心と口と行いのなかで

南河 紅狼

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四章 甘く包まれる

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「どういうことですか! 婚約を解消するだなんて!」
 響く怒号に、皿からカップが飛び上がる想像をして笑い、エリスは顔を真っ赤にしているニルフに「そうよ」とだけ答えてポットにお湯を注いだ。 エリスには、嬉しいことがあると紅茶を飲む癖がある。
 大枚をはたいて購入した茶葉はいつの間にか底が見えていて、そろそろ新しい茶葉を見繕いに外に出なければならなそうだ。丁度良い、久しぶりに外出を決め込むにはとても素晴らしい気分だった。
「私から、振ってやったのよ」
「だから、どうしてですか! レオンさんに何か不満でも?」
 つかみかかってきそうな勢いではあるが、ニルフは暴力沙汰が得意ではない。
「不満? まあ、たくさんあるわ」
 エリスは頭から湯気さえ立てそうな弟を無視して、お茶の準備を進めた。
 全力で物事に取り組む熱心すぎるニルフは、その激しさに時に誤解を生むのだが、言ったところでなおるものでもない。心配してくれているのは、じゅうぶんにわかっている。
「そう、すぐに怒らないの」
 幸いにも、ニルフの婚約者はよくできた女性だった。
 エリスが気性の荒い弟の扱い方を仕込んでやると、いずれ義妹になる彼女はすぐに体得した。
 アーカム家の将来は、黙っていても安泰なのだ。エリスが一人で一生を終えたところで、どうってことはないのだ。 
「正直に言いましょう。少しは大人になったのではないかと思っていたのに、レオンったら何一つ昔のままなんですもの。あんな朴念仁、友達なら良いけれど、生涯の伴侶にするなんて頭が狂っているとしか思えないわ」
「ひどい言いようですね」
 エリスと違い、レオンハルトに好感を持っているらしいニルフは気分を害したと口をへの字に曲げた。
「妥当な評価だと思うけれど。とにかく、お話はお父様とお母様にはお通ししてあります。本来ならばお父様が直接、オスカー家にご挨拶しなければならないけれど、具合が良くないそうなので、ニルフが代わりに行って頂戴」
 ポットから、かぐわしい紅茶の香りが漂う。
「次代のアーカム家の当主としての、大切な仕事よ」
「拒否権はないのですか?」
 エリスはニルフの分のカップも用意して、紅茶を注いだ。
 お気に入りのローズマリーの蜜は、餞別とレオンハルトに押しつけたので、代わりに角砂糖をいれる。
「姉さんは、あの男のこと、まだ忘れられないのですか?」
 絨毯をむしるよう乱暴に歩いてきたニルフは、素知らぬ顔でいつもの日課を淡々とこなしているエリスに肩をすくめ、椅子に腰掛けた。
「ニルフ。あなたは私が死んだら、綺麗さっぱり忘れられるのかしら?」
「……家族と恋人は、違うでしょう?」
 平行線をたどりそうな返答に、エリスは舌の上ににじみ出てくる苦みを砂糖をたくさん放り込んだ紅茶で流した。
 昨晩は、しばらく誰にも話していなかった彼のことを、レオンハルトに語った。だから、いつも以上に感傷的になっているのかもしれない。
 言葉を紡げば、真っ向から返してくるニルフの真摯さは、素晴らしいが重すぎる。
 他人の気持ちなど知ろうともしないレオンハルトの無頓着さが、今のエリスにはちょうど良いのかもしれない。
「大変だったんだね」なんておざなりな台詞が心地良いとは、思ってもみなかった。
「私、結婚はしないわ。誰ともね」
 カップを持ち上げた手を止めて、凝視してくるニルフにエリスはにんまりと微笑んだ。
「アーカム家の繁栄は、ニルフ、私でなくあなたの仕事でしょう? 子を産むためだけに男をあてがわれる人生なんて、じつに私らしくない」
 甘すぎる紅茶を皿に戻して、エリスは椅子から立ち上がった。
 窓の外から見える空は、とても青く澄んでいる。ぶらぶらと出かけるには、気持ちの良さそうな天気だ。
「死んだ男に、いつまで囚われているのですか? いくら思ったって、あの人は帰ってこない。なら、幸せに生きるべきでしょう?」
「あの人は、私が送る人生の先で、待っていてくれている」
 理解できないと、もしかしたら狂っているとでも思ったのかもしれない。表情を曇らせるニルフをエリスは笑うしかなかった。
 姉弟であっても、理解できることとできないことがある。幸せの形が、同じではないからだ。
「ニルフ、あなたが心配するほど、私は不幸ではないのよ」
 だから、安心してほしい。
 理解されないだろう言葉を飲み込んで、エリスは外出着を選びにクローゼットへと駆けだしていた。

◆◇◆◇

 宿屋に併設されている高級リストランテで、エヴァンは遅めの昼食を取っていた。
 エヴァンの傍らには、灰色の髪を短く切りそろえた、男装の秘書サティが直立不動で控えている。
 富裕層しか足を踏み入れないような場所ではあるが、連れの者を侍らすのではなく立たせているのはエヴァンだけで、気むずかしい客を相手にしてきたであろう店員たちも、どこか一歩引いているように思えた。
「サティ、エーギル・バロウズ氏をどう見る?」
 ミディアムレアにローストされた肉をナイフで切り分け、添え付けのつぶした芋をからめて口に運ぶ。ぴりっとした黒胡椒が、食欲をそそる。
「ロナード様以上の、メルビス収集家でいらっしゃるようです」
 皮肉めいたサティの返答を、エヴァンは鼻で笑う。
「なるほど。この俺が血眼で探し回っているというのに、惜しげも無くあちこちに売りつけているらしいな。うらやましいものだよ」
 空になったグラスに注がれるワインの香りに酔い、エヴァンは誰もいない向かい側に嘆息を零した。
 できれば、目の前の席にビーシュを座らせておきたかったが、残念ながら逃げられてしまった。
 なにが、彼の気を害したかはエヴァンにはわからなかったが、次に懐に入り込んできたときは、逃がさないようにしっかりと繋いでおかねばなるまい。
 ほくそ笑み、口の中の肉をかみ切る。
 そこいらの若い男娼よりもずっと良い反応を示す体は、驚くほどにやみつきになる。思い出せば、体の中心がいきりたつようだった。
 とはいえ、昨晩まではただの遊びのつもりだった
 。帝都での用事が済めば、それで終わりの関係でもなんらかまわなかったのだ。
 男だろうと女だろうと、エヴァンにとっての性交はただの暇つぶしだった。金を払うぶんだけ得られる娯楽と同じだ。
「彼が、メルビスに連なる者と知らなければ、こんなにも焦がれることはなかったのだがね」
 サティの視線に責められながら、エヴァンはいつも感情に大きく揺らいでいるアメジストの目を思い出す。
 金を払って男を買っていたと言うが、悪い男どもに体の良い良いカモにされていたのだろう。
 良い思いをして、なおかつまとまった金まで手に入れられる。食い物にされているのにまったく気づけないでいる哀れさは、エヴァンの嗜虐心をじりじりと焦がした。
「彼も、収集するおつもりですか?」
「できれば、そうしたい。まあ、何はともあれ、明日のバロウズ氏との商談の場にはいてもらわねばなるまい。サティ、招待状を出しておいてくれたまえ。直接会いたいものだが、軍病院まで訊ねていくわけにも行くまい。あんな場所で、騒動を起こしてはさすがに立場も危うくなるからな」
 ナプキンで口元をぬぐい、ワインには手をつけずにエヴァンは席を立った。



 宿とリストランテを繋ぐ渡り廊下を進むエヴァンを見送り、サティは中庭へと出た。
 冬空にしてはあたたかな日差しを見上げる姿は、何も知らない者からすれば富豪の妻にしかみえないだろう。
 その、彼女にゆっくりと近づいてくる男も、身なりの良いどこぞの若い貴族のようにしか見えなかった。
「聞いていたわね、レスティ」
「ああ、聞いていたよ。サティ。メルビスにご執心の主様も、困ったものだ」
 若い男は目深にかぶった帽子の下で眉をひそめ、手提げ鞄をサティに手渡した。
 見ための小ささを裏切る確かな重さに、サティは困ったものだとため息をつく。
「ロナード様のご機嫌が崩れそうですね」
「それを宥めるのが、君の仕事だろう?」
 面倒な仕事ばかりを押しつけてくる片割れにサティは中指を立て、エヴァンを追って宿に戻った。
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