大和―YAMATO― 第一部

良治堂 馬琴

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第48章『弱点』

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第48章『弱点』

 睡眠という安寧から意識を引きずり戻す感覚、最近感じていなかったそれに敦賀は目を開き身体を起こし周囲の様子を窺った。ミシミシと鳴る壁と天井、微かにびりびりと音を立てる窓硝子。地震、こんなに揺れるのは数年振りか、どちらにせよ慌てる様なものではないと再度横になろうとした瞬間、扉を蹴破る勢いで何かが部屋へと飛び込んで来た。
 何だ、一瞬そう思い枕元の武蔵に手を伸ばしたものの、抜刀する間も無く懐へと飛び込んで来たものの正体が極々身近な人物である事に気付き、呆れた様に小さく溜息を吐く。
「……こんな夜中に何やってんだてめぇは」
 敦賀の胴体に全力でしがみつきかたかたと震えるのは隣の部屋で眠っている筈のタカコ、窓から入る月明かりに照らされるその様子を見て問い掛ければ、がばりと音がしそうな勢いで顔を上げたタカコが
「揺れたよ!超揺れたよ今!」
 必死の形相でそう言い募った。
「ああ揺れたな、あんなに揺れたのは数年振りだな、俺も目が覚めた」
「何でそんなに冷静なんだお前!地面が揺れたんだぞ!」
「そりゃ地震だからな」
「もっと慌てろよ馬鹿!鈍感!童貞!」
「……待て、今聞き捨てならねぇ単語が聞こえたが……お前、もしかして……怖ぇのか」
 普段の余裕等欠片も無く半ば涙目で言い募るタカコ、その様子を見て至極自然な疑問を抱いた敦賀が素直にそれを口に出せば、彼女の動きは物の見事に固まり敦賀の顔を見たまま微動だにしなくなった。
「……あの程度の揺れが?本気かお前」
 半分冗談で言っただけだったのだが、こいつにも苦手なものや弱点が有ったのか、案外可愛いところも有るものだと頭を撫でてやれば、それを虚仮にされたと受け取ったのか
「うるさいうるさいうるさーい!悪いか!本国じゃ地震なんか殆ど無ぇんだよ!だったらてめぇ等代わりにハリケーンや竜巻体験してみやがれ馬鹿!ハリケーンなんか日本の台風の比じゃねぇんだからな!」
 半泣きでそう言って敦賀の胸板に両の拳を叩き込んで来る。右は良いとして左は肩がまだ傷も完治してはていないのに、そう思い諌めようとするものの聞く気はどうも持っていない様子、敦賀もいい加減に鬱陶しくなりタカコの左肩には触れないようにしつつ彼女の身体を抱き締め、そのまま先程迄と同じ様に寝台に身を横たえて布団を被った。
「怖ぇのは分かった、一緒にいてやるからもう寝ろ、うるせぇんだよてめぇは」
 胸元に押し付けたタカコの顔、響く振動とじんわりと温かくなる胸に、まだ何か言うかと腕に力を込めて更に強く胸板を押し付ける。やがて諦めたのか敦賀の背中に回される腕、それに背筋を走り抜ける何かを感じつつも振り払い、頭を押さえていた手を緩め、また頭を一撫でする。
「……ま、誰でも苦手なものの一つや二つ有るだろうよ、これ位じゃ壁に罅の一つも入らねぇよ、安心しろ」
「死ぬかと思った……」
「死なねぇよ、あの程度で死んでたら大和はとうに滅んでる。何せこの国では十年周期でそこそこ規模の大きい地震が起きてるからな」
「何それ怖い、もう今直ぐ国に帰るわ私」
 国に帰る、単なる軽口なのは分かっている、それでもその言葉を聞いた敦賀は反射的にタカコを抱く腕に力を込め、
「……帰さねぇよ、絶対に」
 無意識にそう口にしていた。
「……それは……私が捕虜だから、か?」
 捕虜だから返さない、そんな理屈はおかしいのはきっと彼女にも分かっている、戦争が終われば捕虜は解放されて母国に戻される、それを知らない筈が無い。誘い水の様なその言葉、それを受けて敦賀は動き出す、抱き締めていた腕を緩め胸元に有った彼女の顔、その顎を掬い上げ顔を上向かせ、
「つ、る――」
 彼女のその言葉を聞き終える前に口付けていた。
 活骸の侵攻からもう直ぐ二ヶ月、敦賀はあれ以来タカコに対しての性的な接触は徹底的に避けて来た、接触する事が有るとしても精々が寝ている彼女の頭を撫でる位、それ以外はつかず離れずを自らに課して来たのだ。それが地震で彼女が胸に飛び込んで来て、久し振りの熱と感触を離したくないとそう思ってしまった、それは誰にも責められるものでもないだろう。
 一緒にいてやるとは見え透いた口実だが、そんなこじつけをしてでも一緒にいたかった、抱き締めたかった。それで満足しようと思っていた敦賀を煽ったのはタカコ、敦賀の胸元に掛かる息、背に回された腕、暖かで優しい感触が少しずつ敦賀の決心を突き崩して行き、誘い水となったあの言葉が呆気無く決壊させてしまった。
 侵攻前夜の時の様な抵抗は無い、口腔内に舌を侵入させればタカコのそれが戸惑いがちに応え、それを今度は敦賀の側へと引き入れて思う存分に味わう。鼻から抜ける息に混じる濡れた声、時折小さく震える身体、その全てに自身の男を煽られながら唇を首筋へと移動させて行く。口付け、舌を這わせ、そして時々緩く吸い上げる、その度にはっきりと聞こえる様になった小さな喘ぎが敦賀の耳を擽り、彼から理性を剥ぎ取って行った。
 それを何とか踏み止まらせたのはあの日見せつけられた痛々しいタカコの姿、顔に巻かれた包帯の白さと肌に浮いた痣の青紫、滲んだ血の赤が鮮やかに脳裏に蘇る。
「……敦賀?」
 突然離れて行く敦賀の身体、それを不審に思ったのかタカコが問い掛ける。敦賀はそれに言葉の代わりに一つだけ口付けを落とし、再び彼女を抱き締めた。
「……もう寝ろ、一緒にいてやるから」
「……うん、お休み」
 再び背中に回されるタカコの腕、それを感じながら敦賀も双眸を閉じる。あの日タカコが受けた傷、それを癒す事は自分にでも出来るのだろうが完全に癒えたか等自分には分からない、聞いたところで彼女は上手く隠してしまうだろう、気を使わせない様にと。自分にとっては長かった二ヶ月、けれど彼女にとってはまだ二ヶ月かも知れない、きっと、今はまだ時機ではないだろう。
 もう傷つけたくないのだ、身体も心も、何からも守ってやりたい、自分自身の手で。
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