大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第201章『故將有五危』

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第201章『故將有五危』

 二人に話したい、そう言って自分の足元を見詰めるタカコ、敦賀はそれに
「……てめぇがそうしたいのなら好きにしろ、俺は構わん」
 と、それだけ言って彼女から視線を外し天井へと視線を遣る。黒川も頷きながらタカコの頭を軽く撫で、
「……しんどいなら無理しなくて良いけど、お前が話したいのなら聞くから」
 そう言って、その後は二人共無言のまま、タカコの言葉を待った。
「……あの日、本当だったら私も死んでた筈なんだ、燃料を捨てる事すら出来ずに滑空し続け対馬区に墜落した……操縦手は有能だったよ、舵も殆ど効かないのに何とか機体を立て直し、出来るだけ滑空を続けて高度を下げ墜落の衝突を少しでも和らげようとその瞬間迄操縦桿と格闘し続けた……だから、機体がバラバラにならないで済んだんだ。でもな、それでも生身の人間に吸収しきれる衝撃じゃなかった。敦賀、遺体、見たんだろう?」
「……ああ、酷いもんだった、バラバラになってなかったのはお前だけだ」
 タカコの言葉に敦賀も当時を思い出す、彼女の亡夫の遺体は腹部で殆ど断裂し、他の遺体は一部欠損ならまだ良い方で、どれが誰の身体の一部なのかも分からない程にバラバラという凄まじい損傷具合だった。
「……墜落の瞬間な……『ボスを守れ!』って操縦手の声が聞こえて、その直後、旦那が私を抱き締めた。そして……他の皆もそれを取り囲む様にして抱き着いて来たんだ……よく覚えてるよ、今でも夢に見る」
 ああ、それで、と敦賀は今になって得心する、タカコを医官の大和田に見せた時、他は全員死亡している程の事故なのに、何故こんなにも傷が浅いのかと、彼はそう言った。本来であれば内臓が破裂していてぐちゃぐちゃになっていてもおかしくない、頭部も擦過傷や打撲は有れど頭蓋骨に陥没の一つも無い、頚椎も無傷だと、そう言って首を捻っていた。だから最初はタカコに対してかなり警戒したのだ、事故を装って唯一の生き残り、弱者として大和に入り込み何か事を成すのではと。
 けれど、きっとそうではなかったのだろう、タカコが、彼女だけが生き残り怪我の程度も軽かったのは、その場にいた全員が彼女を守ろうとしたから。そこにどんな想いが在ったのかは分からない、けれど、自分の命とタカコの命を秤に掛けた人間が複数いて、そしてその全員が彼女の命を選択した事だけは間違い無い。きっとそれはタカコも分かっている、そして、彼女はそれを喜ぶ様な人間でないという事は、二年と少しの付き合いの中、敦賀もよく分かっていた。
 黒川にしてもそれは同じ事、タカコと出会ってから一年と半程、決して長い時間とは言い難いがそれでも間近で彼女の人となりを具に見て来たのだ、大切な仲間に命を捧げられて喜ぶ人間でもそれを当然と思える人間でもない事は、自分や敦賀が一番よく分かっている。
「それで結局墜落して……私と旦那、タカユキだけが生き残った……でも、私がタカユキを見つけた時にはもうタカユキは手の施し様が無くて。内臓はブチ撒けられてて、背骨ももう折れててさ、時間の問題だったんだ……でも、私はそれでも諦めたくなかった、もっと長い時間を一緒に生きて欲しかった。だから、どうにか出来ないかと思って、せめて最期の瞬間迄一緒にいて看取ろうと思ったんだけど、タカユキが言ったんだ、もう無理だ、楽にしてくれって。分かってたんだよ、タカユキには、私が傍を離れようとしないだろうって。だから、一秒でも早く死んで私を解き放とうとしたけど自分にはもうその力も残ってなかったから、だから私に頼んだんだ……私を、守る為に」
 そこで途切れるタカコの言葉、黒川は初めて聞く、そして敦賀も詳しくは聞いていなかった夫の最期。きゅ、と握られる小さな拳、無言のまま二人がそれに己の掌を被せれば、そこにぽたぽたと温かな雫が降り注ぐ。
「……たし、は……守られたくなんか……ない……!……わた、しが……守りたいんだ……!」
 搾り出す様な悲痛な声、それはもう既に濡れていて、その言葉の後に漏れるのは嗚咽だけ。大切な人間の命を踏み台にして迄生き延びようとは思わない、誰の命を犠牲にしても守りたいと思う相手の命を、どうして欲しいと思うのか、切れ切れにそう言い募り只管に泣き揺れる小さな肩、それを見て敦賀も黒川も大きく息を吐いた。結局、タカコはとことん優しいのだ、大勢を殺し殺させて来たとして、結局はその一つ一つの全てを覚えている程に他者の命に意味を見出しているのだろう。
 そんな人間が夫は当然として部下を、仲間を大切に思わない訳が無い、どんな命令を下しても何か有れば自分が助け責任をとる覚悟が有るのだろう。そんな彼女に寄って集って自らの命を押し付けるとは、何とも酷い選択をしたものだと、あの日死んでしまった彼女の仲間達に想いを馳せた。
 敦賀も黒川もまた庇われる、守られる事は好きではない、それによって味わった苦い経験、あんな思いをする位なら、自分がどうにかなった方がまだマシだとそう思う。強さの高みを目指しているのは大切なものを護りたいから、自分達の未来を掴み取りたいから。それなのに、昇れば昇る程に自制を求められる様になるのか、周囲は自分を守ろうとするのか。
「……てめぇも同じ事やったろうがよ……博多市街地侵攻の時に」
「……私は……良いけど、他が私にやるのは……駄目だ」
「勝手な事言ってんじゃねぇよ、てめぇに先んじててめぇを守ったお前の旦那や仲間が勝った、それだけの話だ」
 敦賀が後頭部を軽く叩けば次に黒川が頭を優しく撫で、それを横目で見ながら敦賀は言葉を続ける。
「安心しろ、俺はてめぇに俺の命押し付けて死んだりなんかしねぇよ、逆にてめぇが危ない真似したら、どうにかなる前に俺が叩っ斬ってやる……だから、安心しろ、もう泣くな」
「おお、タカコ、俺もだぞ。お前を残して死んだりとかお前を守って死んだりとか絶対に無いから。お前が何かしでかしそうになったら俺がお前を殺してやる……だから、安心しろ」



 故將有五危
 必死可殺也、
 必生可虜也、
 忿速可侮也、
 廉潔可辱也、
 愛民可煩也
 凡此五者、將之過也、用兵之災也
 覆軍殺將、必以五危
 不可不察也

 故に将に五危あり。
 決死の覚悟でいるのは殺される。
 生きることばかり考えているのは捕虜にされる。
 気が短いのは侮られて陥れられる。
 廉潔は辱められる。
 兵士を愛するのは苦労させられ疲れる。

 これ等は将軍としての過失であり、戦争をするうえで害になる。
 軍隊を滅亡させて将軍を戦死させるのは必ずこの『五危』の為であるから、十分に注意しなければならない。

 孫子『兵法』
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