「偽りの聖女」と追放されたけど、帝国で最強になったので王国には二度と救いを与えません

霧島

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第4章:復讐の果てに待つ、煌めきの新世界

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 深夜のランフレアの町。
 闇を切り裂くように、アストリッドとクラリッサは裏通りを駆け抜けていた。追っ手の男たちは宿を襲撃し、今まさに町のあちこちで検問を敷き始めているだろう。二人は息を詰めながら、ひたすら目的地へと向かう。

 ――目指す先は、ファーレン商会の倉庫。
 本来ならば明後日の朝に出発予定だったが、ここに留まれば捕まるのは時間の問題。多少強引にでも、今夜中に倉庫へ潜り込み、商会の護衛と合流するしかない。

「お嬢様……いや、アストリン様、こちらです!」
 暗がりの路地を抜け、クラリッサが先を進む。二人は地図で把握していた道順を頼りに、倉庫街の方角へと急ぐ。

 すると、夜の静寂を破るように、横合いの路地から複数の足音が鳴った。
「いたぞ! あれが金髪の女だ!」
 ランタンを手にした数名の男たち――追跡屋だ。明らかにこちらを狙って動いている。

「まずい……ここで捕まるわけにはいかない!」
 アストリッドは小さく息を呑み、背負っていた荷物をクラリッサに預ける。
「あなたは少し下がって。私がやるわ」
「で、でも……!」
「大丈夫。これ以上逃げ場を塞がれるより、先手を打つ方がいいわ」

 追跡屋たちは、すでに武器を構えて包囲しようとしている。彼らの狙いは明確だ――“偽りの聖女”として追放された女を捕らえ、懸賞金か何かを得ようという思惑だ。

 アストリッドは覚悟を決め、両手を前に突き出す。夜風に長い髪が揺れ、布で隠していた金髪がちらりと覗いた。その色を見て、男たちの目がぎらりと光る。
「へへ……本当に金髪だな。高く売れそうだ」

 だが、その言葉を最後に、彼らの表情が一瞬にして変わる。アストリッドの掌に、青白い光がゆらめいたからだ。
 ――かつての癒やしの光とはまるで異なる、稲妻じみた火花が踊り、淡く闇を照らす。

「っ……!?」
 追跡屋たちの足が止まる。それは、魔法と呼ぶには不安定な光。けれど一度体験すれば、相手を怯ませるには十分な衝撃があるはずだ。

「どいて。ここを通るわよ」
 凛とした声で言い放つアストリッド。
 だが、男たちも簡単に引き下がるつもりはないらしい。リーダー格の男が剣を構え、睨みつける。
「なめるんじゃねえ……! お前一人くらい、寄ってたかって抑え込めば――」

 言葉の終わりを待たずに、アストリッドは手のひらの光を放出するように前へ踏み出した。
 ――バチンッ!
 乾いた音とともに、男の剣が一瞬弾かれる。想定外の衝撃に腕を痺れさせられた男は後退し、仲間たちが慌てて間合いを取り直す。

「な、なんだその力……!」
「聞いてないぞ、こんなの……!」

 アストリッド自身も、この光を自在に操れているわけではない。けれど、恐怖を振り切り、気合で制御しているようなものだ。
 ――今はただ、突破する。それのみ。

「クラリッサ、行くわよ!」
「は、はい!」

 二人は男たちの隙をすり抜けるようにして、路地を突っ切る。背後で「追え!」と怒声が飛ぶが、今のうちなら振り切れる。

 暗い倉庫街を疾走し、ようやく“ファーレン商会”の看板が見えた。先日訪れた広い敷地は、夜中だというのに人影がちらほら動いている。荷馬車を整備する音が聞こえ、松明(たいまつ)の火が明滅している。
 そこに辿り着いた瞬間、アストリッドは大きく息をつく。
「お願い、門を開けて……ファーレン商会のグレンさん、いますか?」

 門番はこんな夜更けに何事かと慌てているが、アストリッドが先払いした契約書を見せると、目を丸くする。
「ど、どうしたんです? もう夜中ですよ。出発はまだ先のはずですが……」
「事情が変わったの。追っ手が迫ってる。今すぐにでも敷地に入れてもらわないと!」

 門番が一瞬躊躇するが、アストリッドの必死の形相と契約書の存在に押され、「待っててください!」と言って奥へ駆け込む。やがて、先日も顔を合わせた副長のグレンが息を切らして現れた。

「アストリン嬢……? いったい何ごとだ。こんな夜更けに――」
「すみません、緊急事態なんです。追跡屋に狙われていて、宿からも逃げざるを得なかった。明後日まで待っていられません。可能なら、今夜……いえ、少しでも早くここから出たい!」

 涙目になりながら懇願するクラリッサの姿を見て、グレンは深いため息をつく。
「まったく……商人もこんな時期に騒ぎを起こしたくはないのだが。しかし、契約者を見捨てるわけにもいかん。……分かった、とりあえず中へ入れ」

 門が開かれ、アストリッドとクラリッサは倉庫の敷地へ滑り込む。後方の路地からは男たちの足音が接近しているようだったが、門番が素早く門を閉ざし、重厚な鍵をかける。

「追跡屋どもめ……ここはうちの管理地だ。勝手に乗り込んで来たら、こっちも黙ってないぞ」
 グレンの部下らしき者たちが、ぞろぞろと武器を手に待ち構える。ファーレン商会ほどの大所なら、護衛も相当に人数がいるらしい。

 門外では、追跡屋が罵声を上げているようだったが、結局、商会の敷地へ無理に入る度胸はないのか、足音が遠ざかっていくのが感じられた。
 ――ひとまず危機は回避だ。

「助かりました……本当にすみません、私たちのせいで」
 アストリッドが頭を下げると、グレンは困ったように頭をかいてみせる。
「まさか、ここまで危険な連中に狙われていたとはね。……しかし、改めて理由を聞かせてもらわねばならん。商会としては、追っ手の多い旅人を隊列に入れるのはリスクが大きい。どんな素性なのか、ある程度は把握しないと判断できん」

 それはもっともな話だ。商隊に一人の問題児を入れることで、大きな利益が吹き飛ぶ恐れもある。副長という立場なら、利益と安全のバランスを最優先するのは当然だ。

 アストリッドは唇を噛む。――本当のことを話せば、「王国から追放された偽りの聖女」という危険な身分であることが知れてしまう。しかし、ここまで来て嘘を重ねるにも限界がある。
 彼女は深い溜息をつき、覚悟を決めたように口を開いた。

「言いにくい事情があって、正体を隠していました。……私の本名は、アストリッド・フォン・ラルディア。王国で“偽りの聖女”と断じられ、追放された者です。だから今、追っ手が私を狙っていて……」

 ここまで聞いたとき、グレンをはじめ、その場にいた商会の面々は息を呑む。
「偽りの聖女……王都で聞いたことはあるが、まさか本人がここに……」
「そうだったのか。なるほど、だから連中が血眼になって探しているわけだ」

 騒然とする空気の中、クラリッサが必死に弁明する。
「で、でも! お嬢様の力は本物です。私はずっとお仕えしてきましたから、嘘じゃありません……。神殿が何か陰謀を企んで、王家や神殿ぐるみでお嬢様を追放したんです! それが真実なんです!」
「……クラリッサ、落ち着いて」
 アストリッドがそっとクラリッサの肩に手を置く。

 グレンは黙したまま、周囲の護衛たちを見回す。しばしの沈黙の後、苦渋の表情で言った。
「……たとえ彼女が本物だろうが偽物だろうが、王国で公式に“追放された人物”であることに変わりはない。そんな人間を匿ったとあっては、商会としても危険が大きい。帝国の検問でも問題を起こすかもしれない」

 アストリッドの胸に不安が走る。ここで見捨てられれば、もう頼るあてもない。
「でも、契約はすでに結んだはずです。支払いも一部済ませましたし……」
「分かっている。だからこそ、我々もむやみに契約を破棄はできない。ただ、場合によっては追加料金や、隊列の編成を変更する必要が出てくる。護衛を増やすことになるかもしれないしな」

 グレンの言葉は冷静だが、そこには商人らしい計算が透けて見える。“大きなリスクを負うなら、その分の対価をもらわねば割に合わない”――それがビジネスの理屈だろう。
 アストリッドは重苦しい気持ちを抱えながらも、ひとまず安堵した。契約を即破棄されず、まだ可能性が残っているだけでも救われる。

 そして、グレンは鋭い視線でアストリッドを見据える。
「正直に言おう。今のままでは、君を隊列に入れるのは大きすぎるリスクだ。……だが、私が一存で解決できる話でもない。明日の朝、商会の当主――ファーレン様がここに顔を出す予定だ。君たちは彼と直接話すといい」
「ファーレン様……商会の主ですか」
「そうだ。彼は帝国との取引で莫大な利益を上げてきた辣腕だ。判断力もある。……もし君たちを受け入れると決めたら、そのときは商会として君を守る。逆に、もし拒否されたら、悪いがここを去ってもらうしかない」

 選択肢は残酷なほど明白。アストリッドは唇を噛んで俯く。――ここを去ったら、今度こそ追っ手に捕まるだろう。
 何が何でも、明日の交渉を成功させなければならない。


---

8.予期せぬ客人と決着の朝

 グレンの計らいで、アストリッドとクラリッサは倉庫の一角に設けられた簡易宿泊所へ通された。もちろん厳重に戸を閉められ、商会の護衛が見張っているが、ひとまず安全を確保できたのはありがたい。
 夜が明けるまでは静かにしているしかない。二人は狭い寝台に腰掛け、どちらからともなく深いため息をついた。

「お嬢様……本当なら、こんな目に遭わずに済んだのに……」
「仕方ないわ。あの王国が私を捨てたんだから。でも、ここまで来たら意地でも生き延びて、あいつらを後悔させるの」

 クラリッサは切なそうにアストリッドを見つめる。昔の“優しく穏やかな聖女さま”だった頃とは違う、鋭い光を宿した瞳。けれど、その奥には拭えない悲しみも同居しているように感じられた。
 ――どんなに傷つき、怒りを募らせても、アストリッドはかつて多くの人を救った“聖女”だったのだ。その優しさや誇りを完全には捨てきれないまま、復讐の炎だけが燃えている。

 暗い想いに囚われそうになっていたとき、外で護衛たちが何やら騒ぎ始めた。ガチャリと鍵が開き、グレンが顔を覗かせる。

「アストリン嬢……すまないが、今、君に面会を求める者が来ている。どうする?」
「面会……? 誰がこんなところに?」

 まさか追跡屋が強引に入り込んできたのかと身構えるが、グレンはそうではないと首を振る。
「ジークと名乗る男だ。……どうやら、先ほどの騒ぎで追跡屋を足止めしたのはそいつらしいが」
「ジーク……!」

 あの黒い外套の青年。助けてもらってばかりで正体が掴めないままだが、ここへ来たからには何らかの目的があるに違いない。

「……会うわ。ここまで来てくれたってことは、きっと話があるんでしょう」
 アストリッドはそう答え、クラリッサとともに小さなテーブルが置かれた応接スペースへ移動する。すでにジークはそこに立ち、外套の埃を払っていた。

「やあ、無事だったようだな。追跡屋どもは寄せ集めだから、数はいても統制が取れていない。おまけにここは商会の土地。迂闊に手は出せないだろうさ」
 淡々と言葉を紡ぐジーク。その視線がアストリッドに向けられると、わずかに微笑むような気配を見せた。
「……助けてくれて、ありがとう。あのままじゃ、私たちは捕まっていたかもしれない」
「礼はいい。それよりも、ここからどう動くつもりだ? ファーレン商会は大手だが、追跡屋に根回しされれば安全とは限らん。特に、王国から正式に“追放”されている身ならなおさらだ」

 核心を突く言葉に、アストリッドは苦い表情でうなずく。彼女の目的は“帝国へ渡る”こと。そのためにはこの商隊に乗るしかないが、成功するかどうかは当主ファーレンの判断にかかっている。
「私も分かっている。だから明日の朝、ファーレン様と直談判するわ。もし拒否されたら、そのときは私なりに別の方法を探すしか……」

 ジークはそれを聞き、少し考え込むように沈黙した。そして、決意を込めたように唇を開く。
「ならば、俺もその場に同席させてくれ。……実は、俺もファーレン商会に同行するつもりだったんだ。帝国でやるべきことがある。いずれにせよ、ここの当主とは話をつけるつもりだったからな」
「あなたも……商隊に?」

 ジークの意図は分からないが、少なくとも彼が同行するなら、商会としても護衛面で大きな力になるはずだ。あの凄まじい剣の腕を見れば、一介の用心棒とは桁違いの戦力になる。
 そして、ジークは古びた文書の切れ端に描かれた紋章をさっと見せ、静かに言う。
「……この紋章の意味を突き止めたいんだ。どうやら“古い聖女伝説”に関係しているらしいんだが、王国の中央神殿にはとても近づけないしな。帝国の学術院か、大図書館でなら資料があるかもしれない」
「それで、あなたは帝国へ行くのね……。でも、私を助ける理由は何?」

 ジークは微かに笑う。
「単純に言えば、君の“力”に興味がある。魔物退治の場面を見て分かったが、君はただの治癒魔法使いではない。王国が追放するだけの理由が何か裏にあるはずだ。……それを知りたい」

 アストリッドは胸がざわつく。自分でさえ、まだ把握しきれない謎の力。かつての癒やしの奇跡とは異なる、どこか危うさを伴う光。
 ――ジークの言う通り、神殿はこの力を恐れ、あるいは利用できないと判断して自分を切り捨てたのかもしれない。
 彼女はそっと頷き、ジークを見つめ返す。
「分かった。もしあなたが私に協力してくれるなら、私もあなたの探索に協力するわ。……今は、そうやって助け合うしかないものね」

 交わされる視線。どこか不思議な信頼感が生まれつつあるが、まだ互いにすべてを打ち明けるには至らない。それでも、同じ商隊を目指す者として手を組むことになった。


---

 そして夜が明けきる頃、ファーレン商会の当主――ファーレン・オルディアが姿を現した。五十代前半ほどの壮年の男性で、太めの体格に派手な衣装を纏い、その眼光は商売人らしく鋭い。
 グレンや護衛長、そしてアストリッドたち数名が小会議室に集められる形で話し合いが始まる。

「ふむ……。副長から話は聞いた。王国で“偽りの聖女”とされた女が、うちの商隊に加わりたい、と」
「はい。私はどうしても帝国へ向かいたい。出発が早まるなら、それに合わせて余分な費用もお支払いします。どうか……」

 アストリッドが目を伏せて懸命に言葉を選ぶ。ファーレンは首を横に振りながら、ジークの方を見やる。
「そちらの傭兵も、うちの商隊に乗るつもりだそうだな。……副長が言うには、なかなかの腕前だとか」
「俺はジーク。ただの旅の剣士だ。帝国で用事があるから、商隊と行動を共にしたいだけだ。……今回、彼女を守るというなら、俺の剣も役に立つだろう」

 ジークの落ち着いた口調は説得力を伴う。ファーレンは髭を撫でながら考え込むようにしばらく黙る。
 やがて、彼はアストリッドに向かって改めて口を開いた。
「……我が商会にとって、一番の不安は“追跡屋”だけではない。王国自身が君を捕らえようと本腰を入れてくる可能性もあるという点だ。実際、王国から追放された人間を匿うのは、あまりにも危険が大きい」

 アストリッドの心臓がギュッと締まる。もしファーレンが拒否を宣言すれば、すべてが終わる。だが、彼は続けてこう言った。
「……しかし、帝国との取引をする上で、もし“本物の聖女”を得る可能性があるなら、これは無視できない利点でもある。場合によっては、君の存在が帝国側で歓迎されるかもしれない。真偽はともかく、一度帝国に渡ってからの動き次第では大きな利益を生むだろう」

 ファーレンの言葉は、まさに商人の合理的思考だ。利益になるかもしれないなら、危険を承知で受け入れる――ただし、そのリスクに見合う“代価”を支払ってもらう必要がある。

「そこで提案だ。――今の通行料や隊列参加の契約金とは別に、“安全保証料”を支払ってもらう。君たちを守るために増強する護衛や、国境での役人への根回しにかかる追加費用だ。それを払うだけの資金があるのかね?」

 アストリッドはチラリとクラリッサを見やる。追放前に売却した宝石や貴金属の残りで、かろうじて賄えるかもしれない。ここが正念場だ。
「……分かりました。すべて支払います。持ち合わせているものを可能な限り差し出しますので……それで足りるなら、ぜひお願いします」

 ファーレンは細めた目でアストリッドの表情を読み取り、ひとつうなずく。
「よし。金さえもらえるなら、うちとしても損にはならん。君たちが本当に“王国に後悔を与える”ような存在になれば、さらに儲けものだ。……グレン、副長として段取りを頼む。隊列の編成を一部変更し、護衛を増強するんだ。すぐ準備にかかれ」
「かしこまりました、当主殿」

 こうして、ファーレン商会はアストリッドらを受け入れることを最終的に決定した。強引な手段と多額の出費で手に入れた“避難所”だが、これで帝国へ渡れる望みが繋がったのだ。


---

 早速、商会内は出発を前倒しして今日の昼過ぎには町を発つことに決まった。追跡屋たちに町の出口を封鎖される前に、大規模な隊列で強行突破する算段だ。ファーレン商会の護衛は精鋭が揃っており、こちらも数十名規模。多少の衝突ではビクともしない。

 準備が整い、荷馬車が何台も並ぶ広い敷地は騒然としていた。アストリッドとクラリッサは契約金を清算し、ジークは護衛の一員として登録する。ファーレンは悠然と自分の馬車に乗り込んでいた。
 隊列がゆっくりと門を開け、ランフレアの町の大通りへと進み出す。その光景は、まさに“移動する市場”のように壮観だ。

「よし、今のところ追跡屋の姿は見えないな……。先を急げ!」
 先頭の護衛長が号令をかけ、商隊が一気に町外へ突き進む。

 ところが――門の前を通り過ぎようとしたとき、数台の馬車が横並びに現れて行く手を塞ぐ。周囲の家の影からは武装した男たちがぞろぞろと姿を現すではないか。
「おいおい、行かせるわけにはいかねえぞ。そこに“金髪の女”がいるんだろう?」
 リーダー格の男が薄笑いを浮かべ、商隊に向けて剣を突きつける。

「またか……しつこい連中だな」
 護衛長が歯ぎしりしながら馬車を止め、ファーレンは眉をひそめる。
「貴様ら、うちの商隊に喧嘩を売る気か? ろくに身分も示さず、何の権利があって行く手を塞ぐ?」
「権利? こっちは王国からの命令を受けているんだよ。偽りの聖女を捕えろってな!」

 その言葉にアストリッドの胸の奥がさらに冷える。やはり、王国が裏で手配書を回しているのだろうか。
 ファーレン商会の護衛たちも一斉に構えるが、追跡屋たちの人数も多い。町の住民は遠巻きに見守っており、大規模な衝突が起きそうな雰囲気が漂う。

 ジークは外套を翻し、前へ進み出る。鋭い眼差しを追跡屋たちに向け、静かに剣を抜いた。
「……ここで争うなら、そちらに勝ち目はないぞ。商会の護衛を合わせれば、戦力差は圧倒的だ。おとなしく退くんだな」

 挑発じみたその言葉に、一部の追跡屋は怯むが、リーダー格の男は引き下がらない。
「勝ち目がないかどうかなんざ、やってみなきゃ分からねえ! お前ら商人なんざカネしか頭にねえんだろ? だったら、そこにいる女を渡せば万事解決って話よ!」
「それはできない。彼女は我らの客人だ。……少なくとも、今のファーレン商会には大きな価値がある」
 護衛長が唸るように返す。すると、男は舌打ちをして刃を構えた。
「なら力づくで奪うまでよ。構えろ、野郎ども!」

 瞬間、追跡屋たちが一斉に商隊へ襲いかかる。周囲の悲鳴や馬の嘶(いなな)きが響き、町の通りが大混乱に包まれる。
 アストリッドは荷馬車の陰に身を隠し、クラリッサを後ろへ庇(かば)う。
「危ないから、あまり前に出ないで。ここは護衛が押し返してくれるはず……」

 実際、ファーレン商会の護衛は人数も装備も充実している。正面から刃を交えれば追跡屋が不利なのは明らかだ。――しかし、彼らは敗色が濃くなると、狙いをアストリッドに定めて突撃してきた。

「くそっ! あの女を捕まえりゃいいんだろう!?」
 複数の男が馬車を飛び越えようとする。その動きに反応し、ジークが素早く身体を回転させる。
「通すものか――!」

 彼の長剣が大きく一閃し、男の武器ごと腕を弾き飛ばす。血飛沫に周囲がざわめき、ジークの容赦ない剣技に追跡屋たちがうろたえる。

 だが、それでも数人がアストリッドを囲むように迫り、いよいよ逃げ場がなくなりつつあった。護衛も他の戦線で手一杯らしい。
「お嬢様……!」
 クラリッサが悲鳴に近い声を上げる。――ここでまた、彼女自身が戦うしかないのか。

「やめて……これ以上、私を追うなら――!」
 アストリッドは意を決し、両手をかざす。青白い光が瞬き、男たちに注意を促す。
「な、なんだ、その光……!」
「怯むな! 一気に捕まえろ!」

 それでも男たちは構わず突進してくる。アストリッドは必死に魔力を集中させた。今こそ本気で“あの力”を引き出さなくては倒される――その恐怖が、彼女の感情をさらに研ぎ澄ます。

 ――すると、不意に胸の奥で“何か”が弾けるような感覚が走った。
 血が逆流するような衝撃とともに、手のひらから閃光が走る。

「――あ……」

 刹那、襲いかかろうとしていた男たちが、その光に飲み込まれた。まるで強烈な雷に打たれたように、何も言わず地に倒れ込む。青い火花が一瞬散り、周囲の空気がビリビリと震えるようだった。
 まるで“浄化”というより“破壊”に近い衝撃。周囲の者たちは息を呑み、静まり返る。

 アストリッド自身も足元がふらつき、クラリッサに支えられながら何とか立っている状態だ。
「お嬢様……いまのは……」
「……わからない。でも……倒れた人は、生きてる?」

 地面に横たわる男たちの胸は、かすかに上下している。どうやら気絶しただけらしいが、衣服が焦げていて、相当なダメージを受けたのは明らかだ。

「な、なんなんだ、あの力……!」
「偽りじゃない……本物……?」
「いや、あれは聖女の奇跡というよりは……もっと禍々しいものじゃ……」

 護衛たちや追跡屋の生き残りがざわざわと動揺する。王国の“聖女”の奇跡というイメージからかけ離れた、攻撃的な光だったからだ。
 しかし、とにかく追跡屋たちは総崩れとなり、戦意を失う。ファーレン商会の護衛も「もう十分だ。引き上げろ!」と号令をかけ、道を開かせる。

 こうして追跡屋の包囲は破られ、商隊は町を脱出することに成功した。倒れた者の中には動けない者もいるが、護衛や町の衛兵が放置するわけはなく、ある程度の処置はしてくれるはずだ。
 ファーレン商会にとって重要なのは、自分たちの荷と人員を無事に帝国へ運ぶこと。いちいち王国の不良連中を相手にしている暇はない。

「みんな、さっさと出るぞ! 行き先は帝国境の関所だ。王国との諍(いさか)いに巻き込まれるのはごめんだからな!」

 護衛長がそう叫び、隊列が再び動き出す。何台もの荷馬車が道を揺らし、アストリッドとクラリッサも振り返る暇もなく馬車に乗り込む。
 その後方には、ジークが馬を駆って護衛隊の先頭近くを固めていた。彼はアストリッドを見やってほんの少し笑みを浮かべ、合図を送る。
 ――何とか、脱出は成功したのだ。


---

9.帝国領への突入と国王の嘆き

 ランフレアから先は、王国領内でも管理が甘い地域がしばらく続く。道中、魔物や追跡屋が出没する危険はあるものの、大所帯の商隊に手を出す強者はいない。
 アストリッドは馬車の中で体力を回復させながら、時折ジークに誘われて周囲の警戒も行った。幸い、大きな襲撃はなく進軍は順調だ。
 やがて大きな川を越えれば、そこは帝国との国境近く。関所が設置されているが、ファーレン商会の綿密な手続きのおかげで検問はスムーズに進んだ。

 帝国領に足を踏み入れると、風景が微妙に変わってくる。畑の配置や建物の様式も異なり、王国とは違う文化が息づいているのを肌で感じる。
「……本当に、ここまで来たのね」
 クラリッサがしみじみと呟く。アストリッドも馬車から外を見渡しながら、感慨深い思いで満たされる。

 こうして、“偽りの聖女”アストリッドは帝国へ亡命する形となった。元々はただ逃げてきただけだが、結果として亡命と変わりなくなったのだ。

 一方、その頃――王国では混乱が起きていた。
 追放されたはずの公爵令嬢アストリッドが、辺境の地で生存しているという報せが王城に届いていた。しかも、彼女には未だ強力な奇跡の力が残っており、追っ手を返り討ちにして帝国へ逃れたのだという。
 これを受けて国王や神殿、さらには第一王子ライナーは大いに揺れる。ミレーユが“真の聖女”だという建前が崩れかけているし、帝国との関係にも影響するかもしれない。

「くそ……あんな女を野放しにしておくなんて……!」
 ライナーは玉座の間で怒りを露わにするが、すでにアストリッドが帝国領に入った以上、王国の手出しは容易ではない。神殿の高司祭も、何とか彼女を闇に葬りたかった思惑が外れて苦い顔をしている。

 ――だが、これはほんの序章に過ぎない。
 アストリッドが帝国で力を取り戻すなら、いずれ王国に振り下ろされる復讐の刃は想像を絶するものになるだろう。


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10.復讐の果てに――始まる新たな道

 帝国の大都市――リューベル。その外れに設けられたファーレン商会の拠点にて、アストリッドたちはようやく一息つくことができた。
 長い道のりを護衛した商隊はここで荷を降ろし、帝国の市場や各地へ転売を進める。ファーレン自身は帝国の有力者との面会に忙しいらしく、もはやアストリッドたちのことまで構ってはいられない。
 だが、それで構わない。すでに契約は完了し、彼女たちは無事に帝国へとたどり着いたのだから。

「ここからは、私たちの自由だわ。王都にいた頃よりずっと、自由に動ける気がする」
「ええ……。お嬢様がしたいことを、思う存分やってください」
 クラリッサの笑顔には安堵の色が濃い。長かった逃亡の旅が、ようやく一区切りついたのだ。

 ――もっとも、アストリッドの旅はこれで終わりではない。
 むしろ、ここからが本番と言える。帝国で新たな地位を築き、王国に復讐を果たすための足がかりを見つける。そのためには情報収集が欠かせないし、自分の力の謎も解明しなければならない。

 そこへ、いつの間にか近づいていたジークが声をかける。
「俺は、まずは帝都近郊の学術院か大図書館を回りたい。あの古い文書の手がかりを探すためにな」
「……そう。それで、私に何を求めるの?」
「君の力が、もし古い聖女伝説と関わりがあるなら、解読の糸口になるかもしれない。俺としては協力を願いたいが……まあ、君には君の目的があるだろう」

 ジークの瞳に揺れるのは、好奇心と淡い期待。それはアストリッドにも共有するところがある。自分の“歪んだ奇跡”の正体を知れば、さらに大きな力を得ることができるかもしれない。

「分かったわ。私も、自分の力の正体を知りたい。――もしその答えが見つかれば、いつか王国を跪(ひざまず)かせることもできるかもしれないし」
「はは、物騒だな。でも、君ならやりかねない。……じゃあ、一緒に行動しよう。学術院や図書館は、一般人が簡単に入れる場所じゃない。多少腕の立つ者が必要になるかもしれないからな」

 そうして、二人――いやクラリッサを含めた三人の帝国での新生活が始まった。

 アストリッドの目には、燃えるような決意が宿っている。かつて王国に捨てられ、屈辱を味わったあの日からずっと胸に滾(たぎ)り続けている復讐心。それを果たすには、まだ多くの準備が必要だ。
 ――王国は、いずれ彼女を求めて頭を下げるだろう。いや、もっと悲惨な状況になるかもしれない。ミレーユやライナー、そして神殿が自分を追放したことを血の涙で悔やむような結末さえ、あり得る。

 帝国の澄んだ空気を吸い込みながら、アストリッドは小さく口の端を吊り上げる。完全復讐という野望は、この地で花開かせるのだ。
 “偽りの聖女”などという烙印は、もはや通用しない。――今こそ彼女は、真の力を取り戻し、堂々たる復讐の舞台へと歩み始める。

――その先に待つのは、滅びゆく王国を見下ろす時。
アストリッドは新天地に一歩を踏み出し、静かに囁いた。

「覚悟なさい……私を捨てた王国。次に会うときは、あなたたちがその身分を捨てて私に跪く番よ」

 昇り始めた帝国の朝日は、残酷なまでに美しく、彼女の金髪を照り返していた。
 そして、それは王国の破滅への序曲でもある――。


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