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第11章 リチリア島の戦い編・後〜闇には闇を、狂気には狂気を〜

第2話 撤退支援作戦。行使するは、戦術級魔法。

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 9の月22の日
 午後0時40分
 キャターニャ市

 「妖魔帝国軍は優勢火力を持って今も侵攻中! 市街地北部及び東部は劣勢!」

 「北部を担当の七〇一、東部担当の七〇二からは、現状十分対応可能だが弾薬消耗しつつあり、持久可能は二時間とのこと」

 「市庁舎周辺は制圧されました! 担当の二個大隊は中央街区から遅滞防御で撤退中!」

 「南部街区も法国旅団隷下三〇三大隊と三〇四大隊が耐えていますが間もなく限界! 二街区北へ後退すると!」

 「あと一時間半耐えなさい。西街区は死守命令よ。七〇一と七〇二十は徐々に下がりつつ敵の出血強要を。苦戦の味方も援護なさい」

 「了解。各部隊へ通達します」

 「敵は西街区にある東西南北の通りが集まるランドアバウトで合流するつもりでしょう。作戦通りの動きです」

 「ええ、そうね。集中してくれなきゃ困るわ」

 ニコラ大佐の言葉にフィリーネは頷いて答える。
 二人がいるのはキャターニャ市街地西部郊外に位置する前線司令部からやや東の場所。具体的にはキャターニャ市街地西部の端あたりだ。彼女は七〇一と七〇二から選抜した小隊とクリス大佐と共に戦況を見守っていた。
 七〇一と七〇二の大隊長は部隊を率いて戦場の真っ只中におりここにはいない。フィリーネ考案の作戦を成功させるためだ。
 妖魔帝国軍の攻勢は強まるばかりであった。キャターニャを放棄するにしても残り約十日を生き抜くには一兵でも多くキュティルへ向かわせねばならない。しかし、そのために多くの兵士の血が流れていた。
 彼等の頭にあるのは一つだけ。作戦成功だとか軍事的な事より、生き残りたいという本能であった。
 あと一時間半。兵士達にとっては人生の中で最も長く感じる九十分だろう。
 午後一時十五分。遂にキャターニャ市街地中央部は完全に制圧されてしまった。今日だけで人類側の死傷者は三百二十。もしフィリーネの二個大隊がいなかったらその数は倍近くになっていたかもしれない。
 南部も限界点を迎えようとしていた。これ以上の防御は不可能と判断した法国二個大隊はさらに北へ後退。西部街区で戦う友軍と合流しようとしていた。

 「てめえら! あと三十分ちょいだ! 踏ん張れよお!」

 「アイサー! 我らが閣下は常に我らとあり!」

 「我らは閣下の尖兵! 我らは閣下の一兵!」

 「閣下に命を捧げた身! されども生存命令は守ります!」

 「おうともその調子だ! 五十ミーラ後退しつつ一斉射撃!」

 「皆、あと少しだよ! フィリーネ少将閣下の作戦を成功させるには分かっているよね!」

 「妖魔共に出血強要! 特に魔法能力者を優先目標!」

 「そうとも! 魔法能力者、小隊単位一斉法撃!」

『了解!』

 午後二時前。七〇一と七〇二大隊はフィリーネが指定した作戦地域からすぐ北と東におり、合流を果たしていた。そこには共に戦っている他の部隊の兵士達もいる。ヨルンとレイミーは消耗の激しい彼等を先んじて下げさせ、二個大隊で一個連隊を引き受けていた。ヨルンとレイミーは既に魔力の四割を使用している。それでもあと二十分。たった二十分だ。両大隊共に死傷者は四十を越えたが戦意は全く落ちていなかった。彼等は瓦礫と化した建築物に身を隠し、市街戦で巧みに戦っていた。
 そして、作戦決行時間。区域内には妖魔帝国軍一個連隊が所在していた。

 「戦術級魔法の準備は終わってそろそろ最後の段階の詠唱へ取り掛かるわよ。総員、戦術級魔法詠唱用意開始。主詠唱は私が、対象区域設定をクリス大佐が、他の者は私の補助をなさい」

『了解ッッ!』

 「了解しました、少将閣下」

 フィリーネは護衛の二個小隊に守られる中、いよいよ戦術級魔法の詠唱を始めた。
 戦術級魔法とは個人ではなく集団で行使、発動する魔法である。威力は絶大であるが詠唱時間は比例して長く、全行程で三十分必要――フィリーネ達は必要な工程の殆どを二十分前からしており、あとは詠唱の数分である――となる。また魔力消耗桁違いに多い。今回発動する魔法の場合だと、メインとなるフィリーネの消費魔力は六割と膨大な魔力を保有する彼女ですらかなりの魔力を必要とする魔法が戦術級魔法なのである。補助に回るクリス大佐や選抜小隊ですら半分消耗なのだからいかに大規模なのか伺いしえると言えるだろう。
 フィリーネは戦闘の際にいつも使う黒双剣は手に持たず、彼女の家が先祖から所有している長さ一メーラ半の長杖を手にしていた。普段はほとんど使われないこの長杖だが、今回ばかりかは出番というわけである。
 詠唱開始まであと一分という所で友軍は一斉に後退を始めていた。脱出路は数箇所。主要な通りは瓦礫を用いた侵入阻害のバリケードとしているから大して広くもないが続々と発動圏内から外れていっていた。
 実際に魔法が行使するまでまだ少々の猶予があるので恐らく全ての味方は圏外に移動できるだろうと、前方の戦闘区域を睨みつつフィリーネは探知魔法で友軍探知中の分隊へ問う。

 「兵達の離脱状態は?」

 「全体の七割は圏外へ行きました。これなら発動までに間に合います。数優先なので大まかですが」

 「それでいいわ。クリス大佐」

 「目標の座標を固定中。ランドアバウトを中心に半径一キーラに設定」

 「了解。なら、詠唱を始めましょうか」

 フィリーネは表情を変えずに、一挙に魔力を放出した。行使する戦術級魔法は闇属性。彼女の全身には禍々しい黒で包まれる。

 「我は生ある全てを呑み込む暗黒の化身。生ける者、我の前には誰一人として命あるを許さず、生きることあた。我の前には如何なる抵抗も無意味。れは、仇なす者を包み込む黒球なり」

 フィリーネが流麗に謳う呪文は死へと誘う死神の声だった。澄んだ美しい、聞くものを恍惚とさせる声音は勝利を疑わない妖魔帝国兵達に届くはずもない。当然、最期が迫ることすら知らない。いや、知らない方がいいだろう。美しさとは対照的にその言葉は呪詛に満ちているのだから。

 「戦慄せよ、恐怖せよ。これより顕現するは、貴様達が崇めるであろう邪神すらも存在を消し失せる魔術なり。我は嗤う。幾多の命が消滅する瞬間を。我は満たされる。幾千の命が放つ断末魔を耳にするのを」

 フィリーネは笑みを抑えられず、唇の両端を釣り上げる。戦術級魔法以上のみ可能である、他者から受け取った絶大な魔力に体が満ち快感に包まれて。

 「絶望とはこの地にあり、我は呑み込む血肉を欲す。さあ、宴を始めよう! 死に満ち大宴たいえんを! 出でよ暗黒! 全部全部喰らえ! 喰らってしまえ! 『悪食黒球絶滅祭典カースイーター・エクスティンクション・フィエスタ』っっっっ!!!!」

 呪文の詠唱を完了し、フィリーネが妖魔帝国兵がいる方角へ掲げた長杖を振り下ろした瞬間だった。
 彼女達の視線の先に、寸前まで瓦礫と残った建築物があったキャターニャ市街地西部街区を直径二キーラの漆黒の黒球が包んだ。
 この時、妖魔帝国軍のとある部隊はバリケードを破壊してちょうどフィリーネ達の正面に相対していた。おぞましい程に強大な魔力反応を街の箸方面から感知し、至急対処に向かおうとしていたのだ。
 しかし遅かった。彼等が最期に目の当たりにしたのは、彼等が信仰する邪神よりも恐ろしく笑うフィリーネの顔だった。
 悪食黒球は言葉通りあまねく全てを喰らった。建物も、地面も、死体も、そして生きている者すらも。
 何色にも塗りつぶされぬ黒が消えた後に残ったのは、無だった。元から何も無かったかのように呑み込まれた。あったのは直径二キーラの深さ数十メーラのクレーター。
 たった一発の魔法、されども一発の戦術級魔法によって妖魔帝国軍一個連隊は抵抗すら許されず、消滅した。

 「く、うっ……。うまく、いった……?」

 「…………っつう。何も、残っていません」

 「成功した……? 成功したんだ!」

 「やった! やったぞ!」

 ただしフィリーネも平気というわけではなかった。一度に六割の魔力を消耗した反動で目眩を起こしていた。クリス大佐も息を切らしながら作戦成功を口にした。友軍から巻き起こるは大歓声と勝ち鬨だった。
 その中で、フィリーネはひとまず安堵した。

 「よかっ、た……。任務は、完了。撤退作戦に移るわよ。殿の、七〇一と七〇二には、混乱に陥れた妖魔共を……」

 「了解。事前の打ち合わせ通りに、追い討ちし後退させます」

 「あり、がと」

 「少将閣下はお休みください。お疲れ様でした」

 フィリーネは礼を述べると、体勢を崩して倒れそうになるがクリス大佐はすかさず彼女の体を支えて抱きしめた。

 「大丈、夫。指揮だけなら、やれるわ……」

 「…………指揮だけだぞ」

 「分かってる、って……」

 フィリーネは苦しそうではあるが、微笑んで答えるとクリス大佐はため息をつきながらも了承した。
 二十分の日午後二時半前に発動した戦術級魔法はほぼ完全な形で成功を収めた。キュティルの総司令部には作戦成功を表す、「キャターニャは黒の悪食に包まれた」が送られニコラ少将達は歓喜に湧く。
 逆に切り札の一つを出された事で妖魔帝国軍は一個連隊を完全に喪失し、攻勢を中止せざるを得なくなる。結果、人類側は想定より多くの兵をキュティルへ撤退させる事が出来たのだった。
 キャターニャは喪失した。しかし、人類側の軍にとっては大戦果に変わりなかった。
 救援到着まで約十日。戦場はキャターニャからキュティル周辺へと移っていく。
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