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第145章『忠誠』
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第145章『忠誠』
覚醒する意識、薄っすらと目を開ければ、それと共に鼻腔に白檀の香りが流れ込んで来る。身体を起こせば薄闇の中に広がる黒川の自室の風景、既に見慣れたそれに一瞬視線を遣ったタカコは大きく息を吐き、長い髪を数度乱暴に掻き上げた。
目が覚めてしまった、じっとりと嫌な汗を掻いた不快感に小さく舌を打ち、涼みがてら少し表を歩いて来るかと立ち上がり部屋を出る。時計に目を遣れば時刻は深夜三時半、後少しすれば夜明けだなと思いつつ階段を降りて外に出れば、夜明け直前のひんやりとした冷気が、剥き出しのままの腕と足を音も無く撫でた。
北見の背後にいるのがあの男だという事は間違い無いだろう、断末魔の直前の彼のあの反応を見ればそれは明らかだ。
過去から現在迄、あの男との因縁は未だに切れる事は無いらしい。自分と夫の前から姿を消したあの日、あれで全てが終わったと思っていたのに、呪縛は未だに自分を捕らえたままだとはと、まだ暗い空を仰ぎながら力の無い笑いを零す。
大和に来てからの二年間、度々感じる事の有った自分に対しての執着の念、事件の陰に隠れつつもじっとりと漏れ出していたそれは、やはり勘違いや思い過ごしでは無かった。JCSとペンタゴンの説得だけが懸案事項だと思いたいところだが、こんなところで極々個人的な因縁をこの国と任務に持ち込む羽目になるとは、そんな事を内心で吐き捨てつつ、ズボンのポケットから煙草を取り出して火を点けた。
「なーにやってんですか。一人で出歩くなって言ってるでしょうが、この馬鹿指揮官」
先程から背後に感じていた気配が唐突に声を掛けて来る、やれやれ、また小言かと思いつつ、タカコはその気配、カタギリの方へと頭と視線だけを向けて返事の代わりに煙を吐き出して見せる。
「上官に対しての言葉じゃないよねー、それ」
「何度も何度も言ってるでしょうが、まともに忠誠誓って欲しかったらそれなりの態度とって下さいよ」
「有事と作戦行動下では超頼り甲斐の有る司令官だし、私」
「平時での適当さといい加減さと脱走癖と悪戯で相殺どころか負債しか残りませんよ、あんたの場合」
「違ぇ無ぇな」
「自覚有るなら改めようとは思わないんですかね、上官思いの可愛い優秀な部下の為に」
「自分で言うかね、それ」
「事実ですから」
立ち止まってカタギリの方へと向き直りつつ軽口を叩けば、若干呆れた面持ちと声音の彼が近づき、手にしていた長袖のシャツをタカコの肩へと掛けて来る。
「お一人でないなら、俺かヴィンスがお傍にいるんなら何処に行っても良いですから。一人で何処かに行くのだけは勘弁して下さい。他の奴等はともかく、少佐に怒られるのだけは御免ですよ、俺は」
少佐――、小言が多くて心配性で、そして自分を深く愛してくれていた夫。その彼を埋葬したあの日にカタギリはその場にいて、夫が他の仲間と共に死んだ事はその後報告を受けるようになる前に既に知っていた筈なのに、彼の事を未だに持ち出すかと笑えば、その意図を察したのかカタギリはタカコの頭へと手を伸ばし、一度だけ優しく髪を撫で付けた。
「死んでようが生きてようが、少佐がボスの事をどれだけ愛していたか、いえ、愛しているかは俺にだって分かりますよ。直接話が出来なくなっただけであって、今でもあんたの事であれこれ気を揉んでるに決まってるじゃないですか。万が一の事が有って少佐と話が出来るようになった時に、あの人に怒られる様な事になるのだけは勘弁して下さい」
「あー、そりゃ長生きしねぇとなぁ、私も」
「あんたの場合は生きたら生きた分だけ、説教される事案が積み重なる気がしますけどね……」
「嫌な事は先延ばしだ、それに……生きて生きて生き抜いて、出来るだけ長生きしなけりゃ……早死になんぞしたらそれだけで既に大激怒だろ、タカユキは」
「あー……まぁ、確かに」
夫の事を知っている人間との会話、この国に来てから殆ど得る事の無かった心地良さに目を細め、時折煙を吐き出しながら宛ても無く夜明け前の道を並んで歩く。
「敦賀やタツさんとの事、気付いてるんだろうに何も言わないんだな、お前もヴィンスも」
「少佐の事はどう思ってるんですかとか、そういう事ですか?」
「まぁ……そうだな」
「そりゃ……お二人の仲の良さを知ってる自分からすれば何も思わないわけじゃないですが、俺はそこ迄出過ぎた事を言う気は無いですよ。ボスの思う通りになされば良いんじゃないですかね。少佐の面影を重ねられてるあの二人にしてみれば良い面の皮だとは思いますけど、それこそ俺の知った事じゃないですし」
「……やっぱり気付く?」
「当然です、ヴィンスも気付いてますからね」
何の気無しに投げ掛けてみた問い掛け、それに対しての答えに思わず苦笑いをすれば、もう一度カタギリの掌が頭をそっと撫でた。やはり優秀な部下が揃っているなと思いながら、笑みを口元から消し去り、幾分低く冷たい声音で続けてカタギリへと問い掛ける。
「……これも既に分かっていると思うが、『奴』が敵勢の背後にいる……我々に課せられた任務に、私の極々個人的な因縁を持ち込む事になるだろう。こちらがそう意図せずとも、『奴』は必ずその流れを作り上げる筈だ」
「……はい、承知しています」
「出会いから三十年弱、『奴』の私への執着は未だに消え去ってはいないらしい。嫌な……そして厳しい戦いになるが……それでも、ついて来てくれるか、私に」
淡々とした言葉、底知れぬ程の闇と重さを漂わせながらのそれに、カタギリは微塵も動じる事は無く、力強い笑みを口元に浮かべてタカコへと正対する。
「俺は……貴方に拾い上げられたあの日に、貴方に全てを捧げると誓いました。生きる意味と場所を与えてくれた貴方の望みを叶える事、それが今の俺の望みです……どうか、貴方の望むままに。俺はそれを叶える為の駒ですよ、ボス」
言葉と共にこめかみへと掲げられる右手、タカコはカタギリのそんな所作を見て小さく笑い、そろそろ戻るかと踵を返して歩き出した。
覚醒する意識、薄っすらと目を開ければ、それと共に鼻腔に白檀の香りが流れ込んで来る。身体を起こせば薄闇の中に広がる黒川の自室の風景、既に見慣れたそれに一瞬視線を遣ったタカコは大きく息を吐き、長い髪を数度乱暴に掻き上げた。
目が覚めてしまった、じっとりと嫌な汗を掻いた不快感に小さく舌を打ち、涼みがてら少し表を歩いて来るかと立ち上がり部屋を出る。時計に目を遣れば時刻は深夜三時半、後少しすれば夜明けだなと思いつつ階段を降りて外に出れば、夜明け直前のひんやりとした冷気が、剥き出しのままの腕と足を音も無く撫でた。
北見の背後にいるのがあの男だという事は間違い無いだろう、断末魔の直前の彼のあの反応を見ればそれは明らかだ。
過去から現在迄、あの男との因縁は未だに切れる事は無いらしい。自分と夫の前から姿を消したあの日、あれで全てが終わったと思っていたのに、呪縛は未だに自分を捕らえたままだとはと、まだ暗い空を仰ぎながら力の無い笑いを零す。
大和に来てからの二年間、度々感じる事の有った自分に対しての執着の念、事件の陰に隠れつつもじっとりと漏れ出していたそれは、やはり勘違いや思い過ごしでは無かった。JCSとペンタゴンの説得だけが懸案事項だと思いたいところだが、こんなところで極々個人的な因縁をこの国と任務に持ち込む羽目になるとは、そんな事を内心で吐き捨てつつ、ズボンのポケットから煙草を取り出して火を点けた。
「なーにやってんですか。一人で出歩くなって言ってるでしょうが、この馬鹿指揮官」
先程から背後に感じていた気配が唐突に声を掛けて来る、やれやれ、また小言かと思いつつ、タカコはその気配、カタギリの方へと頭と視線だけを向けて返事の代わりに煙を吐き出して見せる。
「上官に対しての言葉じゃないよねー、それ」
「何度も何度も言ってるでしょうが、まともに忠誠誓って欲しかったらそれなりの態度とって下さいよ」
「有事と作戦行動下では超頼り甲斐の有る司令官だし、私」
「平時での適当さといい加減さと脱走癖と悪戯で相殺どころか負債しか残りませんよ、あんたの場合」
「違ぇ無ぇな」
「自覚有るなら改めようとは思わないんですかね、上官思いの可愛い優秀な部下の為に」
「自分で言うかね、それ」
「事実ですから」
立ち止まってカタギリの方へと向き直りつつ軽口を叩けば、若干呆れた面持ちと声音の彼が近づき、手にしていた長袖のシャツをタカコの肩へと掛けて来る。
「お一人でないなら、俺かヴィンスがお傍にいるんなら何処に行っても良いですから。一人で何処かに行くのだけは勘弁して下さい。他の奴等はともかく、少佐に怒られるのだけは御免ですよ、俺は」
少佐――、小言が多くて心配性で、そして自分を深く愛してくれていた夫。その彼を埋葬したあの日にカタギリはその場にいて、夫が他の仲間と共に死んだ事はその後報告を受けるようになる前に既に知っていた筈なのに、彼の事を未だに持ち出すかと笑えば、その意図を察したのかカタギリはタカコの頭へと手を伸ばし、一度だけ優しく髪を撫で付けた。
「死んでようが生きてようが、少佐がボスの事をどれだけ愛していたか、いえ、愛しているかは俺にだって分かりますよ。直接話が出来なくなっただけであって、今でもあんたの事であれこれ気を揉んでるに決まってるじゃないですか。万が一の事が有って少佐と話が出来るようになった時に、あの人に怒られる様な事になるのだけは勘弁して下さい」
「あー、そりゃ長生きしねぇとなぁ、私も」
「あんたの場合は生きたら生きた分だけ、説教される事案が積み重なる気がしますけどね……」
「嫌な事は先延ばしだ、それに……生きて生きて生き抜いて、出来るだけ長生きしなけりゃ……早死になんぞしたらそれだけで既に大激怒だろ、タカユキは」
「あー……まぁ、確かに」
夫の事を知っている人間との会話、この国に来てから殆ど得る事の無かった心地良さに目を細め、時折煙を吐き出しながら宛ても無く夜明け前の道を並んで歩く。
「敦賀やタツさんとの事、気付いてるんだろうに何も言わないんだな、お前もヴィンスも」
「少佐の事はどう思ってるんですかとか、そういう事ですか?」
「まぁ……そうだな」
「そりゃ……お二人の仲の良さを知ってる自分からすれば何も思わないわけじゃないですが、俺はそこ迄出過ぎた事を言う気は無いですよ。ボスの思う通りになされば良いんじゃないですかね。少佐の面影を重ねられてるあの二人にしてみれば良い面の皮だとは思いますけど、それこそ俺の知った事じゃないですし」
「……やっぱり気付く?」
「当然です、ヴィンスも気付いてますからね」
何の気無しに投げ掛けてみた問い掛け、それに対しての答えに思わず苦笑いをすれば、もう一度カタギリの掌が頭をそっと撫でた。やはり優秀な部下が揃っているなと思いながら、笑みを口元から消し去り、幾分低く冷たい声音で続けてカタギリへと問い掛ける。
「……これも既に分かっていると思うが、『奴』が敵勢の背後にいる……我々に課せられた任務に、私の極々個人的な因縁を持ち込む事になるだろう。こちらがそう意図せずとも、『奴』は必ずその流れを作り上げる筈だ」
「……はい、承知しています」
「出会いから三十年弱、『奴』の私への執着は未だに消え去ってはいないらしい。嫌な……そして厳しい戦いになるが……それでも、ついて来てくれるか、私に」
淡々とした言葉、底知れぬ程の闇と重さを漂わせながらのそれに、カタギリは微塵も動じる事は無く、力強い笑みを口元に浮かべてタカコへと正対する。
「俺は……貴方に拾い上げられたあの日に、貴方に全てを捧げると誓いました。生きる意味と場所を与えてくれた貴方の望みを叶える事、それが今の俺の望みです……どうか、貴方の望むままに。俺はそれを叶える為の駒ですよ、ボス」
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