海を泳ぐ豚

UZI SMG

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第11章

若い二人

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 静かな波音が月の光と溶け込み、まるで夜が落ちてきたような世界が広がる港町。
 月光が微かにこの海を照らしていた。

 そんな夜、男二人がグラスを片手に堤防へ座り、話していた。
「レックス、話してくれないか?」
 アダンは、なんとなくバーに居づらくなり、いつの間にかレックスと飲むようになっていた。
「……話す事はない」


 波音に消されそうな声で、レックスがつぶやく。
 その表情はアダンと同じく、悲しい雰囲気を醸し出していた。
 そんな同じ匂いがするからこそ、アダンもレックスに近寄る事が出来た。
 遠くに見える船の明かりを見つめる。
 暗い海を照らす緑の光は、ゆっくり移動していく、まるで静かに流れる今日の夜のようだ。
「それより面白いカクテル教えてやるよ。」
 そういいアダンはグラスにブランデーを注ぐ。
 そして、レックスの前に置く。
「レモン水でも飲ませる気か?」
「ここからが本番だ」

 そういいアダンはレモンとナイフを取り出し。
 レックスの前で、スライスレモンを作り、グラスの上に載せる。
 そしてその上に砂糖をさっとのせた。
「これ、ニコラシカって言うカクテルらしい」
「そうなのか、酸っぱいのは嫌いだ」
「まあ、そういうな、レモンで砂糖を挟んで飲んでみろ」
 レックスは、言われるがまま、口にレモンを入れる。
「酸っぱいじゃねえかよ」
 レモンの皮を勢いよく吐き出す。
「ほんとに馬鹿だな、さっさと砂糖を舌に載せないからだろ」
 アダンは笑いながら、口にレモンを入れる。
 酸味と甘みが広がる。そしてそのタイミングでブランデーを流し込む。
「ロンメルはどんな奴だったんだ?」
「お前の思う通り糞野郎だったよ」
 そういいレックスは、顔を緩める。
「確かにな、あんな糞野郎どこにもいねえよ」
 アダンも相槌を打ちながらグラスを空にして笑う。
 レックスも少し笑い、砂糖を口に入れてレモンを手で絞って口に滴らせる。
 そしてブランデーを一気に流し込んだ。

「こっちの飲み方の方が、通でいいだろ?」
 手がレモン汁まみれになったレックスが聞いてきた。
「下品なお前にはお似合いだ」
 アダンは、飽きれ顔で返す。二人は一緒にグラスを空にした。
「前は、殴って悪かったな……どうしても金が欲しかったんだ」
「もう忘れたよ」
 お世辞で言ったつもりだったが、カリーナがいなくなった今、過去などほんとにどうでもよくなっていた。ほんとに許せたのかもしれないが、今はどうでも良かった。
「金が欲しいって、そんなに遊びたかったのか?」
「いや、生きるためだ」
「どういう事だ?」
「俺たちは、生まれた時から孤児だった」
「……」
「親も知らない俺たちは、対した教育も受けていない。金を稼ぐ方法も、働く意味も分からなかった」
「複雑だな、だが人を襲っていいなんて間違ってる。みんなで助け合えば、きっとどうにかできるはずだ」

 アダンが食い気味に切り返す。暴力は良くない。これは世の中の常識だと信じていたからだ。
「お前は、そういう場所で育ってないからだろ?弱い者は狙われる。弱い犯罪者は特にな、だから俺はお前らを襲ったし、エドワードはロンメルを殺した」
アダンは正義を教えたつもりだったが、何も言い返す事ができずに、レックスのグラスにブランデーを注いだ。
「孤児院の中でも奪い合いはよくあった。それが普通だと今も思っている。金のためならなんでもしていい。それが生きるためならなおさらな」

 彼にとって道徳の話には正義というものなどないのだろう。議論をするだけ意味がない。
アダンはそう思い、他の話題をふる。
「俺は妹を亡くした。帰っても部屋が広くて……なんでだろうな?昔はあんなにうるさくて邪魔だと思っていたのに……」

 アダンは妹の話をすると勝手に涙がこぼれ出した。妹は邪魔なわけがなかった。だが、この感情を表現する言葉が見つからず、勝手に言葉が出てしまった。
「それならなんとなく分かるよ。何か物足りない気がする」
 レックスがアダンの涙を見て、すぐに目を逸らす。男にとっては、他の男が泣いている姿を見るのは生理的にきついものがある。レックスもそう感じたのだろう。
「あの時は、ごめんな。お前の妹殴ってしまって」
アダンは黙って、その言葉を聞いていた。
「レックス、お前も親友を失ったのはつらいだろう」
「そうかもしれないな」
「俺はエドワード達が何をしているか知りたい」
「ロンメルみたいになるのは勘弁だ」
「お前の力が必要だ」
「お前も見ただろ?あの強さに、躊躇なくロンメルを殺した残忍さ。エドワードはいつも酔っぱらっているが目は決して酔っていない。あの目は普通じゃない。とにかく関わりたくない」


「でもなぜ?エドワードの下で働いていたんだ?」
「あいつは、言葉巧みに俺達をスカウトしてきたんだ」
「あんなに、ぼこぼこにやられたのにか?」
「ああ、たまり場にやってきて、いい話があるって。命知らずのお前らしかできないから、金も相当弾むと」
「どんな内容だ?」
「船に乗って、外国の船員と取引するんだ」
「前みたいな感じか……」
「ああ、沖合であらかじめマスターから言われた数量の樽を相手の船にのせる。外国人は気性が荒いから、もしかしたら殺されるかもしれないとも言っていた」
「あの日、なんであの赤い船に乗っていたんだ」
「ロンメルはマスターから指定された樽の数量と、違う数を載せてしまった。だから俺は、足らない樽が来るまでの人質だったという事らしい、まあそもそもロンメルがマスターから言われた数量と樽の数の計算ができなかったのが悪いけどな」


「なるほど。ただ明らかに樽の中身は、ワインやウィスキーじゃないと思うんだ」
「ああ、間違いない。だが俺はまだ死にたくない。ロンメルは運が無かっただけだ」
「このままだと、お前も殺されるんじゃないか?」
 アダンが疑問をぶつけてみる。
「その時は、逃げるさ」
「どこにだ?」
「これから考えるさ」
そういってレックスはあくびをする。緊張をほぐすためなのか、眠たいのをごまかすためなのか分からなかった。
「お前は仲間が殺されて、悔しくないのか?」
「もともと、あいつの事嫌いだったしな」
 直観的に嘘だと思った。
「そうか…….でも」
「でも?」
「ロンメルはお前の事どう思ってたと思う?」
「さあな、あっちも俺の事嫌いだったかもな」
 レックスはそういってまたあくびをする。


「似たもの同士だったんだろ」
「同族嫌悪かもな」
「ロンメルは、あの時お前が殺されていたらどうしたと思う?最後までお前を庇っていたように見えたが?」
「……もう忘れちまったよ、あんなやつ」
「そうか……それにしては涙がこぼれるんだな」
「……ああ、不思議だな」
 レックスは気がついたらあくびをしながら涙を流していた。思うところがあったのだろう。
アダンは何も言わず、涙が落ち着くのを待った。アダンも男が泣く姿など見たくなかった。

2

「歩くか」
 気分を変えるために、アダンが提案する。
「どこに?」
「カリーナが死んだ場所に戻ってみよう」
「そうだな、何か残ってるかもしれない」
二人はなんとなくカリーナが打ち上げられた暗闇の砂浜に足を運んだ。

 あの時と変わらない砂浜が広がっている。
 死体は警察が引き上げ、今は墓地にある。
 ここの地方の宗教で、死者は埋葬されないと、死んだ事に気が付かずに霊魂として思い出の場所を彷徨うらしい。それを防ぐために、死体はすぐに墓地に埋葬される。
 カリーナが死んでしばらくした後、埋葬された墓地に行くと、カリーナの名前が書かれた石の前に、白いチューリップが添えられていた。供えられた花のセンスからすると、先にリコが来てくれたのだろう。
アダンは墓石の前に立つと、現実を受け入れる事ができずに、ここに来ることはもうないのだろうと直感で感じた。刑務所の母親にカリーナが死んだ事を伝えようと何度か思ったが、無駄な心配をかけたくなかったので心にしまう事にした。

 そんな事を思い出し、無言で砂浜を歩いていると、レックスが急に海辺の波の近くで立ち止まった。
「おい、なんか落ちてるぞ」
特に興味が無さそうな口調のレックスの手には、一本の釣り竿が握られていた。
「この釣り竿けっこう重いな」
アダンはその釣り竿を受け取り、手に取ってみた。古いが頑丈な作り、どこかで見たことがある色――漆塗――。
「マスターのものだ」アダンはそう呟く。この色は、ここではかなり珍しい。
カリーナが、溺れる前に釣りでもしていたのだろうか?注意深く釣竿の全体を触ってみる。長い糸を付けたのだろう。海藻と砂が糸につき、塊になっている――時間が経って絡まりあった糸を辿っていくと灰色の針がついていた。
「針?」不自然だった。

 カリーナは針を使えなかったはずだ。前もさんざん針に糸を通そうとしたが入らず、仕方なく魚の骨に糸を巻き付けていた。それにこの糸の結び方は、針と糸がしっかり離れないようになっている繊細な結び方だ。
そしてこの結び方は父親から教わった事がある。

――つまり、釣りをした事がある人間しかできない結び方だ。
「なんで、こんなもんがここにあるんだ?」
「お前の妹が使ったんだろ?」
「いや、カリーナが使ったなら、こんな結び方できない」
「じゃあ、誰かが落ちてた竿で釣りでもしたんだろ」
「それなら納得できるが……」
(何かひっかかる。不自然だ、釣り竿は警察が見つけたと言ってたし)
「警察に行ってみろよ」
 レックスが勧めた。

「警察はやめておこう。母さんに迷惑が掛かってしまう」
「お前の事なんて、気にしないさ。それにそこまで奴らも敏感じゃないだろうさ」
「いや、警戒するに越した事はない」
ここまで来て母さんに迷惑をかけたくなかった。
「じゃあ、どうしろってんだよ?」
 レックスが少し、あきれた表情をした。
「いや、分からない……」
 アダンはいい案が浮かばずに、言葉を濁す。
「ただ妹がなんで殺されないといけなかったか理由が知りたい……」
「そんなもん分かる訳ないだろ……」


「…….」
しばらく沈黙が続いた。夜の波音だけが聞こえる。
 レックスは考え込んだ後に急に笑いだした。異常な光景だった。
「お前、貯金してるか?」
 急な質問に、アダンは少し困惑する。
「金はあるかって聞いてんだよ?」
「ああ、車が買えるぐらいある」
「結構あるじゃねえか、なら俺を雇えよ」
「何考えてんだ?」
「まあ、俺が協力するっていったからにはやるだけの事はやるつもりだ」
 金のためならなんでもするのがこいつらポリシーだという事は分かっていたが、以外だった。
「どうするつもりだ?」
「潜伏してみる」
「潜伏?」

「ああ、もう一度エドワードの元で働いてみる」
「今度はお前が殺されるかもしれないんだぞ?」
「まあ、任せとけよ。死ぬときは死ぬ。それだけだ」
 頼りにならない気がしたが、今はレックスの言葉に頼るしかなかった。
「分かった。成功したら報酬を支払う」
「話が早くて助かる」

 レックスはそういい、アダンに拳を向ける。
 アダンはその拳に力強く自分の拳を合わせた。
「おう、今日からよろしくな!」
そういいアダンとレックスはボトルに残っていたブランデーを、互いに分けて一気に飲み干した。
 ほんの少しだが、希望が見えた気がした。
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