心と口と行いのなかで

南河 紅狼

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一章 矢車菊の青い瞳は

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 大陸随一の国とあって、帝都はとにかく豊かで淫らな街だ。
 エヴァンが滞在している宿は貴族街にほど近い場所にあり、帝都でも一番華やかな雰囲気を持っている。
 宿の一階にある高級バーのカウンター席に座り、エヴァンは一人、グラスを傾けていた。
 深いアルコールの香りと、そこかしこに飾られている生花のみずみずしさが静かに広がる空間は他国からの侵略の不安がない帝都だからこそかもしれない。
「お探しいたしましたよ、ロナード様」
「君は、誰だったかな? 俺の知り合いに、君のような物騒な顔をした人はいなかったようにおもうけれども」
 年齢相応に、しゃがれた己の声。ずいぶん前にやめたものの、たばこの後遺症でもある。
 エヴァンはもう一度、ゆっくりと酒をあおり、グラスをカウンターに戻して立ち上がった。
「商談なら、秘書を通してもらわなければ困る。それに、今は仕事ではなく私用できているのでね。せっかくの貴重な自由時間を邪魔されたくないんだ」
 裕福の表れか、俗欲にまみれているからか。大きく張り出た腹を抱えるようにしてエヴァンを追いかけてくる男は「失礼なのは、承知のうえでして!」と声を上げた。
 大枚をはたいてゆったりとした時間を買い上げている富豪たちが、男の大声に不快をあらわにした視線を向けてくる。
「やれやれ、困った人だ。場をわきまえたまえ。でなければ、商談などうまく行くはずもないだろうに」
 しかたなく立ち止まって、男が駆け寄ってくるのを待ってやる。
 安いたばこの香りが、どうにも鼻につく男だ。
「自分はエーギル・バロウズ。宝石商を生業としている者でして」
 エヴァンは人差し指を唇にあて、黙るようにと促した。
「はしたない男は、摘まみ出されるよ。まあ、せっかくだから話だけは聞いてあげよう。でないと、引き下がってはくれなさそうだからね」
 問題を察知して駆け寄る仕草を見せてきた黒服に、大丈夫と首を振り、エヴァンはエーギルをつれ、ラウンジに移動した。
「帝都にロナード様がお忍びでいらっしゃっているとの噂を耳にしましてね」
 ソファに座るやいなや、口を開くエーギルにエヴァンは頭を抱えた。たいしていい声でもないのに、やかましくよく響く声だ。
「まったく、お忍びになっていないようだ」
 エヴァンはやれやれと、肩をすくめる。
「まあ、交流のある貴族と遊んでいれば、自然と噂も流れるだろう、仕方ないか」
 遊びにきているのに、じっとホテルに滞在していては、意味がない。
「で、バロウズくんは何を売り込みにきたのだい? 私が誰であるか知って、声をかけているのだろうから、期待してもいいんだろうね」
「ええ、それはもう」
 にんまりと得意げにほほえむエーギルは、高級感漂う革張りの椅子に窮屈げに体を埋めて左手に提げていた鞄をテーブルに置いた。
「ぜひとも、ロナード様のお部屋でお見せしたい代物なのですが」
「ここでいいよ。人の物を取って盗むような輩はいない場所だ」
「はあ、でしたらここで」
 ごねて商談を逃すよりはと、不満げな様子ではあったが、エーギルは上着のポケットから鍵を取り出した。
 金色の小さい鍵は細かい作りが施され、芸術品としてみても良いほどに美しかった。節くれ立った男の手の内にあるのが、もったいないと残念に思うほどに。
 とはいえ、人の物を奪うわけにもゆかない。期待半分といった面持ちで、エヴァンは黙って解錠されるのを待つ。  
 エヴァンは帝都から東に行ったベゼルという名の商業都市に居を構える、貴族階級の人間だ。
 先祖代々から受け継ぐ広大な土地のなかからエヴァンは金の鉱脈を探り当て、一気に社交界に躍り出た有力人物だった。
 五十に近い年齢だが、外見は相対して座るエーギルよりもよっぽど若々しく見える。
「かねてより、メルビスの宝飾をお集めになっていると聞きまして」
「ほう、君はメルビスの作品を所有しているのかね? この私が、有り余る財をいくらつぎ込んでも満足に集めることができていないでいるのに?」
「偽物と、お疑いでございましょうか? ご安心ください、私めがご用意させていただきましたものは、間違いなく本物です。どうぞ、気の済むまでお確かめになってください」
 もったいぶるようにゆっくりと、エーギルが鞄を開けた。
 つるりと光沢のある絹の布に柔らかく包まれていたのは、金細工の施された、ねじ巻き製の懐中時計だった。
 動いていないはずなのに、かちこちと針が刻む時の音か聞こえてくるような精密な文字盤に、思わずエヴァンの口から感嘆の吐息が漏れた。
 エーギルの得意げな表情はかんに障るが、致し方ない。生まれつきの顔に文句を言うのは、酷だろう。
「ロナード様が帝都に来られた理由も、メルビスの作品を求めて、でございましょう?」
「腕は良いが、なにぶん細工師を生業としていなかったから、作品そのものが数が少ない。市場に出回っていないからこそ、貴重でもある。……手に持っても、よろしいかな?」
「ええ、どうぞ。ロナード様が帝都のいらっしゃるときいて、持ってきたものですので」
 すでに商談は決まったものだと言わんばかりのエーギルをちらっと視界に入れつつ、メルビスがつくったという懐中時計を手に取る。
 ずっしりとした金の重み。
 多少の汚れはあるが、しっかりと手入れをすれば何ら問題はない状態だ。エヴァンは懐中時計の蓋に描かれた細かな幾何学模様をしげしげと観察し、吐息を零す。
「すばらしい、確かにメルビスの作品に違いない。どこで、これを手に入れたんだね?」
「入手先は、申し訳ありませんが言えません。ただ、信用のおける取引先ですので、ご安心を」
 いかがいたします? と、視線で語るエーギルに、エヴァンは片手をあげて指を鳴らした。
 驚くエーギルを尻目に、背後でそっと控えていた女性が革靴の踵を響かせながらやってきた。
「あとの商談は、頼むよ。私は外に出て飲み直してくる」
「あ、あの、ロナード様?」
「買い上げると言っているのだよ、バロウズくん。君は大変良い代物を、私の手元に届けてくれた。礼を言おう」
 すくっとソファから立ち上がったエヴァンは、秘書のサティに目配せをして宿を出て行った。
 メルビスの逸品をもとめ、何度も、足蹴よくかよった帝都は、エヴァンに取って第二の故郷ともいえる。
 高級宿のバーも捨てがたいが、身分など気にする者は誰一人としておらず、静かに時間を過ごせる店を知っている。
 高揚とする心を静めるには、洒落たバーでは心許ない。
 主の悪い癖を知り尽くしているサティは表情を少しも変えず、供を連れずに出て行く姿すら見送らない。
 きっちりと、きっちりしすぎてすこしばかり面白みには欠けるが、秘書として側に置くにはサティは優秀な女性だった。
 商人としては心許ない、緩みきった顔をしたエーギルではあるが、噂ではかなりあくどい面も聞いている。
 とはいえ、自分が出るほどの大物ではない。サティに任せておけば、うまく商談をまとめてくれるだろう。
「今日は、祝杯としゃれ込むかな。ようやく、しっぽをつかんだよ」
 肩越しにエーギルを見やり、エヴァンは悠々とした足取りで夜の街に出て行った。
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