淀むモノクローム

古河さかえ

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第一章

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「……ッ!」
「う、わっ」
 有森は飛び起きた。嘗ての記憶であるはずの華月が目の前に登場する夢を見たからだった。どこまでが夢でどこからが現実だったのか。目を開けばあの時と同じような見知らぬ天井、室内はあの時より幾分かは狭く壁は所々黄ばんでいる。肩から響く鈍痛が有森を苛んだ。
 何よりもあの日とは異なる有森の様子を伺う男の姿がそこにはあった。染めているのであろう明るい長髪を首の後ろで一つに括り、整った顔立ちではあったが未だ少し幼さを残すその顔は恐らく成人を迎えてはいないだろう。
 咄嗟に有森がとった行動は自らの身を守る事だった。すかさず敵か味方かも分からないこの青年の首を左手で掴み、右手首に隠した暗器を喉元に突き付け――
 暗器は出て来なかった。治療の為か有森の着衣は脱がされており上半身は裸体のまま緩く包帯が巻かれていた。そのついでであったのか右手首に仕込んだはずの暗器の類も無くなっており、有森の右手は空を掴む。
「がっ……」
 左手だけでも事は足りた。青年の喉を絞め上げながら意図を探る。利害無く他人を救助する存在を、有森は華月以外に知らなかった。
「駄目だよ有森!」
 レニーの声に弾かれ有森は左手の力を緩める。途端に青年の体は下に落ち酸素を求める荒い呼吸と激しい咳込みを繰り返す。まだ夢か現実かもはっきりしない中レニーの存在からすると現実なのだろうと結論を付ける。青年の背後からひょっこりと顔を出したレニーは少し大きめの白いパーカーを羽織り、咳き込む青年の背中を優しく撫でていた。
「お前……」
「この人は久我くん。僕と貴方を助けてくれたんだよ」
 まだぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しつつも久我と言われた青年は双眸に苦しさからの涙を浮かべつつ恨めしそうに有森を見る。
 有森は徐々に自らが置かれた状況を思い出し始めた。元々は殺害対象であったレニーを連れて逃げ、相棒の徳馬に狙われつつも【梟】に助けられ、【鷺】の幹部鏡子から依頼をされて鏡子の帰国までレニーを守る事になった。それ以降の記憶が有森には全く無かった。
 久我と呼ばれた青年は苦しそうな呼吸を繰り返しつつも有森のことを睨んでいた。レニーの言葉を正面から信じるならば有森にとって久我は協力者という事になる。ミナトが車両の手配をすると言っていた事を朧げには覚えていた。それまではレニー共々何処かに身を隠す必要があり、その為にもこの場所と久我の存在はうってつけでもあった。一時的な間借りだとしても友好関係を築いておいて損は無い。もし任務に支障を来すような事があるのならば殺せば良いだけだった。有森は今までそうして生きてきた。――華月に出会うまでは。
「――有森だ」
 感情が伴わないその機械的な言葉に久我はどっと疲れが出た。路地裏でレニーと有森を見つけたのはただの偶然だった。その内の一人は明らかに医者が必要なほど重症のように見えた。何処からどう見ても堅気には見えなかったが、不運にも久我はその場を仕切るミナトに目を付けられてしまったのだ。
 ――迷惑は掛けないからこの二人を暫くの間匿って欲しい。
 断ろうと思えば可能だった。それでも久我は二人を受け入れる事を了承した。しかし受け入れた結果目を覚ました有森には殺されかけ、選択は失敗だったかもしれないと久我は自らの不運を嘆いた。
「久我、元哉だ。ヨロシクな」
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