海を泳ぐ豚

UZI SMG

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第10章

夕暮れは突然

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 地平線に少しずつ光が見え、朝焼けが差し込んでくるタイミングを待っている時間帯。
 耽美的たんびてきともいえるこの時間の澄んだ空気と、寒さが頭を冴えさせる。
 アダンは、疲れた体をやっとの思いで動かし、バーに戻ってきた。
 マスターはバーカウンターでグラスを磨きながらアダンを見た後に、また視線をグラスに戻した。
 まるで、何が起きたか全てを知っているような態度だ。


「お兄ちゃん、おかえり」
 兄の帰りを待っていたカリーナが、眠そうな声でアダンに話しかけたが、アダンは無言でバーカウンターに崩れるように座った。

「喧嘩でもしてきたの?大丈夫?」
 服の血を見たカリーナは、心配そうに声をかけたが、アダンは無言のままうなだれた。
それを見たマスターは、何も言わずショットグラスにズムロッカを入れアダンの前へ置いた。透明で、桜のような匂い、ズムロッカ草の匂いが微かに薫るウォッカだ。
 
 アダンは、何も言わずに、グラスの中のウォッカを一気に飲み込んだ。
いつも飲むウィスキーとは違う飲み口で、すぐにアルコールが回り、気分が悪くなったが、もう一杯と言わんばかりに空のグラスをカウンターにつき返す。
 マスターも、それに合わすように酒を注ぐ。

「お兄ちゃん……」
 カリーナの声が再び聞こえたように思ったが、うまく反応できない。
(今は何もしゃべりかけないでくれ)そう思った。
 疲れとアルコールで、意識が少しずつ遠のいていく。
 全て忘れさせてくれ……
 そう思いながら、また酒を流しこむと、深い眠りに落ちていた。



 頭がグラグラするが、夢か幻覚なのだと確実に分かる。不思議なほどに冴えている。
死に際の親父とロンメルの顔が、こちらを見ている。目の前で人が二度も死んだ。
どちらも好きではなかったが、自分の人生に関わった人間だ。惜しいような不思議な気持ちちがする。
まるで死の世界が、こちらに来いと、呼んでいるようだ。
 アダンは考えるのをやめて、意識を失った。

          *
 
 港を見渡せる窓から、月光が差し込む。気がつけば今日も夜になっていたようだ。
 その月明かりを眺めながら、アダンは動かずにずっと横になっていた。
(今日も、お兄ちゃんは起きない)
 兄が遅く帰ってきた日から、二日経っていた。兄は一向に起きる気配がない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「……」
 
 返答もなく、無言で月を見る兄、明らかに様子がおかしい。
(どうしてこうなっちゃたんだろ?)
 そう思って、一階に降りていく。
 今日はマスターしかバーにおらず、エドワードもリコもいない。
「マスター、お兄ちゃんに何かあったの?」
 素朴な疑問をぶつけてみる。
「……さあな」
 マスターはカリーナを全く相手にしていないような返事をした。

 そんなマスターを見て、カリーナは外に出た。
外に出ると、夜の匂いがして、月光が辺り一面を覆っていた。
何も考えずに、ぼーっと夜の町を散歩する。一人だと危険だとは分かっていたが、なぜか誰かが助けてくれる気がしていた。

 町の中腹まで行くと、賑やかな色の店が、いろんな場所で広がっていた。そこで地元の人間が、陽気に酒を酌み交わしている。その光景を遠めで見ると、そこに溶け込める自信がなかった。
「おいしいものでもあればいいのに」
カリーナは空腹で、しばらく町を一人で歩いていると、兄がますます心配になってきた。そして自分にできる事はないかと考え始めた。
(樽を運べないかな?)
そう思い、夜の港へ向かった。

 月明りが静かに海に反射して、この景色を照らしている。
 防波堤にフォックスが座り、この景色をぼーっと見ていた。
「何か手伝えませんか?」
 カリーナがフォックスに問う。
「……」

 フォックスは無言でカリーナを睨む。長身が月に照らされ、何かのオブジェのようで不気味だった。
「何もするな……」ぼそっとフォックスが呟く。
「すみません」

 カリーナは頭を下げて謝り、その場を一旦離れる。
 しばらく船の周りを歩いてみる。角材などが積まれた廃材置き場に、樽が乗ったままの台車が見つかった。
(いつもお兄ちゃんがやっているのは、樽を持ちあげて船へ積む作業だったはず)
 カリーナは台車に乗っていた樽に手をかけてみるが、予想以上に重く持ち上げる事すらできなかった。
(お兄ちゃんが言ってた通り、ほんとに重い)
 そう思いながら、辺りを見回す。近くに古いベニヤの板が立てかけてあった。
(台車を押せばそのまま船に載せれるかもしれない)
 そう思い、ゆっくりとその板を持ち上げ、船べりと対岸の地面の間に設置する。
(お兄ちゃん達の仕事とっちゃったね、私って天才かもしれない)
 新たな発明をしてしまったと、思いながらカリーナは、その不安定な板の上を台車で転がそうと力を入れた。
「あ!」
 そしてカリーナの虚しい声と共に樽は台車ごと転がり、海へ落ちてしまった。


 海へ落ちた樽の音を聞いたフォックスが、その場へかけつけてくる。
 フォックスは驚いた表情で、カリーナを力強く掴む。
「お前何してんだ?」
「ごめんなさい」カリーナはすぐ頭を下げた。
「……何をやったか分かってるのか?」
「ごめんなさい」何度も謝るしかなかった。
「来い」

 フォックスはカリーナを連れて納屋に行き、電話を掛け始めた。
電話が終わると、フォックスはカリーナを掴んだまま立っていた。無言で表情の無いように見えたフォックスは、どこか少し怯えているようにも思えた。

 しばらくして、マスターが納屋に現れた。
 カリーナの表情とフォックスのただ事ではない様子を見て、事態をなんとなく理解したような表情のマスターは、フォックスと顔を見合わせた。

「こいつが、海に樽を落としたんです」フォックスがカリーナを指さす。
「……」
「お前は、なんで樽を見張っていなかったんだ?」
 マスターが怒りを殺したような声で、フォックスに問いかける。
「すみません」フォックスが不愛想な回答をする。

 今度は、マスターがフォックスを掴み、納屋から連れ出し、桟橋に立たせた。桟橋まで来たところでカリーナはフォックスから解放された。
「すみません?それで済むと思うか?虫けらが」

 マスターがそういい、フォックスのピアスに手をかけて、引きちぎった。フォックスが痛みで叫ぶ。それが気にいらなかったのか、マスターは蹴りを入れてフォックスを海に落とした。
 カリーナは恐怖で固まった。
 しばらくして、フォックスが海から上がってきて、二人の前に再び立った。マスターはフォックスの顔色を見てから顔面に拳を入れる。無言でフォックスはその拳を受ける。何度かそれが繰り返された。血まみれのフォックスはひどく恐怖しているのが分かった。
「口を開け」マスターがそう言う。
「これからどうしましょうマスター?」

 フォックスが殴られた事がなかったように、冷静な口調で答え、指示を待つような表情をしてマスターを見る。
「ああ……エドワードと相談してみる」そういうマスターは相当困惑しているような表情を浮かべている。
「こいつどうしましょうか?縛りますか?」
「とりあえず、車を呼べ」
「分かりました」フォックスが電話をとる。

 今度は、マスターがフォックスの代わりに、カリーナの腕を掴んだ。いつもの優しいマスターとは思えないほど、力が強かった。
「マスター、痛い」
「だからどうした?」

 その言葉で一瞬にしてカリーナは怯み、恐怖の色を浮かべた。明らかに別の人間と話しをしているようだ。
 しばらくすると暗闇をさくように二つのライトが見えた。
 そのライトはマスター達の前で止まる。
 灰色で丸いフォルムのセダンに、制服姿の男達が乗っていた。
 その制服は警察だった。

 マスターは車のドアを開け、不安そうなカリーナを乗せた。
「マスターどこに行くの?」
「……」

 カリーナの隣に座り、ドアを閉めたマスターは表情を変えずに、無言で前を見ていた。
「出してくれ」エドワードの一言で、車のエンジンがかかる。
しばらくの間、いくつもの街灯が、走る車内を何度か照らす。無言の車内が異次元のように感じられた。いったいどこに向かっているのか?誰もその行先を知らないように。

          *

 まるで、神が世界の終わりが今から始まるとでも言いたいのだろうか?空が真っ赤に染まる夕方。
電話の音が下から聞こえた。その後、マスターが誰かと大声で話しているようだ。
 アダンはその音で目を開けた。

 二日酔いで頭が割れそうだ。
 寝ぐせもひどく、足元もおぼつかない状態でゆっくりと下へ続くはしごに足をかけた。
 マスターがひどく怒鳴っている。それだけは分かった。
「どうしたんですか?」
 一階のいつものカウンター席に座り、アダンが問う。
「……アダン……落ち着いて聞いてくれ、カリーナが死んだ」

 突然、妹が死んだことをマスターから聞かされた。
 アダンはどういうことか分からず、唖然とした。

「マスター冗談きついよ」
 そういいアダンは笑ってマスターを見た。
 だがマスターは、返す言葉がないのか、下を向きながら何かをぶつぶつ言っている。
「警察から連絡があった」
 妙な沈黙が流れる。バーの天井がぐるぐる回っているような感覚を覚えた。
 徐々に二日酔いが消えていく。
 マスターが続け様に口を開く。
「夜どこかに出かけている間に、溺れたようだ」

 アダンはまだ状況が理解できず、半信半疑でマスターに尋ねる。
「いや、言ってる事がまったく分からない」
「……死んだんだ」
 一言、マスターが呟く。
「えっ?」
「死んだ……」
 マスターはその言葉を繰り返し、アダンを見つめる。いつもの目ではない。こんな冗談をいうような趣味も持っていない。

「カリーナ……」小さく妹の名前を呟く。言葉に出してみたが、実感がなかった。
「カリーナ!」

 アダンは、辺りを見回しながら、もう一度カリーナの名前を、今度は大声で叫んだ。
だがいつもの元気な声はどこからも聞こえない。
まだ寝てるかもしれない。そう思って三階に急いで向かう。
「カリーナ!」大声を出すが、狭い部屋にはアダンしかいない。再び一階へ戻る。
「どうしたの?」

 2階から心配そうなリコが降りてきた。
「……」
 マスターは黙ってグラスを拭いている。
「マスターが冗談を言うんだ」
 そういいアダンはリコに笑いかける。
「え?お父さん冗談なんか言えたの?」

 リコはマスターに笑いかける。
 マスターは表情を変えずに、目だけ移動させ、リコを見る。
「カリーナが死んだ」そう言って、またグラスを磨き出す。
「え?」

 リコの表情が一瞬で固まり、その場が凍り付いた。突然、身近な人間が死んだと聞かされたのだ。どうしたらいいか分かるはずない。
「大変だ」
 ドアの開閉音と共に、レックスがバーに入ってきた。
「浜辺でカリーナが見つかった」
 その声を聞くなりアダンはレックスを突き飛ばし、バーの扉から外へ飛び出した。
「ふざけんなよ、いったいなんでなんだ?」
 外に出ると、町は真っ赤に染まっていた。

 砂浜に近付くにつれ、人だかりが見えてきた。
 間違いなくあそこだ、これは嘘であって欲しい、何かの間違いだ――そう思いながら走っていると心臓が押しつぶされそうな感覚になり、ばくばく鼓動をうっているのが分かる。
人だかりに近付くと、警察の何人かが、砂浜を歩いており、その周りを野次馬が囲んでいた。

 砂浜には打ち上げられたカリーナらしき人間が、横たわっている。
どうなってるんだ?不安と絶望、そしてどこかに、冗談だろうという希望が混じる表現できない感情にアダンはなっていた。
 警官が走ってきたアダンを制止した。
「何すんだよ」
 アダンが警察の制止を振りほどこうともがく。
「放せ!」
「君がアダンか?今回は運が悪かったね」

 若い警察官が、アダンを取り押さえながら、落ち着いたトーンで話しかけてきた。
「どういう事だよ」
「残念だが君の妹はもう死んでいる」
「ふざけんなよ」
 アダンは大声を出し、警察の制止を振り切りカリーナの元へ走った。
 目の前で妹が倒れている。

 近寄るとカリーナは、まるで眠っているようだった。
警察はその様子を見て、また野次馬の制止に戻る。
「カリーナ、なんでこんなところで寝てるんだよ?」
 アダンがカリーナの傍に跪き、笑いかけた。
 だが全く反応はない。

 よく見ると、冷たいカリーナが、くすっと笑った気がして、吹き出すのを我慢しながらタヌキ寝入りをしているようだ。

「カリーナ、起きてくれ頼む」
 反応が無いカリーナを見ていると少しずつ不安になり、声が自然に大きくなる。
横たわるカリーナを何度もゆすった。だが冷たい彼女はまったく動かない。
「カリーナ!」

 アダンは、目の前にいる妹に抱きつきながら叫んだ。
涙が止まらずに目から溢れ出た。
「溺死のようだ、近くで釣り竿が発見されている。釣りをしていて落下したようだ」

 警察が後ろから来てアダンに言った。
 そんな事どうでも良かった。
 これは、嘘だと誰かに言ってほしかった。

 マスターとリコも砂浜に到着しアダンの傍に駆けつけた。
リコはカリーナを見て、顔を手で覆った

 マスターも表情も無く横たわるカリーナを見つめた。
「カリーナ、頼む、目を開けてくれ」
 辛い時にいつも笑顔をくれたのは妹だった。



 あの日、絶対に守ろうと誓った妹の記憶が蘇る。
レストランの店主にねじふせられた時、海を泳ぐ豚の話しをして、笑わせてくれた。
一緒に食事をしている時の笑顔や、豚を探すと声を荒げて興奮していた事、今思い出すと全てが嘘のように短かった。

「一人にしないでくれ、お願いだ……」
 アダンは、息が誰かに殺されたように止まる。
もう鼻水か涙か分からない、とにかく気持ち悪い。
絶望という感情なのだろうか?時々だが、思考と息が止まる。
これは夢だろうか?朝起きたら元通りになっているんだろう?
そうアダンは思った。しかし冷たくて、ぴくりとも動きもしないカリーナを触っていると、これは現実なのだと何度も痛感する。
「アダン……」

 後ろからリコが近寄ってきてアダンを優しく包んだ。
リコは温かく、自分からリコに気持ちが流れ出すような安心できる感覚だ。
「ごめん、守ってあげれなくて」
「ごめん、ごめん、ごめん……」
アダンは目を閉じ何度もカリーナに謝った。
リコは強くアダンを抱きしめた。カリーナが首からかけていたアメジストのネックレスが寂しげにアダンの涙に染まった。

 夕暮れ時のボトルでは閉じ込められないような時間が過ぎる空間、夕日が地平線に隠れて、砂浜は悲しみが流れ出たように、暗く染まった。

          *

 エドワードが久しぶりにバーの扉を開けた。
マスターは特に表情を変えずに彼を見た。
「いつものをダブルで」

 カウンター席に座りながらエドワードが注文をとる。
 マスターは、ラフロイグ17年を棚からとり、グラスへ注ぐ。
 エドワードは無言でそのグラスに口をつける。
「……」

 少しの沈黙の後、エドワードとマスターはカウンターを挟みしばらくその空間で止まる。
「後悔してるのか?……」
 マスターはウィスキーを舌で転がしながらそう言った
「ああ……他にやり方はなかったのか?」
 エドワードが、グラスをカウンターに置きながら問う。
「ああ、それしかなかった」
「ほんとか?」
「ああ、カリーナは運がなかった。それだけだ」
 マスターが表情を変えずに、髭を触りながら答える。
「お前が言うなら、そうなんだろうな」
「……」
  妙な間が続き、エドワードが頭を抱える。深いため息をつき、またグラスに口をつける。
「アダンの様子はどうだ?」
「相変わらず伏せているよ」
「当然だろうな、急に妹を亡くしたんだ」

「兄を元気付けるために豚を探して溺れたと思うだろう。釣り竿もそこらへんに置いてきたし、警察とも話を通している。あとは自分なりに納得するだろう」

「そうでもないみたいなんだ、何かを探してこの頃よく出かけているんだ」
「それはまずいな、もし真実を追っているなら厄介だ」
「早めに始末した方がいいかもな」
「そうだな……」


 その二人の会話をリコが後ろで聞いていた。


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