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第10章 リチリア島の戦い編
第15話 リチリア島防衛戦は次の局面へ
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・・15・・
9の月10の日の昼過ぎから宵かけて起こった妖魔帝国軍による強襲作戦は、フィリーネ達最精鋭の二個大隊によって阻むことに成功した。
原因を作り出した『異形の中隊』はその殆どを討伐され攻勢は挫け、妖魔帝国軍全体で二個大隊の損害となった。最悪の事態は防げたと言える。
しかし、人類側にとっても失ったものが大きすぎた。
11の日朝になってようやく通信網が復旧し被害の全貌が明らかになっていくのだが、その時ニコラ少将達はこのようか会議を行っていた。
「シャラクーシ防衛線を喪失したものの、キャターニャ防衛線まで喪失する事はフィリーネ少将達のお陰で未然に防げたけれど、これは、余りにも……」
「あくまで推定値ですが、防衛線を担当していた二個旅団の戦力は五六〇〇まで低下。ほぼ半減となってしまいました。兵員の損失だけではありません。あの大攻勢によって多くの重火器を被破壊もしくは破棄しており、全体火力が数字以上に低下しております」
「テオドーロ大佐の言う通りだねえ……。野砲をかなり失っていて、これではとても戦えない……」
「はい。両旅団長からはキャターニャ防衛線の維持は困難と意見が出ております」
「だよねえ……。そういえばクリス大佐、フィリーネ少将の様子は……?」
「意識を失うように眠りについてから半日近く経ちますが、未だに目を覚ましていません。恐らくあと一日は無理かと」
夜間奇襲に続き、10の日の救援戦闘においても一番のキルスコアを叩き出し活躍したフィリーネは、前回と同じように召喚武器使用の代償で今は彼女専用に用意されている部屋――司令部より北西にある、元は別荘だった建物を軍が接収した所――で眠っていた。戦闘終了直後に激しい吐き気と頭痛、倦怠感だけでなく何かに取り憑かれそうになる感覚によって苦しそうに顔を歪めていたフィリーネは、帰還後自分とクリス大佐しかいない部屋で何度か嘔吐を繰り返し彼の体を強く抱きしめた後、失神に等しい状態で眠ったのである。これは自身もクリス大佐も知っている症状だった。
ただし、前回と違うのは戦闘時間である。10の日の戦闘では妖魔帝国兵だけでなく化物も相手にした事から前回を上回る一時間半の連続使用を行っている。それだけにクリス大佐は前より目を覚ますまでに時間がかかるだろうと予想していた。
「そうかあ……。彼女ならどう判断するだろうね。僕は少なくとも、ここは大胆にキャターニャ防衛線も放棄して川北まで撤退。そこで態勢を立て直した方がいいと思うんだ。クリス大佐はどう思う?」
「自分もキャターニャ防衛線をあえて捨て、キャタニ川の北まで撤退した方が良いと考えます。フィリーネ少将閣下も起きてここにおられたら同じ事を仰るでしょう。最前線にいる旅団長が両方とも同じ意見を言うのなら、尚更」
「むう……、やはり君もそう思うよねえ……。――決めた。状況は今も予断を許さない。今日の敵攻勢があったとしたらそれだけは防ぎきり、夜になったら一挙に撤退しよう。だから申し訳ない。夕方までまた七〇一と七〇二の力を借りる事になるかもしれないけど、いいだろうか……?」
「我々は常に共にあります。二個大隊には合計で八十の死傷者が発生しましたが、問題ありません。まだまだ戦えます」
「君らの大隊ですらそれだけの被害というのが敵の脅威を物語っているね……。けれど、その脅威はひとまず消え去った。よろしくお願いするよ」
「はっ。お任せ下さい」
以上のように、撤退は速やかに決定が下された。
11の日の日中。妖魔帝国軍の攻勢はカードの一つである『異形の中隊』がほぼ討ち取られた事と損害による再編成と休息、戦線の拡大に伴う再配置もあって前日に比べればかなり控えめであった。
そして夜。闇に紛れて二個旅団の残存五六〇〇は七〇一と七〇二の支援と護衛を受けながらかなりの早さで行われた。可能な限り静粛に、しかし大胆に。
翌日の朝、妖魔帝国軍はもぬけの殻となったキャターニャ防衛線を目撃して師団長クラスに至るまで驚愕したという。
とにもかくにも、人類側軍の英断による撤退は成功したのであった。
・・Φ・・
9の月12の日
午前7時半頃
フィリーネの眠る別荘の一室
『コールブラック・カーシーズ』の長時間使用により、深い眠りへと誘われていたフィリーネは夢を見ていた。今いるこの世界ではなく、前の世界。同じ軍人だが、軍服も違えば身体的特徴も違う以前の自分。
彼女が夢で見ていたのは、喪失の連続だった。
肉親を喪い、恋人を喪い、部下を喪い、女性としての尊厳を喪い、祖父を喪ったと同時に自分も死んだ。
後悔の連続。余りにも残酷な現実。
それでも、彼女にとって唯一の幸せは愛していた彼に夢の中ならば会える事であった。結末はいつも同じで、最後には愛しい人の死を目の当たりにするのだが。
「どうして。どうして私の大切な人はいつもいなくなるのか」
「愛している人はいつもいなくなる」
「無残な死に方。凄惨な死に方。どんなに愛していても、手からは零れ落ちていく」
「拾い上げられない。落ちた瞬間、消えてゆく」
「ああ、どうして。どうしてなの」
「――。なんで、私を置いていって死んでしまったの」
掴もうとした彼の手は掴めず、遠くへ行ってしまう。
そうしてまた、彼女は目を覚ました。
「こっち、か……」
ぼやけた天井が彼女の視線に映る。自分が現実に引き戻された事をフィリーネは実感した。フィリーネとして自分は視力はいいはずだから視界がクリアでないのはどうしてだろうと思うが、原因は涙であった事はすぐに分かった。まだ体は重い。しかし手くらいは動かせるので、涙を拭う。
部屋の明るさからして今は朝だろうか。となると自分は何時間くらいこうしていたのだろうか。
未だにあの人の幻影が瞼の裏から離れないが、今いるのはこの世界であり、戦争の真っ只中に身を投じている。いつの間にか軍服から寝間着に近い服になっているのには不思議に思わないが、ひとまず起き上がらないと、とフィリーネは、上体を起こした。
「あんた、いつからここにいたのよ……」
視線を左に動かすと、クリス大佐はベッドの隣にある椅子に座ったまま寝ていた。どうして彼がいるのかは言うまでもない。フィリーネの身を案じて軍議を終えてからずっとここにいたのであろう。その証拠に彼の格好は軍服のままであった。
「まったく、もう……」
己が彼に心配をかけたのは自覚している。だからフィリーネは椅子に腰掛けたまま寝ているクリス大佐の頬に触れると、優しく頭を撫でる。決して恋人などという関係ではない。この世界で離れず常に傍らに居続けてくれているからであった。
すると、ちょうどそのタイミングでクリス大佐は目を覚ました。
眼前にはフィリーネ。彼は一瞬だけキョトンとしていたが、彼女が起きて無事であるのを寝起きの頭で理解するとぽつりと漏らした。
「フィリーネ、良かった……」
「ごめんなさいね。おはよう、クリス」
「おはようって……、もう一日半寝ていたんだぞ……」
「一日半……。そう……」
クリス大佐の言葉で、戦争中の島にも関わらずそれだけの間寝てしまっていた事が分かり、フィリーネは顔を落とす。しかし誰もそれを責める者などいるはずがない。彼女の働きはそれだけ目を見張るものなのだから。
「いや、怒っているとかではないんだ」
「分かってる」
「責めてもいない」
「分かってる」
「……ただ、ただな。後でニコラ少将達が詳しく説明してくれるだろうが状況は益々厳しくなる。だから無茶だけはしてくれるなよ」
「……ありがと」
クリス大佐の目つきは真剣そのものであった。心底、フィリーネの身を心に不安を抱いていて、心配していた。
故にフィリーネも素直に、謝罪の言葉ではなく礼を口にする。
「起きたなら、行かなきゃね」
「いいや。その前に問診だろう。軍医を呼びにいってくる」
「そう、ね。よろしく頼むわ。――ねえ、私の顔って、今ひどい?」
「……あんまり良くはないな」
「そっか……。ニコラ少将達の前に出るまでにはしゃきっとしておくわ」
「ああ。しばらくはそこで休んでいてくれ」
「うん」
クリス大佐はそう言うと、部屋を出ていった。
フィリーネは誰もいなくなった部屋の中で、視線を逆に向けてベッドの横の小さい丸テーブルの上にある私物の手鏡を手に取った。
「ほんとだ。ひどい顔してる」
この時代において精度の高い手鏡に映るフィリーネの顔はお世辞にも良い状態では無かった。
目の下にはクマが出来ており、疲労は隠せていない。ここが病院の個室で、彼女は入院患者であると言っても違和感は無かった。
だが、ここは平和な世界の病院ではない。戦いが続いている島なのだ。悠長にしている時間などあるはずがない。
クリス大佐が部屋を出てからすぐに軍医はやってきた。魔法軍医と一般軍医の二人で、いずれの問診でも異常は見られなかった。ただ両者に共通していたのは、今日は何があったとしても戦線参加は軍医の立場として禁止というものだった。
「異常が無いなら、司令部に行かなきゃね」
「同行します」
「よろしく」
二人は先程のような親しいやりとりでなく、上官と部下との関係に戻っていた。
フィリーネは終えると、軍服へと着替えてすぐに司令部へと向かった。
建物の入口には二つの大隊の大隊長。いつも通り、出迎えてくれていた。
ニコラ少将達がいるのは司令部内の統合司令本部である。彼女が部屋に入ると、彼等は安堵の表情を見せた後に最大限の敬意でもって敬礼した。
「早速で悪いけれど最新の状況を教えてちょうだい」
「分かった。テオドーロ大佐、フィリーネ少将に資料を渡してあげてくれるかな」
「はっ。フィリーネ少将閣下、本日早朝までの最新報告が纏められております。どうぞ」
「ありがとう」
フィリーネは戦況が纏められた資料を読み込んでいく。
ニコラ少将は、読み終えたタイミングを見計らって、
「フィリーネ少将が回復するまでにキャターニャ防衛線は放棄する事に決めたよ。第一次防衛線はキャタニ川になっていて、撤退が完了したのが今日の未明だ」
「キャターニャ防衛線を放棄したのは正解ね。二個旅団の現在をさらりと目を通させてもらったけれど、とても防衛線を維持出来るとは思えないわ。それで、今後の方針はもう決まっているのかしら?」
「それについては私から」
「どうぞ、テオドーロ大佐」
「本日以降ですが、防衛線を三つ策定しました。一つがニコラ少将閣下が仰ったキャタニ川の第一次防衛線。続いて、キャターニャ市及びこの司令部近辺の第二次防衛線。そして、キュティル市東部に構築してある防衛線を第三次防衛線とし、第三次防衛線を絶対防衛線とします。キュティルを奪還されると、タレルモ北西部に上陸予定の救援にかけつける味方の上陸が困難になりますので」
「そうね。キュティルを取られれば次はタレルモになるもの。つまり、従来のプランからほぼ変更はないという事かしら?」
「はっ。はい、砲火力の喪失が想定より多いですが、フィリーネ少将閣下の意識回復前に決定しており、後は閣下の裁可を待つだけです」
「この案でいいと思うわ。積極攻勢で敵の戦力はある程度減らしたはず。あとはもう味方を待ってひたすら耐え切るだけ。敵への抵抗方法も開戦前に話した通りの手法、作戦をフェーズ2に移行しましょう」
「了解しました。ニコラ少将閣下」
「ならば早速動き出そう。あと二十日、踏ん張るだけの話だ。泥臭く戦い抜くのだって、僕は悪くないと思うからね」
「ええ。これからが本番よ」
味方の増援が現れるまであと約二十日。
フィリーネやニコラ少将達にとっての戦いは、これまでの積極攻勢策から次の局面へと移るのであった。
9の月10の日の昼過ぎから宵かけて起こった妖魔帝国軍による強襲作戦は、フィリーネ達最精鋭の二個大隊によって阻むことに成功した。
原因を作り出した『異形の中隊』はその殆どを討伐され攻勢は挫け、妖魔帝国軍全体で二個大隊の損害となった。最悪の事態は防げたと言える。
しかし、人類側にとっても失ったものが大きすぎた。
11の日朝になってようやく通信網が復旧し被害の全貌が明らかになっていくのだが、その時ニコラ少将達はこのようか会議を行っていた。
「シャラクーシ防衛線を喪失したものの、キャターニャ防衛線まで喪失する事はフィリーネ少将達のお陰で未然に防げたけれど、これは、余りにも……」
「あくまで推定値ですが、防衛線を担当していた二個旅団の戦力は五六〇〇まで低下。ほぼ半減となってしまいました。兵員の損失だけではありません。あの大攻勢によって多くの重火器を被破壊もしくは破棄しており、全体火力が数字以上に低下しております」
「テオドーロ大佐の言う通りだねえ……。野砲をかなり失っていて、これではとても戦えない……」
「はい。両旅団長からはキャターニャ防衛線の維持は困難と意見が出ております」
「だよねえ……。そういえばクリス大佐、フィリーネ少将の様子は……?」
「意識を失うように眠りについてから半日近く経ちますが、未だに目を覚ましていません。恐らくあと一日は無理かと」
夜間奇襲に続き、10の日の救援戦闘においても一番のキルスコアを叩き出し活躍したフィリーネは、前回と同じように召喚武器使用の代償で今は彼女専用に用意されている部屋――司令部より北西にある、元は別荘だった建物を軍が接収した所――で眠っていた。戦闘終了直後に激しい吐き気と頭痛、倦怠感だけでなく何かに取り憑かれそうになる感覚によって苦しそうに顔を歪めていたフィリーネは、帰還後自分とクリス大佐しかいない部屋で何度か嘔吐を繰り返し彼の体を強く抱きしめた後、失神に等しい状態で眠ったのである。これは自身もクリス大佐も知っている症状だった。
ただし、前回と違うのは戦闘時間である。10の日の戦闘では妖魔帝国兵だけでなく化物も相手にした事から前回を上回る一時間半の連続使用を行っている。それだけにクリス大佐は前より目を覚ますまでに時間がかかるだろうと予想していた。
「そうかあ……。彼女ならどう判断するだろうね。僕は少なくとも、ここは大胆にキャターニャ防衛線も放棄して川北まで撤退。そこで態勢を立て直した方がいいと思うんだ。クリス大佐はどう思う?」
「自分もキャターニャ防衛線をあえて捨て、キャタニ川の北まで撤退した方が良いと考えます。フィリーネ少将閣下も起きてここにおられたら同じ事を仰るでしょう。最前線にいる旅団長が両方とも同じ意見を言うのなら、尚更」
「むう……、やはり君もそう思うよねえ……。――決めた。状況は今も予断を許さない。今日の敵攻勢があったとしたらそれだけは防ぎきり、夜になったら一挙に撤退しよう。だから申し訳ない。夕方までまた七〇一と七〇二の力を借りる事になるかもしれないけど、いいだろうか……?」
「我々は常に共にあります。二個大隊には合計で八十の死傷者が発生しましたが、問題ありません。まだまだ戦えます」
「君らの大隊ですらそれだけの被害というのが敵の脅威を物語っているね……。けれど、その脅威はひとまず消え去った。よろしくお願いするよ」
「はっ。お任せ下さい」
以上のように、撤退は速やかに決定が下された。
11の日の日中。妖魔帝国軍の攻勢はカードの一つである『異形の中隊』がほぼ討ち取られた事と損害による再編成と休息、戦線の拡大に伴う再配置もあって前日に比べればかなり控えめであった。
そして夜。闇に紛れて二個旅団の残存五六〇〇は七〇一と七〇二の支援と護衛を受けながらかなりの早さで行われた。可能な限り静粛に、しかし大胆に。
翌日の朝、妖魔帝国軍はもぬけの殻となったキャターニャ防衛線を目撃して師団長クラスに至るまで驚愕したという。
とにもかくにも、人類側軍の英断による撤退は成功したのであった。
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9の月12の日
午前7時半頃
フィリーネの眠る別荘の一室
『コールブラック・カーシーズ』の長時間使用により、深い眠りへと誘われていたフィリーネは夢を見ていた。今いるこの世界ではなく、前の世界。同じ軍人だが、軍服も違えば身体的特徴も違う以前の自分。
彼女が夢で見ていたのは、喪失の連続だった。
肉親を喪い、恋人を喪い、部下を喪い、女性としての尊厳を喪い、祖父を喪ったと同時に自分も死んだ。
後悔の連続。余りにも残酷な現実。
それでも、彼女にとって唯一の幸せは愛していた彼に夢の中ならば会える事であった。結末はいつも同じで、最後には愛しい人の死を目の当たりにするのだが。
「どうして。どうして私の大切な人はいつもいなくなるのか」
「愛している人はいつもいなくなる」
「無残な死に方。凄惨な死に方。どんなに愛していても、手からは零れ落ちていく」
「拾い上げられない。落ちた瞬間、消えてゆく」
「ああ、どうして。どうしてなの」
「――。なんで、私を置いていって死んでしまったの」
掴もうとした彼の手は掴めず、遠くへ行ってしまう。
そうしてまた、彼女は目を覚ました。
「こっち、か……」
ぼやけた天井が彼女の視線に映る。自分が現実に引き戻された事をフィリーネは実感した。フィリーネとして自分は視力はいいはずだから視界がクリアでないのはどうしてだろうと思うが、原因は涙であった事はすぐに分かった。まだ体は重い。しかし手くらいは動かせるので、涙を拭う。
部屋の明るさからして今は朝だろうか。となると自分は何時間くらいこうしていたのだろうか。
未だにあの人の幻影が瞼の裏から離れないが、今いるのはこの世界であり、戦争の真っ只中に身を投じている。いつの間にか軍服から寝間着に近い服になっているのには不思議に思わないが、ひとまず起き上がらないと、とフィリーネは、上体を起こした。
「あんた、いつからここにいたのよ……」
視線を左に動かすと、クリス大佐はベッドの隣にある椅子に座ったまま寝ていた。どうして彼がいるのかは言うまでもない。フィリーネの身を案じて軍議を終えてからずっとここにいたのであろう。その証拠に彼の格好は軍服のままであった。
「まったく、もう……」
己が彼に心配をかけたのは自覚している。だからフィリーネは椅子に腰掛けたまま寝ているクリス大佐の頬に触れると、優しく頭を撫でる。決して恋人などという関係ではない。この世界で離れず常に傍らに居続けてくれているからであった。
すると、ちょうどそのタイミングでクリス大佐は目を覚ました。
眼前にはフィリーネ。彼は一瞬だけキョトンとしていたが、彼女が起きて無事であるのを寝起きの頭で理解するとぽつりと漏らした。
「フィリーネ、良かった……」
「ごめんなさいね。おはよう、クリス」
「おはようって……、もう一日半寝ていたんだぞ……」
「一日半……。そう……」
クリス大佐の言葉で、戦争中の島にも関わらずそれだけの間寝てしまっていた事が分かり、フィリーネは顔を落とす。しかし誰もそれを責める者などいるはずがない。彼女の働きはそれだけ目を見張るものなのだから。
「いや、怒っているとかではないんだ」
「分かってる」
「責めてもいない」
「分かってる」
「……ただ、ただな。後でニコラ少将達が詳しく説明してくれるだろうが状況は益々厳しくなる。だから無茶だけはしてくれるなよ」
「……ありがと」
クリス大佐の目つきは真剣そのものであった。心底、フィリーネの身を心に不安を抱いていて、心配していた。
故にフィリーネも素直に、謝罪の言葉ではなく礼を口にする。
「起きたなら、行かなきゃね」
「いいや。その前に問診だろう。軍医を呼びにいってくる」
「そう、ね。よろしく頼むわ。――ねえ、私の顔って、今ひどい?」
「……あんまり良くはないな」
「そっか……。ニコラ少将達の前に出るまでにはしゃきっとしておくわ」
「ああ。しばらくはそこで休んでいてくれ」
「うん」
クリス大佐はそう言うと、部屋を出ていった。
フィリーネは誰もいなくなった部屋の中で、視線を逆に向けてベッドの横の小さい丸テーブルの上にある私物の手鏡を手に取った。
「ほんとだ。ひどい顔してる」
この時代において精度の高い手鏡に映るフィリーネの顔はお世辞にも良い状態では無かった。
目の下にはクマが出来ており、疲労は隠せていない。ここが病院の個室で、彼女は入院患者であると言っても違和感は無かった。
だが、ここは平和な世界の病院ではない。戦いが続いている島なのだ。悠長にしている時間などあるはずがない。
クリス大佐が部屋を出てからすぐに軍医はやってきた。魔法軍医と一般軍医の二人で、いずれの問診でも異常は見られなかった。ただ両者に共通していたのは、今日は何があったとしても戦線参加は軍医の立場として禁止というものだった。
「異常が無いなら、司令部に行かなきゃね」
「同行します」
「よろしく」
二人は先程のような親しいやりとりでなく、上官と部下との関係に戻っていた。
フィリーネは終えると、軍服へと着替えてすぐに司令部へと向かった。
建物の入口には二つの大隊の大隊長。いつも通り、出迎えてくれていた。
ニコラ少将達がいるのは司令部内の統合司令本部である。彼女が部屋に入ると、彼等は安堵の表情を見せた後に最大限の敬意でもって敬礼した。
「早速で悪いけれど最新の状況を教えてちょうだい」
「分かった。テオドーロ大佐、フィリーネ少将に資料を渡してあげてくれるかな」
「はっ。フィリーネ少将閣下、本日早朝までの最新報告が纏められております。どうぞ」
「ありがとう」
フィリーネは戦況が纏められた資料を読み込んでいく。
ニコラ少将は、読み終えたタイミングを見計らって、
「フィリーネ少将が回復するまでにキャターニャ防衛線は放棄する事に決めたよ。第一次防衛線はキャタニ川になっていて、撤退が完了したのが今日の未明だ」
「キャターニャ防衛線を放棄したのは正解ね。二個旅団の現在をさらりと目を通させてもらったけれど、とても防衛線を維持出来るとは思えないわ。それで、今後の方針はもう決まっているのかしら?」
「それについては私から」
「どうぞ、テオドーロ大佐」
「本日以降ですが、防衛線を三つ策定しました。一つがニコラ少将閣下が仰ったキャタニ川の第一次防衛線。続いて、キャターニャ市及びこの司令部近辺の第二次防衛線。そして、キュティル市東部に構築してある防衛線を第三次防衛線とし、第三次防衛線を絶対防衛線とします。キュティルを奪還されると、タレルモ北西部に上陸予定の救援にかけつける味方の上陸が困難になりますので」
「そうね。キュティルを取られれば次はタレルモになるもの。つまり、従来のプランからほぼ変更はないという事かしら?」
「はっ。はい、砲火力の喪失が想定より多いですが、フィリーネ少将閣下の意識回復前に決定しており、後は閣下の裁可を待つだけです」
「この案でいいと思うわ。積極攻勢で敵の戦力はある程度減らしたはず。あとはもう味方を待ってひたすら耐え切るだけ。敵への抵抗方法も開戦前に話した通りの手法、作戦をフェーズ2に移行しましょう」
「了解しました。ニコラ少将閣下」
「ならば早速動き出そう。あと二十日、踏ん張るだけの話だ。泥臭く戦い抜くのだって、僕は悪くないと思うからね」
「ええ。これからが本番よ」
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