大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第220章『地獄の始まり』

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第220章『地獄の始まり』

 仮の姿とは言え曹長として拝命され、分隊を率い部下を持つ立場、お膝元の博多に活骸が現れた今、総司令である高根の指揮の下で部隊を率い掃討の最前線に立つのが役目だと、それはしっかりと理解しているつもりだった。
 けれど今、自分は何をしているのだろうか、高根の発令を待つ事もせず、それどころか装備や態勢を整える事もせずに走って基地を飛び出した、正門の警衛所にいた海兵達はきっと不審に思った事だろう。けれど今は、今は、そんな事はどうでも良い、自分が指揮を執らなくても代わりを務められる者はいる、今自分が為すべき事は、そして為したい事は――
「今度こそ……!間に合わないなんて……冗談じゃない……!!」
 全速力で向かう先は高根の自宅、配分も考えずに走り続け、段々と肺が、そして心臓が痛くなる。こんな事では辿り着いた先で戦闘に発展してもまともに戦えるかどうかは怪しいが、それでも速度を緩めるわけにはいかない、あんな思いはもう二度としたくない。

 間に合わなかった。

 この腕から零れ落ちて逝った命。

 真っ赤に染まる腕と身体。

 男の、嘆き。

 まだ活骸は見当たらない、けれどもう直ぐここにもやって来る、どれだけの規模の曝露かは分からないが、今彼女を護れるのは自分だけだ。今度こそ、今度こそ、そう繰り返しつつ走り続け、やがて見えて来た高根の自宅、更に速度を上げてその玄関を開け放てば、居間から驚いた様子の凛が顔を出し、タカコはそれを見て漸く人心地がついた様に大きく息を吐き出した。
「多佳子さん!?どうしたんですか!?」
 余程鬼気迫った顔をしていたのだろう、びっしょりと汗を掻き肩で大きく息をするタカコに凛が歩み寄り、心配そうに肩へと手を添えてくれる。
「……無事……?」
「はい、帰って来てからは特に眩暈も吐き気も……え、無事、って……何が有ったんですか?」
 無事、タカコの言葉に違和感を覚えた凛がその言葉を繰り返す。活骸はまだこの地域には到達していないのだからそれを察する事が出来る筈も無い、民間人で、しかも一昨年の曝露の時には博多にはいなかったらしいのだから身近な発想ではないのだろう。
「……いや……、無事なら良いんだ……」
「とにかく、上がって下さい、お茶でも淹れますから」
「ゆっくり……してる、時間は、無いんだ……でも、少し……休ませてもらおうかな」
 雨戸を閉めてしっかりと施錠をしておけば活骸の侵入を防ぐ事は出来る、火災が起きない事だけを祈ろう。少し休ませてもらった後は基地へと戻り掃討戦に加わらなければ、この後の段取りを頭の中でしつつ靴を脱いで上がるタカコ、凛はそんな彼女と入れ替わりに三和土へと降り施錠をしようと扉へと手を伸ばした。
 何とも言い表し様の無い不気味な奇声と絶叫が外に響き渡ったのはその直後、外の様子を確かめようとして扉を開けた凛、制止しようとしたタカコの手は僅かに凛の身体には届かなかった。
「凛ちゃん!駄目だ――」

「門はどうなってる!」
「全門封鎖しました!出動態勢整い次第封鎖解除します!」
「直ぐに出るぞ、態勢整えろ!総員戦闘配置に就け!」
「了解です!」
 タカコが飛び出して行った後の総司令執務室、次々と入る報告を受けながらその一つ一つに高根が指示を出して行く。
 凛の名を口にして飛び出して行ったタカコ、恐らくは彼女を護りに行ったのだろうがどうもタカコらしくない。甚く気に入って可愛がってくれているのは知っているが、あんなにも我を忘れて職務も放棄して飛び出して行くとはどうも妙だ。何にせよこんな状況で立場も有るのに職務放棄とは、事が落ち着いたらそれなりの対処をしなければなるまい、指示を出しながら高根はそんな事を考えていた。
 自分とて仕事を放り出して自宅に戻りたい、そんな気持ちが無いとは言わないが出来る事ではない。国民の生命と財産を護る、その誓いを立て任官し今は大和二千五百万を護る戦いの最前線にいる、そんな自分がたった一人の為にその責務を放棄する事等出来よう筈も無い。タカコとてそれは分かっている筈だ、指揮官として軍人として有能な彼女、その彼女があんなにも我を失って出て行くとは、舌打ちをしつつ何度目か分からない着信に受話器を取り上げれば、博多駐屯地司令の横山からのそれ、その内容に高根は一瞬動きを失った。

 凛の肩を掴み力の限りに腕を引いて彼女の身体を玄関の中へと押し遣り、代わりに自分が外へと出たタカコ、凛の身体から手を離し代わりに腰に差していた拳銃とナイフを手にした彼女の目に、活骸の姿は映らなかった。
 何故、誰もいないのか。確かにあのおぞましい叫びが聞こえたのに。いない筈が無いのだ、何処に――、と、そこで感じたのは右腕に走る鋭く焼ける様な痛み。何が、とそちらを見下ろせば、自分よりも随分小さな身体が腕へと食いついていて、腕に食いつきながらも自分の顔を見上げる濁った双眸を認識した瞬間、タカコの中の何かが音を立てて切れた。
「早く二階に!扉閉めて塞いで絶対に出て来るな!」
「え、あ……」
「早く!早く行け!!」
 突然タカコに身体を引かれて体勢を崩し廊下へと尻餅を突いた凛、その彼女に怒鳴りつければ、弾かれた様に立ち上がり二階へと向かって走り出す。後は海兵か陸軍か、どちらでも良いから掃討部隊が到着する迄扉が持ち堪えてくれるのを祈るだけ、タカコは二階へと消えて行った凛の背中を見送り視線を前へと戻す。
 次々と目の前に現れる活骸、その一体一体を見詰めつつ、
『生きて帰れないかも知れない』
 と、震える身体を何とかいつもの様に動かそうと試みながらそんな事を考えた。

『活骸の発生源は博多全域の小中学校です!総数約三千名の子供と教職員が活骸化しました!!』
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