大和―YAMATO― 第二部

良治堂 馬琴

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第165章『父親』

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第165章『父親』

『拙い』
 それがタカコの脳裏を支配した言葉。昼間に彼に会った時は私的な言葉は何も交わしていない、敦賀とタカコの関係も海兵隊の上官と部下、そして監視者と監視対象、そうとしか思っていない筈だ。それが夜の自宅で寝巻き姿で庭にいるともなれば不審どころの騒ぎではない、折角上手く進んでいる話が御破算になりかねない。帰宅すると分かっていれば何が何でも辞去したのに、そうでなくとも警戒を怠るべきではなかった、内心そう吐き捨てて歯噛みすれば、中将は外套と制服のジャケットを脱ぎ腕に掛けつつ、
「幸恵さん、こっちに」
 と、母屋の中にいるであろう妻の幸恵に向かい声を掛けた。
「はいはい、あら、お帰りですか、洗い物してて気付きませんでした、ごめんなさいね」
「ああ、それは構わないが……こちらのお嬢さんは?」
「ええ、貴之が帰って来てて、直ぐに博多に戻らないといけないそうで明日の朝にはもう出るそうですけど。それでね、お嫁さん連れて来たんですよ、同じ海兵隊で働いてらっしゃるんですって、お名前は清水多佳子さん」
「いや、昼間に統幕で会ってる、名前も顔も知ってるんだが……そうか、あいつの嫁さんか」
 勝手に話を進めるな、自分と敦賀はそんな関係ではないと小さくふるふると頭を振れば、人の話を聞かない妻が突っ走っているという状況が飲み込めたのか、
「幸恵さん、燗はしなくて良いから酒と湯飲みを二つ持って来てくれ。この間中迎少将に頂いたのが有っただろう、瓶ごとで構わないから」
 そう言って手にしていた外套と制服を幸恵と手渡し、縁側へと静かに腰を下ろす。そしてタカコへと手招きをしつつ
「多佳子さん、だったね?ここに座りなさい」
 とそう言って自分の横の床板を軽く叩き、タカコはそれに逆らう事も出来ず、内心だらだらと冷や汗を掻きつつも無言のまま中将の隣へと腰掛けた。
 庭の方を見る形で並んで座るが双方無言のまま、少しして幸恵が一升瓶と湯呑みを持って来て、
「義理の親子の語らいね、ごゆっくり」
 とまた素晴らしく見当違いの事を言って去って行く。無言のままの中将が瓶の中身を湯呑みへと注ぎタカコへと渡して来て、タカコはそれを礼と共に受け取り揺れる水面に視線を落とした。
 拙い、話をどう誤魔化したものか、これ以上の疑念を抱かれない様にしなければ、そう思案しているタカコに向かい、湯呑みに口を付けた中将が静かに口を開く。
「そう緊張しなくても良い。幸恵が、家内が突っ走っているんだろう。君は息子とは結婚の話が出る様な間柄ではない、違うか?」
「あ、はい……そうです、今日は御子息が実家に顔を出すと言うので、話の流れで同行する事になっただけでして」
「あの歳迄独り身で仕事も仕事だから、家内も酷く心配していてね。家内も娘も人の話を聞かない性質だから、疲れただろう、すまなかったね」
 家族の事はよく分かっているのだろう、誤解はされていないようだと気取られない様に安堵しつつ湯呑みに口を付ければ、中将が続けて口にした言葉に思わず息が詰まった。
「ただ、息子は君に惚れている様だが。演習場での息子の君に対しての接し方を見ていると、上官と部下とも監視者と監視対象とも違う様な、そんな空気を感じたが、その点はどうかな?」
 気管に酒が入り思わず咳き込めば中将は何も言わず背中を撫で、タカコが落ち着くのを待ってから涙目の彼女へと向かい静かに言葉を続ける。
「あれは人に対して必要以上に馴れ合う性格じゃない、女性関係にしても特定の相手を作ったという話は高根大佐からも聞いた事が無い。それが昼間君に対しては随分と優しいと言うか穏やかな様子で触れ合っていたし、どういう関係かはともかくとして、君に惚れているのは間違い無いと思うが?」
 完全に見抜かれている、余計な疑念を生まない為に心を砕いていたというのにあの馬鹿野郎が、そう思いつつ湯呑みを握り締めれば中将はタカコのその様子に目を細めて小さく笑う。
「上官と部下でも監視者と監視対象でも、男女が密に関わればそんな間柄になる事も有るだろう。公私混同をしてしまう様では問題だが、そうでなければ別に気にする事は無い。それはそうと、あれは大人しく従順な女性に対して固執する様な性格ではないと思っていたんだが、君も統幕で見せていた様な振る舞いの女性ではないんじゃないのかな?どちらかと言えば、銃を手にしていた時の方が素の君に近いと思うんだが、その点はどうだろう?」
 問い掛けと言うには少々断定の色の強い言葉、流石次期統幕長と目される人物だ、息子という近しい存在を通してとは言えここ迄しっかりと見通すとは、完敗だと溜息を吐いてタカコは湯呑みの中身を一気に煽る。
「……御見逸れしました、御慧眼、恐れ入ります」
 そう言いつつ上半身だけ中将の方へと向き直れば、鋭さを湛えつつも穏やかな笑みを向けられた。
「やはりな……多佳子さん、私はあれとは良い関係を築いては来られなかった、それでもあれは私の息子だ、幸せになって欲しいと思っている。多佳子さん、息子を、貴之を……どうか宜しくお願いします」
 こちらへと正対する様に向けられた大きな体躯、その頭が深々と下げられ、タカコは思わず動きを失った。年齢、社会的地位、その全てが自分よりも遥かに上の男がこうして頭を下げている、タカコもその意味や重さが分からない様な世間知らずではない。けれどそれに対して直ぐに首肯出来る程何の柵も無いわけでもなく、どう答えれば、どう動けば良いのかと考え込めば、突然背後から聞こえて来た声がその場の空気を掻き乱した。
「……何やってんだ」
「……つる、が」
 振り返れば、浴衣に袖を通し濡れた髪を拭く、不機嫌そうな敦賀がそこにいた。
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