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6 ある三百万円のゆくえ
四 多紀
しおりを挟む散歩と朝メシから帰ってきた。
「ただいまー」
「ただいま」
払込票、コンビニに寄ったけど、やめておいた。
歩きながら考えていたんだ。さっきの親父の話。借金全額五百万円を貸すのは難しい。そんなに手持ちはないし。だけど、入学金や授業料のために用意してあるお金と、預貯金すべて合わせて、今、三百万円持っている。
廊下の途中で、和臣さんは振り返った。
「多紀くん、話があるんだ」
「……はい」
和臣さんは、俺の事情を聞きたがっている。俺も、考えはまとまりつつある。
やっぱり、親父がどんなやつでも、俺の実の父親にかわりはなくて、久しぶりの連絡がこれかよって感じだけど、本当に困っているんだったら助けてあげたいんだ。
俺は馬鹿なのかな。
父親にしてもらったことなんて、ほとんど覚えていない。
小三のときに熱を出して早引きして自宅に戻ったら知らない女と裸で寝ている場面に遭遇して、意味がわからなくて、でもショックで、母親に言ったら泣いちゃって、俺が両親から責められたのが一緒に暮らした最後の記憶。直後に母親に連れられて母親の実家に帰ったんだ。
それより前の記憶では、小学校にあがって、野球を始めた直後に、一度、野球場に連れていってもらったことがある。お金がないから一度だけ。自販機で缶ジュースを買ってもらってさ。お母さんには内緒だぞって。金ないくせに。
親父は働く意欲が薄くて、死んだ祖父が援助してくれなければ公営住宅さえ追い出されていつホームレス家族になってもおかしくなかったと母親に聞いたことがある。
あるとき、捨てられていた雑種犬を拾って可愛がっていたものの、俺の不注意で逃げ出して、よその家の子になっちゃって、取り返してもくれないし。犬は俺に飼われてるときより幸せそうにしてるし。
だから、野球場だけ。俺と父親の、楽しい記憶なんて、あれだけなのに。
焼け石に水だとわかっていながら、あの記憶をよすがに、進学費用の三百万円を渡そうとするなんて、他人事ならやめておけって止めるよ。ろくでもないやつだもん。渡したところで本当に借金返済に充てるか怪しい。
和臣さんには迷惑をかけたくない。だけど何も言わないのは傷つけると思う。ちゃんと話して理解してもらいたい。言おう。決意してる。
「俺も、和臣さん」
と、そのとき、もう一度電話が鳴った。
今度は画面に名前が表示されてる。とはいえ、別の人物。
何年ぶりなんだろう。十年以上?
「はい」
「多紀?」
懐かしい母親の声。
ということは、実父からなにか聞いたんだろうな。
金を渡すの、反対されるんだろうか。うちの母親も金銭感覚は緩いほうで経済力も乏しくて、離婚後に「お前も働け」と言って祖父に実家を追い出されて、それで俺と母親は二人で東京で暮らしてたんだ。
実父の窮地を、助けてあげてといわれるのだろうか。それとも、あんな奴を助けるなと言われるのだろうか。母親と話すのも高校卒業以来だから、わからない。
俺は言った。
「久しぶり」
「久しぶり……ごめんね、突然」
「ううん」
「多紀、パパが倒れちゃって、どうしよう……」
「え……?」
パパが倒れた。俺の父親は、さっき電話がかかってきていた。母親のいうパパは、森下のおじさんのことだ。ということは、実父の用件とは無関係。
なんて日だよ。心臓がバクバクしてきておさまらない。
「……行くよ。場所は?」
搬送先である埼玉県内の救急病院の名前を教えてもらい、俺は電話を切った。
「お母さん? 大丈夫?」
「義理の父が倒れたらしくて……」
「行くの?」
「……行きます。義理の父というより、母親が泣きじゃくってて……」
泣いている母親を慰める役割なんて、とっくに終えたと思っていたのに。
和臣さんは、俺の手を握った。
いつの間にか指先が冷たくなっていて、指を絡ませてもらうとあたたかかった。
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