声(ボイス)で、君を溺れさせてもいいですか

月下花音

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第12話

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 あれから、少しだけ時間が流れた。
 騒動は、意外な形で収束した。
 律が「活動休止」を宣言したことで、アンチや特定班の熱が冷めたのだ。
 ネットの炎上なんて、燃料がなければすぐに鎮火する。

 そして今日。
 Nocturne様が、帰ってきた。

『……久しぶり。みんな、待っててくれてありがとう』

 大学の講義室。
 私はいつもの席で、イヤホンをして配信を聴いている。
 隣には、律がいる。
 相変わらず黒マスクで、スマホをいじっている。

 でも、違うことが一つだけある。

 机の下。
 私の左手と、律の右手が、しっかりと繋がれていること。

『……今日は、復帰記念に、一曲だけ歌おうかな』

 Nocturne様の声が、イヤホンから流れる。
 同時に、隣の律の喉が、小さく動くのが見える。

『……ある、大切な人のために』

 律の手が、私の手をギュッと握る。
 痛いくらいに。
 愛おしいくらいに。

 流れてきたのは、私が一番好きなバラードのハミング。
 歌詞はない。
 でも、その旋律だけで、十分すぎるほど伝わってくる。

 ――愛してる。

 コメント欄が『おかえり』『泣ける』『誰のための歌?』で埋め尽くされる。
 みんな、感動している。
 でも、本当の意味を知っているのは、世界で私だけ。

 私は、律の方を見た。
 律も、私を見た。
 マスクの下の目が、優しく細められる。

 私は、口パクで伝えた。

(……おかえり、律)

 律は、小さく頷いた。

 配信が終わる。
 Nocturne様が、最後の挨拶をする。

『……それじゃあ、また明日。おやすみ』

 プツン。
 配信が切れる音。

 私はイヤホンを外した。
 講義室のざわめきが戻ってくる。
 でも、私の耳には、まだ律の声が残っている。

 律が、マスクをずらした。
 そして、誰にも聞こえないような、でも私にはハッキリと聞こえる声で、囁いた。

「……おやすみ、俺のプリンセス」

 その声は、どんな高級なマイクを通した声よりも。
 どんな甘いASMRよりも。
 私の心を、溺れさせた。

 声(ボイス)で、君を溺れさせてもいいですか?

 その問いへの答えは、もう決まっている。

 ――いつでも。
 ――あなたが、囁いてくれるなら。

 私は律の手を握り返し、幸せな微睡みの中で、小さく笑った。

(完)
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