大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第46章『機先』

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第46章『機先』

 一時間程タカコを抱き締めながら寝顔を見詰め、黒川から事実を聞かされてからこちら、胸中でした一つの決断、敦賀はそれを実行に移す為にゆっくりと起き上がった。
 このまま事が進めば件の兵卒三人は軍事法廷に掛けられる事になる、管轄は黒川率いる西方旅団ではない、こちらの事情など何も関係の無い中央、統合幕僚監部だ。軍事法廷ともなれば理由、タカコの出自についても話さないわけにはいかなくなる、そうなれば即座にタカコの身柄は海兵隊の手元を離れ中央へと移される事になるだろう、その先今と同じだけの自由は彼女には与えられまい。
 そうさせない為には――、そこ迄考えてもう一度タカコの寝顔を見下ろしてみる。大和海兵隊の為に、自分の為にタカコは自分の身を差し出した、気にするなと彼女は言ったがそれは出来ない相談だ、それが出来る程自分は大局を見る事は出来ないししたくもない。
 何とか必死で押さえ込んだものの未だに胸の内で外へと出せと暴れている感情、殺意、敦賀はもうそれを否定する事を止め、実行に移すべく寝台から出ようと動き出した。
 その彼の動きを止めたのはシャツの裾を掴んだタカコの手、いつの間にか起きていたのかと向き直り、
「便所に行って来る、直ぐ戻る」
 起き上がったタカコの頭をそう言って撫でれば、彼女は敦賀のその手を取りするりと指を絡めて来る、そして、
「……駄目だ、止せ」
 一言だけそう言ってふるふると頭を横に振った。
「何を――」
「陸軍のあの三人を殺すつもりだろう?私はそんな事は望んでないし、真吾の立場も考えろ、隠蔽したとして明るみになったらどうする、真吾とタツさんの仲だってそれで亀裂が入ったら修復は出来ないぞ?」
「お前、まさか……それに気付いて俺を引き止めてたのか」
 返事は無い、肯定なのだろう。普段から感覚は敏感なタカコ、視界が無くなって聴覚が鋭くなったと言っていた、穏やかに振舞っていたつもりでも内に抱えた殺気を感じ取る位の事は造作も無かったのかも知れない。
「止めろ、敦賀、駄目だよ」
 再度投げ掛けられる制止の言葉、包帯の向こうからこちらへと真っ直ぐに向けられる鋭い視線を感じ、敦賀は思わず視線を逸らし動きを失った。
 それとほぼ同時刻、海兵隊総司令執務室。その応接セットで向かい合って座っているのは部屋の主である高根と、そして先程帰って行った筈の黒川の二人。
「で?暫く顔見たくねぇって言ったろうが、何なんだよ?」
「……確認しておかなきゃならん事を思い出した、仕事の話だ、高根司令」
「……何だ、言ってみろ」
「陸軍の二等兵三名による捕虜への性的暴行事件、陸軍の兵士の中にも捜索に加わり何が起こったのか知ってる者もいる、うちとしては起訴して軍事法廷に送るしかない。彼女の事情に配慮して立件を見送れば旅団の頭自ら軍規を乱す事になる、士気にも関わって来るし見なかった事には出来ん……意味は分かるな?」
「……タカコの出自を統幕に明らかにするしかなくなるって事だな」
「そういう事だ、あの屑三人は彼女が捕虜だという事を知っているらしい、間諜だとも言っていると。出自を誤魔化したとして何処から情報が漏れるかは分からん、三人も彼女が捕虜であり間諜だと証言するだろう、それなら最初から事実を提示するしか無い。事が明るみになれば彼女の身柄は確実に統幕に移送される事になる、そこでどんな扱いを受けるのかは分からんが、愉快な事にはならんだろう……一応、現在の保護者である海兵隊の頭のお前には話しておくべきだと思ってな」
 黒川の言い出した事について高根自身も何も考えていなかったわけではない、寧ろどうやって誤魔化すかをずっと考え続けていた。黒川に話を通して立件自体を見送らせる事も考えていたが機先を制された形になってしまった、これではもうこの方向で話を持って行くのは不可能だ、黒川の言う事の方が筋が通っているのだから。
 やっと手に入れた未来に繋がる鍵、それをこんな事で手放さなければならないのかと歯噛みする。
「……真吾、お前には悪いと思ってる、俺個人としてもタカコちゃんの事は気に入ってるし良い子だと思うし、出来ればずっとここにいて欲しいよ……だが、分かってくれ」
「……ああ、俺とお前の立場が逆だったら、俺も同じ決断をしただろうよ……気にするな」
 そう、黒川には全く非は無い、彼は自らの職務に忠実であろうとしているだけだ、一万人規模の兵員を取り纏める責任の重さが分からない程、高根自身もお気楽ではないのだから。
 何か、何か双方が収まる方策は無いのか、九州地方の頂点二人が苦々しい面持ちで黙りこくる中に一報が齎されたのはそんな時、それは朗報と呼ぶにはあまりにも血生臭く、そして底知れない不気味さを感じさせるものだった。
「総監!大変です!ご命令で博多駐屯地に拘束していた三名、先程何者かに全員殺害されました!!」
 激しく扉を叩いて飛び込んで来たのは黒川の部下、若干青褪めた表情の彼はそう言い募り床に膝を突く、余程急いで来たのだろう、吐き戻してしまいそうに呼吸も荒い。
「何をやってる!監視は付けてなかったのか!」
「交代で五分程目を離した時間が有ったそうです、その隙に……交代した人間が配置に付いた時には全員喉を掻き切られて既に絶命していたと」
 一体誰が、思わず二人で顔を見合わせた。一番可能性が高いのは敦賀だが少し前に高根がタカコのとろこに行けと叩き出した、三人に対しては殺しても殺したりないと思っているのは明らかだが、あの状態のタカコを放置して考え無しに動く男でもないだろう。
「とにかく、今直ぐ戻るぞ。真吾、一緒に来るか?」
「ああ、俺も現状を見ておきてぇ、行こう」
 黒川が高根に声を掛け、膝を突いた部下の腕を掴んで立たせて歩き出す。
 陸軍の末端に漏らされた情報、そして殺された実行犯。機先を制された、何か大きな意志が介在している、それは明らかなのに目的も正体も分からない、何か大きく事が動く、それも良くない方向へ。高根と黒川の胸中に湧いた共通する思い、けれど二人はそれを言葉にする事無く、黙ったまま博多駐屯地へと向かう為に海兵隊本部を後にした。
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