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第6話:そして俺は、完璧な彼女(フェイク)をゴミ箱に捨てた(最終話)
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翌朝。
カーテンの隙間から、容赦のない朝日が差し込んでいた。
ソファの方を見ると、アイが毛布にくるまって死んだように眠っていた。
口は半開きで、よだれの跡がある。
時折、「ん……ごめ……」と寝言を漏らしている。夢の中でまで謝罪しているのか、こいつは。
昨夜、ワイン一杯で撃沈した彼女。
あまりにも無防備で、あまりにも「人間」だった。
これが、俺が三年間求め続けていた「理想の彼女」の正体だ。
完璧ではない。美しくもない。
だが、確実に「生きている」。
俺はデスクに向かい、PCの電源を入れた。
ファンの回転音が、静寂を切り裂く。
デスクトップにある『Project_Ideal』のフォルダ。
俺が三年かけて作り上げた、傷つかない、老いない、裏切らない「完璧な恋人」。
昨日まで、俺はこのフォルダの中だけが、世界で唯一の安全地帯だと思っていた。
マウスカーソルを合わせる。
この中には、俺が欲しかった言葉のすべてがある。
でも、ここには「痛み」がない。
指を切って赤くなる血もなければ、失敗して泣きじゃくる見苦しさもない。
今の俺には、それがたまらなく「空虚」に見えた。
現代のテクノロジーは、人間の欲望を完璧に満たそうとする。
だが、それは同時に人間から「不完全さ」を奪っている。
不完全さこそが、人間らしさの本質なのに。
俺は振り返った。
ソファに転がる、メンテナンス性の悪い生身の女。
俺の顔色を伺って、必死に自分を殺して、それでもボロが出てしまう不器用な生き物。
……あいつ、俺と同じなんだよな。
本音を見せるのが怖くて、理想の自分(アバター)という鎧を着ないと息もできない。
臆病で、面倒くさい、同類(バグ)。
なら、俺が先に鎧を脱ぐべきだ。
現代社会は、俺たちに「完璧であれ」と要求し続ける。
SNSの「いいね」、マッチングアプリの「評価」、社会の「期待」——
すべてが俺たちを「理想の商品」に変えようとしている。
だが、俺は疲れた。
完璧な偽物でいることに。
俺はフォルダをドラッグし、ゴミ箱へ放り込んだ。
『この項目を完全に削除しますか?』
警告ポップアップ。
俺は迷わずエンターキーを叩いた。
カチッ。
消滅。
俺の三年間の逃避行動が終わった。
不思議と、喪失感はなかった。
むしろ、肺の中に詰まっていた澱が取れたみたいに、息がしやすかった。
これは、俺なりの「成人式」だったのかもしれない。
デジタル・ネイティブから、現実を受け入れる大人への通過儀礼。
完璧な幻想を手放し、不完全な現実を選ぶ——それが、俺の「大人になる」ということだった。
「……はっ!?」
背後で、ガバッと起き上がる音がした。
アイが飛び起きて、時計を見て青ざめている。
「うそ、寝坊した……!? ご、ごめんなさい! 朝ごはん作るはずだったのに……私、また……っ」
パニックになりかけてる。
朝起きて最初にすることが「自己嫌悪」かよ。
「落ち着け。今日は日曜だ」
俺はコーヒーを淹れて、震える彼女の前に置いた。
「……怒って、ない?」
「怒る理由がない。顔洗ってこい、ひどい顔だぞ」
「うぅ……」
彼女は洗面所に駆け込み、数分後に戻ってきた。
少しはマシになったが、まだ目は腫れている。
「篠崎さん……あの」
彼女が俺のPC画面を見た。ゴミ箱が空になっていることに気づいたのか、目を見開いた。
「消しちゃったの……? 大切な、データだったんでしょ?」
「ああ。大切だったよ。昨日の夜までは」
俺はマグカップを手に、彼女の隣に座った。
「でも、もう要らない。……あいつは、指切っても血が出ないからな」
「……え?」
「俺には、生傷だらけですぐ泣く、手のかかるポンコツの方が合ってるって気づいたんだよ」
彼女はきょとんとして。
それから、じわじわと意味を理解したのか、顔を真っ赤にして俯いた。
「……私、重いよ? 面倒くさいよ?」
「知ってる。俺も大概ひねくれてるし、お互い様だろ」
俺は彼女の手を握った。
冷たかった指先が、俺の体温で少しずつ温まっていく。
これが、現実の重さだ。
デジタルでは再現できない、血の通った温度。
俺たちは、普通の恋人同士みたいに見えるかもしれない。
でもその本質は、傷を舐め合う共犯者だ。
お互いの欠落を埋めるために、必死にしがみついているだけかもしれない。
それでもいい。
綺麗なだけの孤独より、泥臭い共依存の方が、今の俺には温かい。
現代社会は、「健全な恋愛」を理想とする。
だが、俺たちのような「不健全な人間」には、「不健全な愛」の方が合っている。
互いの傷を理解し、受け入れ、共有する——それも、愛の一つの形なのかもしれない。
「腹減ったな。飯行くか」
「うん……あ、でも私、メイク直してないし、服もシワシワだし……」
「誰も見てねえよ。行くぞ」
俺たちは部屋を出た。
日曜日の街は、幸せそうな家族連れやカップルで溢れていた。
その眩しさが少し痛いけど、隣にある彼女の手の重さが、俺をこの現実に繋ぎ止めてくれていた。
スマホの通知が鳴る。
マッチングアプリからの『今週のおすすめ』。
俺は歩きながら、アプリのアイコンを長押しして、『削除』を選んだ。
もう、検索する必要はない。
最高にバグだらけで、愛おしい「現実」が、ここにあるんだから。
現代人の多くが、完璧な相手を求めて彷徨い続けている。
だが、俺は気づいた。
完璧な相手など存在しない。
存在するのは、互いの不完全さを受け入れ合える関係だけだ。
俺たちは、デジタル時代の新しい愛を発見したのかもしれない。
それは美しくないが、確実に「本物」だった。
(おわり)
カーテンの隙間から、容赦のない朝日が差し込んでいた。
ソファの方を見ると、アイが毛布にくるまって死んだように眠っていた。
口は半開きで、よだれの跡がある。
時折、「ん……ごめ……」と寝言を漏らしている。夢の中でまで謝罪しているのか、こいつは。
昨夜、ワイン一杯で撃沈した彼女。
あまりにも無防備で、あまりにも「人間」だった。
これが、俺が三年間求め続けていた「理想の彼女」の正体だ。
完璧ではない。美しくもない。
だが、確実に「生きている」。
俺はデスクに向かい、PCの電源を入れた。
ファンの回転音が、静寂を切り裂く。
デスクトップにある『Project_Ideal』のフォルダ。
俺が三年かけて作り上げた、傷つかない、老いない、裏切らない「完璧な恋人」。
昨日まで、俺はこのフォルダの中だけが、世界で唯一の安全地帯だと思っていた。
マウスカーソルを合わせる。
この中には、俺が欲しかった言葉のすべてがある。
でも、ここには「痛み」がない。
指を切って赤くなる血もなければ、失敗して泣きじゃくる見苦しさもない。
今の俺には、それがたまらなく「空虚」に見えた。
現代のテクノロジーは、人間の欲望を完璧に満たそうとする。
だが、それは同時に人間から「不完全さ」を奪っている。
不完全さこそが、人間らしさの本質なのに。
俺は振り返った。
ソファに転がる、メンテナンス性の悪い生身の女。
俺の顔色を伺って、必死に自分を殺して、それでもボロが出てしまう不器用な生き物。
……あいつ、俺と同じなんだよな。
本音を見せるのが怖くて、理想の自分(アバター)という鎧を着ないと息もできない。
臆病で、面倒くさい、同類(バグ)。
なら、俺が先に鎧を脱ぐべきだ。
現代社会は、俺たちに「完璧であれ」と要求し続ける。
SNSの「いいね」、マッチングアプリの「評価」、社会の「期待」——
すべてが俺たちを「理想の商品」に変えようとしている。
だが、俺は疲れた。
完璧な偽物でいることに。
俺はフォルダをドラッグし、ゴミ箱へ放り込んだ。
『この項目を完全に削除しますか?』
警告ポップアップ。
俺は迷わずエンターキーを叩いた。
カチッ。
消滅。
俺の三年間の逃避行動が終わった。
不思議と、喪失感はなかった。
むしろ、肺の中に詰まっていた澱が取れたみたいに、息がしやすかった。
これは、俺なりの「成人式」だったのかもしれない。
デジタル・ネイティブから、現実を受け入れる大人への通過儀礼。
完璧な幻想を手放し、不完全な現実を選ぶ——それが、俺の「大人になる」ということだった。
「……はっ!?」
背後で、ガバッと起き上がる音がした。
アイが飛び起きて、時計を見て青ざめている。
「うそ、寝坊した……!? ご、ごめんなさい! 朝ごはん作るはずだったのに……私、また……っ」
パニックになりかけてる。
朝起きて最初にすることが「自己嫌悪」かよ。
「落ち着け。今日は日曜だ」
俺はコーヒーを淹れて、震える彼女の前に置いた。
「……怒って、ない?」
「怒る理由がない。顔洗ってこい、ひどい顔だぞ」
「うぅ……」
彼女は洗面所に駆け込み、数分後に戻ってきた。
少しはマシになったが、まだ目は腫れている。
「篠崎さん……あの」
彼女が俺のPC画面を見た。ゴミ箱が空になっていることに気づいたのか、目を見開いた。
「消しちゃったの……? 大切な、データだったんでしょ?」
「ああ。大切だったよ。昨日の夜までは」
俺はマグカップを手に、彼女の隣に座った。
「でも、もう要らない。……あいつは、指切っても血が出ないからな」
「……え?」
「俺には、生傷だらけですぐ泣く、手のかかるポンコツの方が合ってるって気づいたんだよ」
彼女はきょとんとして。
それから、じわじわと意味を理解したのか、顔を真っ赤にして俯いた。
「……私、重いよ? 面倒くさいよ?」
「知ってる。俺も大概ひねくれてるし、お互い様だろ」
俺は彼女の手を握った。
冷たかった指先が、俺の体温で少しずつ温まっていく。
これが、現実の重さだ。
デジタルでは再現できない、血の通った温度。
俺たちは、普通の恋人同士みたいに見えるかもしれない。
でもその本質は、傷を舐め合う共犯者だ。
お互いの欠落を埋めるために、必死にしがみついているだけかもしれない。
それでもいい。
綺麗なだけの孤独より、泥臭い共依存の方が、今の俺には温かい。
現代社会は、「健全な恋愛」を理想とする。
だが、俺たちのような「不健全な人間」には、「不健全な愛」の方が合っている。
互いの傷を理解し、受け入れ、共有する——それも、愛の一つの形なのかもしれない。
「腹減ったな。飯行くか」
「うん……あ、でも私、メイク直してないし、服もシワシワだし……」
「誰も見てねえよ。行くぞ」
俺たちは部屋を出た。
日曜日の街は、幸せそうな家族連れやカップルで溢れていた。
その眩しさが少し痛いけど、隣にある彼女の手の重さが、俺をこの現実に繋ぎ止めてくれていた。
スマホの通知が鳴る。
マッチングアプリからの『今週のおすすめ』。
俺は歩きながら、アプリのアイコンを長押しして、『削除』を選んだ。
もう、検索する必要はない。
最高にバグだらけで、愛おしい「現実」が、ここにあるんだから。
現代人の多くが、完璧な相手を求めて彷徨い続けている。
だが、俺は気づいた。
完璧な相手など存在しない。
存在するのは、互いの不完全さを受け入れ合える関係だけだ。
俺たちは、デジタル時代の新しい愛を発見したのかもしれない。
それは美しくないが、確実に「本物」だった。
(おわり)
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