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第三部 1 ある事件直後の土日
八 多紀&倉本
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やばい、荷物忘れてる。
そう思ってカフェに戻ったら、四人掛けの席にまだ倉本さんが残っていた。俺の荷物もある。ここにいてくれたらしい。
目が合った。
「ありがとうございます!」
「べつにー」
向かい側に座る。倉本さんは氷だけになったアイスコーヒーをテーブルの上に置いた。
俺のコーヒーは氷が溶けて水とコーヒーが分離してる。
混ぜながら飲んで一息。
「はあ……」
「大丈夫?」
「どうでしょうか……。泣いたまま帰っちゃったんですけど」
言いたいことは全部言った。紗英さんは黙って帰っていった。
あとは、自分で選んだ回復方法で、自力で立ち直るしかないよね。
下だと思ってる人間が、自分にとって喉から手が出るほど欲しいものを持っていて、そいつに慰められるなんて、余計にみじめな気持ちになりそう。
「お紗英様はいい薬になったんじゃない? 多少は泣かせておけばいいよ」
「そうですかね」
「ここまで来るとさあ、諦められないほうが悪いんじゃね? 小野寺係長がお紗英様のこと眼中にないの、有名だもん。あの態度だったらフツーの女なら諦めてるって」
「そこはプライドですよね」
「高すぎなんだよ。自分が振られるはずないなんて、ただの思い上がりじゃん。実際、なにか事情があるのかもしれないのにさ。しつこくされて、小野寺係長も気の毒ではあるよね。どっちも嫌いなタイプだからどうでもいいけど」
辛辣だなぁ。裏表なく本音。
俺は苦笑しつつ言った。
「庇ってくれてありがとうございます」
「べつに。あ、スペックとかさ、学歴とか。気にすんなよ」
俺はさほど気にしてないんだけどさ。紗英さんに限らず、世間の目は厳しいよ。きちんと勉強してきたひととの差は大きいなって思う。能力不足を痛感したりもする。
和臣さんも勉強しているから、俺も勉強しようかな。和臣さん、自分の勉強があるのに、俺が質問すると丁寧に教えてくれる。試験が終わったら、相談してみようかな。
「鼻持ちならないんだよ。いいとこのお坊ちゃま、お嬢様って」
和臣さんと紗英さんを嫌いな理由、倉本さんは勝手にぺらぺら喋り出した。
倉本さんは、どうやらこう見えて苦学生だったらしい。奨学金を借りて、バイトで生活費を稼いで有名大学を卒業して、いまは奨学金を返している。
がんばっていい会社に就職したけれど、周りは裕福な生まれのひとが多くて、華やかなひとたちばかり。
精一杯虚勢を張っているのも頷けるというか、そういう事情を知ってしまうと、人間味があっていいなって思う。
ひねてるの直したらいいのに。
「はじめから持ってるやつって、苦労知らずで、なんでも自分の思い通りになると思ってない? 無自覚さがムカつく」
「そう……だね」
「お紗英様とは、大学のときにインカレサークルで知り合ったんだけど、当時から無自覚高飛車でさぁ。就職して小野寺係長に振られてる話聞いたときはスカッとしたもんだ。少しはへし折られたらいいんだよ」
嫌いなのに休日の呼び出しに協力するんだ。
おもしろがりなのか、ただのお人好しなのか。
「仲良いね?」
「便利屋だよ。他人を小間使いにする名人だからな。時々餌くれる」
といって、倉本さんは足を軽く示す。
あ、そのスニーカー、もらいものなんだ。
「小野寺係長もそうじゃん。医者だか弁護士か何かの息子で」
「それは……たしかに、『持ってる』人間ではあって、鼻持ちならない気持ちはわかるよ。だけど、なんだろ……。立場に甘んじたり、苦しんでいないかといえば、そうじゃないってことは、わかってほしいかな。挫折もしてるし、努力家なんだ」
それは言っておく。
和臣さんは、裕福なご家庭に生まれて育って、なんでも自分の思い通りになると思っている。
だけど、胡坐をかいているとまでは思わない。なんでもできるけれど努力してる。挫折経験もあるし思い上がったりはしてない。
平日も休日も勉強してる。難しい本を読んでる。難しいのに読めるのすごいって言ったら、理解できるまで何度でも読むんだよって穏やかに言ってた。俺だったら放り出すと思う。
生活リズムを整えていて、健康にも気を付けているし、将来のこともちゃんと考えてる。俺みたいにだらけたりさぼったりはしてない。
倉本さんは、わかってくれたらしい。さっぱりした顔で笑ってる。
「ま、その点は否定しないさ。大なり小なり、生きてりゃ色々あるもんね」
「うん。あっ、倉本さん、何か飲む? おごるよ」
「サンキュ。ティーラテがいいなー」
「OK」
自分のアイスコーヒーのおかわりと、倉本さんのティーラテを買ってきて向かい合った。
俺は深呼吸。重たい気持ち。
でも言っておいたほうがいいかなって。
「ところでですね、言わないといけないことが……」
「んあ? なに?」
やだなぁ。
でもさぁ……。
迷いながらも決心。俺、わかってくれるひとに、嘘を吐きたくない。誤魔化したくない。
「実はですね……俺がですね、小野寺係長とですね…………、付き合ってるのは、真実でして……」
「…………マジで?」
「はい」
倉本さんは、テーブルの下にずり落ちた。ずっこけ。
「早く言えよ! 悪口ばっか言っちゃったじゃん!」
そういうことを気にするんだと思って、俺は笑った。
そう思ってカフェに戻ったら、四人掛けの席にまだ倉本さんが残っていた。俺の荷物もある。ここにいてくれたらしい。
目が合った。
「ありがとうございます!」
「べつにー」
向かい側に座る。倉本さんは氷だけになったアイスコーヒーをテーブルの上に置いた。
俺のコーヒーは氷が溶けて水とコーヒーが分離してる。
混ぜながら飲んで一息。
「はあ……」
「大丈夫?」
「どうでしょうか……。泣いたまま帰っちゃったんですけど」
言いたいことは全部言った。紗英さんは黙って帰っていった。
あとは、自分で選んだ回復方法で、自力で立ち直るしかないよね。
下だと思ってる人間が、自分にとって喉から手が出るほど欲しいものを持っていて、そいつに慰められるなんて、余計にみじめな気持ちになりそう。
「お紗英様はいい薬になったんじゃない? 多少は泣かせておけばいいよ」
「そうですかね」
「ここまで来るとさあ、諦められないほうが悪いんじゃね? 小野寺係長がお紗英様のこと眼中にないの、有名だもん。あの態度だったらフツーの女なら諦めてるって」
「そこはプライドですよね」
「高すぎなんだよ。自分が振られるはずないなんて、ただの思い上がりじゃん。実際、なにか事情があるのかもしれないのにさ。しつこくされて、小野寺係長も気の毒ではあるよね。どっちも嫌いなタイプだからどうでもいいけど」
辛辣だなぁ。裏表なく本音。
俺は苦笑しつつ言った。
「庇ってくれてありがとうございます」
「べつに。あ、スペックとかさ、学歴とか。気にすんなよ」
俺はさほど気にしてないんだけどさ。紗英さんに限らず、世間の目は厳しいよ。きちんと勉強してきたひととの差は大きいなって思う。能力不足を痛感したりもする。
和臣さんも勉強しているから、俺も勉強しようかな。和臣さん、自分の勉強があるのに、俺が質問すると丁寧に教えてくれる。試験が終わったら、相談してみようかな。
「鼻持ちならないんだよ。いいとこのお坊ちゃま、お嬢様って」
和臣さんと紗英さんを嫌いな理由、倉本さんは勝手にぺらぺら喋り出した。
倉本さんは、どうやらこう見えて苦学生だったらしい。奨学金を借りて、バイトで生活費を稼いで有名大学を卒業して、いまは奨学金を返している。
がんばっていい会社に就職したけれど、周りは裕福な生まれのひとが多くて、華やかなひとたちばかり。
精一杯虚勢を張っているのも頷けるというか、そういう事情を知ってしまうと、人間味があっていいなって思う。
ひねてるの直したらいいのに。
「はじめから持ってるやつって、苦労知らずで、なんでも自分の思い通りになると思ってない? 無自覚さがムカつく」
「そう……だね」
「お紗英様とは、大学のときにインカレサークルで知り合ったんだけど、当時から無自覚高飛車でさぁ。就職して小野寺係長に振られてる話聞いたときはスカッとしたもんだ。少しはへし折られたらいいんだよ」
嫌いなのに休日の呼び出しに協力するんだ。
おもしろがりなのか、ただのお人好しなのか。
「仲良いね?」
「便利屋だよ。他人を小間使いにする名人だからな。時々餌くれる」
といって、倉本さんは足を軽く示す。
あ、そのスニーカー、もらいものなんだ。
「小野寺係長もそうじゃん。医者だか弁護士か何かの息子で」
「それは……たしかに、『持ってる』人間ではあって、鼻持ちならない気持ちはわかるよ。だけど、なんだろ……。立場に甘んじたり、苦しんでいないかといえば、そうじゃないってことは、わかってほしいかな。挫折もしてるし、努力家なんだ」
それは言っておく。
和臣さんは、裕福なご家庭に生まれて育って、なんでも自分の思い通りになると思っている。
だけど、胡坐をかいているとまでは思わない。なんでもできるけれど努力してる。挫折経験もあるし思い上がったりはしてない。
平日も休日も勉強してる。難しい本を読んでる。難しいのに読めるのすごいって言ったら、理解できるまで何度でも読むんだよって穏やかに言ってた。俺だったら放り出すと思う。
生活リズムを整えていて、健康にも気を付けているし、将来のこともちゃんと考えてる。俺みたいにだらけたりさぼったりはしてない。
倉本さんは、わかってくれたらしい。さっぱりした顔で笑ってる。
「ま、その点は否定しないさ。大なり小なり、生きてりゃ色々あるもんね」
「うん。あっ、倉本さん、何か飲む? おごるよ」
「サンキュ。ティーラテがいいなー」
「OK」
自分のアイスコーヒーのおかわりと、倉本さんのティーラテを買ってきて向かい合った。
俺は深呼吸。重たい気持ち。
でも言っておいたほうがいいかなって。
「ところでですね、言わないといけないことが……」
「んあ? なに?」
やだなぁ。
でもさぁ……。
迷いながらも決心。俺、わかってくれるひとに、嘘を吐きたくない。誤魔化したくない。
「実はですね……俺がですね、小野寺係長とですね…………、付き合ってるのは、真実でして……」
「…………マジで?」
「はい」
倉本さんは、テーブルの下にずり落ちた。ずっこけ。
「早く言えよ! 悪口ばっか言っちゃったじゃん!」
そういうことを気にするんだと思って、俺は笑った。
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