犬と子猫

良治堂 馬琴

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第60章『立場と気持ち』

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第60章『立場と気持ち』

 とにかく下品で口が悪く悪戯が大好きで、他人の事に首や嘴どころか全身を突っ込み引っ掻き回し、相手がどれだけ激怒しようとも何処吹く風と笑って受け流し飄々と、そして鷹揚に我が道を行く。けれど一度事が起こればその眼差しは全てを射貫く鋭さと力強さを持ち、その頭脳に蓄えられた知識と技術は自分達に惜しみなく助力として注がれ、そして、その胸の内に秘めた熱く篤い想いと人柄がそれを全面的に後押しし支えている――、それが、奇妙な同盟相手、ワシントン陸軍大佐、タカコ・シミズ。
 唯一無二、代替不可能な同盟相手であると同時に得難い良き親友、そんな人物が刺された、と、小此木はそう言っていた。小此木自身も自分で状況を確かめたわけではなくとにかく自分に、と連絡を寄越して来ただけなのだろう、タカコの容態も何も分からないまま。とにかく戻れという彼の言葉通りに基地への道を全力疾走で戻りながら、高根は小此木の言葉を反芻していた。
 曹長の浜口が刺したと他の曹長が言っていると、そう言っていた。浜口は確か妻を亡くし男手一人で三人の子供を育てていた筈で、その子供三人全員が先日の曝露で活骸に変異したらしく死亡した。膨大な数の変異体の中から我が子を探し出すには未だ至っていないが、見つけて弔ってやりたい、そう言っていると、彼の直属の上官から報告を受けている。嘆きも絶望も深いだろうにそれを支えに必死に気を張っているのだろう、万が一にもこれ以上の不幸が無い様に、そう言い添えてそれとなく観察と監視を続ける様に指示していたが、まさか、何故彼がタカコを――、そんな思いが高根の胸の内を覆い尽くす。
 絶望的に低い、下士官以下の十年後生存率。僅か五分というそれを強かに生き抜いて来た古参と言っても差し支えの無い海兵、それが浜口修という人間だった筈だ。タカコとも同じ大部屋の住人としてそれなりに親しく付き合っていたのは知っているし、その上彼女が自分達の目の前へと現れた時にも彼はその場にいて、事の次第もタカコの人柄も重要性もそれなりに理解している筈だ。そんな人間が何故、答えの出ない問いを繰り返し警衛に就いている海兵の敬礼には目もくれず本部棟の中へと駆け込めば、廊下の向こうから血塗れのタカコを抱き抱え小走りでやって来るタカコの部下のジュリアーニが視界へと飛び込んで来た。タカコを抱く彼の腕は戦闘服の袖を捲り上げた地肌は真っ赤に染まりぬれて光を反射し、戦闘服はじっとりと濡れて黒くなっている。タカコの身体も同じ様なもので服は血で赤黒く染まり、顔はと言えば血の気が失せて真っ白になっている。
「容態は!?」
「良くない、早くオオワダをお願いします、これから緊急オペです!!」
 良くない――、単純明快且つ出来れば聞きたくもない言葉。タカコの忠実な部下であるジュリアーニも言いたくはない筈で、事態は思っていたよりもずっと深刻なのだと、その事に直ぐに思い至る。
 手術室について行っても自分に出来る事は何も無い、それならば現場へと向かい事態を把握する事に努めようかとジュリアーニへと向けていた踵を返し、恐らくは現場となった場所――、人間が間断無く出入りし怒号が飛び交う曹長の大部屋へと向かって走り出した。

「敦賀上級曹長!」

 廊下の反対側から走って来た小此木と出くわし、無言のまま頷き合いながら室内へと入れば、視界へと飛び込んで来たのは血塗れのナイフを手にし足元を見降ろしている敦賀の姿。机が邪魔をして見えないが恐らくそこには拘束された浜口がいる筈で、それを見下ろす敦賀の眼差しの意味に気付いた瞬間、高根は声を張り上げ彼の名を呼んでいた。
 その怒声に弾かれる様にして顔を上げこちらを見る敦賀、それと同時に背後から押し遣られ自分の両脇を通り二人の男が室内へと駆け込んで来る。それがタカコの部下のカタギリとウォーレンであると認識すると同時に二人へと腕を伸ばし、上着の襟首の厚い布地を全力で掴んで身体ごと引き戻した。
「……真吾」
 今にも感情が爆発しそうな面持ちと眼差しの敦賀、その彼が半ば呆然とした様に自分の名を呼ぶ。高根はそれを見ながら、少しでも対処を間違えればまた死者が出る、そう判断し、声を張り上げた。
「この二人と敦賀を拘束しろ!俺が良いと言う迄営倉に叩き込んでおけ!」
 その言葉は敦賀にとっては到底容認出来るものではなかったのだろう、眼差しは瞬時に怒りに染まり、口角泡を飛ばす勢いで抗議と反論の態勢へと移行する。
「真吾!てめぇ、今どういう状況だか分かってんのか!?」
「口を慎め!立場を弁えろ!!」
 敦賀が、そしてタカコの二人の部下が何をしようとしていたのかはよく分かる、考える迄も無い。自分も彼等の立場なら同じ事をするだろう、そして、その邪魔をする者は許さない。けれど、立場として彼等の行為を許すわけにはいかない、思いのままに行動する事を認めるわけにはいかないのだ。
「お前が今何をしようとしていたか気付いてないとでも思ってんのか馬鹿が!何で拘束するかか?お前とこの二人、俺がお前等の立場だったら浜口を殺すからだ!命令だ、この三人を即時拘束しろ!」
 気持ちは分かる、しかし認めるわけにはいかない、堪えてくれと胸中で詫びつつ彼以上の勢いで怒鳴り付ければ、図星だったのだろう、勢いが挫かれ言葉が止まる。この機会を逃すものかと室内にいた他の人間に目配せをすれば、その意味を理解した数人が敦賀の背後と自分の前に集まり、
「……先任、すみません……行きましょう」
 と、申し訳無さそうにそう告げて敦賀の方に手を掛けて廊下へと誘い、高根が襟首を掴んだままでいたカタギリとウォーレンも同じ様に海兵達に付き添われ、三者ともこれ以上は抗う事も無く部屋を出て行った。
「……総司令、今後は」
「浜口の身柄は警務で取調室に。清水については我々に出来る事は今は何も無い、大和田と佐藤に任せておけ。何か異変が有ればすぐに知らせろ、俺は着替えて来る」
「了解です」
 到着してから真っ直ぐにここへと来た所為で未だ私服のまま、取り敢えず先ずは着替えだと小此木に指示を出し、大部屋を出て自らの執務室へと向かって歩き始める。
 少し前に出たばかりの執務室、出る直前に消したストーブの熱が未だに残っている中戦闘服に手を伸ばし着替えをし、その後は少し一息つこうと執務机の椅子へと身体を沈め込み両手で顔を覆って深く溜息を吐いた。
 追い打ちに続く追い打ち、まるで誰かが意図して行っているかの様に次々と禍が降り掛かって来る。逃げ出したい、放り出したい、そんな事を思うわけではないが、流石にこれは、と、何とも嫌な気持ちに塗れながら、机へと力無く拳を打ち付けた。
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