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第23章『病院』
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第23章『病院』
「三十八度三分……昨日の夜より上がっちゃいましたね……」
「下がってたら仕事行こうと思ってたんだけどな……これじゃ流石に無理か……ま、同僚に今日は休めって言われてたから、大人しく休む事にするよ」
「それが良いですよ、お水とお粥持って来ますね。その間に着替えて下さい、替えの寝間着と下着、ここに置いておきますから」
「うん……有り難うな」
一晩寝れば多少は、そう思っていた体調は全く回復せず、咳は更に激しくなり熱は上がり喉も腫れ、唾を飲み込むのに覚悟が要る程に酷く痛む。昨日の小此木との遣り取りでは今日の休みは決定事項として言い渡されていたから、今日はもう何もせずに一日ずっと寝ていよう、高根はそう思いながら節々が痛む身体を起こし、凛が用意してくれていた着替えへと手を伸ばした。
着替えた後は再びゆっくりと横になれば、暫くして盆に粥の茶碗とお茶の入ったコップを乗せた凛が戻って来る。起き上がりそれを受け取り食べ始めれば、凛がそう言えばといった様に口を開く。
「高根さん、置き薬も無いし、病院行きましょう。睡眠が一番の薬なのは確かですけど、熱も高いですし季節柄流感かも知れませんよ。一人じゃ辛いだろうから、私も一緒に行きますから、ね?」
病院――、確かに小此木にも行けと言われて適当に肯定した気もするが、今から外出着に着替えて車を呼んで病院に行くのは億劫だ。それに、この博多で病院に行くとなれば、それは自分達軍人にとっては陸軍病院以外は有り得ないと言って良い。その事自体に問題は無いのだが、そうなった場合に問題になるのは、たった今凛が
『自分も一緒に行く』
と言った事だった。
陸軍病院は他の病院とは違い、軍人に支給されている保険証を使えば診察料も処方される薬も掛からない。その上基本的には軍人用の病院だから、民間人とは別枠で診察の順番が優先的に管理されており、待ち時間も殆ど掛からない。それが軍人が病院に掛かるなら陸軍病院以外は有り得ないと言って良いという理由なのだが、自分一人で行くにはそれが目的であるし何の問題も無いが、博多やその近辺に居住している人間であれば陸軍病院の診察の仕組みは知っている筈。高根が待合室にほぼ座る事も無く診察室へと呼ばれれば、その理由は凛にも直ぐに分かるだろう。
未だに自分の立場は明かしていない、軍人だと勘付けば、その辺りの事に対しての疑問を自分へと向けて来るかも知れない。
今は、今はまだそんな事態は避けておきたい。出来れば、彼女が自立し自分の家から出て行く迄――、そこ迄考えて、高根は自分を呼ぶ声に弾かれた様に我に返り、懸命に病院へ行こうと説得する彼女の顔を見た。
強く言えば、きっと凛は引き下がるだろう。しかし、それは確実に彼女を傷つける。自分の事を本気で心配してくれている凛に、自分の保身の為にそんな思いをさせて良いのか――、一瞬、どちらを採るかで高根の心は揺れ動く。それでもそれもほんの僅かな間の事で、目の前にいる人物を傷付けない様に、これ以上心配させない様に、彼女が望んでいるであろう答えを口にする。
「ん、分かった。身支度するから、下で待っててくれるか?後、車呼んでくれ、電話帳で調べて」
「はい、分かりました。良かったです、行くって言ってくれて」
言い淀んでいた高根の様子に、拒否されるのかと心配したのだろう、それが解消された凛は一転してほっとした様な面持ちになり、立ち上がり部屋を出て行った。
さて、そうなればすべき事をするかと高根はゆっくりと立ち上がり、箪笥の中から服と靴下を取り出すとゆっくりとそれを身に付ける。車を呼ぶのだ、帰りも病院から改めて呼ぶ様な事はせず、駐車場で待っていてもらえば良い。そして、自分が診察を受けている間は凛は車内で待たせておけば良い、どうせ時間はそう掛からない。ついて行くと言うかも知れないが、彼女が余計な病気を貰ったりしない為にも、何れにせよ院内には立ち入らせない方が良いのだから、それだけを言えば良いし納得もするだろう。
着替えた後は暫くの間寝台に腰掛けて呼吸を整え、その後は立ち上がり椅子の背凭れに掛けていた上着を着込み釦を全てきっちりと留めて下へと降りれば、丁度玄関から呼び鈴の音が響いて来る。
「あ、高根さん、車来ましたよ、行きましょう」
凛はいつでも出られる様に玄関で待機していたのか、扉を開けて車を確認した後は高根へと歩み寄って来て、
「大丈夫ですか?病院でお薬出してもらって、それからゆっくり休みましょう、ね?」
高根を見上げてそう言って微笑み、高根の方はそれに
「ああ、そうだな。心配してくれて有り難う」
そう返し彼女の頭をそっと撫でた。
車へと乗ってしまえば二十分の道すがら車内で特に何か話すでもなく、高根は熱と怠さと痛みを感じつつ、うとうとと船を漕ぎ始める。倦怠感に車の振動も加わり何処となくふわふわと漂う様な感覚に身を任せている間に眠りへと落ち、ふと気が付いた時には凛の身体へと寄り掛かり、彼女の頭に自らのそれと頬を寄せていた。
ああ、男性にこうして触れられる事は、彼女にとっては苦手を通り越して苦痛だろう、不快な思いをさせない為にも早く離れなければ。そう思うものの怠さの所為か身体は動かず、何故か逆に離れ難さすら感じて更に寄り掛かってみる。その事で凛の身体は多少強張ったものの、今だけだから、高根は胸中でそう詫びつつ双眸を閉じ、凛の柔らかな髪へとそっと頬を摺り寄せた。
「三十八度三分……昨日の夜より上がっちゃいましたね……」
「下がってたら仕事行こうと思ってたんだけどな……これじゃ流石に無理か……ま、同僚に今日は休めって言われてたから、大人しく休む事にするよ」
「それが良いですよ、お水とお粥持って来ますね。その間に着替えて下さい、替えの寝間着と下着、ここに置いておきますから」
「うん……有り難うな」
一晩寝れば多少は、そう思っていた体調は全く回復せず、咳は更に激しくなり熱は上がり喉も腫れ、唾を飲み込むのに覚悟が要る程に酷く痛む。昨日の小此木との遣り取りでは今日の休みは決定事項として言い渡されていたから、今日はもう何もせずに一日ずっと寝ていよう、高根はそう思いながら節々が痛む身体を起こし、凛が用意してくれていた着替えへと手を伸ばした。
着替えた後は再びゆっくりと横になれば、暫くして盆に粥の茶碗とお茶の入ったコップを乗せた凛が戻って来る。起き上がりそれを受け取り食べ始めれば、凛がそう言えばといった様に口を開く。
「高根さん、置き薬も無いし、病院行きましょう。睡眠が一番の薬なのは確かですけど、熱も高いですし季節柄流感かも知れませんよ。一人じゃ辛いだろうから、私も一緒に行きますから、ね?」
病院――、確かに小此木にも行けと言われて適当に肯定した気もするが、今から外出着に着替えて車を呼んで病院に行くのは億劫だ。それに、この博多で病院に行くとなれば、それは自分達軍人にとっては陸軍病院以外は有り得ないと言って良い。その事自体に問題は無いのだが、そうなった場合に問題になるのは、たった今凛が
『自分も一緒に行く』
と言った事だった。
陸軍病院は他の病院とは違い、軍人に支給されている保険証を使えば診察料も処方される薬も掛からない。その上基本的には軍人用の病院だから、民間人とは別枠で診察の順番が優先的に管理されており、待ち時間も殆ど掛からない。それが軍人が病院に掛かるなら陸軍病院以外は有り得ないと言って良いという理由なのだが、自分一人で行くにはそれが目的であるし何の問題も無いが、博多やその近辺に居住している人間であれば陸軍病院の診察の仕組みは知っている筈。高根が待合室にほぼ座る事も無く診察室へと呼ばれれば、その理由は凛にも直ぐに分かるだろう。
未だに自分の立場は明かしていない、軍人だと勘付けば、その辺りの事に対しての疑問を自分へと向けて来るかも知れない。
今は、今はまだそんな事態は避けておきたい。出来れば、彼女が自立し自分の家から出て行く迄――、そこ迄考えて、高根は自分を呼ぶ声に弾かれた様に我に返り、懸命に病院へ行こうと説得する彼女の顔を見た。
強く言えば、きっと凛は引き下がるだろう。しかし、それは確実に彼女を傷つける。自分の事を本気で心配してくれている凛に、自分の保身の為にそんな思いをさせて良いのか――、一瞬、どちらを採るかで高根の心は揺れ動く。それでもそれもほんの僅かな間の事で、目の前にいる人物を傷付けない様に、これ以上心配させない様に、彼女が望んでいるであろう答えを口にする。
「ん、分かった。身支度するから、下で待っててくれるか?後、車呼んでくれ、電話帳で調べて」
「はい、分かりました。良かったです、行くって言ってくれて」
言い淀んでいた高根の様子に、拒否されるのかと心配したのだろう、それが解消された凛は一転してほっとした様な面持ちになり、立ち上がり部屋を出て行った。
さて、そうなればすべき事をするかと高根はゆっくりと立ち上がり、箪笥の中から服と靴下を取り出すとゆっくりとそれを身に付ける。車を呼ぶのだ、帰りも病院から改めて呼ぶ様な事はせず、駐車場で待っていてもらえば良い。そして、自分が診察を受けている間は凛は車内で待たせておけば良い、どうせ時間はそう掛からない。ついて行くと言うかも知れないが、彼女が余計な病気を貰ったりしない為にも、何れにせよ院内には立ち入らせない方が良いのだから、それだけを言えば良いし納得もするだろう。
着替えた後は暫くの間寝台に腰掛けて呼吸を整え、その後は立ち上がり椅子の背凭れに掛けていた上着を着込み釦を全てきっちりと留めて下へと降りれば、丁度玄関から呼び鈴の音が響いて来る。
「あ、高根さん、車来ましたよ、行きましょう」
凛はいつでも出られる様に玄関で待機していたのか、扉を開けて車を確認した後は高根へと歩み寄って来て、
「大丈夫ですか?病院でお薬出してもらって、それからゆっくり休みましょう、ね?」
高根を見上げてそう言って微笑み、高根の方はそれに
「ああ、そうだな。心配してくれて有り難う」
そう返し彼女の頭をそっと撫でた。
車へと乗ってしまえば二十分の道すがら車内で特に何か話すでもなく、高根は熱と怠さと痛みを感じつつ、うとうとと船を漕ぎ始める。倦怠感に車の振動も加わり何処となくふわふわと漂う様な感覚に身を任せている間に眠りへと落ち、ふと気が付いた時には凛の身体へと寄り掛かり、彼女の頭に自らのそれと頬を寄せていた。
ああ、男性にこうして触れられる事は、彼女にとっては苦手を通り越して苦痛だろう、不快な思いをさせない為にも早く離れなければ。そう思うものの怠さの所為か身体は動かず、何故か逆に離れ難さすら感じて更に寄り掛かってみる。その事で凛の身体は多少強張ったものの、今だけだから、高根は胸中でそう詫びつつ双眸を閉じ、凛の柔らかな髪へとそっと頬を摺り寄せた。
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どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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