犬と子猫

良治堂 馬琴

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第24章『薬』

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第24章『薬』

「お疲れ様でした。この後はもうゆっくり休んでくださいね。お粥とお水持って来ますから、食べた後はお薬飲んで、しっかり寝て下さい」
「うん、お願いします。お粥は梅粥が良いな、朝は卵と葱だったから」
「はい、分かりました。食欲は有るみたいで良かったです。お粥用意して来ますから、その間に着替えて熱測ってて下さいね」
 病院の後は車で商店街へと立ち寄り凛の日課の買い物も済ませ、十一時前には家へと帰って来た。凛が階下へと降りて行った後は高根は寝間着へと着替え、体温計を脇に挟んで布団へと潜り込む。薬は昼食後と言われていて未だ服用していない所為で、身体は怠く熱いまま。この感覚だと朝測ったよりも下がっている事は無さそうだと掛布団を鼻の辺り迄引き上げれば、使用者不在の間に冷めていた掛布団の冷たさに悪寒が走り身体を大きく震わせる。
 最後に熱を出して寝込んだのはいつだったか――、記憶に間違いが無ければ任官から数年後位だった筈で、それからの間ずっと体調管理を自らに課しそれが上手く行っていたのは良い事なのだろうが、十数年振りの高い発熱は心底身体に堪えるから、体調管理が完璧なのも考え物だなと、そんな事を震えながらぼんやりと考えた。
 大の男の自分ですらこんなにも辛いのだ、凛にうつしては大変だ、昼食を持って来てもらった後は下に避難させておかなければ。自分で水分補給が出来る様に柚子かりん湯を水筒で用意してもらって、枕元に置いておけば夜迄はもつだろう。
 とにかく眠って身体を休め、出来るだけ早く体調を戻さなければ。仕事は幾らでも山積している、自分にしか決裁出来ないもの、自分にしか判断し命令を下せないものが多過ぎる、部下達に今以上の負担を強いらない為にも、今日一日だけで体調を戻し、明日には仕事に復帰出来る様にしなければ。
 そんな風に熱でぼんやりとする頭で考えつつ、体温計を取り出してみれば、指し示している体温は三十八度七分。悪寒が強くなっているのはやはり熱が上がっていた所為かと舌打ちをして体温計を寝台脇の机へと置き、節々の痛みに唸っていると、十分程経った頃、凛が食事を持って戻って来た。
「高根さん、起きられますか?御希望通り梅粥ですよ、食べたらお薬も飲んで下さいね。あっ、熱はどうでしたか?」
「ん……頂きます。熱は八度七分、上がってたね」
「やっぱり……水分沢山摂ってしっかり汗掻いて下さいね、柚子かりん茶も持って来ましたから。お茶も風邪とか喉に良いそうなので、お湯割りじゃなくて緑茶割りにしてみました」
「有り難うな、頂きます」
 喉の痛みが酷い所為で、殆ど原型を留めていない液状の梅粥でも飲み込むのに難渋する。当然進みは遅く、小振りの丼に入れられた粥を三十分程掛けてそれでも完食すれば、凛は盆にのせていた二つの薬袋の一つから粉薬の包みを取り出し封を切り、コップに入った水と共に差しだして来る。
「じゃ、これ飲んでゆっくり寝て下さい」
「うん、何から何迄世話になっちゃって、悪いね、本当」
「そんなの気にしないで下さい。私の仕事ですし、普段は私の方が高根さんにお世話になりっ放しじゃないですか」
「有り難う」
「いえいえ」
 押しつけがましくない、そして、必要とする時機まさにその時に必要な物を差し出し手助けしてくれる。凛のそんな然り気ない心遣いが何とも嬉しく、そして安心させてくれる。彼女の柔らかで穏やかな物腰、出会った頃よりも回数も増えはっきりと見せてくれる様になった笑顔。まだ何処かしら怯えを感じさせる時は有るが、それでも今の生活をそれなりに肯定してくれているのだという事は高根にも伝わり、その事に何とも言えない心地良さ、くすぐったさを感じていた。
 こんな風に体調が悪く気分も落ち込んでいる時だからなのだろうか、出来れば、ずっとこのままこの家にいてくれないかと、そう思う。今迄もふとした折りにそう感じる事は何度か有り、その度に自らそれを頭を振って打ち消して来た。いつか彼女はここを出て行くのだと、身を立て直し、これから先の人生を真っ当に幸せに生きる為に、歩いて行くのだと、だから、それを自分の様な男が邪魔する等、してはいけないのだと。
 結婚し生涯を共にし添い遂げる、相手が誰であれ自分の中にそんな選択肢は無かったし、そもそもが恋人すら作った事が無い。女は性欲を発散する為の相手でしかなく、それは誰に対しても変わらない。今は何故か凛に対してしか反応しなくなってしまってはいるもののそれも所詮は単なる性欲で、そんな汚い感情を彼女へ対して抱いてしまっている事自体が問題であり、この先ずっと一緒にどころか、彼女の身の安全の為にも寧ろこの家から出すのを前倒しした方が良い状況だというのは、高根にもよく分かっていた。
 それでも――、再び湧き上がりかけた考えを抑え込み、笑顔を浮かべて凛から薬とコップを受け取り胃へと流し込めば、凛は
「熱も下がってないですから、解熱剤も飲んだ方が良いですよね」
 と、そう言ってもう一つの薬袋へと手を伸ばす。しかし、がさがさ、と袋を開けその中身を認識した瞬間、彼女の動きは見事に固まってしまい、数秒の間そのままだった。
「凛ちゃん?どうした?」
 俯いて袋の中を覗き込んだままの凛、その様子を高根が何が有ったと問い掛ければ、彼女の顔がみるみる内に真っ赤に染まっていく。何がどうしたのだとその様子に高根が再度問い掛ければ、耳朶迄真っ赤に染めた凛は袋の中から解熱剤を一つ取り出し、上目づかいで高根を見ながら掌に乗せた薬をそっと差し出した。
「……あの、これ……私が……?」
「いやっ!あのっ!当然自分でやるから!!君にさせようとか思ってないから!!おじさんそれ位一人で出来るもん!!」
 小さな掌に乗るのは銀色の小包装に包まれた座薬が一つ。飲み薬だと思っていたのだろうが、予想外の物が出て来てどうしたら良いか分からなくなったのかとんでもない事を口走る凛。高根もその流れに面食らったのか凛に同調したのか、若干意味不明な事を口走りつつ、凛のてから座薬を引っ手繰る。
「凛ちゃんはもういいから!これ以上ここにいたら風邪うつるし、もう下に行って!後はもう俺が自分でやるから!有り難う!!」
「あの……何か本当にすみません……ゆっくり寝て下さいね」
 真っ赤な顔をしたまま微妙に視線を泳がせる凛は立ち上がり、丼を乗せた盆を手にして部屋を出て階下へと降りて行く。高根はその足音を聞きながら大きく溜息を吐き、掌に乗せた座薬へと視線を落とした。
 確か前回これを使ったのは小学生の頃、同じ様に高い熱が出て、病院に連れて行かれた後に母親から入れられた時だ。必要な薬剤とは言え排出専門の穴に異物を挿入され、その痛みと違和感に泣き喚いた記憶が朧に残っている。
「俺、そういう趣味は全然無いんだけどな……だいたいケツの穴は出すところだぞ、入れるって何だよ入れるって、おかしいだろ……何考えてんだあのクソ医者……!」
 解熱剤鎮痛剤の類は、注射するのでもない限り、経口摂取よりは直腸の粘膜から直接吸収する座薬の方が効きが早い事は知っている。しかし、しかし、その上自分ではなく凛にそれを見られてしまうとは、高根はそんな風に診察をしてくれた医師を呪い、それでもこの高熱が長引けば凛に更に心配をさせるだけなのだと思い至り、また一つ深く大きく重い溜息を吐き、寝間着と下着へと手を掛けた。
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