大和―YAMATO― 第二部

良治堂 馬琴

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第177章『階級』

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第177章『階級』

 折れ曲がりの二本線に桜の花一つ、上等兵の階級章。タカコは戦闘服の左右の襟に付いたそれを一瞥してから袖を通す。今迄は捕虜という立場を海兵達が知っていてその上で動いていたから、階級等無関係だったが、現在ではその事実は封印され、統幕等の外部に対してだけでなく、内部でも『上等兵、清水多佳子』として毎日を送るようになった。
 高根や敦賀達古参が海兵達の人心を掌握していた時代とは違う、今の新兵達では秘密の保持は出来まい、その判断から為された決定により身に付ける物全てにも与えられた階級が刻み付けられ、高根も他の古参も、そして敦賀も『タカコ』とは呼ばすに『清水』と呼ぶようになっている。
 その事に関して疑問を持った事は無い、偽名を使っての潜入等は幾らでも経験が有るし、大佐という実際の階級よりも著しく低い階級に設定されている事も何とも思わない。
 今感じている事はそれとは違い、これから自分に与えられる役目に対して上等兵という階級が低過ぎるという事だった。
 先日の臨検の際、高根から
『銃の配備を本格的に推し進める、その際の取り扱いの指導はお前に一任する』
 と、そういった事を言われている。
 その事自体には問題は無いのだが、兵士達に指導する立場の人間としては上等兵という階級は少々低い、不快に思う者も出るだろう。海兵はタカコよりも階級が上の人間は全員が自分の素性を知っているから問題は無いとしても、陸軍や沿岸警備隊で指導をする為にタカコから指導を受けようと派遣されて来る兵士達はそうではない、その彼等に指導する過程で無駄な軋轢を生まなければ良いのだが、それがここ数日タカコが頭を悩ませている事だった。
 軍人にとって階級、星の数は何よりも大切だ、それを土足で踏み躙る様な真似をすれば下手をすれば血を見る事になる。それでも、だからと言って指導する側が常に下手に出る事もまた出来ず、せめて曹長の階級であればまだマシなものを、そう考えつつ釦を留め、半長靴の紐をしっかりと締めて自室を出る。
 銃は昨日から搬入が始まった、調整の方法も書面化して工廠へと渡っており、届けられてからの再調整の手間は大幅に減ってはいるものの無くなったわけではない、これから一気に忙しくなるなと考えつつ一つ息を吐けば、上空から自分を呼ぶ声が降って来た。
「おーい、清水、ちょっと来い」
 いつものやや間延びした調子の高根の声に上空を仰ぎ見てみれば、そこにいたのは窓から顔を出した高根と黒川の姿。高根はともかくとして黒川が何故いるのか、彼の職場は太宰府の西方総監部だった筈だがと眉根を寄せれば、
「何顰め面してんだ、とにかく来い」
 と、高根がもう一度上がって来いと促し、二人は室内へと戻って行く。
「……で?何よ?つーかさ、タツさん最近ここいる事多くない?そんな遊んでばっかりいると准将から少佐位迄一気に降格になるよ?」
 畏まって扉を叩き入室の許可を待ってから中へと入れば、そこにいたのは高根と黒川、そして敦賀。この面子ならば取り繕う必要も無いとソファへと腰掛けながら黒川へと話し掛けてみれば、返って来たのは一瞬動きを止めてしまう程の衝撃を伴っていた。
「……いや……実はな……俺、准将じゃなくなったんだよ……」
「……はい?マジで降格?何やったの?寧ろ何もしなかったから降格になったの?大佐?中佐?もしかして、マジで少佐?」
「タカコ、俺もなんだよ……今日付けで大佐じゃなくなったんだわ……」
「はい?真吾も?これからの事どうすんの?後任誰なの?」
 突然に聞かされた降格、これからの戦いの中心人物がいきなり二人共消える事になるのかと若干焦ってそう問い掛ければ、返って来たのは堪え切れなくなった笑い。
「おまっ!ひっでぇなぁ!何で降格前提で話してんだよ!」
「お前が俺達をどう思ってるかよーく分かったわ、ひーっ、あー腹いてぇ」
 腹を抱えて笑う男二人、一体何なんだと眉根を寄せたタカコの目に入ったのは、黒川と高根の肩に輝く階級章。つい昨日迄高根の肩には二本線と星三つ、黒川の肩には星一つが輝いていた筈だ、それが今は高根の肩に星一つ、黒川の肩には星二つ、それが意味するところは一つしか無く、タカコは弾かれる様にして立ち上がり
「肩章!昇進かよ、マジで!?」
 と、二人の肩を指差して声を上げた。
「おうよ、俺は今日から准将様、龍興は今日から少将様よ?」
「配置は?」
「それは変わらずだ、俺が海兵隊総司令、龍興は西方旅団総監のまま。ただ、階級が上がれば融通も多少はつけ易くなるぜ、喜びな」
「うっわー、マジかよ、おめでとう!」
 ここ最近の流れは確かに彼等二人にとっては自分の実力と存在感を統幕に対して見せ付ける良い機会だっただろう。払った犠牲は大きくともこうして掴んだ昇進は必ずこれからの戦いの原動力の一つとなる、直属や近い上官の昇進は部下にとっても励みとなるだろう。
「しっかし、真吾とは階級同じだったのにこれで上行かれちゃったなぁ、そっかぁ、准将と少将ねぇ……」
 仮初めとは言えこの二年間共に戦って来た『戦友』の昇進、感慨深いものが有るなと思いつつタカコが再度ソファへと腰を下ろせば、その場にいたタカコ以外の全員が顔を見合わせ、高根に顎で何かを指示された敦賀が彼女の傍へと歩み寄り、隣にどかりと腰を下ろす。
「あの二人だけじゃねぇぞ、てめぇもだ、馬鹿女」
「へ?私?」
「ああ……しっかりやれよ」
 そう言って敦賀がポケットから何かを取り出し、タカコの右手を掴んで掌を上向かせ、そこにポケットから出した手をそっと重ね、何かを乗せて遠ざかって行く。タカコは自らの掌の上に残された二枚の小さな厚手の布、そこへと施された刺繍を見て、小さく目を見開いた。
 二本線、その上に三角、更にその上に桜の花一つ。
「……曹長の階級章じゃないか、これ」
「おお、これから銃の扱い方に関しておめぇは人に教える立場になる、そんな人間が上等兵じゃ色々と不都合も多いんでな、特例中の特例の特進だが何とか統幕に認めさせたよ。今日からおめぇは曹長だ。しっかりな、清水曹長」
「お前の実際の階級には遠く及ばないがよ、お前がどれだけ貢献してくれてるかは俺達がよく分かってる。そのせめてもの礼だ、受け取ってくれ」
 与えられたものは実際の階級の遥か下、それでも星の重みはよく分かっている、決して軽い扱いで与えられるものではないのだ、受け取る側も軽く考える事等有ってはならない。
「……有り難う、感謝する……曹長の拝命、謹んでお受けします」
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