大和―YAMATO― 第三部

良治堂 馬琴

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第236章『裏切り』

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第236章『裏切り』

 太宰府駐屯地を所在とする西部方面隊旅団総監部の本部棟の一角、夜の総監執務室の中、黒川は手元に有る数枚の紙へと視線を落としたまま、前に立っている横山へと静かに話し掛けた。
「……間違い無いのか?」
「はい、少し前に海兵隊基地内で殺人未遂事件が発生しています、加害者は曹長の浜口修、被害者は同じく曹長の清水多佳子。海兵隊の警務から高根総司令の承認付きで軍事法廷の方へと上がっている報告を見つけましたので、間違い無いと思います」
「……そうか、分かった。よく気付いて知らせてくれたな、有り難う。今日は休みだっただろう、もう下がって良い、お疲れ様」
「は、失礼します」
 一礼して部屋を出て行く横山、黒川は彼が扉を閉める音を聞きながら、再び書類へと視線を落とす。高根との協力関係を維持する為にタカコの大まかな出自は高根やタカコの同意の上で横山にも知らせてある、これは沿岸警備隊博多基地の浅田も同じだと高根から聞いた。全ては協力関係を維持する為、大和の未来の為。陸軍と沿岸警備隊の基地司令双方がタカコの獲得に動かなかったのは、海兵隊に拘るタカコの意思を尊重し、強引に獲得しようとした結果彼女を失う事が無い様にと判断しての事。
 タカコを中核とした戦略へと水面下で静かに、しかし確かに舵を切った九州地方の大和三軍、そこに相互の信頼が有ったからこそ、特に大きく制約を設ける事も無く今迄通りにタカコを海兵隊へと置いていたのに、これは自分達への海兵隊の、高根の裏切りとしか言えない行為だ。
 厳重な保護下に置くべきタカコが海兵隊員に殺されかけた、それだけでも激昂するには充分に過ぎるが、高根からも誰からもそんな事件が有ったという報告は受けていない、その事は到底看過する事は出来ないだろう。
「……いや、誤魔化してもしょうがねぇか……仕事なんか関係無くたって――」
 そう吐き捨てて書類を握り潰し机の脇のごみ箱に叩き込む。横山には言った事は無いが、長年草を務めてくれた程の聡い人物、タカコと自分の関係には気付いているのだろう、だから今日の昼間に知った事を手早く調べて態々報せに来てくれたのだろう。陸軍西方旅団総監という立場が無くとも、少将という階級が無くとも、一個人である黒川龍興として、自分は今、高根に対して激しく憤っている。生涯を共にしたいと思っている女を、本来であれば自分の手元に置いて守ってやりたいと思っているところを海兵隊が、高根が先に得た、そしてタカコ自身がそう望んでいるという理由で身を引いていたのだ、それもこれも、長年の盟友であり親友である高根を信頼しての事。
 直ぐに知らせて欲しかった、見舞いに行きたかった。それなのに現在に至る迄彼から一切の連絡は無く、横山が気付き知らせてくれなければきっと素知らぬ素振りで隠し通していたに違い無い。
「……裏切りやがって……どういうつもりだ、真吾よ……!」
 そう吐き捨てて立ち上がり、そろそろ帰ろうと歩き出す。
「熊谷、明日は休む」
 隣の部屋にまだ残っていたマクギャレットにそれだけ伝え、
「いきなりですね、分かりました、伝えておきます」
 彼女のそんな言葉を背に歩き出し総監部を後にした。
 自宅に戻ってからも憤りは収まらず逆に膨れ上がり、布団に入っても眠気は欠片も訪れない。脳裏に浮かぶのは高根とのこれ迄の時間、そして、タカコの事。最後に会ったのはいつだったか、確か、兵器の大規模な押収をした時、マクギャレットを海兵隊基地に連れて行った時だった。あれからもう随分と間が空いた、何事も無ければ一度か二度はタカコを連れ出して二人の時間を持てていたのだろうが、あれから激しく事態は動き始め、顔を見る事はおろか声を聞く事すら出来なくなっている。夜に会い食事をしてその後は情を交わす、それだけしか出来ない事がいい加減嫌になって来て、無理矢理に休みをとって日中も彼女と過ごす時間を作ろうか、そう思っていた矢先のこの出来事。
 二人への怒り以上に大きいのはタカコの状態を心配する気持ち。横山の話ではどうやら彼女には意識は無い様子で、事件の発生から相当の日数が経っているのに未だに目が覚めないとはどれだけの重態なのか、まさかもう二度とあの笑顔を見る事は無いのか、そう考えれば胸を掻き毟り大声を出したくなる衝動に襲われる。
 明日は朝から陸軍病院に見舞いに行こう、そう思って眼を閉じるものの憤りは更に大きくなるばかり、何時になっても眠気は訪れる事は無く、結局、黒川が眠りに就いたのは明け方になってからの事だった。

「……おはよう、お前もさっさと目を覚ませよ」
 四日目に入った付き添い生活、タカコの寝台の脇に設置された付き添い家族用の簡易寝台から降り、敦賀が依然眠ったままのタカコへと声を掛ける。答えの無い問い掛け、ふとした時に涙が出そうになる事も有るが、手術前後の絶望感は今はもう和らいだ、その分気分的には随分と楽になっている。
「顔洗って朝飯買って来る」
 いつもの様に寝顔を一撫でして病室を出て、便所前の流しで顔を洗いそのまま一階へと降りて売店へと向かう。集中治療室を出る迄は家族控え室での寝起きだったが、洗顔後の朝食の購入は初日から変わらない。弁当はもう食べ飽きてしまったから即席麺でも食べようかとそちらの棚へと歩み寄り、タカコが以前お勧めだと言っていたものを手に取り会計を済ませ、湯を入れてもらい箸と一緒に受け取って売店を出た。
 自分が買い物に行っている間に目を覚ましているかも知れない、そんな風に思いつつ若干急ぎ足で戻るのもいつもの事で、そして、その後眠ったままの彼女の姿を見て内心落胆するのも同じ、今日もそれは変わらず、簡易寝台に腰掛けて静かに即席麺を啜る。
「……美味ぇな、お前は馬鹿だけど、舌だけは確かだな」
 彼女が起きている時にこんな事を言えば、きっとムッとした面持ちになってそっぽを向いて、そんな彼女の頭をがしがしと乱暴に撫でて宥めてやれば
「うぜぇ、触るな!」
 と言って撫でる手を弾き飛ばすのだろう。そして、少し経てば何事も無かった様に元通りになって――、そんな事を考えながら鼻の奥が僅かに痛くなるのを感じつつ食事を済ませ、談話室のごみ箱へと空になった容器を捨てに行く。
「真吾、何やってんだ、仕事は?」
 容器を捨てた後に歯を磨いて病室へと戻れば、そこにいたのは椅子に腰掛けてタカコの寝顔に見入る高根の姿、今の状況でよく休みが取れたなと思いつつ話し掛ければ、何とも高根の柔らかな面持ちが敦賀へと向けられる。
「うん、ちょっとな」
「……何か有ったのか?」
「少し前に凛が妊娠してるのが分かってな。最近ゴタゴタ続きで体調崩しちまってよ、今産婦人科で点滴してもらってるんだ。眠っちまったからよ、ちょっとこいつの顔見に来た」
 妊娠、その単語に何故高根の雰囲気がこんなにも柔らかいのか思い至り、敦賀は祝福の言葉を口にする。状況が状況だから大っぴらに言える事でも喜べる事でもないだろうが、それでも身近な友人として、博多を覆う絶望の中に生まれた幸せを祝福してやりたかった。
「で、籍はいつ入れるんだ」
「今はまだ流石になぁ。生まれる迄にはどうにかするけど、流石に言祝ぐ状態じゃねぇだろ」
「確かにな……しかし、お前が夫で父親かよ、想像つかねぇな」
「ああ、それ、俺が一番そう思うわ」
 自分で言って笑い出す高根、敦賀はそんな彼の様子を見て自分で言うなと鼻で笑い、高根はその様子を見て更に笑う。
「じゃあよ、入院してる他の連中も見舞って来るわ、なかなか時間とれなかったしな。終わったらまた来るよ」
 そう言って立ち上がる高根、敦賀はそれを椅子に腰掛けたままで見送り、タカコへと視線を戻す。
「――龍興」
 高根のその言葉に顔を上げて扉の方を見れば、彼の背中の向こうに黒川が佇んでいるのが見えた。
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