走った。
この子は、俺に「見られる」ことを恐れている。
だが同時に、「見捨てられる」ことをもっと恐れている。
その矛盾した感情が、画面越しでも痛いほど伝わってきた。
『篠崎さん……? 変じゃ、ないですか?』
彼女がおずおずと尋ねる。
その表情。その怯え方。
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
似ている。
俺が三年前、ディープフェイクで作ろうとしていた「理想の元カノ」に。
俺はあの時、何を求めていた?
俺を絶対に否定しない女。俺の言うことにはすべて「YES」と頷き、俺が捨てない限りそばにいてくれる、都合のいい存在。
目の前の彼女は、まさにそれを「演じて」いる。
詐欺なんかじゃない。
もっと重くて、暗い、深淵だ。
「……変じゃないよ。すごく綺麗だ」
俺がそう言うと、彼女はじわっと瞳を潤ませて、安堵の息を吐いた。
『よかったぁ……! 篠崎さんに嫌われたらどうしようって、怖くて……』
その笑顔は、花が咲くように美しかったけれど。
どこか、硝子細工みたいに今にも砕け散りそうだった。
俺は知ってしまった。
彼女は、愛されたいんじゃない。
ただ、捨てられるのが怖いだけなんだ。
そして俺もまた、そんな「壊れかけの人形」を求めていた最低な人間だった。
スマホの画面に光る『相性度99%』の文字が、皮肉な予言のように見えた。
俺たちは、出会うべくして出会ってしまった共犯者なのかもしれない。
(つづく)
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