大和―YAMATO― 第二部

良治堂 馬琴

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第151章『共有』

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第151章『共有』

「頼みが有る」
 打ち合わせが終わった後に呼び出され、敦賀の執務室で彼からそれだけ告げられた。十八cm上空から見下ろす眼差しは普段よりも鋭さを欠き、通常であればまず彼の口から聞く事は無いであろう言葉が黒川の耳を打つ、その言葉の意味を理解するには少々の時間を要したのは仕方の無い事だろう。
「……何だ、布団の弁償ですっからかんにでもなったのか?そりゃ最先任とは言え下士官の稼ぎは士官よりも――」
「誰もそんな事は言ってねぇ。この内容、解読出来るか?」
 被せられる若干語気の強まった言葉、しかしそれも直ぐに弱まり、躊躇いがちではあるものの何かが記された紙を一枚手渡して来る。一体何を、そう思いつつも敦賀からそれを受け取り記された文字へと視線を落とせば、その内容が一体何であるのか、直ぐに思い至り視線を上げた。
「タカコの持ってる認識票を書き写したのか」
「……ああ、書いてある内容が知りたい」
 初めてタカコを抱いた時からずっと、行為に及ぶ時にも彼女は決して認識票を外そうとはしない。異国で一人きり、きっと心の拠り所なのだろうと想像はつく、それを外せと思った事は一度も無い。それに、一人に一つの筈の認識票を二つ持っている理由は恐らくはそれが彼女の亡夫のものだから、今でも大切に想っているのだろう、それを外せとは例え思ったとしても言える事ではない。
「二つ揃って身に付けて、旦那の事、愛してたん――」
 と、そこ迄言って自分の迂闊さに気が付き言葉を飲み込む。自分はふとした事が切っ掛けでタカコの夫の存在を知る事になりはしたものの、その話題を彼女が他にしたとは聞いていないし他言の許可を得たわけでもない。それを何とも拙い事をしでかしたと自らに舌打ちをすれば、敦賀から向けられたのは心底驚いた様な言葉。
「……知って……たのか……?」
 『何だそれは』でもなく『旦那がいたのか』でもなく、『知っていたのか』という言葉、その言葉にまさかと顔を上げて敦賀の方を見た黒川は、彼のその眼差しに、自分達は同じ秘密を夫々が別々に抱え続けていたのだと知った。
「……ああ、彼女本人から聞いた。腹心で旦那で、この国にも一緒に来て、墜落の時に亡くなったってな」
「……そうか……ここに書かれてる内容が知りてぇ、解読、出来ねぇか?」
「ローマ字っていうものなんだって知識は有るんだがな、内容は流石に分からん。京都の国立図書館なら前時代の資料が有るから、それを当たれば関連したものが見つかるとは思うが」
 結論は黒川も高根と同じ、今京都に出向く事は出来ないのにと言いながら苛立った様に頭を掻く敦賀、黒川はその彼の様子を見て、再度紙に記された文字列へと視線を落とす。
 認識票なら一番上が所属だろう、一番下は分からない、三段目は数字、そうすると、二段目が名前の筈だ。後半は綴りが全く同じだから恐らく苗字、前半は――と、敦賀と同じ様な流れで内容に見当を付けていた黒川、彼もまた敦賀と同じ推測に行き着き、何が敦賀をこんなにも焦らせ、気弱にさせているのかに思い至った。
 何故敦賀の事は名前で呼ばないのか、以前そうタカコに尋ねた事が有る。それなりに親しくなれば陸軍の自分の事でさえ名前で呼ぶ彼女が何故敦賀の事だけは苗字で呼ぶのか、ふと感じた他愛も無い疑問。その時は
「特に理由は無いんだけど……敦賀は『敦賀!』って感じだから?何か、名前で呼ぶって感じじゃないんだよねぇ」
 と、軽い調子で言われて、そんなものかと自分も深く考える事はしなかった。
 彼もまた同じ疑問を抱いていたのだろう、それがどんな切っ掛けかは分からないが何かの弾みで顕現し、そして、実に嫌な可能性に思い至ったのだろう、この二つの認識票を見て。
 それでも正解が分からない以上は推測でしかない、敦賀自身にも黒川にも知識が無いのであれば、方法は一つしか無い。
「丁度明日から京都に出張だ、俺が調べて来てやるよ。預かって良いか、この紙」
「……良いのか?」
「ああ、新しい知識を増やす良い機会だ。それに、遠からずワシントンとは接触する事になる、相手の情報は多い方が良いからな」
「……助かる、すまねぇ」
 まさか彼からそんな言葉が自分へと向けられるとは思わず、目を見開いた後、黒川は小さく笑った。タカコを譲る気は毛頭無いが、これは話が別だろう、彼女と関わっている以上、彼には知る権利が有る。
 そんな遣り取りを交わした後に紙を受け取り海兵隊基地を出て、翌日には太宰府の西方旅団総監部を出て京都へと向かった。
 そして今、国立図書館の閲覧室の中、数冊の本を前にして黒川は静かに一人天井を仰いでいる。
 目的の本を探すのにはそう手間取りはしなかった、外国語の教本、ワシントン語の前身であるアメリカ語に絞れば答えは出易いだろう、そう思って司書にそれを伝えれば、当時の学術書から子供用の教本から辞書から、それなりの数が直ぐに自分の前へと積み上げられる。それを一つずつ調べあまりにも難解なものは弾くという作業を繰り返し、行き着いたのは小学生用の教本。大和語の前身である日本語の五十音をローマ字で表記する時にはどう書くのか、それを示した箇所を見つけ、名前らしき二つの表記が何と書かれているのかを解読した。
 結果、示されたものは自分はともかく敦賀にとってはやはり少々残酷なもので、これをどう彼に伝えるべきか、そんな事を思いつつ黒川は上体を反らせて椅子の背凭れへと体重を掛ける。
「誤魔化す事も出来ねぇしなぁ……でも、言いたくねぇなぁ、これ……流石にちょっと可哀相だもんよ……」
 気の進まない事を博多に戻ってからしなければならないのか、黒川はそう思いつつ深く大きく息を吐き、身体を起こし椅子から立ち上がった。
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