大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第231章『懇願』

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第231章『懇願』

 営倉の独房に拘束されジュリアーニに『使えない奴』と吐き捨てられ、徒に独房の中を歩き回り時折格子や壁を蹴り上げた。そうして過ごした永遠にも思える程の時間、後どれだけ待てば良いのかと再度格子に靴底を叩き込んだ直後、扉が開かれてその向こうから高根と小此木が姿を現した。
「もう出て構わない、タカコを見舞った後は業務に戻れ、仕事が滞っちまってるからな」
 普段よりも低く硬い高根の声音、面持ちも同じ様に厳しく、その彼が告げた内容に手術は終わり彼女は生きているのだと漸く知る。
「生きてるのか、あいつ」
「ああ……まだ油断は出来ねぇが何とか無事に終わったそうだ、回復室にいる、早く行ってやれ」
「……浜口は?」
 彼女を傷付けた張本人はどうなっているのか、取調べをしているのだろうが自分も同席させろ、独房の鍵を開けていた高根へと歩み寄りそう要求すれば、鍵へと視線を落としていた高根が不意に顔を上げ、先程よりも更に冷たい声音で吐き捨てた。
「敦賀上級曹長、お前にその権限は無い。何度も言うが立場を弁えろ。お前が今すべき事は必死で頑張ってるタカコのところに行ってその顔見て、それから仕事に戻る事だ。分かったな?」
 高根が階級と上下関係を前面に押し出して来た時には絶対に引く気が無い、それは長い付き合いの中でよく分かっている。前後の見境も無く凶行に及ぼうとしていた自分を見たのだから当然か、敦賀はそう自分を納得させ、
「……了解しました、総司令」
 と、呟く様に言って営倉を出た。
「……タカコは?」
 回復室にいたのは寝台の上で眠るタカコと、脇に置かれた椅子に座り彼女を見守るジュリアーニ。手術を終えた後からずっとここにいるのか手術着もそのままの彼に問い掛ければ、返されたのは睨み付ける様な流し目のみ。
「……コマンダントに呼ばれてる……代わりにボスを看ていてくれ、何か異状が有れば直ぐにドクター・オオワダに連絡を」
「……分かった」
 それだけ言うと彼は立ち上がりタカコの頬を一撫でして部屋を出て行く。敦賀はその彼と入れ替わりに椅子に腰を下ろし、微動だにせず眠り続けるタカコの顔を見下ろした。輸血はしたのだろうがそれでも青白い顔、掛け布団から出る管とその先に繋がる袋の中には赤い液体、手術は終わったものの出血はまだ続いているのだろう。左腕には血液と薬液の点滴の管が差し込まれ、敦賀はそれを見た後でまたタカコの寝顔を見下ろし、白くなった頬にそっと掌を這わせた。
「……俺の血も幾らでも使ってやりたかったんだが……生憎、俺の血はお前には使えねぇそうだ。役に立てなくて……悪かったな」
 どれ程の間そのまま無言でいたのか、何をどう言ったら、どう言葉を掛けたら良いのかも分からずに徒に時間を過ごし、漸く口から出た言葉は普段の敦賀からは考えられない程に力が無い。ひんやりとした感触、やはり微動だにしないタカコを見下ろしつつ少しだけ力を込めて頬を撫で、空いた手で彼女の右手を取り静かに言葉を続けた。
「早く……目ぇ覚ませ、馬鹿女。仕事はする気になんねぇ、我を忘れて部下を殺そうとして、ああ、お前の飼い犬に役立たず呼ばわりもされたな……お前がそんな事になってから散々だ……早く目ぇ覚まして阿呆面下げていつもみてぇに馬鹿言って馬鹿やって、そうやって俺の神経でも逆撫でしてろ……早く、早く――」
 不意に胸に込み上げる熱いもの、運ばれて行くタカコを見ていた時には何とか踏み止まり堪えていたそれが今度は呆気無く決壊し溢れ出した。双眸から零れ頬を伝う涙、感情の処理が追い付かずどうして良いのかも分からず、唯顔を歪め俯いて小さな手を握り締め押し殺した嗚咽を漏らす。
「……逝くんじゃ……ねぇぞ……!俺、を……置いて逝くな……!!」
 先に逝かれる事がどれだけ辛いのか一番知っている筈のお前がそれをするな、その思いは涙に邪魔されて言葉にはならず、握った手を自らの頬に這わせながら胸の内で繰り返した。

「……他に誰かいたんじゃそんな事も言えねぇし泣けねぇもんな、お前……でも、そういう時も必要なんだぜ?なぁ……敦賀よ」
 押し殺した嗚咽を漏らす敦賀、高根はそれを回復室の外で壁に背を預け聞いていた。別に彼が浜口の事情聴取に同席していても何の問題も無いのだ、被害者がタカコでなければ実際同席させていただろう、加害者である浜口は彼の部下、同席もそれを求める権利も権限も有る。同席させなかったのは、敦賀の事を信用していないわけではないが万が一の事を考えて敦賀の立場と浜口の安全を考慮して、そして、こんな風に二人きりの時間を作ってやりたかったから。
 不器用で生真面目で頑固で依怙地な男、あんな風に命令でもしてやらなければここに来るのはもっと遅くなっていただろう。決して安定しているとは言い難いタカコの容態、ここ数日が山だと、覚悟だけはしておいてくれ、大和田とジュリアーニ夫々からはっきりとそう言われている。そんな状況で敦賀がここに来るのが遅れていれば、何をどうしても取り返しのつかない悲劇が彼を襲っていたのかも知れないのだ。タカコの生命力を信じていないわけではないが、敦賀に彼女と二人きりで過ごす時間を与える事は何事にも優先する緊急の事だった。
 後は彼女の生への執着を信じるだけ、自分達の仕事をきっちりとこなしつつ待つだけだ。夜が明けて凡その出来事を知った海兵達の間にも動揺が走っている、古参にとっては親しい友人、新兵達にとっては面倒見の良い先輩であり上官。詳しい素性を知らない人間にとっても勝気で悪戯好きで、そして気さくでよく笑う彼女の人柄は好かれている、それ以外の何も持っていなかったのだとしても喪いたくはない。
「……皆お前を待ってるぞ……早く、戻って来い」
 敦賀の目の前で眠り続けているタカコ、その彼女にも一言呟いて高根は自らの執務室へと入ろうと歩き出す。その彼の脳裏には、先程ワシントン勢三人同席の上で行われた事情聴取の遣り取りが蘇っていた。
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