はじめての契約つがい

みつきみつか

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番外編

知らない


 知らない



 午後八時。
 俺がキッチンの片づけをしていると、文弥さんが伸びをしながらリビングに入ってきた。

「みらい、寝たよー」
「ありがとうございます」
「今日すぐ寝たよ。あの子、体力オバケなのに。日中なにしてたの?」
「朝に一歳半検診いって、少し寝て、お昼ごはん食べて、午後からは、児童館で体操とボール遊びと輪投げを」
「おー、やるねぇ」
「十セットずつしてました……」
「ひゃー」

 一歳半の未来は、文弥さんのいうとおり体力オバケで成長が早い。とっくに歩いているし走っているし、二語以上しゃべる。
 芝生を見つければ転がり、砂場を見つければ山を作り、谷を作り、坂道は駆け上がり、すべり台はすべらずにいられない。
 活動的すぎるおかげで俺は毎日くたくた、満身創痍。
 ただし、とにかくよく寝る子なので、とても助かっている。午後八時に寝て午前七時に起きる。これまで、ほとんど夜泣きもしなかった。よく食べるし好き嫌いもない。

「お疲れさま。みらい、元気だよね。元気な子を産んでくれてありがとう」
「元気で健康で助かります」
「何か淹れよう。尚くん、何が飲みたい?」
「甘いの……」
「了解」

 文弥さんはミルクたっぷりの温かいカフェオレを作ってくれて、ふたりでリビングのソファで隣り合って掛け、ゆっくり飲んだ。
 このところ、俺は未来の世話、文弥さんは仕事で新しい工場の建設にかかりきり、こんなふうにゆっくり過ごす時間がなかった。
 文弥さんの腕にもたれかかると、文弥さんは俺の肩に腕を回す。あたたかくて心地いい。

「あの、文弥さん」
「ん?」
「今日、俺も健康診断で……」
「あ、そうだったんだ」
「はい。それで、その」
「何か気になることでもあった?」
「いえ、体は、とっくに全快で、健康そのものです」

 出産後のΩの体は産褥期が長く、快復に時間がかかる。俺も直後は、立ちあがれないほど辛く、三ヶ月ほどはあちこちダメージが残ってふらふらだった。
 文弥さんが支えてくれて、文弥さんが仕事でいないときは、お手伝いさんに来てもらったり、運転手さんや伯母様、大叔母様も来てくれて、それはそれは助かった。
 半年を過ぎた頃から元気になって、一年半経ったいまは、もうすっかり大丈夫って感じなんだ。
 だから……。

「そっか。無理はしないようにね。尚くん体力少なめだから、心配です。早く寝ないとね」
「えっ、あの、はい、あっ、でも」

 文弥さんの優しい瞳。
 未来が産まれてからというもの、文弥さんはすっかり子煩悩のパパで、包み込むような愛情深い笑顔に、「こんなパパが欲しい……」と児童館のお友達のママさんたちに何度言われたことか知れない。
 とにかく優しいんだ。仕事は忙しいのに、時間が許す限り未来を見てくれる。
 でも……。

「どうしたの?」

 文弥さんは俺の肩を、他意なく撫でる。
 こんなに優しくて包み込むみたいな手つきに、あろうことか物足りなさを感じるなんて、俺の罰当たり。

「そろそろ……、その……」

 俺は文弥さんの顔に手を伸ばして、その形の良い唇に、指で触れた。
 愛情たっぷりの触れるだけのキスは毎日するけれど、未来を妊娠してから今夜に至るまで、一度も、一切、性的なことをしなかった。
 だから、もっと深いキスをしたいんだ。文弥さんに触れたい。触れられたい。
 文弥さんは唇を割る俺の指の爪を、甘く噛んだ。

「あーあ。困ったなぁ。知らないよ」

 文弥さんは、ぜんぜん困っていなさそうに笑った。



〈知らない 終わり〉
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