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第30章『肩の桜』
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第30章『肩の星』
国籍不明総数不明の勢力のが揚陸艦を使用し大和本土へと上陸した。その発端となったのは第一防壁沿岸部に漂着した艦艇と、そこから撒き散らされたのであろう夥しい量の残骸と、大和人ではないと思われる人間の死体。京都から戻って来て少し後に起きたその事件の影響は今でも続いていて、寧ろこれからより深刻化するだろうという事が、事情を知るタカコや高根や黒川、その腹心たる小此木や横山、そして沿岸警備隊西方艦艇群司令である、沿岸警備隊准将の浅田の間での一致した見解だった。
そんな状況の最中風邪をひいてしまい休養する羽目になり、皆に申し訳無いと思いつつ自らに続いて体調を崩した凛の看病にも勤しみ、ここ最近の高根は多忙を極めている。凛が回復する迄は夜も心配だからと無理やりにでも帰宅していたが、それがいつ迄も続けられる筈もなく、回復を見届けた後は自らの執務室に泊まり込む事も多くなっている。今日もまた帰宅は無理そうだと時計を見ながら溜息を吐けば、不意に机上の電話が鳴りそれを手に取った。
「はい、高根です」
『久し振りです、統幕の敦賀ですが』
「副長!これは失礼しました!何か問題でも有りましたか」
『内示を出している筈なんだが……見ていないのか』
「は?内示と言いますと……異動、ですか?」
電話の相手は統幕副長、その彼が口にした『内示』という言葉に、高根の背筋に何やら嫌なものが走り、口調は自然と強張った。
内示――、異動、昇進、降格、全ての人事は辞令として出され、それが公的に発表される前の段階で内示として本人に伝えられる。ここ最近の海兵隊としては大きな失態も犯さずに運営出来ているという自負も有るから、誰の辞令にしろ降格という線は無いだろう。そもそも、昇進にしろ降格にしろ、総司令たる自分を通さずに海兵隊員の処遇が決まる事は無い、それは異動も変わらない。海兵隊はこの博多以外には基地を持っていないから、異動が有るとしたら京都所在の統合士官学校の海兵隊部か博多の基地内所在の士官用初級教育課程か兵卒の教育隊、その程度のものだ。統幕への異動の線も有るが、そちらは基本的に士官しか該当しないから、高根が内示前に何も知らされていないという事は余計に有り得ない。
そもそも、『内示』というものは上官から本人に伝えられるものであり、
『こういう辞令が出る事はほぼ確定だから、色々と準備をしておく様に』
という、本人に心構えをさせておく為のもの。だとすれば、副長が電話を掛けて来て内示の事を口にしているのだとすれば、その該当者は自分なのだ――、と、高根は漸くその事に思い至り、苦々しい面持ちになりながら言葉を選びつつ口を開いた。
「副長、それは、自分の異動という事でしょうか。組織に属している者として異動に無縁ではいられないという事は分かっていますが、対馬区とそれに隣接する九州の情勢はこれから益々混沌として来ます。そんな時に、事態に対処して来た自分が移動というのは、この国にとって得策とは思えません。将来的にはしょうがないのかも知れませんが、今は――」
『やはり見ていないのか。君に対しての内示なのは確かだが、統幕専任になれと言っているんじゃない、昇進だよ、昇進』
「……はい?」
『聞こえなかったか、昇進だ。来月一日付で准将だ。おめでとう』
昇進、想定していなかった単語が耳朶を打ち、それを処理し切れずに暫く絶句し固まる高根。
『何度も連絡はしていたんだが、君はこちらに殆ど連絡を寄越さないだろう。目の前の事態に対処するのは勿論最重要だが、一応統幕監部に名を連ねているんだ、こちらの方も気に掛けてもらわないと困るな。君と黒川総監が中央での出世に全く興味が無い事はよく知っているつもりだが』
「は、あの、いや……大変申し訳有りません」
『それで、辞令の件だが、目立った事情が有る訳でも無いし、昇進に伴い配置換えが有るわけでも無いんだ。ただ、海兵隊という人員こそ最少だが強い発言力を持つ一組織の総司令官として、他が中将大将がその任に就いているのに、海兵隊だけ大佐なのはどうなのかと、そういう話になってね。人数規模で言えば大佐が適当ではあるんだが、他との、特に陸軍との兼ね合いも有って、君の昇進が決まったと、こういう按配だ』
確かに、以前からそんな話がずっと燻り続けている事は知っている。自分が任官した当初どころか、これはもう代々続く懸案事項でもあった。活骸との戦いを一手に引き受け矢面に立ち続ける海兵隊は、擁する人員は大和軍最少ではあるものの発言権の強さは大和三軍の中で一番強い。また、戦死率は士官でも高い事から総司令就任時の階級が将官である事は無く、大佐が就任する事が通例となっていた。
発言権の強さに見合わない低い階級――、最大の兵員を擁する陸軍がそれを快く思う筈も無く、海兵隊と陸軍の確執対立は悪化の一途を辿り続けているのだという事は、大和軍に属する者であれば誰でも知っている事だった。
「は……あの、それは、有り難う御座います……准将、ですか、自分が」
『まさかいきなり大将にするわけにもいかんからな、それこそ陸軍の五月蠅い連中が激怒する事になる。君だけ昇進させるのもわざとらしいから、定期の辞令に合わせたと、こういう按配だ。君としては肩の星が増えたところで鬱陶しいだけだと思うが、それこそ組織に属する人間として甘受してくれ』
唐突に持ち出された昇進、自分が中央から送られて来る書類は後回しにしていたから唐突になっただけの事なのたが、それでも聞かされる迄は全く想定もしていなかった事に、どう反応したら良いものか、何とも具合の悪い心持ちになる。それ電話の向こうの副長にも伝わっているのだろう、少し笑った気配が伝わって来て、
『君だけではなく親友の黒川総監も同日付で少将に昇進だ。新米准将と新米少将で、今迄通りに対馬区の事は頼むよ。それと、報告は既に受けているが、正体不明の勢力の上陸、これにも可及的速やかに対処を』
「は、それは勿論です」
『そうか。それじゃ、遅くに悪かった、失礼する』
「はい、態々連絡頂いて有り難う御座いました、失礼します」
接続が切れたのを確認し、受話器を戻した高根は無言のまま煙草へと火を点けた。
昇進――、全く想像もしていなかったし興味も無かったが、内示が出た以上受けるしか無い。それよりも、異動の可能性に思い至った時、自分が何を真っ先に考えたのかという事を思い出し、自嘲じみた笑いに口角を歪めながら、鼻から煙を吐き出した。
真っ先に考えた事、それは、凛をどうするのかという事だった。京都に異動になったとしたら、連れて行く、それは間違い無い。未だ生活を立て直したとは言えない、そして結婚生活の傷が癒えたのでもないであろう彼女を置いて行くという選択肢は有り得ないし、何より、今はまだ自分が彼女とは離れたくない。しかし、そうするとして、仕事の事をどう誤魔化すのか、どうすれば彼女に自分の立場を悟られずに済むのか。そんな事で真っ先に算盤を弾いた自分が何とも卑しく思え、高根は暫くの間じっと前方の壁を見詰めていた。
国籍不明総数不明の勢力のが揚陸艦を使用し大和本土へと上陸した。その発端となったのは第一防壁沿岸部に漂着した艦艇と、そこから撒き散らされたのであろう夥しい量の残骸と、大和人ではないと思われる人間の死体。京都から戻って来て少し後に起きたその事件の影響は今でも続いていて、寧ろこれからより深刻化するだろうという事が、事情を知るタカコや高根や黒川、その腹心たる小此木や横山、そして沿岸警備隊西方艦艇群司令である、沿岸警備隊准将の浅田の間での一致した見解だった。
そんな状況の最中風邪をひいてしまい休養する羽目になり、皆に申し訳無いと思いつつ自らに続いて体調を崩した凛の看病にも勤しみ、ここ最近の高根は多忙を極めている。凛が回復する迄は夜も心配だからと無理やりにでも帰宅していたが、それがいつ迄も続けられる筈もなく、回復を見届けた後は自らの執務室に泊まり込む事も多くなっている。今日もまた帰宅は無理そうだと時計を見ながら溜息を吐けば、不意に机上の電話が鳴りそれを手に取った。
「はい、高根です」
『久し振りです、統幕の敦賀ですが』
「副長!これは失礼しました!何か問題でも有りましたか」
『内示を出している筈なんだが……見ていないのか』
「は?内示と言いますと……異動、ですか?」
電話の相手は統幕副長、その彼が口にした『内示』という言葉に、高根の背筋に何やら嫌なものが走り、口調は自然と強張った。
内示――、異動、昇進、降格、全ての人事は辞令として出され、それが公的に発表される前の段階で内示として本人に伝えられる。ここ最近の海兵隊としては大きな失態も犯さずに運営出来ているという自負も有るから、誰の辞令にしろ降格という線は無いだろう。そもそも、昇進にしろ降格にしろ、総司令たる自分を通さずに海兵隊員の処遇が決まる事は無い、それは異動も変わらない。海兵隊はこの博多以外には基地を持っていないから、異動が有るとしたら京都所在の統合士官学校の海兵隊部か博多の基地内所在の士官用初級教育課程か兵卒の教育隊、その程度のものだ。統幕への異動の線も有るが、そちらは基本的に士官しか該当しないから、高根が内示前に何も知らされていないという事は余計に有り得ない。
そもそも、『内示』というものは上官から本人に伝えられるものであり、
『こういう辞令が出る事はほぼ確定だから、色々と準備をしておく様に』
という、本人に心構えをさせておく為のもの。だとすれば、副長が電話を掛けて来て内示の事を口にしているのだとすれば、その該当者は自分なのだ――、と、高根は漸くその事に思い至り、苦々しい面持ちになりながら言葉を選びつつ口を開いた。
「副長、それは、自分の異動という事でしょうか。組織に属している者として異動に無縁ではいられないという事は分かっていますが、対馬区とそれに隣接する九州の情勢はこれから益々混沌として来ます。そんな時に、事態に対処して来た自分が移動というのは、この国にとって得策とは思えません。将来的にはしょうがないのかも知れませんが、今は――」
『やはり見ていないのか。君に対しての内示なのは確かだが、統幕専任になれと言っているんじゃない、昇進だよ、昇進』
「……はい?」
『聞こえなかったか、昇進だ。来月一日付で准将だ。おめでとう』
昇進、想定していなかった単語が耳朶を打ち、それを処理し切れずに暫く絶句し固まる高根。
『何度も連絡はしていたんだが、君はこちらに殆ど連絡を寄越さないだろう。目の前の事態に対処するのは勿論最重要だが、一応統幕監部に名を連ねているんだ、こちらの方も気に掛けてもらわないと困るな。君と黒川総監が中央での出世に全く興味が無い事はよく知っているつもりだが』
「は、あの、いや……大変申し訳有りません」
『それで、辞令の件だが、目立った事情が有る訳でも無いし、昇進に伴い配置換えが有るわけでも無いんだ。ただ、海兵隊という人員こそ最少だが強い発言力を持つ一組織の総司令官として、他が中将大将がその任に就いているのに、海兵隊だけ大佐なのはどうなのかと、そういう話になってね。人数規模で言えば大佐が適当ではあるんだが、他との、特に陸軍との兼ね合いも有って、君の昇進が決まったと、こういう按配だ』
確かに、以前からそんな話がずっと燻り続けている事は知っている。自分が任官した当初どころか、これはもう代々続く懸案事項でもあった。活骸との戦いを一手に引き受け矢面に立ち続ける海兵隊は、擁する人員は大和軍最少ではあるものの発言権の強さは大和三軍の中で一番強い。また、戦死率は士官でも高い事から総司令就任時の階級が将官である事は無く、大佐が就任する事が通例となっていた。
発言権の強さに見合わない低い階級――、最大の兵員を擁する陸軍がそれを快く思う筈も無く、海兵隊と陸軍の確執対立は悪化の一途を辿り続けているのだという事は、大和軍に属する者であれば誰でも知っている事だった。
「は……あの、それは、有り難う御座います……准将、ですか、自分が」
『まさかいきなり大将にするわけにもいかんからな、それこそ陸軍の五月蠅い連中が激怒する事になる。君だけ昇進させるのもわざとらしいから、定期の辞令に合わせたと、こういう按配だ。君としては肩の星が増えたところで鬱陶しいだけだと思うが、それこそ組織に属する人間として甘受してくれ』
唐突に持ち出された昇進、自分が中央から送られて来る書類は後回しにしていたから唐突になっただけの事なのたが、それでも聞かされる迄は全く想定もしていなかった事に、どう反応したら良いものか、何とも具合の悪い心持ちになる。それ電話の向こうの副長にも伝わっているのだろう、少し笑った気配が伝わって来て、
『君だけではなく親友の黒川総監も同日付で少将に昇進だ。新米准将と新米少将で、今迄通りに対馬区の事は頼むよ。それと、報告は既に受けているが、正体不明の勢力の上陸、これにも可及的速やかに対処を』
「は、それは勿論です」
『そうか。それじゃ、遅くに悪かった、失礼する』
「はい、態々連絡頂いて有り難う御座いました、失礼します」
接続が切れたのを確認し、受話器を戻した高根は無言のまま煙草へと火を点けた。
昇進――、全く想像もしていなかったし興味も無かったが、内示が出た以上受けるしか無い。それよりも、異動の可能性に思い至った時、自分が何を真っ先に考えたのかという事を思い出し、自嘲じみた笑いに口角を歪めながら、鼻から煙を吐き出した。
真っ先に考えた事、それは、凛をどうするのかという事だった。京都に異動になったとしたら、連れて行く、それは間違い無い。未だ生活を立て直したとは言えない、そして結婚生活の傷が癒えたのでもないであろう彼女を置いて行くという選択肢は有り得ないし、何より、今はまだ自分が彼女とは離れたくない。しかし、そうするとして、仕事の事をどう誤魔化すのか、どうすれば彼女に自分の立場を悟られずに済むのか。そんな事で真っ先に算盤を弾いた自分が何とも卑しく思え、高根は暫くの間じっと前方の壁を見詰めていた。
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