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第参話/三方一両損・終章
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通りを二人、歩いている新八とお葉の姿があった。
仙太とお楽に関しては、鉢須賀藩の御典医が、往診してくれることになった。
新八の実弟の新九郎も、腕の良い蘭方医として紹介しておいた。
あのお殿様なら、悪いようにはならないだろうと、新八は確信していた。
「あの家老は、やや考えが固く、臨機応変さに欠けるが。忠義者は忠義者だ、悪いようにはならんだろう」
「あたしもそう思う。お世継ぎがいない藩だし、そっちでお取り潰しにするわけにもいかないしね」
お葉の顔から笑みが消え、代わりに小首を傾げて思案顔になった。
「……ねぇねぇ、絵心のある仙太ちゃんはともかく、なんで新八さんにお殿様が主楽だって、わかったの?」
「俺ァ字は立花流寄席文字の免許皆伝だぜ? 絵の中に書かれた字を見りゃあ、手筋はあるていど読める。それに主楽は武士だと、最初から目星はついてたしな」
「むむ? どういうこと?」
「普通の絵師は仕掛けをして、誰が描いたかわかるようにするが。主楽がそれをしないってことは、職人じゃないってことだ。蔓屋の尋常じゃない様子から、武士でもかなり上の身分のだと見当をつけるのが、常套ってもんだろ?」
「そっか」
「西洲斎主楽、江戸から見て西の島といえば、四国か九州か。まぁ、淡路島とか対馬とか、小さいのはいくらもあるが。その上でお楽さんの絵を見たら、ピンときたんだよ。こりゃあ、秋田蘭画の影響があるってな」
「秋田蘭画? なにそれ」
秋田蘭画とは、秋田藩(久保田藩)で発達した、西洋画の技法を取り入れた、和洋折衷絵画である。
かの平賀源内が、西洋画の技術を伝え、そこに触発され、独自の発達を遂げ、大胆な遠近法表現を取り入れ、写実的な表現である。
代表的な画家は藩士の小田野直武で、彼は『解体新書』の挿画を描いたことで知られる。直武の藩主である佐竹曙山、その一族佐竹義躬らがいる。
「西国の大名で、秋田蘭画に多少なりとも関わりがあるのは、限られている。新九郎の伝手でわかった門人に、鉢須賀藩お抱えの能役者の、斎藤九郎兵衛って上手がいたのさ」
「さっすが、新八さん!」
「フフン、ほめるなほめるな」
鼻高々で得意満面の新八である。
仙太の聡明さに、家臣たちも世継ぎとして認めるのに、やぶさかではない。
ただ、お楽の立場もある。
しばらくは療養を兼ねて国元にお楽と仙太を移し、やがて幕府の隠密に気づかれぬよう、身元を作り上げ、下女に手を付けた息子として、認知するであろう。
八代将軍吉宗も、当初は紀州藩家老の加納政直の元で育てられ、後年ようやく息子として藩主光貞に認知された。手間はかかっても、しっかりと誤魔化すであろう。
「でも賭けの一両もらえなくなって残念だったわね」
自分の取り分もなくなり、残念そうなお葉の言葉に、新八はふと何かを思いついたのか、にんまりと鼻の下を伸ばした。
「そりゃあおまえ、三方一両損だな」
「三方一両損って、あの大岡裁きを根多にした落し噺の演目の?」
「仙太は一両取り損ねて、お殿様は一両池に落として、そして俺も一両もうけ損ねて…」
「ほんとだ、三方一両損だ」
「うまく落ちがついたところで、蕎麦でもたぐってくか?」
「うん、ちょうど小腹が空いていたのよ~」
そこへ突然、怒鳴り声が響いた。
「こら、新八ィ~ッ!」
後方から聞こえる、よく通るだみ声は───
「あれ? 蛾蝶師匠の声じゃない?」
「……のような気がする」
そるおそる後を振り返る新八。
そこには顔を真っ赤にし、青筋立てて突進して来る蛾蝶の姿があった。
「高座の前座仕事をほっぽりだして、どこ行ってやがんだ~!」
「師匠ぉ~すいませ~ん!」
スタコラサッサ逃げていく新八の後ろ姿を見送りつつ、お葉は呆れ顔でつぶやいた。
「こりゃ二つ目は、まだまだ遠いわ」
『右喋捕物帳』第参話/三方一両損(終)
仙太とお楽に関しては、鉢須賀藩の御典医が、往診してくれることになった。
新八の実弟の新九郎も、腕の良い蘭方医として紹介しておいた。
あのお殿様なら、悪いようにはならないだろうと、新八は確信していた。
「あの家老は、やや考えが固く、臨機応変さに欠けるが。忠義者は忠義者だ、悪いようにはならんだろう」
「あたしもそう思う。お世継ぎがいない藩だし、そっちでお取り潰しにするわけにもいかないしね」
お葉の顔から笑みが消え、代わりに小首を傾げて思案顔になった。
「……ねぇねぇ、絵心のある仙太ちゃんはともかく、なんで新八さんにお殿様が主楽だって、わかったの?」
「俺ァ字は立花流寄席文字の免許皆伝だぜ? 絵の中に書かれた字を見りゃあ、手筋はあるていど読める。それに主楽は武士だと、最初から目星はついてたしな」
「むむ? どういうこと?」
「普通の絵師は仕掛けをして、誰が描いたかわかるようにするが。主楽がそれをしないってことは、職人じゃないってことだ。蔓屋の尋常じゃない様子から、武士でもかなり上の身分のだと見当をつけるのが、常套ってもんだろ?」
「そっか」
「西洲斎主楽、江戸から見て西の島といえば、四国か九州か。まぁ、淡路島とか対馬とか、小さいのはいくらもあるが。その上でお楽さんの絵を見たら、ピンときたんだよ。こりゃあ、秋田蘭画の影響があるってな」
「秋田蘭画? なにそれ」
秋田蘭画とは、秋田藩(久保田藩)で発達した、西洋画の技法を取り入れた、和洋折衷絵画である。
かの平賀源内が、西洋画の技術を伝え、そこに触発され、独自の発達を遂げ、大胆な遠近法表現を取り入れ、写実的な表現である。
代表的な画家は藩士の小田野直武で、彼は『解体新書』の挿画を描いたことで知られる。直武の藩主である佐竹曙山、その一族佐竹義躬らがいる。
「西国の大名で、秋田蘭画に多少なりとも関わりがあるのは、限られている。新九郎の伝手でわかった門人に、鉢須賀藩お抱えの能役者の、斎藤九郎兵衛って上手がいたのさ」
「さっすが、新八さん!」
「フフン、ほめるなほめるな」
鼻高々で得意満面の新八である。
仙太の聡明さに、家臣たちも世継ぎとして認めるのに、やぶさかではない。
ただ、お楽の立場もある。
しばらくは療養を兼ねて国元にお楽と仙太を移し、やがて幕府の隠密に気づかれぬよう、身元を作り上げ、下女に手を付けた息子として、認知するであろう。
八代将軍吉宗も、当初は紀州藩家老の加納政直の元で育てられ、後年ようやく息子として藩主光貞に認知された。手間はかかっても、しっかりと誤魔化すであろう。
「でも賭けの一両もらえなくなって残念だったわね」
自分の取り分もなくなり、残念そうなお葉の言葉に、新八はふと何かを思いついたのか、にんまりと鼻の下を伸ばした。
「そりゃあおまえ、三方一両損だな」
「三方一両損って、あの大岡裁きを根多にした落し噺の演目の?」
「仙太は一両取り損ねて、お殿様は一両池に落として、そして俺も一両もうけ損ねて…」
「ほんとだ、三方一両損だ」
「うまく落ちがついたところで、蕎麦でもたぐってくか?」
「うん、ちょうど小腹が空いていたのよ~」
そこへ突然、怒鳴り声が響いた。
「こら、新八ィ~ッ!」
後方から聞こえる、よく通るだみ声は───
「あれ? 蛾蝶師匠の声じゃない?」
「……のような気がする」
そるおそる後を振り返る新八。
そこには顔を真っ赤にし、青筋立てて突進して来る蛾蝶の姿があった。
「高座の前座仕事をほっぽりだして、どこ行ってやがんだ~!」
「師匠ぉ~すいませ~ん!」
スタコラサッサ逃げていく新八の後ろ姿を見送りつつ、お葉は呆れ顔でつぶやいた。
「こりゃ二つ目は、まだまだ遠いわ」
『右喋捕物帳』第参話/三方一両損(終)
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