大和―YAMATO― 第二部

良治堂 馬琴

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第183章『犬と子猫』

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第183章『犬と子猫』

 尋問に関しては大和側の監視を付けつつも経験の豊富なタカコ達ワシントン勢が主導する、そんな簡単な取り決めをして解散となったが、それで仕事が終わるわけも無くタカコ達は通常の業務へと戻って行く。
「書類とか嫌いー……敦賀、代われよこれ」
「ふざけんな、それはてめぇの担当だろうが。俺だっていっぱいいっぱいなんだよ」
 部下を持つ様になりそれに付随する書類仕事も増えたタカコだったが、元々そういった方面の処理は得意でも好きでもないのか、如何にも面倒だと言った様子で敦賀の執務室へと入るなり愚痴を零しつつソファへと腰を下ろす。敦賀の様に専用の執務室は無いものの曹長の大部屋に専用の机を与えられてはいるのだが、今日はそちらではなくここで仕事を片付けるつもりらしいタカコ、敦賀はそんな彼女の様子に小さく溜息を吐きつつも追い出す様な事はせず、暫くの間夫々が自分の手元の書類へと視線を落としその処理に没頭した。
「……なぁ、久し振りに中洲に飲みに出たいんだけど」
「……状況分かってんのかてめぇは」
「分かってるよ?これから先どんどん時間取れなくなるんだし、最近ずっとゴタゴタしてたからもう随分中洲出てないだろ、たまには良いじゃんか。お前が行く気無いなら私一人で行って来るが」
「……とっとと片付けろ、長居はしねぇぞ。後、あんまり飲み過ぎるなよ、明日に響く」
「ひゃっほーい、やったー、そうと決まれば頑張るよ私は!」
 いつの頃からか、敦賀はタカコに対して『捕虜』という言葉は使わなくなった。以前ならこんな時には
『捕虜のくせに一人で出歩けると思うな』
 と言い切り、その後で何だかんだと言いつつも共に外出をするのが定石だったが、今はその遣り取りが交わされる事は無く、傍目には仲の良い同僚のそれの様にしか映らない。形式上海兵隊員として扱い曹長の階級も得ている現状ではそれが真っ当ではあるのだが、それ以上に敦賀個人の気持ちとして、捕虜と監視者という名目を維持する事でお互いの心理的距離を空けたままにしておきたくない、それが正直なところだった。
 やがて夜も深まり、お互いが紙を触る音とペンを走らせる音以外には何も聞こえなくなり、どうにか急ぎの分を片付けて二人は立ち上がり、並んで正門を潜り営外へと出る。中洲へ向かう道すがら話す事は取りとめも無い事ばかり、そうして二十分程の道程を歩き中洲へと入って暫くした頃、敦賀は後ろを歩いていたタカコに急に強い力で腕を引かれ、目的とは違う道へと方向を変えられた。
「おい、何やってんだ、モツ鍋食いたいって言うから――」
「モツ鍋とかどうでもいいから!あれ!あれ!」
 人間の三大欲の中で食欲が断トツであろうタカコ、その彼女が『モツ鍋なんてどうでもいい』とは何が有ったのか、物陰に身を寄せて前方を見る彼女を見下ろして溜息を吐きつつ敦賀もそちらへと視線を遣ってみれば、成る程確かにこれは、と思う光景がその先に在った。
「……相手、どう見ても二十代半ば位じゃないか?小さくて可愛いなぁ……何、何なのあれ、お前知ってたか?」
「いや、俺も初めて見たし話も聞いてねぇ……おい、手ぇ繋いでるぞ、何なんだありゃあ」
「ちょ!しかも指絡めて握ってる!何あれ、犯罪?犯罪なの?」
「犯罪って……あれでも一応海兵隊総司令だぞ。弁えてると思いたいんだがな、海兵としては」
「だって!四十一の中年があんな若くて小さくて可愛い子とこんな夜更けに手を繋いで歩いてるとか!誘拐か、誘拐なのかあれは!女なんか処理と遊びの相手としか思ってない腐ったおっさんがいたいけな女の子を!」
「……落ち着け、言ってる事は間違っちゃいねぇがそんなのの下で働いてる現実は見たくねぇ」
 二人の視線の先にはもう帰宅していた筈の高根の姿、制服から楽な私服へと着替え、若い女性と手を繋いで夜の中洲を歩いている。声は聞こえないが何やら言葉を交わしながら歩いていて、時折視線を合わせて女性へと向ける笑顔の優しさと柔らかさに、二十年近い付き合いになるがあんなものは初めて見たと敦賀は内心愕然とした。自分の知っている高根はいつも自信満々で威風堂々と飄々と振舞って見せ、浮かべる笑みも力強いものだった、個人として話している時でも程度の差こそ有れどそれは同じで、あんなに柔らかい笑顔も雰囲気も見た事が無い。
「真吾って身長どれ位だっけ、百八十位だったか?」
「百七十八だ」
「女の子の方は百五十位?うっわー、年齢差と体格差と身長差考えると、マジで犯罪臭ぇな。中年ジジイがいたいけな少女手篭めにするとか、そんな感じの絵面。それかアレだよな、犬と猫」
「は?真吾が犬か」
「そうそう、体格の良い軍用犬が何故か小さくて可愛い子猫と一緒にいて、何か構ってやってると言うか守ってると言うか」
「あー……言われてみりゃあそう見えねぇ事も無ぇな」
 三十cm近い身長差では高根がゆっくりと歩いても女性の方は時折小走りになり、高根はその度に立ち止まり女性が自分の真横へと来るのを笑顔で待つ。その間も手は繋いだまま離される事は無く、そうしてやがて雑踏の中へと消えて行った二つの背中を見送りつつ、タカコは大きく息を吐いた。
「……春か、春が来たのかあれは」
「……どうやらそうらしいな」
「こんな時間に二人きりとか……家に連れ込む気なのかね」
「いや……多分だが一緒に暮らしてるぞありゃ。最近昼飯に弁当持って来てる事が有るからな、あの女が作って持たせてるんじゃねぇか?」
「はぁぁ!?何それ聞いてねぇし!お前さっき知らないって言ってたろうがよ!」
「今思い出したんだよ」
「真吾に春、ねぇ……全海兵の中で一番そういう事に興味無さそうだったのになぁ」
「まぁ……良いんじゃねぇのか?」
 少々あの空気に中てられたかも知れない、そう思いつつ目の前のタカコの身体を緩く抱き締めてみれば、
「よし、じゃあモツ鍋行くぞモツ鍋。その後はどうする?」
 そう悪戯っぽく笑って見上げられ、敦賀はその様子を見て目を細め、眼下の頭をくしゃりと一撫でし歩き出す。
「明日も予定が詰まってる、今日は食ったら帰るぞ」
「おや珍しい」
「何だ、期待してたのか」
「してねぇよ」
 高根とあの女性の遣り取りは聞こえなかったが、絶対にこんなものではないだろう。あんな穏やかそうな空気も悪くは無いのだろうが、自分達にはこんな調子が似合っていると重いつつタカコの手を取り指を絡めて繋いでみる。
「あ、真吾の真似だ」
「……悪ぃか」
 ぶっきら棒にそう言えばそれに笑ったタカコが指に力を込めて来て、二人は目的地へと向けてゆっくりと歩き出した。
 翌日朝にはタカコから黒川へと密告の電話が有り、高根が四十年来の悪友に散々揶揄われるのは、また別の話。
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