【短編】マッチングアプリで出会った美女が完璧すぎて、どう見ても業者かAIな件。~課金も誘導もないのに、なぜか俺の人生が侵食されていく~

月下花音

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第5話:その愛は、俺が削除したはずのデータより重かった

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 週末。
 ついに、アイが俺の部屋に来ることになった。
 『手料理、作ってあげたいな』という提案。
 それは彼女なりの「最終テスト」に見えた。俺のテリトリーに入り込んでも、拒絶されないかの確認。

 俺の部屋は、対人関係に疲れた俺が作った「要塞」だ。
 ハイスペックPC、三画面のモニター、遮光カーテン。
 ここに他人が入ることは、俺の世界の「汚染」を意味する。
 
 現代人の多くが、こうした「個人空間」に逃げ込んでいる。
 リアルな人間関係のコストを避け、デジタル空間で完結する生活——
 それは安全だが、同時に孤独という代償を払っている。

「お邪魔しまーす! わあ、なんか秘密基地みたい……」

 彼女は重そうなスーパーの袋を提げて入ってきた。
 靴が揃えられ、コートが掛けられ、洗面所に化粧水が置かれる。
 俺の「最適化された空白」が、彼女の持ち物で埋まっていく。

 重い。
 物理的な質量以上に、存在の密度が重い。
 
 これが、リアルな人間関係の「コスト」だ。
 空間を占有し、酸素を消費し、予測不可能な変数を持ち込む——
 デジタル・ネイティブの俺には、その「重力」が新鮮で、同時に恐ろしかった。

 かつて俺がPCの中で飼ってた「理想の彼女」は、電源を切れば消えるし、部屋の酸素も消費しない究極のエコ存在だった。
 でも、現実はこれだ。

「あ、ごめん! 玉ねぎ転がっちゃった!」
「おい、LANケーブル踏むな。それ命綱だぞ」
「あはは、ごめんなさい。……くしゅん!」

 うるさい。
 動くたびに空気が揺れるし、埃が舞う。
 俺はソファの隅で、黒い画面のモニターを睨んだ。
 「コストがかかりすぎる」。
 俺の防衛本能が、彼女を排除しろと警告を出している。
 
 現代人は、こうした「非効率性」を嫌う。
 すべてをデジタル化し、最適化し、コントロール可能にしたがる。
 だが、人間の本質は「非効率」そのものだ。
 予測不可能で、手間がかかり、時にはシステムを破綻させる——それが「生きている」ということなのかもしれない。

 その時。
「いっ」
 キッチンから短い悲鳴がした。

 俺は弾かれたように立ち上がった。
「どうした?」
「あ、ごめん……指、切っちゃった」

 彼女が指先を押さえている。
 白い指の隙間から、赤い血が滲み出て、床にポタと落ちた。
 
 血だ。
 モニターの中の彼女には絶対流れない、生臭くて、鉄の味がする液体のほう。
 
 これが、デジタルとアナログの決定的な違いだった。
 データは傷つかないが、人間は傷つく。
 そして、その「傷つきやすさ」こそが、人間の価値なのかもしれない。

「……バカ。見せろ」
「平気だよ、これくらい……汚しちゃってごめんね」

 また謝るのか。
 自分の痛みよりも、床が汚れることを気にしている。

 俺は彼女の手首を掴んで、水道まで引っ張った。
 流水で傷口を洗う。
 水は冷たいのに、彼女の血だけが熱い。

 なんか、怖いな。
 こいつ、生きてるんだ。
 切れば血が出るし、放っておけば腐るし、いつか死ぬ「有機物」なんだ。
 もしこいつがいなくなったら、この部屋には血の匂いと、あちこちに残された「生きていた痕跡」だけが残る。
 データの削除とは訳が違う。元に戻すコマンドがない。
 
 現代人は、この「不可逆性」を忘れがちだ。
 デジタル世界では、すべてが「やり直し」可能だから。
 だが、現実は一度きりだ。
 失えば二度と戻らない——その重さが、俺の胸を締め付けた。

「……篠崎さん? 顔、怖いよ」
「元からだ。……じっとしてろ」

 俺は救急箱から絆創膏を取り出して、彼女の指に巻いた。
 手が震えて、少しきつめに巻いてしまった。

「……メンテナンス性が悪いな、人間は」
 俺は憎まれ口を叩いた。
 そうしないと、彼女の「生々しさ」に飲み込まれそうだったからだ。

「ふふ、ごめんね。手のかかる彼女で」
 彼女は絆創膏を巻かれた指を、愛おしそうに眺めた。
 そして、信じられないことを言った。

「でも、よかった」
「は?」
「だって、痛いから。……私、ちゃんと生きてるんだなって分かるし」

 彼女は潤んだ目で俺を見た。
 
「それに、篠崎さんが『痛いのは嫌だろ』って顔してくれたから。……私、ただのデータじゃないんだって思えた」

 その歪んだ笑顔を見た瞬間。
 俺の頭の中にあった「完璧な元カノ(データ)」が、音を立てて崩れ去った。

 勝てない。
 どんなに精巧な4K映像も、この愚かで、痛覚のある「実存」には勝てない。
 
 現代のテクノロジーは、人間の感覚を完璧に再現しようとしている。
 VR、AR、触覚フィードバック——
 だが、それらすべてが見落としているのは、「痛み」の持つ実存的な意味だ。
 痛みは、「私が存在している」ことの証明なのだ。
 
 俺はため息をついて、彼女の肩に額を押し付けた。
 重い。体温が、俺の思考を溶かしていく。

「……ああ、面倒くさい。最高に面倒くさいよ、お前は」

 それは、俺なりの降伏宣言だった。
 俺はもう、あの清潔で安全なデジタルの海には戻れない。
 この重力の中で、彼女の血の匂いと、古傷を共有して生きていくしかないんだ。
 
 現代人の多くが、この「重力」から逃げている。
 軽やかで、清潔で、コントロール可能なデジタル世界へ——
 だが、俺は選んだ。
 重くて、汚くて、予測不可能な現実を。

「カレー、ちょっと薄味になっちゃうかも」
「……文句言いながら食うよ」

 部屋には、ルーの溶ける匂いが充満していた。
 それは、俺の孤高の要塞が、完全に陥落した匂いだった。
 
 そして、それは敗北ではなく、解放だった。
 俺は初めて、「一人じゃない」という重さを受け入れることができた。

(つづく)
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