犬と子猫

良治堂 馬琴

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第61章『血液』

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第61章『血液』

「コマンダント・タカネ!頼みが有ります!カタギリとウォーレンから採血をさせて下さい!!ボスの手術の為の血液が足りませんが我が国と貴国では血液型の概念にずれが有ります、既に確定していて利用実績の有る彼等の血液か、俺が確かめたもの以外は使用出来ません!!」

 気力が失せたのか自分では立ち上がる事も出来なくなっていた浜口、その彼を警務隊の数人が抱えて抱え上げて無理矢理に立たせ、そのまま引き摺る様にして大部屋を出て行った。その後は残った警務隊により現場検証が始まり、第一発見者となった曹長達に事情聴取を行う様子を、着替えて戻って来た高根が険しい眼差しで見詰めている。そこに走ってやって来たのは先程タカコを抱えて手術室へと向かって行ったジュリアーニ、高根以上に険しい面持ちで告げられた彼の要求に、高根は再確認をする事も無く言葉を返し隣にいた小此木に指示を出す。
「分かった。おい、営倉に案内してやれ」
「はい。こっちだ、来てくれ」
「有り難う御座います、後、出来るだけ沢山人間を集めて下さい、二人からの供血では足りないと思います」
「分かった、直ぐに手配しよう。おい、営舎の人間全員叩き起こせ」
「はっ!」
 ジュリアーニはそれを聞き高根に軽く挙手敬礼をして歩き出し、小此木の先導で営倉の仲間二人のところへと向かう為に部屋を出た。彼がここへとやって来たという事は、大和田も救護班も手術室へと入ったらしい、血液の確保は大量出血しているなら当然文字通りの死活問題であり、不確実な事を他人には任せていられない、それもまっとうな主張だろう。後は出来るだけ大量の血液を迅速に集める事が一番の優先事項であり、それを手伝う為にあれこれと理由を聞く必要は何処にも無い。
 自分も検査に行こう、タカコと血液型が合致するかは分からないが、献血は一人でも多い方が良い。そんな事を考えつつ歩き出し、近くにいた海兵に
「俺も献血に行って来る。少しでも多い方が良い、ここにいる人間も交代で向かってくれ」
 と、そう声を掛けて大部屋を出た。

 それから数時間は目まぐるしく時間が流れ、現場検証、手術の経過の確認、軍事法廷へ送る手続きの確認等に忙殺され、依然予断は許さない状況ながらも手術は無事に終わったという報告を受ける迄高根には一息つく間も無かった。その後は浜口の事情聴取に総司令自ら臨み、そこでタカコの背後にまだまだ大きな隠し事が有るらしいと、そう感じ取ったのはつい先程の事。激昂するカタギリ、態度は控えめながらも気持ちはカタギリと同じ様なものらしいウォーレン、その彼等を抑え込み、それでいて
「もしこの件について話せと強要するのであれば、残念ですがそこで決裂ですね、拘束でも何でもお好きにどうぞ。ボスの容態が安定したら離脱させてもらいますよ。貴方方があの人に危害を加える事は無いでしょうし、連れて行くわけにもいきませんからボスは置いて行きます。離脱する時に少々暴れる事になるでしょうから海兵隊は多少の損害を出す事になるでしょうが……それこそ俺達の知った事では無いですよね?」
 と、にこやかにそう言って退けたジュリアーニ。その彼等を前に、これ以上突っ込むのは得策ではないと判断し引き下がったが、あの時は流石に頭に血が上っていた、と、自らを戒めつつ、高根は左腕の肘の内側に貼られた絆創膏へと視線を落とした。
 検査には参加したものの自分の血液型はタカコとは合致せず、役に立てず仕舞い。それならば本分を尽くすかと手術が無事に終わる事を祈りながら諸般の手続きやら捜査へと臨み続け、今は取り調べを警務隊へと任せ、回復室の前へとやって来ている。
 室内からぼそぼそと聞こえて来るのは敦賀の声、彼の血液型もタカコとは違った様子で、どうやら彼の方はジュリアーニ辺りに手ひどい物言いをされたらしい。タカコの部下達は自分達以上に殺気立っているのだろうからそれも宜なるかなといったところだが、恐らくは自分の血を全て使っても良いからと思っているのであろう敦賀にとっては大層堪えたに違い無い。
 と、僅かに開かれたままの扉の隙間から聞こえていた敦賀の言葉が不意に途切れ途切れになり、その直後、高根は僅かに顔を歪め、小さく歯を軋らせた。

「……逝くんじゃ……ねぇぞ……!俺、を……置いて逝くな……!!」

 途切れ途切れに言葉を紡ぐその声音は涙に濡れていて、普段は怒り以外の感情を発露させる事等殆ど無い敦賀、その彼も内心はもう限界なのだという事が窺い知れる。
「……他に誰かいたんじゃそんな事も言えねぇし泣けねぇもんな、お前……でも、そういう時も必要なんだぜ?なぁ……敦賀よ」
 取調室に入る前、営倉から敦賀を出しながらタカコを見舞えとそう告げた。浜口の取り調べに参加させろと主張した彼に突き放した物言いをしてこちらへと向かわせたが、どうやらそれで正解だったのだろう。不器用で生真面目で頑固で依怙地な男、あんな風に命令でもしてやらなければここに来るのはもっと遅くなっていただろう。決して安定しているとは言い難いタカコの容態、ここ数日が山だと、覚悟だけはしておいてくれ、大和田とジュリアーニ夫々からはっきりとそう言われている。そんな状況で敦賀がここに来るのが遅れていれば、何をどうしても取り返しのつかない悲劇が彼を襲っていたのかも知れないのだ。タカコの生命力を信じていないわけではないが、敦賀に彼女と二人きりで過ごす時間を与える事は何事にも優先する緊急の事だった。
 後は彼女の生への執着を信じるだけ、自分達の仕事をきっちりとこなしつつ待つだけだ。夜が明けて凡その出来事を知った海兵達の間にも動揺が走っている、古参にとっては親しい友人、新兵達にとっては面倒見の良い先輩であり上官。詳しい素性を知らない人間にとっても勝気で悪戯好きで、そして気さくでよく笑う彼女の人柄は好かれている、それ以外の何も持っていなかったのだとしても喪いたくはない。
「……皆お前を待ってるぞ……早く、戻って来い」
 敦賀の目の前で眠り続けているタカコ、その彼女にも一言呟いて高根は自らの執務室へと入ろうと歩き出す。
 どうか、どうか一日も早くタカコが目を覚ますように、そして、以前と変わらない笑顔を自分達へと向けてくれるように――、その祈りは彼女を知る海兵全てに共通するものであり、それが通じたのか、大和田とジュリアーニの連名で
「もう大丈夫、峠は越えました。後は目を覚ますのを待つだけです、様子を見ながら麻酔も切りましょう」
 と、そう宣言されたのは、事件の発生から一週間後の事だった。
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