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番外編
初ひ孫フィーバー
初ひ孫フィーバー
尚くんが倒れた。
といってもばったり倒れて意識不明などではない。産まれたばかりの長男未来とともに退院したものの、痛くてぼろぼろで動けないようで、ベッドで休んでもらっている。
僕は三週間の育休。まったく仕事をしていないのではなくて、在宅でできることはしている。
ありがたいことに、長男はよく寝るし、よく飲むし、空腹と排泄以外はほとんどぐずることはない。大人のベッドの隣にベビーベッドを並べて、尚くんが見てくれている。
僕は、ミルクを用意したり、洗い物や消毒をしたり、掃除洗濯、買い物、大人の食事の用意。
でも僕、ご飯を炊く以外は、うどんと卵焼き、味噌汁を作れる程度。
尚くんは、ご飯と味噌汁と卵焼きがあれば大丈夫です、という。しかし、かなり少食で、残すのは勿体ないからと、一食分を三分割して食べていてみるみる痩せていくし、僕は僕で、ご飯と味噌汁と卵焼きでは到底足りなくてみるみる痩せてる。かといって出来合いのものは避けたいところ。
三週間で足りるのかな。
……足りないよ、明らかに。だって尚くんはまだベッドを起き上がるのにも時間がかかるし、立っているのも座っているのもつらそう。
一週間を終えて、よーし育休延長しよう、と心に決めて、とりあえず社長である伯母様に電話してみた。
だいぶ嫌だったけど、ご挨拶も兼ねて。
『はいはい』
「文弥です。伯母様、無事に長男が産まれました。僕はお休みをいただいておりまして、ありがとうございます。そのことで少し」
僕は早口。
なにか言われるんだろうか。やだなぁ。
僕は親族からあれほど口酸っぱく言われていたにもかかわらず、男性Ωを好きになって、彼と番になって、尚くんも親族をも騙すかたちで無理くり結婚した。
予想通り、お祖父様も、お祖父様の妹である大叔母様も、僕の母の姉である伯母様も、この結婚には大反対。
なぜなら、雪野家の長男千影ちゃんは、Ωに産まれつつも男性としての順風満帆な人生を歩むはずが、竜ちゃんという僕の父と運命的に番うことで、それまでのキャリアも、将来もかなぐり捨てて、駆け落ち同然で移住。
そのうえ、僕を産んだあとは予後があまり良くなかった。
親族のみんなは尚くんのことをとても心配して、僕とは別れたらどうかと、やはり結婚には反対していた。でもそのときに、尚くんは僕とは離婚しないと宣言してくれて……。
隣に掛けた尚くんが僕の手を握ってくれた、あのときの記憶だけで、僕はもう一生分の幸せをもらった気がする。
竜ちゃんと千影ちゃんが幸せだったことも。尚くんに肯定してもらえるまで、僕は、自分なんて産まれないほうがよかったんじゃないかって、思っていたから。
それからほどなく尚くんの妊娠がわかって……時間はあっという間に経った。
僕も尚くんのことは心配だ。無理させたくない。病院の先生とは十分話し合って、産後のことも聞いてる。
尚くんにはちゃんと栄養のあるものを食べて、しっかり寝て、十分休養をとってもらわないと。
そのためにも、延長どころではなく、延ーー長ーー!!!!! ぐらいは取らないと。
「尚くんが寝たきりなので、もう少しお休みをいただきたいんです」
『文弥が休んで、何かの役に立ってるの?』
辛辣。
「一応……」
たぶん……。
掃除洗濯買い出し、通販も受取も僕担当だし、尚くんと半々で、オムツも替えるし、ミルクも用意して飲ませて片付けるし、ちゃんとしてるつもり。
お料理、うどん以外も、もっとしっかり習っておくんだった。ロットの大きいお菓子は作れるんだけどな……。
『ちゃんと尚さんに食べさせてるの?』
「尚くん、食が細くて……」
『ろくなもの食べさせてないんでしょう』
「僕の手作りごはん……」
『文弥あなた、うどんしか作れないじゃない!』
「味噌汁も作れます!」
馬鹿おっしゃい、と叱られた。
深いため息。
『まったく。うちのお手伝いをそちらに向かわせるわ。尚さんにちゃんと滋養のあるものを食べてもらいなさい』
え、いいのかな。
うちの実家もみんな忙しくて家事はお手伝いさん任せなのに。
このお手伝いさん、料亭で職人をしていた経験のある本格派で、料理がべらぼうに美味しい。
『尚さんに代わってもらえる?』
「えっ、どうかな……」
『聞くぐらいしなさいよ』
僕は寝室に入って、ベビーベッドにくっつけた小鳥のおもちゃに手を伸ばして遊んでいる未来を、やさしい眼差しで見つめている尚くんにそうっと聞いてみる。
「尚くん、ごめん、うちの伯母なんだけど、尚くんに代わってって、言ってて」
「えっ」
尚くんは慌てて上半身を起こそうとして、僕は落ち着かせて支える。
携帯電話を渡しながら、
「やばいひとだからへんなこと言われたら切っちゃっていいよ」
『聞こえてるわよ!』
「えっと、ご無沙汰してます、尚です」
スピーカーにすればよかった。いや、うるさいから未来が泣いちゃうかも。やかましいおばさんだし。
「お気遣いいただいて……えっ、お手伝いさんですか? はっ、はい、平気です、はい。いえ」
押されてるのかな。やきもき。
尚くんから携帯電話が戻って来る。耳に当てると伯母様は言った。
『話はついたから』
「わかりました。あと、僕のお休み、二ヶ月延ばしてください」
『仕方ないわね。恩に着なさいよ』
「はい」
滑り込みで育児休暇の延長取得に成功。男性の育児休暇、我が社は初めて。これで従業員も取りやすくなるといいよね。
通話を切って、尚くんに向き直る。
「ごめんね。うちの伯母、押しが強くて」
「いえ、とんでもない。すごく丁寧で……お気遣いくださって……遠慮しないで、使えるものはなんでも使って、いまは俺の体を癒やしてほしいって……助かります」
伯母様が悪いひとじゃないことは、わかってるんだけどさ。
「自宅にひとを入れるのが嫌なら、食事だけでも届けるから、ちゃんとしたものを食べてって……」
僕のごはんだってちゃんとしてるもん。
「まぁ、悪いひとではないんだ」
「俺、こんなふうに世話を焼いてもらうことや、心配してもらえることがなかったから、なんだか……」
「世話焼きおばさんなんだよね」
でも、伯母様にお礼メッセージを送っておこうかな。尚くんがとても嬉しそうだから。
「あの、文弥さん」
「ん?」
尚くんは、少し元気になったみたいだ。顔色はいまだに悪いものの、表情が明るい。
「もし文弥さんがよければですが……、みなさんに、未来を見にきてもらいませんか」
「尚くんはいいの?」
「はい。文弥さんはどうですか?」
「僕は……、呼びたいとは積極的には思わないけど、尚くんの気持ちを大事にしたい」
尚くんは、未来が産まれた喜びを十分噛み締めたので、今度は、自分たちを案じてくれていたひとにも喜んでもらいたいんです、と言った。
「伯母様、無事に産んでくれてありがとうって。尚さんも赤ちゃんも、生まれてくれてありがとうって。俺……」
そんなふうに言われちゃったら、親族たちに連絡するほかないな。
「じゃあ、メッセージを送っておくね。尚くんが、みなさん、ぜひ長男に会いに来てくださいって言ってるって」
「はい。……喜んでもらえたら、いいなぁ」
たぶんね、誘ってもらえる日をすんごく我慢強く待ってたと思うんだよね。
みんなしてめっちゃくちゃ喜ぶし、お祝いの品もたくさん持ってくるだろうし、未来を抱っこしたら皆めろめろだよ。
いわゆる初ひ孫フィーバーってやつ。孫の僕が産まれたときには出来なかった分、雪野家をあげてのお祝いになりそう。
だって伯母様、僕の電話、ゼロコールで出たもんね。
まるで待っていたみたいにさ。
〈初ひ孫フィーバー 終わり〉
尚くんが倒れた。
といってもばったり倒れて意識不明などではない。産まれたばかりの長男未来とともに退院したものの、痛くてぼろぼろで動けないようで、ベッドで休んでもらっている。
僕は三週間の育休。まったく仕事をしていないのではなくて、在宅でできることはしている。
ありがたいことに、長男はよく寝るし、よく飲むし、空腹と排泄以外はほとんどぐずることはない。大人のベッドの隣にベビーベッドを並べて、尚くんが見てくれている。
僕は、ミルクを用意したり、洗い物や消毒をしたり、掃除洗濯、買い物、大人の食事の用意。
でも僕、ご飯を炊く以外は、うどんと卵焼き、味噌汁を作れる程度。
尚くんは、ご飯と味噌汁と卵焼きがあれば大丈夫です、という。しかし、かなり少食で、残すのは勿体ないからと、一食分を三分割して食べていてみるみる痩せていくし、僕は僕で、ご飯と味噌汁と卵焼きでは到底足りなくてみるみる痩せてる。かといって出来合いのものは避けたいところ。
三週間で足りるのかな。
……足りないよ、明らかに。だって尚くんはまだベッドを起き上がるのにも時間がかかるし、立っているのも座っているのもつらそう。
一週間を終えて、よーし育休延長しよう、と心に決めて、とりあえず社長である伯母様に電話してみた。
だいぶ嫌だったけど、ご挨拶も兼ねて。
『はいはい』
「文弥です。伯母様、無事に長男が産まれました。僕はお休みをいただいておりまして、ありがとうございます。そのことで少し」
僕は早口。
なにか言われるんだろうか。やだなぁ。
僕は親族からあれほど口酸っぱく言われていたにもかかわらず、男性Ωを好きになって、彼と番になって、尚くんも親族をも騙すかたちで無理くり結婚した。
予想通り、お祖父様も、お祖父様の妹である大叔母様も、僕の母の姉である伯母様も、この結婚には大反対。
なぜなら、雪野家の長男千影ちゃんは、Ωに産まれつつも男性としての順風満帆な人生を歩むはずが、竜ちゃんという僕の父と運命的に番うことで、それまでのキャリアも、将来もかなぐり捨てて、駆け落ち同然で移住。
そのうえ、僕を産んだあとは予後があまり良くなかった。
親族のみんなは尚くんのことをとても心配して、僕とは別れたらどうかと、やはり結婚には反対していた。でもそのときに、尚くんは僕とは離婚しないと宣言してくれて……。
隣に掛けた尚くんが僕の手を握ってくれた、あのときの記憶だけで、僕はもう一生分の幸せをもらった気がする。
竜ちゃんと千影ちゃんが幸せだったことも。尚くんに肯定してもらえるまで、僕は、自分なんて産まれないほうがよかったんじゃないかって、思っていたから。
それからほどなく尚くんの妊娠がわかって……時間はあっという間に経った。
僕も尚くんのことは心配だ。無理させたくない。病院の先生とは十分話し合って、産後のことも聞いてる。
尚くんにはちゃんと栄養のあるものを食べて、しっかり寝て、十分休養をとってもらわないと。
そのためにも、延長どころではなく、延ーー長ーー!!!!! ぐらいは取らないと。
「尚くんが寝たきりなので、もう少しお休みをいただきたいんです」
『文弥が休んで、何かの役に立ってるの?』
辛辣。
「一応……」
たぶん……。
掃除洗濯買い出し、通販も受取も僕担当だし、尚くんと半々で、オムツも替えるし、ミルクも用意して飲ませて片付けるし、ちゃんとしてるつもり。
お料理、うどん以外も、もっとしっかり習っておくんだった。ロットの大きいお菓子は作れるんだけどな……。
『ちゃんと尚さんに食べさせてるの?』
「尚くん、食が細くて……」
『ろくなもの食べさせてないんでしょう』
「僕の手作りごはん……」
『文弥あなた、うどんしか作れないじゃない!』
「味噌汁も作れます!」
馬鹿おっしゃい、と叱られた。
深いため息。
『まったく。うちのお手伝いをそちらに向かわせるわ。尚さんにちゃんと滋養のあるものを食べてもらいなさい』
え、いいのかな。
うちの実家もみんな忙しくて家事はお手伝いさん任せなのに。
このお手伝いさん、料亭で職人をしていた経験のある本格派で、料理がべらぼうに美味しい。
『尚さんに代わってもらえる?』
「えっ、どうかな……」
『聞くぐらいしなさいよ』
僕は寝室に入って、ベビーベッドにくっつけた小鳥のおもちゃに手を伸ばして遊んでいる未来を、やさしい眼差しで見つめている尚くんにそうっと聞いてみる。
「尚くん、ごめん、うちの伯母なんだけど、尚くんに代わってって、言ってて」
「えっ」
尚くんは慌てて上半身を起こそうとして、僕は落ち着かせて支える。
携帯電話を渡しながら、
「やばいひとだからへんなこと言われたら切っちゃっていいよ」
『聞こえてるわよ!』
「えっと、ご無沙汰してます、尚です」
スピーカーにすればよかった。いや、うるさいから未来が泣いちゃうかも。やかましいおばさんだし。
「お気遣いいただいて……えっ、お手伝いさんですか? はっ、はい、平気です、はい。いえ」
押されてるのかな。やきもき。
尚くんから携帯電話が戻って来る。耳に当てると伯母様は言った。
『話はついたから』
「わかりました。あと、僕のお休み、二ヶ月延ばしてください」
『仕方ないわね。恩に着なさいよ』
「はい」
滑り込みで育児休暇の延長取得に成功。男性の育児休暇、我が社は初めて。これで従業員も取りやすくなるといいよね。
通話を切って、尚くんに向き直る。
「ごめんね。うちの伯母、押しが強くて」
「いえ、とんでもない。すごく丁寧で……お気遣いくださって……遠慮しないで、使えるものはなんでも使って、いまは俺の体を癒やしてほしいって……助かります」
伯母様が悪いひとじゃないことは、わかってるんだけどさ。
「自宅にひとを入れるのが嫌なら、食事だけでも届けるから、ちゃんとしたものを食べてって……」
僕のごはんだってちゃんとしてるもん。
「まぁ、悪いひとではないんだ」
「俺、こんなふうに世話を焼いてもらうことや、心配してもらえることがなかったから、なんだか……」
「世話焼きおばさんなんだよね」
でも、伯母様にお礼メッセージを送っておこうかな。尚くんがとても嬉しそうだから。
「あの、文弥さん」
「ん?」
尚くんは、少し元気になったみたいだ。顔色はいまだに悪いものの、表情が明るい。
「もし文弥さんがよければですが……、みなさんに、未来を見にきてもらいませんか」
「尚くんはいいの?」
「はい。文弥さんはどうですか?」
「僕は……、呼びたいとは積極的には思わないけど、尚くんの気持ちを大事にしたい」
尚くんは、未来が産まれた喜びを十分噛み締めたので、今度は、自分たちを案じてくれていたひとにも喜んでもらいたいんです、と言った。
「伯母様、無事に産んでくれてありがとうって。尚さんも赤ちゃんも、生まれてくれてありがとうって。俺……」
そんなふうに言われちゃったら、親族たちに連絡するほかないな。
「じゃあ、メッセージを送っておくね。尚くんが、みなさん、ぜひ長男に会いに来てくださいって言ってるって」
「はい。……喜んでもらえたら、いいなぁ」
たぶんね、誘ってもらえる日をすんごく我慢強く待ってたと思うんだよね。
みんなしてめっちゃくちゃ喜ぶし、お祝いの品もたくさん持ってくるだろうし、未来を抱っこしたら皆めろめろだよ。
いわゆる初ひ孫フィーバーってやつ。孫の僕が産まれたときには出来なかった分、雪野家をあげてのお祝いになりそう。
だって伯母様、僕の電話、ゼロコールで出たもんね。
まるで待っていたみたいにさ。
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