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第65章『見舞い』
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第65章『見舞い』
情けない――、と、高根は先程からの己の心境に人知れず溜息を吐く。入院している部下達の見舞いに行くから今日は午前中は休む、民間人も入院しているし私服の方が良いだろう、そんな言い訳を電話で小此木へと伝え、凛を陸軍病院へと連れて来た。最初から最後迄付き添うつもりだったが、産婦人科の待合所の長椅子を埋め尽くしていた産前産後も年齢も様々な女性の集団から物珍し気に向けられる視線に居た堪れず、隣の皮膚科の待合所へと逃げ出した。凛の様子を心配しつつも周囲をちらりと見てみれば同じ様な佇まいの男性が数人、その一人と目が合えば何とも困った様な曖昧な笑みを向けられ、同じ様にして逃げて来た、恐らくは彼女達の誰かの夫なのだろうと思い至る。
(……ああ、同志扱いされたのね、俺。まぁ、同志か)
暫くして診察室へと入って行った凛、それ程時間を置かずに外へと出て来て、高根の姿を見つけてこちらへとやって来る。少々脱水気味だからと点滴を淹れる事になったと言っていて、二時間位は掛かる筈だからという彼女の言葉に、その間は見舞いに行って来る、そう告げて病棟へと足を向けた。
午前中は病棟でも処置や診察で慌ただしい事は分かっているから本来は午後の面会時間に合わせて来るべきだという事は分かってはいるものの、元々の来院の理由は凛の体調不良、各方面に迷惑を掛けてしまう事を詫びつつ病棟各階の看護師の詰所を訪れ、海兵が入院している病室を確認しそこを訪問した。
濃密な関わりをしている者はそう多くはない、全海兵の顔と名前と略歴は常に頭の中に入ってはいるし、普段から出来るだけ多くの者に言葉を掛ける事を心掛けてはいるものの、末端になればなる程その頻度は減っていく。時機は少々宜しくないがこれも良い機会だろうと思いつつ、突然の最高司令官の訪問に驚いたり恐縮したりする部下達一人一人に声を掛け、一日も早い復帰を待っている、そう言って肩を叩く事を繰り返した。
そうこうしている内に二時間はあっという間に過ぎ、凛の点滴もそろそろ終わる頃だろうかと産婦人科の待合所へと向かえば、丁度看護師が処置室から出て来たところで、その彼女の向こう側に寝台に横になり目を閉じている凛の姿が見える。
「あの」
「はい、どうされましたか?ああ、旦那さんですか、今ちょっと眠ってますけど……点滴はもう終わってますから、起こしましょうか?」
「あ、いえ、それならもう少しあのままでも良いですか?ちょっと、見舞いに行きたい先がもう少し有るので」
「分かりました、起きたらそう伝えておきますね」
凛が眠っているのであればその間に今度はタカコの見舞いに行って来よう、そう思い足を再び病棟へと向ける。その後はまた他の海兵達も見舞い、出来れば今日で全てを片付けておきたい。
階段を登りながら、ふと黒川の事を思い出した。今回のタカコの負傷と入院、黒川の知るところとなれば事態は海兵隊にとって悪い方へと大きく動くだろう。格好つけてはいても内心はタカコを溺愛している黒川、その彼が海兵がタカコを刺し意識不明の状態が続いていると知れば、手元に引き取る事を要求して来る事は間違い無い。そこから毎日通わせる、それが彼にとっての最大限の譲歩である筈だ。出来ればタカコが意識を回復し自分の処遇を黒川に対し取り成してくれる程度になってから事情が彼へと伝われば良いが、そんな事をつらつらと考えつつタカコの病室を訪れれば、べったりとくっついている筈の敦賀は何処へ行っているのか不在で、寝台の上で静かに眠り続けるタカコの姿だけが在った。
「悪かったな、もう少し早く来てやりたかったんだけどよ、色々と忙しくてな」
刺された直後に見た真っ白な色の顔、あの時よりは血色は戻ってはいるものの普段よりは余程青白く、その事に僅かな胸の痛みを覚えつつ、眠り続けるタカコにぽつりぽつりと話し掛ける。話題と言えばやはり凛の事、守ってくれて有り難う、少しでも早く目を覚まし直接礼を言わせてくれと語り掛ければ、不意に背後で扉が開き、振り返れば敦賀がそこにいた。
「真吾、何やってんだ、仕事は?」
「うん、ちょっとな」
「……何か有ったのか?」
「少し前に凛が妊娠してるのが分かってな。最近ゴタゴタ続きで体調崩しちまってよ、今産婦人科で点滴してもらってるんだ。眠っちまったからよ、ちょっとこいつの顔見に来た」
「そうか……良かったな、大事にしてやれよ」
「ああ、有り難うな」
いつもぶっきらぼうな親友の、控えめな調子ながらも率直な祝いの言葉。高根はそれに眼尻を下げ、素直に礼を口にする。
「で、籍はいつ入れるんだ」
「今はまだ流石になぁ。生まれる迄にはどうにかするけど、流石に言祝ぐ状態じゃねぇだろ」
「確かにな……しかし、お前が夫で父親かよ、想像つかねぇな」
「ああ、それ、俺が一番そう思うわ」
自分で言って笑い出す高根、敦賀はそんな彼の様子を見て自分で言うなと鼻で笑い、高根はその様子を見て更に笑う。
「じゃあよ、入院してる他の連中も見舞って来るわ、なかなか時間とれなかったしな。終わったらまた来るよ」
そう言って立ち上がるれば敦賀は座ったままでそれを見送り、高根はそれを横目に見ながら視線を前へと戻し扉へと手を掛けて横に引く。
「――龍興」
出来ればタカコの退院迄は会いたくない――、先程そんな事を考えていた相手、黒川がそこにいた。
情けない――、と、高根は先程からの己の心境に人知れず溜息を吐く。入院している部下達の見舞いに行くから今日は午前中は休む、民間人も入院しているし私服の方が良いだろう、そんな言い訳を電話で小此木へと伝え、凛を陸軍病院へと連れて来た。最初から最後迄付き添うつもりだったが、産婦人科の待合所の長椅子を埋め尽くしていた産前産後も年齢も様々な女性の集団から物珍し気に向けられる視線に居た堪れず、隣の皮膚科の待合所へと逃げ出した。凛の様子を心配しつつも周囲をちらりと見てみれば同じ様な佇まいの男性が数人、その一人と目が合えば何とも困った様な曖昧な笑みを向けられ、同じ様にして逃げて来た、恐らくは彼女達の誰かの夫なのだろうと思い至る。
(……ああ、同志扱いされたのね、俺。まぁ、同志か)
暫くして診察室へと入って行った凛、それ程時間を置かずに外へと出て来て、高根の姿を見つけてこちらへとやって来る。少々脱水気味だからと点滴を淹れる事になったと言っていて、二時間位は掛かる筈だからという彼女の言葉に、その間は見舞いに行って来る、そう告げて病棟へと足を向けた。
午前中は病棟でも処置や診察で慌ただしい事は分かっているから本来は午後の面会時間に合わせて来るべきだという事は分かってはいるものの、元々の来院の理由は凛の体調不良、各方面に迷惑を掛けてしまう事を詫びつつ病棟各階の看護師の詰所を訪れ、海兵が入院している病室を確認しそこを訪問した。
濃密な関わりをしている者はそう多くはない、全海兵の顔と名前と略歴は常に頭の中に入ってはいるし、普段から出来るだけ多くの者に言葉を掛ける事を心掛けてはいるものの、末端になればなる程その頻度は減っていく。時機は少々宜しくないがこれも良い機会だろうと思いつつ、突然の最高司令官の訪問に驚いたり恐縮したりする部下達一人一人に声を掛け、一日も早い復帰を待っている、そう言って肩を叩く事を繰り返した。
そうこうしている内に二時間はあっという間に過ぎ、凛の点滴もそろそろ終わる頃だろうかと産婦人科の待合所へと向かえば、丁度看護師が処置室から出て来たところで、その彼女の向こう側に寝台に横になり目を閉じている凛の姿が見える。
「あの」
「はい、どうされましたか?ああ、旦那さんですか、今ちょっと眠ってますけど……点滴はもう終わってますから、起こしましょうか?」
「あ、いえ、それならもう少しあのままでも良いですか?ちょっと、見舞いに行きたい先がもう少し有るので」
「分かりました、起きたらそう伝えておきますね」
凛が眠っているのであればその間に今度はタカコの見舞いに行って来よう、そう思い足を再び病棟へと向ける。その後はまた他の海兵達も見舞い、出来れば今日で全てを片付けておきたい。
階段を登りながら、ふと黒川の事を思い出した。今回のタカコの負傷と入院、黒川の知るところとなれば事態は海兵隊にとって悪い方へと大きく動くだろう。格好つけてはいても内心はタカコを溺愛している黒川、その彼が海兵がタカコを刺し意識不明の状態が続いていると知れば、手元に引き取る事を要求して来る事は間違い無い。そこから毎日通わせる、それが彼にとっての最大限の譲歩である筈だ。出来ればタカコが意識を回復し自分の処遇を黒川に対し取り成してくれる程度になってから事情が彼へと伝われば良いが、そんな事をつらつらと考えつつタカコの病室を訪れれば、べったりとくっついている筈の敦賀は何処へ行っているのか不在で、寝台の上で静かに眠り続けるタカコの姿だけが在った。
「悪かったな、もう少し早く来てやりたかったんだけどよ、色々と忙しくてな」
刺された直後に見た真っ白な色の顔、あの時よりは血色は戻ってはいるものの普段よりは余程青白く、その事に僅かな胸の痛みを覚えつつ、眠り続けるタカコにぽつりぽつりと話し掛ける。話題と言えばやはり凛の事、守ってくれて有り難う、少しでも早く目を覚まし直接礼を言わせてくれと語り掛ければ、不意に背後で扉が開き、振り返れば敦賀がそこにいた。
「真吾、何やってんだ、仕事は?」
「うん、ちょっとな」
「……何か有ったのか?」
「少し前に凛が妊娠してるのが分かってな。最近ゴタゴタ続きで体調崩しちまってよ、今産婦人科で点滴してもらってるんだ。眠っちまったからよ、ちょっとこいつの顔見に来た」
「そうか……良かったな、大事にしてやれよ」
「ああ、有り難うな」
いつもぶっきらぼうな親友の、控えめな調子ながらも率直な祝いの言葉。高根はそれに眼尻を下げ、素直に礼を口にする。
「で、籍はいつ入れるんだ」
「今はまだ流石になぁ。生まれる迄にはどうにかするけど、流石に言祝ぐ状態じゃねぇだろ」
「確かにな……しかし、お前が夫で父親かよ、想像つかねぇな」
「ああ、それ、俺が一番そう思うわ」
自分で言って笑い出す高根、敦賀はそんな彼の様子を見て自分で言うなと鼻で笑い、高根はその様子を見て更に笑う。
「じゃあよ、入院してる他の連中も見舞って来るわ、なかなか時間とれなかったしな。終わったらまた来るよ」
そう言って立ち上がるれば敦賀は座ったままでそれを見送り、高根はそれを横目に見ながら視線を前へと戻し扉へと手を掛けて横に引く。
「――龍興」
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