51 / 100
第151章『共有』
しおりを挟む
第151章『共有』
「頼みが有る」
打ち合わせが終わった後に呼び出され、敦賀の執務室で彼からそれだけ告げられた。十八cm上空から見下ろす眼差しは普段よりも鋭さを欠き、通常であればまず彼の口から聞く事は無いであろう言葉が黒川の耳を打つ、その言葉の意味を理解するには少々の時間を要したのは仕方の無い事だろう。
「……何だ、布団の弁償ですっからかんにでもなったのか?そりゃ最先任とは言え下士官の稼ぎは士官よりも――」
「誰もそんな事は言ってねぇ。この内容、解読出来るか?」
被せられる若干語気の強まった言葉、しかしそれも直ぐに弱まり、躊躇いがちではあるものの何かが記された紙を一枚手渡して来る。一体何を、そう思いつつも敦賀からそれを受け取り記された文字へと視線を落とせば、その内容が一体何であるのか、直ぐに思い至り視線を上げた。
「タカコの持ってる認識票を書き写したのか」
「……ああ、書いてある内容が知りたい」
初めてタカコを抱いた時からずっと、行為に及ぶ時にも彼女は決して認識票を外そうとはしない。異国で一人きり、きっと心の拠り所なのだろうと想像はつく、それを外せと思った事は一度も無い。それに、一人に一つの筈の認識票を二つ持っている理由は恐らくはそれが彼女の亡夫のものだから、今でも大切に想っているのだろう、それを外せとは例え思ったとしても言える事ではない。
「二つ揃って身に付けて、旦那の事、愛してたん――」
と、そこ迄言って自分の迂闊さに気が付き言葉を飲み込む。自分はふとした事が切っ掛けでタカコの夫の存在を知る事になりはしたものの、その話題を彼女が他にしたとは聞いていないし他言の許可を得たわけでもない。それを何とも拙い事をしでかしたと自らに舌打ちをすれば、敦賀から向けられたのは心底驚いた様な言葉。
「……知って……たのか……?」
『何だそれは』でもなく『旦那がいたのか』でもなく、『知っていたのか』という言葉、その言葉にまさかと顔を上げて敦賀の方を見た黒川は、彼のその眼差しに、自分達は同じ秘密を夫々が別々に抱え続けていたのだと知った。
「……ああ、彼女本人から聞いた。腹心で旦那で、この国にも一緒に来て、墜落の時に亡くなったってな」
「……そうか……ここに書かれてる内容が知りてぇ、解読、出来ねぇか?」
「ローマ字っていうものなんだって知識は有るんだがな、内容は流石に分からん。京都の国立図書館なら前時代の資料が有るから、それを当たれば関連したものが見つかるとは思うが」
結論は黒川も高根と同じ、今京都に出向く事は出来ないのにと言いながら苛立った様に頭を掻く敦賀、黒川はその彼の様子を見て、再度紙に記された文字列へと視線を落とす。
認識票なら一番上が所属だろう、一番下は分からない、三段目は数字、そうすると、二段目が名前の筈だ。後半は綴りが全く同じだから恐らく苗字、前半は――と、敦賀と同じ様な流れで内容に見当を付けていた黒川、彼もまた敦賀と同じ推測に行き着き、何が敦賀をこんなにも焦らせ、気弱にさせているのかに思い至った。
何故敦賀の事は名前で呼ばないのか、以前そうタカコに尋ねた事が有る。それなりに親しくなれば陸軍の自分の事でさえ名前で呼ぶ彼女が何故敦賀の事だけは苗字で呼ぶのか、ふと感じた他愛も無い疑問。その時は
「特に理由は無いんだけど……敦賀は『敦賀!』って感じだから?何か、名前で呼ぶって感じじゃないんだよねぇ」
と、軽い調子で言われて、そんなものかと自分も深く考える事はしなかった。
彼もまた同じ疑問を抱いていたのだろう、それがどんな切っ掛けかは分からないが何かの弾みで顕現し、そして、実に嫌な可能性に思い至ったのだろう、この二つの認識票を見て。
それでも正解が分からない以上は推測でしかない、敦賀自身にも黒川にも知識が無いのであれば、方法は一つしか無い。
「丁度明日から京都に出張だ、俺が調べて来てやるよ。預かって良いか、この紙」
「……良いのか?」
「ああ、新しい知識を増やす良い機会だ。それに、遠からずワシントンとは接触する事になる、相手の情報は多い方が良いからな」
「……助かる、すまねぇ」
まさか彼からそんな言葉が自分へと向けられるとは思わず、目を見開いた後、黒川は小さく笑った。タカコを譲る気は毛頭無いが、これは話が別だろう、彼女と関わっている以上、彼には知る権利が有る。
そんな遣り取りを交わした後に紙を受け取り海兵隊基地を出て、翌日には太宰府の西方旅団総監部を出て京都へと向かった。
そして今、国立図書館の閲覧室の中、数冊の本を前にして黒川は静かに一人天井を仰いでいる。
目的の本を探すのにはそう手間取りはしなかった、外国語の教本、ワシントン語の前身であるアメリカ語に絞れば答えは出易いだろう、そう思って司書にそれを伝えれば、当時の学術書から子供用の教本から辞書から、それなりの数が直ぐに自分の前へと積み上げられる。それを一つずつ調べあまりにも難解なものは弾くという作業を繰り返し、行き着いたのは小学生用の教本。大和語の前身である日本語の五十音をローマ字で表記する時にはどう書くのか、それを示した箇所を見つけ、名前らしき二つの表記が何と書かれているのかを解読した。
結果、示されたものは自分はともかく敦賀にとってはやはり少々残酷なもので、これをどう彼に伝えるべきか、そんな事を思いつつ黒川は上体を反らせて椅子の背凭れへと体重を掛ける。
「誤魔化す事も出来ねぇしなぁ……でも、言いたくねぇなぁ、これ……流石にちょっと可哀相だもんよ……」
気の進まない事を博多に戻ってからしなければならないのか、黒川はそう思いつつ深く大きく息を吐き、身体を起こし椅子から立ち上がった。
「頼みが有る」
打ち合わせが終わった後に呼び出され、敦賀の執務室で彼からそれだけ告げられた。十八cm上空から見下ろす眼差しは普段よりも鋭さを欠き、通常であればまず彼の口から聞く事は無いであろう言葉が黒川の耳を打つ、その言葉の意味を理解するには少々の時間を要したのは仕方の無い事だろう。
「……何だ、布団の弁償ですっからかんにでもなったのか?そりゃ最先任とは言え下士官の稼ぎは士官よりも――」
「誰もそんな事は言ってねぇ。この内容、解読出来るか?」
被せられる若干語気の強まった言葉、しかしそれも直ぐに弱まり、躊躇いがちではあるものの何かが記された紙を一枚手渡して来る。一体何を、そう思いつつも敦賀からそれを受け取り記された文字へと視線を落とせば、その内容が一体何であるのか、直ぐに思い至り視線を上げた。
「タカコの持ってる認識票を書き写したのか」
「……ああ、書いてある内容が知りたい」
初めてタカコを抱いた時からずっと、行為に及ぶ時にも彼女は決して認識票を外そうとはしない。異国で一人きり、きっと心の拠り所なのだろうと想像はつく、それを外せと思った事は一度も無い。それに、一人に一つの筈の認識票を二つ持っている理由は恐らくはそれが彼女の亡夫のものだから、今でも大切に想っているのだろう、それを外せとは例え思ったとしても言える事ではない。
「二つ揃って身に付けて、旦那の事、愛してたん――」
と、そこ迄言って自分の迂闊さに気が付き言葉を飲み込む。自分はふとした事が切っ掛けでタカコの夫の存在を知る事になりはしたものの、その話題を彼女が他にしたとは聞いていないし他言の許可を得たわけでもない。それを何とも拙い事をしでかしたと自らに舌打ちをすれば、敦賀から向けられたのは心底驚いた様な言葉。
「……知って……たのか……?」
『何だそれは』でもなく『旦那がいたのか』でもなく、『知っていたのか』という言葉、その言葉にまさかと顔を上げて敦賀の方を見た黒川は、彼のその眼差しに、自分達は同じ秘密を夫々が別々に抱え続けていたのだと知った。
「……ああ、彼女本人から聞いた。腹心で旦那で、この国にも一緒に来て、墜落の時に亡くなったってな」
「……そうか……ここに書かれてる内容が知りてぇ、解読、出来ねぇか?」
「ローマ字っていうものなんだって知識は有るんだがな、内容は流石に分からん。京都の国立図書館なら前時代の資料が有るから、それを当たれば関連したものが見つかるとは思うが」
結論は黒川も高根と同じ、今京都に出向く事は出来ないのにと言いながら苛立った様に頭を掻く敦賀、黒川はその彼の様子を見て、再度紙に記された文字列へと視線を落とす。
認識票なら一番上が所属だろう、一番下は分からない、三段目は数字、そうすると、二段目が名前の筈だ。後半は綴りが全く同じだから恐らく苗字、前半は――と、敦賀と同じ様な流れで内容に見当を付けていた黒川、彼もまた敦賀と同じ推測に行き着き、何が敦賀をこんなにも焦らせ、気弱にさせているのかに思い至った。
何故敦賀の事は名前で呼ばないのか、以前そうタカコに尋ねた事が有る。それなりに親しくなれば陸軍の自分の事でさえ名前で呼ぶ彼女が何故敦賀の事だけは苗字で呼ぶのか、ふと感じた他愛も無い疑問。その時は
「特に理由は無いんだけど……敦賀は『敦賀!』って感じだから?何か、名前で呼ぶって感じじゃないんだよねぇ」
と、軽い調子で言われて、そんなものかと自分も深く考える事はしなかった。
彼もまた同じ疑問を抱いていたのだろう、それがどんな切っ掛けかは分からないが何かの弾みで顕現し、そして、実に嫌な可能性に思い至ったのだろう、この二つの認識票を見て。
それでも正解が分からない以上は推測でしかない、敦賀自身にも黒川にも知識が無いのであれば、方法は一つしか無い。
「丁度明日から京都に出張だ、俺が調べて来てやるよ。預かって良いか、この紙」
「……良いのか?」
「ああ、新しい知識を増やす良い機会だ。それに、遠からずワシントンとは接触する事になる、相手の情報は多い方が良いからな」
「……助かる、すまねぇ」
まさか彼からそんな言葉が自分へと向けられるとは思わず、目を見開いた後、黒川は小さく笑った。タカコを譲る気は毛頭無いが、これは話が別だろう、彼女と関わっている以上、彼には知る権利が有る。
そんな遣り取りを交わした後に紙を受け取り海兵隊基地を出て、翌日には太宰府の西方旅団総監部を出て京都へと向かった。
そして今、国立図書館の閲覧室の中、数冊の本を前にして黒川は静かに一人天井を仰いでいる。
目的の本を探すのにはそう手間取りはしなかった、外国語の教本、ワシントン語の前身であるアメリカ語に絞れば答えは出易いだろう、そう思って司書にそれを伝えれば、当時の学術書から子供用の教本から辞書から、それなりの数が直ぐに自分の前へと積み上げられる。それを一つずつ調べあまりにも難解なものは弾くという作業を繰り返し、行き着いたのは小学生用の教本。大和語の前身である日本語の五十音をローマ字で表記する時にはどう書くのか、それを示した箇所を見つけ、名前らしき二つの表記が何と書かれているのかを解読した。
結果、示されたものは自分はともかく敦賀にとってはやはり少々残酷なもので、これをどう彼に伝えるべきか、そんな事を思いつつ黒川は上体を反らせて椅子の背凭れへと体重を掛ける。
「誤魔化す事も出来ねぇしなぁ……でも、言いたくねぇなぁ、これ……流石にちょっと可哀相だもんよ……」
気の進まない事を博多に戻ってからしなければならないのか、黒川はそう思いつつ深く大きく息を吐き、身体を起こし椅子から立ち上がった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う
yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。
これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる