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第251章『二つの匙』
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第251章『二つの匙』
「もう寝るぞ、明日も仕事だ」
「明日もって言うか……大和に来てからこちら、負傷で休まされた以外は休みらしい休み貰った記憶が無いんだけど気の所為か?」
「……言うな……充足率回復してねぇわ新兵の面倒見ないといけねぇわで休みやる余裕は今のうちには無ぇんだよ」
軽い口付けを交わしながらのそんな会話、空気の甘さとは程遠い世知辛い内容にタカコが笑い、敦賀が
「笑うんじゃねぇよ」
そう言って抱き締める腕に力を込め、その後は他愛も無い遣り取りを繰り返す。やがて段々とタカコの返答が遅くなり口調も眠気を纏い、敦賀が腕の中を覗き込んで見れば、うとうとと眠りに落ちかけているタカコの姿が在った。
「……まだ本調子じゃねぇんだ、ゆっくり休めよ」
穏やかな声音でそう言って頭を撫でれば、腕の中の身体がゆっくり寝返りを打ち敦賀へと背中を預ける姿勢になる。向き合っていた時とは違い密着する二つの身体、温かさと愛しさを感じつつそっと抱き締めれば、眠りに落ちかけているタカコの口から小さな笑みと言葉が零れ落ちる。
「ふふ……この体勢……スプーニングって……言うんだけど……私……これ……凄い好き……」
「……すぷーにんぐ?」
「そ……匙の事スプーンって……言うんだけど……匙を重ね合わせた様な……体勢だろ……?」
タカコの言葉の通りに重ね合わせた匙の様にぴったりと密着している身体、これを言い表す言葉がワシントンには有るのか、匙に例えるとは何とも面白いと思いながら敦賀は更に腕に力を込め、首筋へと触れるだけの口付けを落とす。もう殆ど眠りに落ちているのか反応は鈍く、僅かに肩を竦めただけのタカコは、それでも途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……タカユキも……いつも……こうして、くれてたんだ……包まれてる……そんな……感じで……護られてるみたいで……凄く……安心、する……」
次に聞こえて来たのは大きな呼吸が一つ、その後はもう言葉は無く、常夜灯の薄闇の中には静かで規則的な寝息だけが微かに響いている。
「……旦那と一緒、か……」
タカユキ、亡夫の名前がタカコの口から出た時、その瞬間には心臓が嫌な鼓動を刻んだ。しかしその後に訪れたのは静かな満足感、敦賀はそれを噛み締めながら小さく呟き、細い首筋にもう一つ口付けを落とす。
好きだと言い安心感を感じ、そして亡夫に許していた事を、彼女は今自分にも許している、小さくとも確かなその事実が喩え様も無く嬉しい。亡夫に成り代われるとは思ってもいないしなりたいとも思わない、見て欲しいのは、求めて欲しいのは自分自身だ。それに、今迄に聞いた話や見た振る舞いから、タカコがどれだけ夫を愛していたのか、否、今でも愛しているのかはよく分かっている、それを捨てろと思った事は一度も無いし、自分にもそんな相手がいたとすれば捨てる事等不可能だろう。夫を愛している事も全て引っ包めて彼女という存在を選び愛したのだ、この先ずっと夫を愛したままで構わない、その上で、自分の事も同じ様に愛して欲しい。そんな風に思う敦賀にとって、タカコのこの言動は深い喜びと満足感、そして幸福感を与えるものだった。
寄り掛かれ、頼れ、事有る毎にそう言っていた敦賀の要求に、少々形は違えどこうして応えてくれているという事も何とも言えず嬉しいと思う。『護られている様で安心する』と、途切れつつ紡がれたタカコの胸の内、朝になればまた彼女はいつもの様に振舞うのだろう、それでも今は、二人でいる時だけはこうして委ねて欲しい、寄り掛かり、甘えて欲しい、護られていて欲しい。
「……お前が望むんなら望むだけ、俺が護ってやる……こうやって身体を抱き締めるだけじゃなくて、心も……全部だ」
だから帰国なんかするな、一生傍にいろ、と、その言葉は口には出さず今度は頬へと口付ける。現実を見ればそれがそう簡単に口に出せる言葉ではない事は分かっている、気安く口にすればその瞬間にその願望は不可能へと姿を変えてしまいそうで、言葉にする事が何とも言えず恐い、そう感じる。
タカコの言う『千日目』迄残りは僅か三ヶ月程、然して事が大和に有利に大きく動いたという感触も無く、寧ろ事態は悪化するばかり。自分と彼女の間もそれは同じで、世情とは違い少なくとも悪化だけはしていない事だけが救いという程度。
『その日』を迎えた時、帰国へと動くのであろうタカコを前にした時、自分は一体どうするのだろうかと何度も考えた。強引にでも引き止めるのか、それとも小さな背中を黙って見送るのか、何度考えても想像しても答えは出ない。望みは一つだけなのに、その情景を考える事を頭が拒否するのだ。
匙に喩えられたこの体勢、ぴったりと重ね合う匙ならば同じ場所に在るのが自然だろうに、何故それがすんなりといかないのか、何故無限とも思える程の海を隔てた異国へと離れなければいけないのか。自分には国を捨てる事も職務を捨てる事も出来ない、彼女のそれも出来るだけ尊重してやりたいとは思うものの、どちらかが捨てなければならないのだとしたら、彼女に捨てる事を選択して欲しい、そして、生涯をこの大和の地で、自分の傍で送って欲しい。
「……ま、今日は旦那と同じ事をお前が許してくれたって事で満足してやるよ……おやすみ」
結局今日も答えは出ず、敦賀はタカコの耳元で小さくそう囁き、耳朶に軽く口付けると腕の中の身体を抱き締め直し、目を閉じた。
「もう寝るぞ、明日も仕事だ」
「明日もって言うか……大和に来てからこちら、負傷で休まされた以外は休みらしい休み貰った記憶が無いんだけど気の所為か?」
「……言うな……充足率回復してねぇわ新兵の面倒見ないといけねぇわで休みやる余裕は今のうちには無ぇんだよ」
軽い口付けを交わしながらのそんな会話、空気の甘さとは程遠い世知辛い内容にタカコが笑い、敦賀が
「笑うんじゃねぇよ」
そう言って抱き締める腕に力を込め、その後は他愛も無い遣り取りを繰り返す。やがて段々とタカコの返答が遅くなり口調も眠気を纏い、敦賀が腕の中を覗き込んで見れば、うとうとと眠りに落ちかけているタカコの姿が在った。
「……まだ本調子じゃねぇんだ、ゆっくり休めよ」
穏やかな声音でそう言って頭を撫でれば、腕の中の身体がゆっくり寝返りを打ち敦賀へと背中を預ける姿勢になる。向き合っていた時とは違い密着する二つの身体、温かさと愛しさを感じつつそっと抱き締めれば、眠りに落ちかけているタカコの口から小さな笑みと言葉が零れ落ちる。
「ふふ……この体勢……スプーニングって……言うんだけど……私……これ……凄い好き……」
「……すぷーにんぐ?」
「そ……匙の事スプーンって……言うんだけど……匙を重ね合わせた様な……体勢だろ……?」
タカコの言葉の通りに重ね合わせた匙の様にぴったりと密着している身体、これを言い表す言葉がワシントンには有るのか、匙に例えるとは何とも面白いと思いながら敦賀は更に腕に力を込め、首筋へと触れるだけの口付けを落とす。もう殆ど眠りに落ちているのか反応は鈍く、僅かに肩を竦めただけのタカコは、それでも途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……タカユキも……いつも……こうして、くれてたんだ……包まれてる……そんな……感じで……護られてるみたいで……凄く……安心、する……」
次に聞こえて来たのは大きな呼吸が一つ、その後はもう言葉は無く、常夜灯の薄闇の中には静かで規則的な寝息だけが微かに響いている。
「……旦那と一緒、か……」
タカユキ、亡夫の名前がタカコの口から出た時、その瞬間には心臓が嫌な鼓動を刻んだ。しかしその後に訪れたのは静かな満足感、敦賀はそれを噛み締めながら小さく呟き、細い首筋にもう一つ口付けを落とす。
好きだと言い安心感を感じ、そして亡夫に許していた事を、彼女は今自分にも許している、小さくとも確かなその事実が喩え様も無く嬉しい。亡夫に成り代われるとは思ってもいないしなりたいとも思わない、見て欲しいのは、求めて欲しいのは自分自身だ。それに、今迄に聞いた話や見た振る舞いから、タカコがどれだけ夫を愛していたのか、否、今でも愛しているのかはよく分かっている、それを捨てろと思った事は一度も無いし、自分にもそんな相手がいたとすれば捨てる事等不可能だろう。夫を愛している事も全て引っ包めて彼女という存在を選び愛したのだ、この先ずっと夫を愛したままで構わない、その上で、自分の事も同じ様に愛して欲しい。そんな風に思う敦賀にとって、タカコのこの言動は深い喜びと満足感、そして幸福感を与えるものだった。
寄り掛かれ、頼れ、事有る毎にそう言っていた敦賀の要求に、少々形は違えどこうして応えてくれているという事も何とも言えず嬉しいと思う。『護られている様で安心する』と、途切れつつ紡がれたタカコの胸の内、朝になればまた彼女はいつもの様に振舞うのだろう、それでも今は、二人でいる時だけはこうして委ねて欲しい、寄り掛かり、甘えて欲しい、護られていて欲しい。
「……お前が望むんなら望むだけ、俺が護ってやる……こうやって身体を抱き締めるだけじゃなくて、心も……全部だ」
だから帰国なんかするな、一生傍にいろ、と、その言葉は口には出さず今度は頬へと口付ける。現実を見ればそれがそう簡単に口に出せる言葉ではない事は分かっている、気安く口にすればその瞬間にその願望は不可能へと姿を変えてしまいそうで、言葉にする事が何とも言えず恐い、そう感じる。
タカコの言う『千日目』迄残りは僅か三ヶ月程、然して事が大和に有利に大きく動いたという感触も無く、寧ろ事態は悪化するばかり。自分と彼女の間もそれは同じで、世情とは違い少なくとも悪化だけはしていない事だけが救いという程度。
『その日』を迎えた時、帰国へと動くのであろうタカコを前にした時、自分は一体どうするのだろうかと何度も考えた。強引にでも引き止めるのか、それとも小さな背中を黙って見送るのか、何度考えても想像しても答えは出ない。望みは一つだけなのに、その情景を考える事を頭が拒否するのだ。
匙に喩えられたこの体勢、ぴったりと重ね合う匙ならば同じ場所に在るのが自然だろうに、何故それがすんなりといかないのか、何故無限とも思える程の海を隔てた異国へと離れなければいけないのか。自分には国を捨てる事も職務を捨てる事も出来ない、彼女のそれも出来るだけ尊重してやりたいとは思うものの、どちらかが捨てなければならないのだとしたら、彼女に捨てる事を選択して欲しい、そして、生涯をこの大和の地で、自分の傍で送って欲しい。
「……ま、今日は旦那と同じ事をお前が許してくれたって事で満足してやるよ……おやすみ」
結局今日も答えは出ず、敦賀はタカコの耳元で小さくそう囁き、耳朶に軽く口付けると腕の中の身体を抱き締め直し、目を閉じた。
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